2009年7〜12月



■2009.9.22
 カンタベリー大主教来日 青年信徒らと対話
 「平和の実現は可能だ」



▲笑顔で答えるカンタベリー大主教



 日本聖公会(植松誠首座主教)は、その礎を築いた米聖公会のジョン・リギンズ、チャニング・ウィリアムズ両宣教師が長崎に上陸した1859年から150年目を迎えることを記念し、9月22日に立教大学池袋キャンパス(東京都豊島区)で記念プログラムを、翌23日には東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都文京区)で記念礼拝を行った。これにあわせて来日した英国国教会の最高指導者であるローワン・ウィリアムズ・カンタベリー大主教は22日、日本の青年らと対面し、会場からの率直な質問に対しユーモアを交えながら応答した。

 若者の教会離れをどうすればいいかとの問いに、ウィリアムズ主教は「イギリスの状況も日本と変わらない。宗教に興味はあるが、教会には興味がないという人が多い。教会の果たすべき責務は、若者の意見を尊重し、成長できる環境をつくること。若者にコミットするために、エンターテイメントを提供すればいいという誤解が多いが、それだけでは不十分」と応えた。
 加えて、すでに教会に通っている若者に向け、「難しい質問や要望をしてもいい」「教会が変わっていくためには時間がかかるので、それを忍耐強く待ってほしい」との願いを語った。
 司祭になるまでの経緯については、学生のころは教師になろうと思っていたが、思想だけでなく癒しや希望も分かち合うことのできる聖職者を目指すようになったという動機を打ち明けた。
 また、学生生活を謳歌していた1年生のころ、1人のホームレスの人と2時間ほど話すうちに、神学の勉強だけがすべてではないと思うようになったという逸話も紹介した。
 「大主教として仕える中で、いつもどんなことを祈っているか」との問いには、「毎朝できるだけ沈黙の時間を持つようにして、神さまが何を求めているのか、神さまからのメッセージをいただくようにしています。祈りの内容は、その日の力と知恵が与えられるように、愛する人のため、世界と教会の平和のためなどです」と応答。続けて、「愛さない人のために祈ることも努力しています。1人か2人しかいませんが……」と会場を和ませた。
 「平和を実現する上で、キリスト者であることはどんな意味を持つか?」との問いには、「平和を実現する働きの中で、キリスト者はリーダーシップを発揮するべき。信仰の中心は神がこの世界を作った時、イエスを通して平和を作ったということ。神はイエスを通して人との間に平和を作られた。神と人との間に平和があれば、人と人との間にも平和を実現できる可能性があることは確か。日本や韓国の教会の話を聞くと、すでに多くのリスクを乗り越えて平和の実現のために働いているので感心している」と評価した。
 最後に、長崎で被爆者の証言を聞くなど、平和のために活動しいているという青年の声に応えて、「キリスト者は、実際に戦争などを経験して傷ついているのが一人の人間であることを覚えるべき。一人ひとりが神さまの似姿として作られたということを常に覚えていれば、平和の実現が可能だと思う」と語りかけた。

2009.10.10 キリスト新聞記事



■2009.9.22
 「東北アジアの平和」めぐりシンポ
 韓・比・日の主教が教会の役割問う


▲発言する韓国、日本、フィリピンの各主教ら



 日本聖公会宣教150周年記念プログラムが行われた9月22日、立教大学池袋キャンパス(東京都豊島区)では、「東アジアの平和と聖公会の役割」と題するシンポジウムが行われ、金根祥(大韓聖公会ソウル教区)、ジョエル・パチャオ(フィリピン聖公会北中央教区)、谷昌二(日本聖公会沖縄教区)の各主教がそれぞれ発題した。
 金氏は、2007年の世界聖公会平和大会で後続的活動の責任を担う機構として作られた「TOPIK」について紹介し、その最優先課題として「対北朝鮮人道的支援事業」と「平和教育」の2点を挙げた。また、日本聖公会の平和への取り組みを「すべての教会の模範」と評価し、さらに力を合わせて「アジア全体の貧困と抑圧、踏みにじられた人権を回復するために」宣教の情熱を捧げようと呼びかけた。
 パチャオ氏は、山岳地帯での部族紛争が州政府の援助と教会の仲介によって終結した経緯について報告し、教会が平和について「語る」だけでなく「働く」ことの重要性を強調。東アジアにおける平和の構築のために、「地域の他のキリスト教会とのエキュメニカルな協力と、平和への願いを共有する他の信仰共同体との協力が必要」と述べた。
 谷氏は、沖縄が本土と分断され軍事基地化されてきた背景を説明した上で、日本聖公会が1996年の総会で承認した「戦争責任に関する宣言」も、教会、信徒のレベルでどこまで共有されているか「厳しい状態」と指摘した。その上で、「東北アジアの共通の安全保障に向かって歩んでいかなければならない時が、確実に来ている」とし、そのために日本の平和憲法が最も有効であり、「今こそ、過去の戦争責任をしっかり認めて、軍事によらない各国との連合を築いていく指導的役割を果たす責任がある」と訴えた。

2009.10.10 キリスト新聞記事



■2009.9.16
 「正しい戦争≠ナはなかった」
 
帰還米兵、イラクでの体験を証言



▲ファルージャでの体験を証言するコケッシュ氏



 「実際には『戦争』ではなく『占領』だった」――イラクの帰還米兵アダム・コケッシュ氏(27)が9月16日、国会内での集会で、自らが体験した「イラク戦争」の実態を証言した。集会を主催したのは、帰還米兵の証言をまとめたDVD「冬の兵士」(田保寿一監督)の製作委員会と市民らでつくる「冬の兵士証言集会東京」。
 コケッシュ氏は元海兵隊3等軍曹。1999年、17歳で海兵隊に入隊、2004年にはイラクの復興支援に貢献したいと民事部隊への配属を志願し、2月から7カ月間ファルージャにも配備された。帰国後は、反戦イラク帰還兵の会(IVAW)のメンバーとなり、07年にはワシントン市の路上で、市民に手錠をかけ頭から袋をかぶせるという現地での任務を再現する反戦アピールにも参加した。
 入隊前から授業を欠席して反戦デモに参加したこともあるというコケッシュ氏だったが、「政府のプロパガンダのおかげで、海兵隊は平和を作る仕事だと思い込んでいた」とふり返る。
 04年4月の「掃討作戦」にも居合わせ、検問所の警備を担当した。民間人への被害を最小限にとどめるための交戦規程も、ファルージャの攻撃期間中は「暗くなってから動くものは何でも撃っていい」という段階までなし崩し的に変えられていったという。実際、夜の火災現場で消火活動をする現地の警察官や消防隊員にも銃口が向けられた。
 介抱した兵士が出血多量で死んだ体験を踏まえながら、「アメリカの現状は内出血。外交上の失政は、政府の腐敗によって起きている一つの症状にすぎ、問題はより複雑化している」とコケッシュ氏。
 誕生したばかりのオバマ政権については、イラク撤退の予定を先延ばしにしていることなどを挙げて厳しく評価し、「『チェンジ』はわたしたちが期待したものではない。政権党の名前が変わっただけ。日本でも政権交代があったが、憲法9条が生かされるために実質的な変化が起こることを期待している。アメリカの占領政策が現地での助けになっているというプロパガンダにだまされないでほしい」と訴えた。
 自身はユダヤ人だというコケッシュ氏。「侵略戦争には反対。キリスト者のいう『正しい戦争』の基準に反する戦争は、倫理的に間違っている」と語る一方、「その基準を当てはめれば、歴史上『正しい戦争』はなかった。少なくとも、イラクやアフガニスタンでの戦争は明らかに間違い」と述べた。
 「混乱するアフガニスタンから撤退しても大丈夫か?」との質問には、「そうした認識こそがプロパガンダの成果」とした上で、「米軍自体が混乱の原因。瀬戸物屋に牛が飛び込んだとき、牛を放置したまま壊れた瀬戸物を直しますか?」と答えた。

2009.10.3 キリスト新聞記事



■2009.9.15
 ニカイア信条の意義を再評価
 
多様性における一致*竄、 教職者らが教派超えシンポ


 
▲(左から)柳下、菅原、鈴木、小坂、山岡の各氏



 1991年、世界教会協議会(WCC)信仰職制委員会によって作成されたニカイア信条の解説書を、『エキュメニカルな信仰告白に向けて』として邦訳・出版(2007年)した日本聖書神学校(今橋朗校長)が9月15日、同校で「『エキュメニカルな信仰告白に向けて』をめぐるシンポジウム」を開催した。シンポジストには、山岡三治(上智大学教授)、小坂宣雄(日本キリスト教会習志野教会牧師)、鈴木浩(ルーテル学院大学教授)、菅原裕治(日本聖公会司祭)、柳下明子(日基教団牧師)の各氏が招かれ、約40人の参加者と共に教派を超えて、ニカイア信条の今日的意義について語り合った。

 山岡氏は今日のカトリック教会におけるニカイア信条の位置づけについて、使徒信条と共に主日ミサでの使用が奨励されていると紹介。その上で、他教派から転入者を迎える際にもニカイア信条を唱えさせていることについて、「伝統的に偏狭な教会観がある。聖なる教会が誤るはずがないという意識が根強く、矛盾を抱えている」と、カトリック側の問題点を指摘した。
 小坂氏は、改革派教会の伝統においてはニカイア信条が教会の信仰の規範となっており、聖霊に関する信仰理解も同信条に基づいているとし、「道徳ないし倫理は信仰と不可分であり、『聖霊による聖化の現実』としてとらえている。したがって、教会の中に社会派と正統派というような分離されたあり方は認めがたい」と、日本キリスト教会の立場を解説した。
 鈴木氏はルター派教会が聖公会とカトリックとの対話委員会を持ち、洗礼の相互承認などについて連携を深めてきたことに触れ、ニカイア信条は月1〜2回の礼拝で使用しているという現状を報告。また、憲法規則や教会の勉強会などを通じて特に信条を重んじてきたルター派の姿勢について強調した。
 菅原氏は、キリスト教における「橋渡し」的な聖公会の立場について述べた上で、新旧約聖書、歴史的信条(ニケア信経と使徒信経)、サクラメント(洗礼と聖餐式)、三職位制(主教・司祭・執事)の順守をうたった「ランベス四綱領」が、多様なアングリカン・コミュニオンを一つに結びつけていると説明。ただ、細かな適用の仕方は幅があり、教区や管区によって異なるという実態を紹介した。
 柳下氏は、『エキュメニカルな信仰告白に向けて』の性格について、「なるべく多様性を保持しながら統一性を図るという試み」であるとし、「ニカイア信条は政治的意図を持って作られた信条ではあるが、教会の一致を至上目的としている。排除を目的としない対話のための神学的営みとして、普遍的価値がある」と述べた。
 また、ニカイア信条を主日礼拝で使用する教会が少ない日基教団では、「その成果を十分活かし切れていない」と指摘。「教団の信仰告白や教憲教規が一致の基準とされているが、成立の経緯や内容についての検討がなされていない状況で、『多様性における一致』の到達点が明確とは言えない」と述べた。
 さらに、「エキュメニカル運動に対する熱意の低下により、(同書が)価値のある文書にかかわらず置き去りになっていた現実がある」「むしろ日本のような多宗教の風土においてこそ、『目に見える一致があることが世に対する証しになる』というリマ文書の精神が生きる」とし、「それぞれの教会で対話の姿勢が問われている」と提起した。
 会場からは、「グローバル化の時代にあって、わたしたちがキリスト教の根本について互いに確認し合い、外に向けて示していかなければ対話はできない」「正統と異端を区別する『異端審問』的に信仰告白を使うのは間違いではないか」との意見も出された。

2009.9.25 キリスト新聞記事



■2009.9.4
 裁判員の牧師 実名公表
 
「更正への願い込めた懲役15年」 澁谷さん 判決直前に裁判長へ進言




 全国3例目となる裁判員裁判で青森地裁は9月4日、強盗強姦罪などに問われた被告に対し、検察側の求刑通り懲役15年の判決を言い渡した。判決後、記者会見に応じた4人の裁判員のうち、日本アッセンブリー・オブ・ゴッド教団青森キリスト教会(青森県青森市)牧師の澁谷友光さん(45)は実名を公表し、「本当に更生してほしいと願った」と涙をにじませた。
 裁判員制度をめぐってはこれまで、カトリック教会が教会法に則り聖職者は「辞退」するとの方針を決めたほか、プロテスタント内でもその対応をめぐって議論が行われてきた。今回、一人の牧師が体験した裁判を通じて、教会の司法に対するあり方が改めて問われることになりそうだ。

主に仕える者として

 「まさか自分は……という思いがあった」――澁谷さんは、裁判員に選ばれた当時をそうふり返る。候補者73人の中の6人に選ばれるその瞬間まで、実感はわかなかった。裁判員制度についてそれほど深く考えていたわけでもない。
 しかし、実際に審議に参加し、裁判官や他の裁判員たちと真剣に話し合う中で、その思いは明らかに変化した。「検察側、弁護側の話を聞くことで、一つひとつの事件が本当に複雑だということが分かった。それを表面的にしか見ず、簡単に裁くことはできない」
 さらに、一人のキリスト者として、裁判員に選ばれた意味も考えるようになった。「牧師であるわたしが、主に仕える者として意見を発していく必要がある。そのためのいい機会だと思えました」

祈り続けた3日間

 今回の事件は、裁判員裁判で初めて扱われる性犯罪。2日から3日間に及ぶ審理の間、被害者の証言や現場の再現などと向き合う裁判員の精神的負担は相当なものだったという。
 「毎日、被告のため、被害者のため、そしてわたし自身と今回の裁判に携わったチームのために祈って臨みました。祈れるということが、こんなに大きい恵みなのかということを実感しました」と澁谷さん。被害者の思いが痛いほど分かり、怒鳴りたくなるほどの憤りを感じたこともあったと打ち明ける。

判決を前に

 被告は弱冠22歳。出生前後に両親が離婚し、引き取られた母も小学1年で他界した。そんな生い立ちが自分と重なった。母子家庭で育った澁谷さんも、父親の顔を知らない。母は息子の養育を断念し、養子として親戚に預けた。同じ境遇にあった自分が、犯罪者として立っている被告を裁く。複雑な心境だった。
 最終日。「懲役15年」という判決を決め、裁判員らが評議室から法廷への廊下を歩いていた時、澁谷さんは裁判長にこう進言する。「決して諦めた15年ではなく、更生への願いと期待を込めた15年だということを付け加えてほしい」
 法廷ではその言葉通り、最後に裁判長がひと言付け加えた。被告はこれまでと異なる真剣な眼差しで深くうなずいた。澁谷さんは、あふれ出る涙をこらえられなかった。閉廷後、ある裁判官が言った。「最後の彼の表情が、わたしたちの慰めになりましたね」

問われる教会の対応

 澁谷さんの属する日本アッセンブリー・オブ・ゴッド教団では、裁判員制度の施行にあたり特別な指針は打ち出していない。ただ、今回一般メディアでも大きく取り上げられたことで、教団としての関心も高まるだろうとの見方もある。今回の会見について周囲の教会関係者は、おおむね好意的で、激励のメールをくれた牧師もいたという。
 「聖書にあるとおり、『ひとを裁くな』というのは大前提です。だからといって裁判員にならないというのは、あまりにも世間に対して背を向けた態度。制度として決まった以上は、その中でわたしたちに何ができるかを考えるのがクリスチャンの務めだと思います」

2009.9.19 キリスト新聞記事



■2009.8.15
 「終わらない希望を」
 
8・15 各地で集会



▲平和行進する「平和遺族会」の戦没者遺族ら



 戦後64回目の8月15日を迎えた東京。早朝から暑い日差しが照りつけるなか、千鳥ヶ淵戦没者墓苑での「平和祈祷会」(8・15東京集会実行委員会主催)には約250人が集い、関田寛雄氏(日基教団神奈川教区巡回教師)が説教をした後、平和、正義、希望などのテーマごとに祈りを合わせた。他にも、全国各地で「敗戦記念日」を覚える集会が持たれた。

 関田氏は説教の中で、この演説について「勇気を与えられた。核廃絶が平和を求める第一歩になる」と評価し、その背景にあるキング牧師の信仰について紹介しながら「終わらない希望を心に刻みたい」と述べた。

 平和遺族会全国連絡会(西川重則代表)は、日本教育会館(東京都千代田区)で「8・15集会」を開催し、戦没者遺族ら約300人が参加した。
 初めに西川氏が「有事法制課の靖国神社問題」と題して基調報告を行った後、キリスト者遺族の会の井上健氏が登壇。日本兵として徴用された朝鮮・台湾の遺族には支給されなかった「扶助料」によって生活していたことが、長い間「心に刺さった棘」となってきたことを打ち明け、「憲法をより深く広く学び、それを生かしていく行動を粘り強く歩み続けたい」と語り、一同で「沈黙の時」を持った。
 続いて吉田裕氏(一橋大学大学院教授)が「田母神問題と歴史修正主義――自衛隊最高幹部が侵略を正当化するとき」との題で講演した。同氏は、田母神俊雄前航空幕僚長の論文が意図する政治的狙いについて、「自衛隊に対する制約を打破するための世論作り」「シビリアン・コントロールの見直し」を挙げ、歴史修正主義そのものが抱える矛盾、日米安保体制を基軸とする保守本流路線との矛盾について解説した。特に2005年の読売新聞社による調査で、「中国との戦争は侵略戦争だったが、アメリカとの戦争は侵略戦争ではなかった」との回答が約3割に上った点に注目し、「田母神流の『反米』と平和主義・中立主義からのものが並存している」と指摘した。
 最後に、「格差社会が浸透するなか、社会的統合の核としてナショナリズムに流れる動きがあるが、その基盤の脆弱性にも注目していく必要がある」と結んだ。
 集会の後、参加者らは靖国神社周辺を平和行進。「憲法改悪を許すな」「遺族は参拝を望まない」などと訴えた。

 靖国神社では野田聖子消費者行政担当相が参拝したほか、麻生太郎首相と現役15閣僚は参拝を見送り、小泉首相(当時)が参拝していた年とは打って変わって穏やかな一日となった。ただ、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」を名乗る団体のメンバーらが「朝鮮人は出て行け」などと書かれたプラカードを掲げ、デモ隊への攻撃を阻む機動隊と衝突する一幕もあった。


2009.9.5 キリスト新聞記事



■2009.8.13
 性教育は聖書科でこそ
 
第2回研究大会 キリスト教学校での調査報告



▲アンケート調査の報告に聞き入る参加者



 キリスト者による性教育に関する学術・研究団体として2007年に発足したキリスト教性教育研究会(富永國比古会長)が8月13日、国際基督教大学(東京都三鷹市)で第2回公開研究大会を開催した。今回は「キリスト教学校教育における性教育の担い手は?」とのテーマで、宗教主事などのキリスト教教育の責任者を対象とした調査結果をもとに、聖書科(宗教科・倫理科)の担うべき役割に焦点が当てられた。
 初めに小林宏繁(自由学園男子部高等科教諭)、大矢正則(栄光学園中学校・高等学校教諭)の両氏から調査結果が報告された。この調査は今年6月、中等教育レベルのキリスト教学校(プロテスタント)104校、カトリック学校120校を対象に行われたもの。いずれも52校から回答を得た(回収率50%、43%)。
 性教育の「担い手」を問う質問では、「宗教科の教員」との答えがそれぞれ15%、24%にとどまり、「聖書物語を扱う時に、性教育の内容を意図的に扱っているか」を問う項目では、「いいえ」が6〜7割を占めた。また、カリキュラムについては両者ともに「担当者任せ」が目立ち、聖書科として行う際の壁については、「その他」として「時間的余裕がない」「保健体育以外に必要性を感じない」「聖書から理解するのは難しい」「教員間でも価値観が違うので連携、共有が困難」などの意見が見られた=別表。
 報告を受けて町田健一氏(国際基督教大学教授)は、性教育を担っている教員の多くがキリスト者でないことを指摘した上で、「避妊教育」でも「性感染症・エイズ脅し教育」でもないキリスト教の倫理観に根差した独自の性教育の必要性を訴えた。


2009.9.12 キリスト新聞記事



■2009.8.8
 「病と死」の意味問う
 
AIDS文化フォーラム 宗教とエイズ プロテスタントの牧師が発登壇



▲発言する(左から)石田、大下、矢吹の各氏



 神奈川県内の民間団体が共催する第16回AIDS文化フォーラムin横浜(事務局・横浜YMCA)が8月7〜9日、かながわ県民センター(横浜市神奈川区)で行われ、3日間の来場者は延べ3500人を超えた。今年で4回目となる「宗教とエイズを考える」には、プロテスタント教会から初めて、石田透氏(日基教団原宿教会牧師)が発言者として登壇した。
 同フォーラムは、1994年、アジアで初めて開かれた「エイズ国際会議」を機に、エイズ問題に取り組むボランティアらが市民版フォーラムとして立ち上げたもの。今年は「他人ごと!?」をテーマに、55のプログラムと18団体による展示が行われた。
 2日目の分科会「宗教とエイズを考える」では、岩室紳也氏(地域医療振興協会医師)の司会のもと、石田氏のほか矢吹貞人(カトリックさいたま教区助祭)、大下大圓 (高野山真言宗飛騨千光寺)、 古川潤哉(浄土真宗本願寺派)の各氏が、宗教者の立場からエイズや死生観について語り合った。
 同フォーラムのスタッフだった教会員に勧められたという石田氏は、これまではむしろ「他人ごと」だったと前置きし、「教会にはさまざまな人が来る。もしHIVに感染した方が来て打ち明けられた時に、知識として少しでも知っていることは必要」と、参加の動機について語った。また「病と死」のとらえ方について、「信ずればこの世的な良いことがあるというようなご利益ばかりを示すのではなく、人間の営みには、むしろ苦しいことがあるということを宗教者が示していかなければならない」と指摘。
 同性愛やコンドームのとらえ方について問われた矢吹氏は、「ガリレオ以来の長い歴史の中で、科学と宗教の領分は違うということを学んだ。教会が発言すべき問題と、そうでないものがある。教皇の立場から公に宣言することは難しいが、信徒の良心に問いかけながら状況に応じて判断していいのではないか」と個人的な見解を述べた。
 大下氏は「自らの病や苦しみについて当たり前に語り合う場があまりに少ない。宗教者もそうした所に積極的に関わっていくべき」とし、古川氏も「どんな悩みであれ、まずは受け入れてもらえるのがお寺や教会のはず。それこそが宗教者の活用法」と訴えた。

2009.9.12 キリスト新聞記事



■2009.8.7
 20年目の節目で記念論集
 
全キリ「人権教育セミナー」 辛氏が講演


 
▲ユーモアを交えて講演する辛氏(左)、記念論集



 全国キリスト教学校人権教育研究協議会(関田寛雄会長)が主催する「人権教育セミナー」が今年で20回目を迎え、これまでの足跡を記録した「第20回記念論集」(500円)を発行した。
 同セミナーは全国各地のキリスト教学校教職員や、公立学校のキリスト者教員、教会関係機関のスタッフによって1990年に始められ、これまで差別や人権侵害、平和教育などさまざまなテーマを取り上げてきた。今年は8月6〜8日、女子学院(東京都千代田区)と在日本韓国YMCA(同)を会場に開催され、約100人の教育関係者らが参加した。
 セミナー2日目夜には、辛淑玉氏(人材育成コンサルタント)を招き、20周年の特別講演と記念交流会を開催した。辛氏は「目覚めよ」と題し、渡米時の体験や野中広務氏との共著『差別と日本人』(角川書店)ができるまでの経緯などを披露し、「わたしはどこかで野蛮にならない≠ニいう選択をした。それは、部落の人々が『きれいにしていないと差別される』というこみ上げる不安と似ている」「日本人がアジアへの加害者にさせられた『正しい被害者』として国家と向き合わなければ、マイノリティは解放されない」と訴えた。
 「記念論集」についての問合せはNCC教育部(03・3203・0731)まで。

2009.9.5 キリスト新聞記事



■2009.8.1
 信頼できる大人との出会いを
 
雑誌「VOICES」通して声%`える 橘ジュンさん


▲ウェブ版「VOICES」



 新宿・歌舞伎町。ネオンの明かりに照らされた繁華街の路上で、行くあてもなくさまよう少女たち。橘ジュンさん(38)がカメラマンの夫・ケンさん(41)らと共に創刊したフリーペーパー「ボイス(VOICES)」には、生きづらい時代にさまざまな傷を抱えた彼女たちの、赤裸々な声がつづられている。この5月、新たに作成したウェブ版の特集は疵(きず)。家出と「援交」、自殺未遂の連鎖。厳しい現実を前に、挫折しそうになる橘さんを支えてきたものは――。その原動力と、背景にある数々の「出会い」に迫った。

■ただ話を聞くうちに

 その日、橘さんは雑誌を片手に、一人うつむいてしゃがみ込む少女に声をかけた。見知らぬ女性から声をかけられ、怪訝そうな表情の彼女。この時間に声をかけてくるのは、補導員か「援交」目当ての男性ばかり。「こんな雑誌を作ってるんだけど、話聞かせてくれない?」
 「夜回り」を続けて3年半。初めはたいてい拒まれるが、くり返し話しかけるうちに少しずつ関係を築けるようになる。街で会話を交わす中で、メールのやり取りができるようになった女性も少なくない。帰宅を促したり、家族に連絡したりすることはせず、あくまで話を聞くことに徹する。「わたしたちの活動は救う≠フが目的じゃない。いま必要なのは、彼女たちの抱える現実を受け止めて、自分で新しい一歩を踏み出すのを見守ることです」
 雑誌やホームページ、メディアでの報道を通した出会いも生まれている。当初、彼女たちの声をリアルに伝えたいと名付けた「ボイス」だが、場合によっては相談に乗り、希望があればその日の寝場所も提供することも。活動のスタイルも雑誌の役割も、出会いを通して日々変化している。

■おぼつかない「生」

 「死にたい……けど、生きたい」
 橘さんの携帯に、モモさん(仮名)からのメールが届いた。「彼女たちは生きているか死んでいるか分からない、宙に浮いているような状態。でも、わたしが会って話を聞いている瞬間は生きて≠「る。それが彼女にとって、自分が存在する理由の一つになる」と橘さん。
 前日、初めて橘さんと会ったモモさんは、「(雑誌に)書いてもらったら、自分の生きてる証になるね」と、自らの生い立ちを打ち明け始めた。幼いころ、父親から性的虐待を受けた彼女は、「シャワーを浴びてもお風呂に入っても、汚れが落ちない」と話し、3カ月ほど生理が来ていないこと、相手は見知らぬ男性であること、数々の通院歴があることなども次々に告白した。医者やカウンセラーには癒せない傷がある。
 その日、もらった「ボイス」を握りしめて寝たというモモさんは、翌朝のメールで、「信頼できる婦人科を紹介してほしい」と懇願した。

■出会いが人を変える

 自身もかつては「暴走族」のチームに属し、大人は敵、仲間だけが味方と確信していたという橘さん。ある雑誌記者との出会いが転機になった。「わたしたちの行為をとがめもせず、『何が楽しいの?』と真剣に聞いてくれたんです」。街で出会う女性たちの姿が、10代のころの自分と重なって見える。
 「ボイス」の巻頭には、「紙面を通じて『こんな人もいるんだ』と、読者が知る事によって視野を広げ、多様な生き方がある事を知ってほしい」とある。
 創刊号では、さまざまな生き方を提示するため、あえて「最も遠い世界の人」だったシスターにも話を聞いた。その取材を契機に、時々教会へも足を運ぶようになる。「『神さまにはいっぱい甘えていいのよ』と、当たり前のように言えるシスターの純粋さが、こういう女の子たちを癒してくれるのかなと思うんです」
 橘さんは、できるだけ多くの「信頼できる大人」を紹介し、少しでも生きる支えにしてほしいと願う。

■会いたいから

 家族にも友人にも言えないような話を、初対面の橘さんに吐露する女性たち。彼女たちの思いを裏切れないと思う反面、その「重さ」を自分で受け止められるかという不安も常にある。「もちろんできないことはあるし、傷つけてしまうこともあるかもしれない。だから、かっこつけないようにしてます。弱いわたしでもいい?って……」
 雑誌が無料のため、収入を得るための「仕事」ではない。慈善ボランティアとも違う。では、何故そこまでするのか。「何なんですかね」――しばし考え込んだ末に、橘さんの出した答えは至ってシンプル。「できることがあるならしなきゃ、と思えるだけなんですよ」
 経済的には苦しいが、楽しい。「そんなこと言うと親に怒られちゃうんですけど(笑)」とはにかむ橘さん。ただ純粋に、「どこかで誰かを求めている女性に会いたい」と思うから、この週末も街に出る。

■「ボイス」公式ホームページ http://www7a.biglobe.ne.jp/~voices2006/
■「ボイス」語り場ブログ http://voices-blog.jugem.jp/
■募金は、郵便局備え付けの振込用紙の通信欄に「VOICES MAGAZINE募金」と記入の上、郵便振替00140―2―261701「VOICES MAGAZINE」まで。1口1千円から受付中。

2009.8.8 キリスト新聞記事



■2009.7.19
 地域に開かれたミッション≠
 
聖トマス大 「募集停止」で市民らがシンポ



▲「ほっとけん」と集まった地域住民と大学関係者ら



 少子化による「大学全入時代」を迎え、キャンパスの統廃合、学部の新設、新しい入試制度の導入など、「生き残り」をかけた熾烈な学生獲得競争がくり広げられる中、入学者数の減少に歯止めがかからず、来年度からの募集停止を決める4年制の私立大学が相次いでいる。いずれも1学部の単科大で、学生数800人未満の小規模校。兵庫県尼崎市の聖トマス大学(小田武彦学長)もその一つだが、これまで同大と関わりの深かった地域住民らを中心に、「今後のあり方を一緒に考えよう」という動きが広がっている。

 聖トマス大学は、1963年に「英知大学」として創立したカトリック系の4年制大学。経済危機と円高の影響もあり、1998年から赤字経営が継続、2000年度以降は定員割れが恒常化していた。04年には学科を減らし、神学科を人間学科と改名。07年には聖トマス・アクィナス大学国際協議会に加盟し、現在の大学名に改称する。昨秋には、グリーフ(悲嘆)ケアの専門職を養成する「日本グリーフケア研究所」を全国に先駆けて設立するなど、さまざまな対策を講じてきたが、09年度の入学者数は110人と、定員250人の44%にまで減少した。
 今年5月に募集停止を発表した大学側は翌6月6日、学内向けの説明会を開き、学生や保護者、同窓生らに対して今回の決定に至ったことを陳謝。「在校生の利益を第一に考えたい」とし、転学の権利を保障すること、就職支援を行うことなどを説明した。学生や卒業生、一部の教職員らにとっては、まさに「青天の霹靂」だった。さまざまな「改革」が裏目に出て、学生離れを加速させたと指摘する声もある。

 この決定を受けて、「大学がなくなるのは地域にとって大きな損失」と憂慮する市民ら約30人が呼びかけ人となり、「ほっとけん! 地域の大学・聖トマス大」と題するシンポジウムが7月19日、同大学で開かれた。現役の教職員や学生らに加え、これまで公開講座の開催やグラウンドの開放などを通じて交流のあった地域住民らが多数参加し、それぞれの立場から発言した。当日のアンケートでは、「何らかの形で大学を残してほしい」との回答が大勢を占めた。
 同大はもともと軍の跡地だった場所をカトリック大阪大司教区が買い上げて建てられた。現学長が就任するまでは、閉鎖的で地域とのつながりは皆無だったという。呼びかけ人の一人であるNPO法人愛逢(あいあい)事務局長の滑川清文さんは、「大学が地域に開かれるようになり、町づくりの面で大いに期待していただけに残念」と漏らす。
 同大はすべての在校生が卒業するまで運営を続ける方針だが、その後については不透明。地域の経営者でつくる「尼崎経営者協会」は、卒業生を優遇するなどの措置について大学と協議していく予定だ。
 シンポジウムの呼びかけ人として名を連ねた森宣雄さん(同大多文化共生学科准教授)は、大学が直面する現状について「ミッションスクールが日本で定着していくための試練」だとし、「ミッションだけでは大学を支えられない時代になった。もっと早くから地域のニーズを把握し、結びついておく必要があった。経営的には失敗したが、大学の活動が地域に開かれていく実例として他大学の教訓に活かしてほしい」と話した。

 押し寄せる「淘汰」の波は地方だけにとどまらない。日本私立学校振興・共済事業団の2008年度「私立大学・短期大学等入学志願動向」によると、08年に定員割れした私立大学は全体の47・1%に当たる266校。前年度より42校増加した。長引く不況、国立大学の「法人化」、定員割れによる経営難、学力の低下――。「学問の府」たる大学は、これからどこへ向かうのだろうか。

2009.8.1 キリスト新聞記事



■2009.7.9
 150年目の課題と現実
 
宣教記念大会に1万6千人



▲基調講演をする加藤氏



 まだ切支丹禁令下にあった幕末の日本で、伝道の使命を帯びた多くの宣教師たちが横浜、函館、長崎に入港した1859年から150年。「日本プロテスタント宣教150周年記念大会」(同実行委員会主催)が7月8、9日、プロテスタント諸教会の協力を得てパシフィコ横浜(横浜市)で開かれた。初日の開会礼拝では、大会実行委員長を務める山北宣久(日基教団聖ヶ丘教会牧師)、峯野龍弘(ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会牧師)、大川従道(大和カルバリーチャペル牧師)の3氏が開会を宣言。2日目の記念式典は、事務局長の渡部信氏(日本聖書協会総主事)が司式した。会期中、延べ約1万6千人が会場を訪れた。

 2日目の午後には、講演とパネルディスカッション、分科会が各会場で行われた。基調講演は加藤常昭(説教塾主宰)、湊晶子(東京女子大学学長)の両氏。2人の講演後には、江藤直純(ルーテル学院大学教授)、北城挌太郎(日本アイ・ビー・エム株式会社最高顧問)、朴寿吉(在日大韓基督教会総幹事)、藤本満(インマヌエル高津キリスト教会牧師)の各氏、木村利人(恵泉女学園大学学長)、永井理恵子(聖学院大学准教授)、古屋安雄(国際基督教大学名誉教授)の各氏がそれぞれコメントした。
 「神の言葉に生かされるキリストのからだ・教会」と題し、宣教の歴史における説教の意義について語った加藤氏は、「伝道は説教を抜きに語れない」と強調。植村正久の言葉を引用しながら、「伝道とは伝道者が説教すること。伝道の実りが少ないのは説教者の責任」と指摘した上で、「クリストクラシー(キリストによる支配)を実現するためにも、牧師と共に信徒がキリストの体である教会をどう作るかが課題」と述べた。最後に、それぞれの教会でも「150周年」を覚えて集会を催すことを提案し、「自分たちの歩みを悔い改め、みなさんの存在をもってキリストにお返ししてほしい」と呼びかけた。
 湊氏は「現代のキリスト教学校教育と家庭教育に期待するもの」と題して、日本宣教において女子教育が果たした役割について語り、新渡戸稲造の「人格のないところに責任は生じない」との言葉から、キリスト教学校における「人格教育」の重要性と、キリスト教を基盤とした「公共」の理念を提供する必要性を説いた。また、5代目のキリスト者として、聖書の言葉で親に叱られた経験などを紹介しながら、「教派・教団を超えた主にある一致が、信仰を次世代に継承する要である」と述べた。

 「キリストにあってひとつ――主イエスの証し人として」との主題を掲げた今大会。全プログラムを通し、「主にある一致」が度々強調されたが、「沖縄宣教163年」との兼ね合いや歴史認識の違いなどにより教派、団体としての賛同を見合わせたところも多い。出演者、参加者ともに福音派の関係者が多い中で、「一致」への熱意が形に表された点は評価される大会となった。

2009.7.25 キリスト新聞記事



■2009.7.6
 ジュネーヴ礼拝式を再現
 
カルヴァン生誕500年で記念集会



▲ジュネーヴ教会に思い馳せ



 カルヴァン生誕500年を記念する集会が7月6日、東京神学大学(東京都三鷹市)で行われ、教派を超えて約240人が礼拝堂を埋め尽くした。同集会は「礼拝者カルヴァン」とのテーマを掲げ、アジア・カルヴァン学会日本支部と日本カルヴァン研究会を中心とする実行委員会(久米あつみ委員長)の主催で行われた。
 初めに芳賀力(東京神学大学教授)、秋山徹(日基教団上尾合同教会牧師)、菊地純子(日本キリスト教会神学校講師)の各氏がそれぞれ、「讃美と応答――この世を神の栄光の舞台とするために」、「カルヴァンのジュネーヴ教会の礼拝」、「ジュネーヴ詩編歌という世界」との題で講演した。
 芳賀氏は、カルヴァンの思想が世界を肯定する性格を秘めており、カルヴィニストたちが近代世界の形成と変革の担い手となったことを論証した上で、カルヴァンの霊性を段階ごとに整理した。
 秋山氏は、カルヴァンの礼拝理解を実際の聖餐礼拝の順に即して解説し、当時の礼拝を「再現」することで今日の礼拝のあり方を再確認したいと強調した。
 菊地氏は、今井奈緒子氏(東北学院大学教授)によるジュネーヴ詩篇歌の演奏を聴き、参加者と共に歌うことで、その歴史的背景と意義について共有した。
 講演の後、ジュネーヴ教会の礼拝式、聖餐式が1562年版の式文に基づいて再現され、詩編46編によるカルヴァンの説教も全文が読み上げられた。
 参加した神学生(32)は、「カルヴァンの世界肯定・否定両方の態度が、讃美・応答へと有機的に結びつくことを教えられた」と感想を語った。
 全体の進行を務めた関口康氏(日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)は、「盛会のうちに閉幕できたことを感謝したい。教団・教派を超えた協力体制は見事であった。100年前や50年前の日本で『カルヴァン生誕記念集会』が行われた形跡はない。日本史的な意義を持つ集会になったと思う」とふり返った。

2009.7.18 キリスト新聞記事


 

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