2009年1〜6月



■2009.6.25
 
「同労者」としての歩み偲ぶ
 
"水牛の神学"の小山晃佑氏追悼



▲記念礼拝で思い出を語る持田氏



 タイでの宣教活動を記録した『水牛神学』で知られ、戦後日本の代表的神学者として国際的に活躍した小山晃佑氏が今年3月、79歳で死去したことを受け、有志の実行委員会主催による告別記念会が6月25日、日本聖書神学校(東京都新宿区)で行われた。松本敏之氏(日基教団経堂緑岡教会牧師)の司式による記念礼拝では、岩橋常久氏(日基教団南大阪教会牧師)が「戦後キリスト教のカイロス」と題して説教したほか、友人の中村良樹氏がバイオリンの演奏を披露し、関係者らが追悼の言葉を述べた。
 4月には教文館から、一昨年秋に行われた国内で最後の講演と同題の講演・エッセイ集『神学と暴力』が出版されている。

 岩橋氏は説教の中で、小山氏の著書『托鉢僧と水牛の国で』(キリスト新聞社)のあとがきに「タイ国派遣宣教師」ではなく「タイ国在住同労者」と記したことを取り上げ、「『わたしも共に福音にあずかるためである』(Tコリント9・23)という聖句と、タイでの経験とが響き合って生まれた先生の自己理解だった」と述べた。また、同氏がルター神学の講義中に経験した「神学的な頓挫」を契機に、自身のアイデンティティの問題と直面したことが徹底した偶像批判の基盤となったことについて、「この経験が先生の個人的なカイロスであり、同時に戦後キリスト教宣教とその神学のカイロスとなった」と説いた。
 小山氏と同じ日本基督教神学専門学校(現東京神学大学)の同窓生である木村知己氏は、アメリカ在住時の小山氏が、国内のアメリカ批判よりはるかにラディカルな指摘をしていたことを紹介。しかし、数年後のアメリカの社会的、神学的状況は彼の鋭い論評どおりになっていたという。
 小山氏と共に宣教師として働いた経験のある浅田容子氏は、常に「すべて聖書に書いてあるとおりだね」と語っていたという当時をふり返り、「情熱を持って人を愛し、よく耳を傾け、共に歩んでくださった」と思い出を語った。
 故人と関係の深かったキリスト同信会の持田勝氏は、小山氏の死後に彼の部屋で自筆の文章を見つけたことを話した。それは、「吾死なば/故郷の山に/埋もれて/昔語りし/友を夢みむ」という西田幾多郎の歌だった。「余命宣告を受けていた先生は、自分の愛する言葉を毎日かみ締めていた。ここでの『友』とは、小山氏が接したすべての人を指している。語ることよりも行うことに力点を置き、関係を非常に重視した人」と懐古した。

2009.7.11 キリスト新聞記事



■2009.6.19
 
本紙連載「出逢い」出版で教え子ら祝う
 "出会いの恵みに感謝"



▲教え子らとの再会を喜ぶ武田氏(左)



 本紙第2面で2006年12月25日付から08年8月2日付まで、約1年半にわたり掲載した武田清子氏(国際基督教大学名誉教授)の連載「出逢い――人、国、その思想」がこのほど単行本として出版され(四六判・250頁・2100円)、6月19日、アルカディア市ヶ谷(東京都千代田区)で関係者らを招いての記念会が催された。
 同書は日本人として、女性として初めて世界教会協議会(WCC)会長を務めた武田氏の生い立ちをはじめ、激動の時代に翻弄されながら経験した「出逢い」の数々を、思想史的な背景を踏まえながら書き綴ったもの。単行本化にあたっては、連載で省略したいくつかの逸話も加筆されている。
 会の発起人代表を買って出た日野原重明氏(聖路加国際病院理事長)はあいさつの中で、同時代を生きた友人として共感する部分が非常に多いとした上で、「人は神の恩寵による出会いによってつくられる。武田先生は、さまざまなハプニングと出会う≠スめのバックグラウンドを持っておられた」と評した。
 また、本紙でも武田氏と対談した阿久戸光晴氏(聖学院大学学長)は、夫の長幸男氏が病床で詠った「やせ古木妻の助けで生きており」という俳句を紹介し、「参加した皆さんと共に喜んでおられるはず」とあいさつした。
 翌20日で92歳の誕生日を迎える武田氏は、文中の年代や日付は正確な記憶に基づいていることを打ち明け、「本当に多くの出会いに恵まれた」と感謝の言葉を述べた。

2009.7.4 キリスト新聞記事



■2009.6.9
 神学と生の意味問う 
『神学部とは何か』出版記念シンポ
 
佐藤優氏が香山リカ氏、中村うさぎ氏と対談

 
▲キリスト教との関わりについて語る中村、佐藤、香山の各氏



 同志社大学神学部出身で「外務省のラスプーチン」の異名をとる佐藤優氏(作家)による新刊『神学部とは何か――非キリスト教徒にとっての神学入門』(新教出版社)の出版を記念して「佐藤優とキリスト教」が6月9日、紀伊国屋書店(東京都新宿区)で開催され、「非キリスト教徒」を中心に約400人が会場を埋めた。佐藤氏による講演に続いて行われた香山リカ氏(精神科医)との対談に、飛び入りゲストとして中村うさぎ氏(作家)が加わり、それぞれのキリスト教観について意見を交換した。

 佐藤氏は第一部の講演で、同書はこれまでと違い「内側向け」に書いた本であると紹介した上で、教派による救済観や聖餐の理解の違い、神学の流れについて概観。「キリスト教の話は、現代人にとって意味のないように思われるが、すべて人間の救済に関わっている」と述べ、カール・バルトの『教会教義学』について「近代を知るための非常に重要な本。マルクスの『資本論』と並んで、一生のうちに一度読んで絶対に損はしない」と勧めた。
 第二部のトークセッションでは、幼い頃に教会学校に通っていたという香山氏が「自己中心的で『強い者が勝てばいい』と思いながらも、一方で自由・平等・平和が望ましいという義侠心めいた気持ちや、報われない人々を助けたいという慈悲の思いがある。そうした心の葛藤を理屈づけてくれる大義名分が欲しくて教会に通っているのだと思う。ただ、キリスト教的なヒューマニズムと信仰との間には断絶があると思うので、洗礼を受けるまでには至っていない」と打ち明けた。
 プロテスタントで禁じられている「浪費、整形、風俗」などに挑んできた作家として紹介された中村氏は、キリスト教系の学校で育ち、バプテスト派の教会で洗礼を受け、真面目に信じていたという過去をふり返り、「ある時期から欲望のままに生きようと決めたら、結果的にことごとく教義に反することになった。罪悪だと知りながらしている側面がある」一方で、「人生には意味がなければ価値がないという観念が強くある」と吐露。
 「平凡な生まれで努力もせず、つつがない日々を送っていることへの後ろめたさがある」という香山氏に対し、佐藤氏も「なぜ生まれてきたのか、そこに意味があるのか、明らかにしたいという思いがある」と応答。「お二人は、キリスト教的なテーマを確実に背負っている。それを神学的に言語化できないのは、神学に携わる人々の力が足りないから」「日本の教会の問題点は、自信のなさから来る上からの物言い。必要なのは、同じ立場で向かい合うというイエスの目線だ」と指摘した。
 また、「神はなぜキリストになったのか、見えないものがなぜ見える形になったのかというやり残した課題に取り組みたい」と今後の抱負を語った。

2009.6.27 キリスト新聞記事



■2009.6.6
 
エルシー・マッキー教授来日し講演
 新たなカルヴァン像描く 祈り・説教・書簡を手がかりに



▲「伝道者」としてのカルヴァンについて語るマッキー氏



 カルヴァン生誕500年を記念する催しが全国各地で行われている。このほど、プリンストン神学大学教授のエルシー・A・マッキー教授が来日。6月6日には教文館(東京・銀座)で、「伝道者カルヴァン――地の果てまでも」と題する講演会が教文館キリスト教書部主催で行われ、約50人が参加した(教文館出版部、キリスト新聞社、新教出版社、日本キリスト教団出版局後援)。通訳を担った出村彰氏(宮城学院理事長)によって訳出された同教授の著書『牧会者カルヴァン』(新教出版社)は、「もう一つの霊性」としてカルヴァンの祈り、説教、書簡などに光を当て、新たな研究分野として注目を集めている。

 『キリスト教綱要』の著者であり、組織神学者として広く知られたカルヴァンだが、ジュネーヴ教会での連続講解を通し、「神学教育の面で、神に仕える伝道者≠ニして奉仕した働きも重要」と演題の趣旨を説明したマッキー氏。カトリック国であった故国フランスへ訓練された牧師を派遣し、書籍や手紙を通じて福音を宣べ伝えることについて強い関心と意欲を持っていたことに注目し、「宗教改革者にとって海外伝道への意識があったかどうか定かではないが、そういう願いや祈りはあった」と述べた。
 また、「カルヴァンにとって祈祷は最も重要な伝道≠フ行為だった」と指摘。特に講義や説教の後になされた「願わくは、この恵みを私たちだけでなく、すべての民と国々に与えてください」というカルヴァンの定型的な祈りを取り上げ、「予定論」と伝道の祈りとの整合性について、「すべての被造物への宣教を確信しつつ、しかも限界を容認する」との立場について論じた。
 救いへの「選び」と滅びへの「予定」を確信しつつ、万人の救いのために祈ることは論理的にのみ考えれば矛盾するが、理屈が合うかどうかより聖書に従うことを重視するのがカルヴァンの中心的主張であり、「選び」についても「その峻別は人間には不可能であり厳に慎むべきと考え、福音に従おうとしない者より自身が優れているとは考えていなかった」と同氏。
 「『すべての人々』についてはアウグスティヌスの解釈に従い、『国別や人種や言語を超えたすべての種類の人々』と理解していた」と述べ、神がすべての人類を「同一の肉から同じ人間として創造された」こと、「ご自身の似姿として創造された」ことの二つを、祈りの論拠として挙げた。
 さらに、「現世的苦難の中にある者らのために執り成し、善人にも悪人にも太陽を昇らせ、雨を降らせる恵みを宣べ伝え、祈り求めることがキリスト者の務めであり、伝道である。牧会的配慮や説教などの奉仕のわざには限界があるが、祈りは『地の果てまでも』到達する」としたカルヴァンの考えについて解説した。

2009.6.20 キリスト新聞記事



■2009.5.29
 
大正大学 宗教教育の可能性探る
 
『世界の宗教教科書』 DVD制作



▲大正大学が制作したDVD



 大正大学宗教教科書翻訳プロジェクト(星野英紀代表)はこのほど、世界10カ国(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、トルコ、インド、タイ、インドネシア、フィリピン、韓国)の宗教に関する教科書の翻訳と、解説論文を収録したDVD『世界の宗教教科書』(定価8千円・税別)を制作し、研究機関や公共施設向けに頒布している。関係者によると、欧米圏のみならずアジアの宗教教科書を網羅的に紹介する試みは世界的にも珍しく、海外からも注目を集めているという。

 このプロジェクトは、同大創立80周年記念事業の一環として2005年に発足。教育基本法改定をめぐる議論のなかで、諸外国における宗教教育の現状を知るために、基礎資料として教科書を翻訳しようとの計画が持ち上がった。
 以来、対象10カ国の宗教や教育の専門家約30人の協力を得ながら、公立校にも宗教科がある国(イギリス、ドイツ、トルコ、タイ、インドネシア、韓国)の場合はその教科書を、宗教科がない国の場合は、社会科などの教科書の中の宗教に関する記述を抜粋して翻訳した。最終的には計42冊の教科書を翻訳、それぞれの解説文などを付けて収録するに至った。
 プロジェクト代表の星野氏(同大学教授)は刊行にあたり、特に教育者の間で宗教教育への警戒心が強いことを認めた上で、「グローバル化の進展に伴い異文化理解が日常的に必要となっている今日、喫緊の課題は、異宗教理解をいかに促進するかということ」とし、宗教教育実施の是非などについてはさまざまな意見があるが、「いずれの立場から議論するにしても、一歩踏み込んでみると気づくのは、諸外国ではどうなのかを知らせる資料が唖然とするほど少ないことである。自国の歴史経験や知識のみをたよりに検討することになると、グローバル化時代においては、思わぬ隘路に陥る可能性が高い」と指摘。「本出版が宗教教育を巡る議論に新たなる地平を開く一助となれば」と期待を込める。

2009.6.13 キリスト新聞記事



■2009.5.18
 
「Ministy」創刊記念シンポジウム
 教会に仕える雑誌を



▲壇上のシンポジストら



 季刊「Ministry」(キリスト新聞社)の創刊を記念するシンポジウムが5月18日、教文館(東京・銀座)で行われた。同誌編集主幹の越川弘英氏(同志社大学キリスト教文化センター教員)による進行のもと、「教会の課題と出版の役割」と題し、これまで雑誌の編集責任を担ってきた吉岡光人(日基教団吉祥寺教会牧師)、今橋朗(日本聖書神学校校長)、坂野慧吉(日本福音自由教会浦和福音自由教会牧師)、加藤常昭(説教塾主宰)、芳賀力(日基教団東村山教会牧師)の各氏が、「雑誌に今何ができるか」をめぐって意見を交わした。
 教会の課題として、「社会の中での認知度を高めること」(吉岡氏)、「細分化・専門化された教会における実践のインテグリティ」(今橋氏)、「牧師のフレンドシップ」(坂野氏)、「個人の自由が重んじられる中でのアイデンティティの喪失」(芳賀氏)などが挙げられた。
 「Ministry」創刊号については、「電車の中でも読める雑誌」(吉岡氏)、「対話があるページは読者が引き込まれて面白い」(今橋氏)、「説教や祈りと共に、霊的導きをどう取り上げていくのかが課題」(坂野氏)、「華やかな雑誌。教会に仕える奉仕者のための雑誌であってほしい」(加藤氏)、「今後どう続いていくのか、見守っていきたいという意欲を持たせる魅力がある」(芳賀氏)とそれぞれ感想を寄せた。
 編集主幹の平野克己氏(日基教団代田教会牧師)は「教会がどう苦闘し、牧師がどう悩み、立ち直ったのか、立ち直れなかったのか。他誌では扱いにくい内容も正面から取り上げていきたい」と意欲を語った。
 会場からは、「それぞれの教派の良い点から学べる雑誌であってほしい」「編集委員の中に、福音派の教職者、女性の教職者を加えてほしい」「牧師の家庭が抱える問題も取り上げてほしい」などの要望が出された。

2009.6.6 キリスト新聞記事



■2009.5.15
 
WCRP日本委 NGOスタッフら招き集会
 HIV/エイズにどう向き合うか



▲発言するカリタスジャパンの田所氏(左から2人目)



 世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(庭野日鑛理事長)は5月15日、国立オリンピック記念青少年総合センター(東京都渋谷区)で第36回平和のための宗教者研究集会を開催した(庭野平和財団共催)。今回は「HIV/エイズを通してアフリカの貧困・人権・暴力を考える」をテーマに、地球的課題に対する宗教者の役割と可能性について議論した。
 当初、第26回庭野平和賞を受賞したウガンダ聖公会のギデオン・バグマ・ビャムギシャ参事司祭を招いて基調講演を行う予定だったが、新型インフルエンザの影響から来日を見合わせたため、本人の講演原稿が代読された。
 自らHIV/エイズ陽性であることを公表しているビャムギシャ氏はその中で、「優れた科学、正しい自己管理、良好な国際関係があれば、HIV/エイズは予防可能なはず」「今最も必要とされるのは、官と民、地域と世界の間の創造的なパートナーシップであり、社会のあらゆる階層・局面でHIV/エイズ関連のSSDDIM(汚名、不名誉、拒否、差別、不活動、有害活動)撲滅とSAVE(安全実践)政府の増大に向けた献身的な協力関係を構築すること」と訴えた。
 続くパネルディスカッションでは、林達雄氏(アフリカ日本協議会代表)の司会で、田所功(カリタスジャパン事務局長)、本田徹(国際保健市民の会代表理事)、眞田芳憲(中央大学名誉教授)の各氏がパネリストとして発言した。
 田所氏はカリタスジャパンのHIV/AIDSデスクが取り組んできた啓発活動について紹介。カトリックで使用が禁止されているコンドームをめぐっては、「必要な援助はしていこうという立場」と述べた。参加したカトリック関係者からは、「教会も社会に対応した動きをしなければならない。現場で働いている方々に対して、カトリックの教義がこうだからとストップをかけてしまうことには心を痛めている」との発言もあった。

2009.6.6 キリスト新聞記事



■2009.5.13
 
外キ協など教界各派・団体
 "国家の介入許すな" 入管法改定反対で共同声明



▲共同声明を発表し会見に臨むキリスト教各派の代表者ら



 外国籍住民の在留情報を一元管理する入管法・入管特例法・住民基本台帳法の改定案が国会で審議入りしたことを受け、キリスト教各教派の代表者らは5月13日、「共同声明」を発表し、議員会館で記者会見を行った。外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会(外キ協)共同代表の谷大二氏(日本カトリック司教協議会難民移住移動者委員会委員長)、朴寿吉氏(在日大韓基督教会総幹事)、同事務局長の秋葉正二氏(日基教団牧師)のほか、輿石勇(日本キリスト教協議会議長)、春日隆(日本聖公会司祭)、中家盾(日本キリスト教会人権委員会)、大津恵子(日本キリスト教婦人矯風会会長)、松木傑(日本福音ルーテル教会社会委員長)の各氏が一堂に会し、キリスト者の立場から改めて反対の意思を表明した。

 今回の改定案は、これまで市町村が行ってきた外国人登録制度を廃止し、「在留カード」や「特別永住者証明書」を発行するなど、在日外国人に関する行政を国に一元化するというもの。証明書の常時携帯や居住地を変更した場合の届け出も義務付けている。

 「共同声明」は、近年アジアからの外国人信徒が急増したため、それらの国から宣教師やシスターたちを多く受け入れており、改定案第19条の規定に従えば「各教団・機関は宣教師・シスターたちの宣教活動の内容までも届け出なければならないことになる」と指摘。さらに届出事項が法文で明記されていないため、「国会の審議を経ることなく法務省令で定めること、さらに、今後その届出事項を法務省が拡大することもできる」とし、宣教活動の自由が奪われることへの懸念を表明。「日本が外国人住民にどう対応していくかを、世界は注視しています。人間の大規模な移動が日常的になっているこのグローバルな時代に、日本として豊かな人権感覚を世界に示していただきたい、と切に願います」としている。

 会見では秋葉氏が、国際人権機関からの是正勧告をふまえ「外国人住民基本法」の制定を訴えてきた経緯と「共同声明」の骨子を説明。特に先の大戦における「宗教団体法」で、国家が宗教団体の活動に直接介入することを許した「苦い体験」を持つ教会として、「黙過できない」と強調した。
 谷氏は、「カトリック教会では信徒の半数以上が海外からの移住者。今回の改定案は、排除・管理の発想が中心で、人権を守るという視点がまったく欠けている」と政府の姿勢を批判した。

 会見後に行われた院内集会(「在留カードに異議あり!」NGO実行委員会主催)では、当事者である在日外国人や国会議員らが参加し、相次いで発言。社民党の保坂展人議員は、今回の法改定の背景に危機管理産業に携わる企業の思惑があることを指摘した。
 在日韓国人問題研究所を代表して発言した佐藤信行氏は、「この際、在日外国人の法的地位という問題をしっかり議論すべき。日本の誤った歴史をくり返してはならない」と語気を強めた。

 衆院法務委員会の自民、公明、民主の3党は、証明書の常時携帯義務規定を削除することで一致した。この合意により、改定案は今国会で成立する見通し。

2009.6.6 キリスト新聞記事



■2009.4.25
 
「ピースリボン」裁判 支える会が「記録集」を発行
 自由求め終わらぬ闘い



▲裁判を通して多くの出会いがあったと語る佐藤さん



 「学校に心の自由をとりもどすために」――。キリスト者の音楽教師、佐藤美和子さん(東京都公立小学校教員)が「日の丸」の強制に際してリボンを着けたことに対する処分と、「君が代」の伴奏強要・報復の不当性を訴えた「ピースリボン」裁判の訴状や支援者らによる会報などをまとめた記録集が、同「裁判を支える会」によってこのほど発行された。4月25日には、国立市で「まとめの集会」が行われ、「ピースリボン裁判の問いかけるもの」と題するパネルディスカッションでは、弁護士と支援者らが登壇し、裁判を支えてきたそれぞれの立場から、「心の自由」を求め闘った約5年間の歩みをふり返った。

 裁判の発端は2000年にさかのぼる。国立市立国立第2小学校の卒業式で、事前の説明もなく「日の丸」が掲揚されたことに対し、「決して強制はされない」と授業で教えてきた佐藤さんは、その責任として「一人ひとりの自由は決して侵されない」と伝えるため手作りの「リボン」を着けて出席した。
 これが、「校長の国旗掲揚に反対の意思表示」であったとされ、「職務専念義務違反」として文書訓告処分を受ける。佐藤さんは04年、「教育の場で良心の自由を奪ってはならない」と決意。都や国立市を相手取り、処分の違法性と精神的苦痛への損害賠償を求めて提訴に踏み切った。裁判では同時に、「君が代」伴奏の強要と弾かないことへの報復人事の不当性についても争われた。
 東京地裁は、「文書訓告は裁量権の濫用に当たらない」として原告の請求を棄却。即刻控訴するものの、高裁はさらに踏み込んで「儀礼上、自分の考えを表に出さず式典に参加できる」「実際にそのように参加しているのが通例」などと付け加え、控訴棄却。最高裁まで争われたが、08年11月、「上告棄却」の決定が通知された。

 判決の確定を受けて開かれた最後の「集会」では、支援者の中から中川明、坪井節子の両弁護士に加え、比企敦子さん(フェリス女学院教諭)、長谷川康夫さん(多摩教組執行委員長)がパネリストとして発言した。
 中川弁護士は、「裁判は終わったが、佐藤先生の問いかけはこれからも続くし、わたしたち自身の問題として引き継いでいかなければならない」と述べ、「『人と違うように在る権利』をどう保障するかが問われている」と提起した。
 坪井弁護士は、「一人の子どもが大切にされない社会は、大人も含めあらゆる人間が集合体としてしか見られない社会」と指摘。「教育は国のためにあるのではない。教育が大人による子ども支配の場と化すことに対し、間違っていると言い続けることが大切」と訴えた。
 キリスト教学校に勤める比企さんは、「(『日の丸・君が代』の強制は)キリスト教学校でも容易に起こり得る」と危惧。1999年から、全国の音楽コンクールで優勝した生徒が、その「名誉」として甲子園の開会式で「君が代」を独唱するようになったという事例を紹介し、「神が良しとしない生命などない。まずは一人の生徒、先生が声を上げることから始めなければ」と語った。
 長谷川さんは、石原都政のもとでとりわけ国立市の教育が攻撃の的となったのも99年以降、さらに「10・23通達」を境に学校現場での管理統制に拍車がかかったと分析。すべてが「上意下達」になってしまったことを憂慮し、「教師の職責が問われた裁判だった」とふり返った。

 原告の佐藤さんは、「本当のこと」を語るのが困難になっている学校の現状を報告し、「学校に心の自由をとりもどすことは未解決だが、その一歩として心の苦痛を感じる人がいることが大事だと思えるようになった」「強制がもたらす苦しみが、炭鉱で危険を知らせるカナリヤのように、学校や国が進む道の危険性を知らせる役目を担える」と語り、自らの体験をふまえながら「立てない子ども」や「弾けない先生」の存在意義を強調した。
 戦時中の統制・弾圧の時代、戦後の混乱の時代を牧師として生きた祖父、父をもち、教会で生まれ育った佐藤さん。父は、戦後日本に存続した天皇制がキリスト教宣教の大きな壁だと語っていたという。陳述書には次のような言葉がある。「過ちの歴史を持つ日本のキリスト者として、二度と天皇崇拝の儀式を行ってはならない。『日の丸・君が代』強制を決して容認せず、不服従を貫かなければならない。それが、……祖父や父たちが悔恨をもって伝える生き方なのではないか」
 「君が代」伴奏を迫られ、一度は命を絶つことすら考えたという佐藤さんは、裁判を通して再び生きる喜びを取り戻した。「わたしがこうして『君が代』を弾かない音楽の先生を続けられたのも、皆様のおかげです」と言葉をつまらせた。
 闘いはまだ、終わらない。

2009.5.9 キリスト新聞記事



■2009.4.21
 
日本プロテスタント宣教150年 岩崎謙氏・澤正幸氏が記念講演
 宣教師の情熱≠明日へ


▲2人の宣教師の業績をふり返った岩崎氏(左)と澤氏



 「日本プロテスタント宣教150周年」を記念して、日本キリスト教会(八田牧人議長)と日本キリスト改革派教会(岩崎謙議長)の共催による記念講演会が4月21日、日本キリスト教会横浜海岸教会(横浜市中区)で行われた。
 記念礼拝に続き、岩崎謙氏(日本キリスト改革派神港教会牧師)が「宣教の情熱に溢れる信徒・働き人・神学」、澤正幸氏(日本キリスト教会福岡城南教会牧師)が「キリストのため、福音のため、命を失う教会」と題して、それぞれジェームス・カーティス・ヘボン、グイド・フルベッキに焦点を絞り、日本宣教のために生涯をささげた2人の働きから今日の教会が学ぶべきことについて語った。会堂を埋め尽くした約270人の参加者は、宣教師たちの情熱に触れながら、150年の歴史に思いを馳せた。

 岩崎氏は初めに長老主義教会の視点から、日本の改革派教会が米国南長老教会(PCUS)の伝統(オールド・スクール)に立っていることを確認し、自らを150年の歴史の中に位置づけた。
 また、終末的完成を目指す意識の中で世界宣教に取り組もうとしていたヘボンの姿勢から、「わたしたちの宣教も終末論的動機付けを必要としている。神がご自身の宣教を確実な仕方で成し遂げてくださる。それを経ずにキリストの再臨はない」と述べた。
 19世紀にアメリカで成された説教を引用しながら、「貿易と戦争が宣教の壁を壊した」とする「南部的霊性」の限界、奴隷制に対して問題視しない神学の弱さについても指摘。さらに巨額の献金によって宣教の働きが支えられたことへの感謝を述べた上で、宣教がビジネス化することへの危惧も語り、「改革派教会が受け継ぐべき伝統とそうでないものがある」と、日本宣教を相対化してとらえる視点を提示した。
 最後に、PCUSの視察団が報告した「貧しい人たちへの宣教が必要」「世俗の教育や西洋の物質文明が……古い障害物を残し、より強力な障害物を新たに立てている」という当時の日本についての指摘は今日にも通じると述べ、「教会が教会形成にのみ固執し、宣教するための教会でなくなってしまうのは悲しい」「宣教200年に向かって、根源的な悔い改めが求められている」と提起した。

 澤氏は、今日の「信教の自由」はプロテスタント宣教師によってもたらされたものであるとの論拠を示しながら、歴史的・神学的な見地からプロテスタント宣教150年の内実に迫った。
 その前提として、宣教師が非政治的スタンスに立っていたという通説に異を唱え、聖公会のS・W・ウィリアムズらが米政府にくり返し書簡を送り、政治家に働きかけていたことを紹介。
 使節団の派遣に際してフルベッキが「信教の自由」についての誤解を解こうと進言した「信教の自由に関する覚え書き」から、「お雇い外国人」として他の宣教師とは異なる立場にあったフルベッキの功績に光を当てた。
 「国家の指導者によって捨てられた助言が、歴史において国を裁くという事実をフルベッキの働きの中に見たい」という同氏。国家のあるべき姿として、「神の僕として正義・公平・平和・福祉という与えられた務めを果たすことによって、神のものを神に返すことになる。国家は教会に、十字架と復活による罪の赦しと義認の福音を自由に宣べ伝えることを、国家自身のために許していかなければならない」と主張した。
 宣教師を送り出すことにも迎え入れることにも消極的だった日本の教会が、いつしか日本人の°ウ会となり、「最も必要とされているメッセージを語り得ない、日本と同質の教会になってしまった」と指摘し、「わたしたちは世界に開かれた教会を目指したい」と締めくくった。

2009.5.2 キリスト新聞記事



■2009.4.15
 
NCC新総幹事 飯島信氏に聞く
 教会に仕えるために



▲「命の尊厳守ることがNCCの使命」と話す飯島氏



 このたびの第37回総会で日本キリスト教協議会(NCC)の新総幹事に選ばれた飯島信氏(60)は、かつて嘱託としてNCCの宣教奉仕部に所属し、「韓国問題キリスト者緊急会議」の事務局専従を3年間務めた経験がある。その後31年間、東京都の公立中学校教員として勤務する傍ら、日基教団池袋台湾教会にも伝道師、牧師として仕えてきた。総幹事の任期は2011年までの3年間。就任後間もない同氏に、NCCの現状と課題、抱負を聞いた。

――まずは就任にあたっての抱負をお聞かせください。

 NCCは、現在設置されている15の委員会の働きにかかっています。第一の課題は、これらの委員会が各教会の働きに仕えていくような内実を持つことです。世にある教会が直面しているさまざまな課題と切り結んでいくような委員会でなければ、本当の意味で内実を深めていくことはできません。
 逆に言えば、加盟教団が各委員会に派遣してくださる委員の力にかかっているとも言えます。教会の課題を教派・団体を超えたものとして理解し、認識し、分かち合っていくという姿勢で協力していただければ、NCCの働きはより豊かになると思います。わたしに与えられた当面の任務は、どれだけ各教派・団体の協力を仰げるかだと思っています。

――そうした協力を得る上で、困難も多いと思いますが。

 エキュメニズムが理解されることの難しさはあると思います。各個教会にいるかぎり、そこで信仰生活は全うできます。でも、そこを超えて他教派と連帯して宣教の課題に取り組んでいくこと、あるいは国を超えアジアの国々と連帯して課題に応えるという視点を得ることが難しい。
 本来は、「すべての人々に福音を宣べ伝えよ」という宣教命令があるわけですから、自分の教会や自分の地域を一歩超えて、隣人の問題にも関心を向け、もっと広いシェアが必要です。ただ、普段の生活の中で具体的に見ることも考えることもできない。NCCの働きが、自分の生きる生活の現実と切り結んでこない。
 ですから、大切な働きであることをもっと分かりやすい言葉で語っていく責任を感じています。その働きを紹介することによって、各個教会の宣教の働きがより豊かになるような材料を提示していくのもNCCの役割です。
 第二の課題は、青少年伝道です。これは、日本の教会の帰趨を決める試金石になるのではないかと思っています。わたしの見るかぎり、教会学校の生徒数が減っていると嘆くことはあっても、展望はなかなか見出せない。
 わたしが在籍した台湾教会では、子どもたちのために惜しみもなく人とお金を使います。そうした支えがあるからこそ、次の時代を展望できる。教員生活を通して、青少年の問題がどれほど大きいかということも実感しました。子どもたちの課題、暗い闇の部分にも踏み込んだメッセージをどれだけ作り出していけるか。そこに、NCCの力の半分ぐらいは注いでもいいという思いでいます。

――具体的にNCCができることは何でしょうか。

 各教団で青少年伝道に携わる牧師たちが課題を出し合い、知恵を交換することです。教派を超えた青少年のプログラムを立ち上げていくこともできます。教派だけでなく、世界とつながっていく可能性も持っています。やはり若い時代に国際的視野を持つことは大事です。青少年伝道というのは、教派と国を超えて出会いの場をつくることに尽きます。
 それから、世界各地の子どもたちがどういう現実に生きているかということを知らなければならない。知らなければ考えようがありませんが、知れば考えざるを得ない。しかも悲惨な現実を知ることが目的なのではなく、それを知ることを通して、自分たちの現実をより深く理解する。そのためにも出会いの場が必要です。
 第三の課題は、まだNCCの働きになっていないのですが、高齢化した在日外国人の問題です。日本人のための高齢者施設はありますが、在日外国人を受け入れる施設はありません。寄留の民にどこまで仕えていけるかということは、NCCの大きな課題だと思います。現在は、どの委員会にも属していない分野です。

――財政の課題をどう考えておられますか。

 本当に意味ある働きであれば必要なお金は集まります。その働きが見えなければ、献金は集まりません。もっと各個教会の必要に応えていくと同時に、NCCの働きの重要性も理解してもらう。そうした地道な努力が必要だと思います。

――NCCには対外的な働きもありますが。

 日本の宣教課題を明確にしていく作業を通して初めて、対話が成立すると思います。諸外国との関係を緊密にしていくためにも、足下の課題をよりクリアにしていくことが必要です。
 同時に、韓国やフィリピンのNCCが直面している固有の問題を理解していかなければなりません。自らの課題を明らかにすることで、それぞれの国が持っている課題が見えてくるはずです。

――加盟していない教派教団、他宗教とのかかわりについてどうお考えでしょうか。

 実質的に、カトリックの方も委員会には加わっています。勢力拡大という意味ではなく、より豊かな対話を目指していく上で、加盟していない改革派や福音派の教団にも、まずは委員会への参加を呼びかけていきたいと思っています。他宗教との対話の場をつくるのも、NCCだからこそできる大きな働きだと思います。

――最後にひと言お願いいたします。

 すべての委員会に共通して貫かれているのは、神が祝福された命の尊厳を、人間が神の委託に応えて守り抜いていけるかという使命だと思います。その尊厳を冒すいかなる力も許されない。それは、神に対して敵対する行為として受け止めざるを得ないからです。それが、青少年の問題にしても、在日外国人の高齢者施設の問題にしても、NCCの働きの根幹にあるものだと思っています。

――ありがとうございました。

2009.4.25 キリスト新聞記事



■2009.3.26
 平和のため南北国交正常化を
 
前韓国統一部長官 李在禎氏が講演



▲「違い受け入れる寛容さを」と語る李氏



 日本聖公会の招きで来日中の李在禎(イ・ジェジョン)氏(韓国聖公会大学教授)が3月26日、在日本韓国YMCA(東京都千代田区)での特別講演会(日本キリスト教協議会主催)で、「東アジアの和解と平和のために――日本へのメッセージ」と題して講演した。聖公会司祭や在日韓国人らを含め、約60人が集った。
 李氏は、韓国統一部長官として朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との対話外交に尽力し、2007年10月に平壌で開催された盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と金正日(キム・ジョンイル)総書記との南北首脳会談を実現させた。
 講演の中で同氏は、「東北アジアの平和のためには南北の国交正常化が不可欠であり、6カ国協議の当事国が対話と信頼に基づいた協力関係を築くべき」とし、特に「日本が政治的・道義的指導力を発揮すべき時」と指摘した。
 さらに、アメリカの金融危機やオバマ新政権による対北朝鮮政策との関わりにも触れながら、「今日の膠着状態は、李明博(イ・ミョンバク)政権の政策転換によるもの。これまで積み上げてきた両国間の合意事項は、原則どおり履行されるべき」と主張した。
 「和解と平和」を実現する要として、「違いを尊重し、それを価値として受け入れる寛容さ」を挙げ、北朝鮮に対しては「一つの国家として、その権利を認めることが解決の糸口になる」と述べた。会場からは、「世界でも教会でも、不寛容な文化が蔓延しているのではないか」と指摘する声も出された。
 「東北アジアの平和は、国家と民族を超えてわたしたちの責任」と話す李氏。「目標を確かに持ち、一緒に歩むことができれば、たとえ道のりは遠くても必ず到達できると確信している」と展望を語った。

2009.4.18 キリスト新聞記事



■2009.3.20
 
日本文化に根下ろすキリスト教に
 
本紙連載「出逢い」単行本化記念対談 武田清子×阿久戸光晴



▲90年余に及ぶ人生での「出会い」を世界的視野からふり返った



 本紙2006年12月25日付から08年8月2日付まで、約1年半にわたって連載された武田清子氏(国際基督教大学名誉教授)による「出逢い――人、国、その思想」が、この春大幅に加筆修正され単行本化されることとなった。刊行に先立ち、従来からの「ファン」だったという阿久戸光晴氏(聖学院大学学長)が、連載の感想を踏まえながら、書ききれなかった思いについて話を聞いた。

母との出会い

阿久戸 今日はこのような機会が与えられ大変光栄です。改めて連載を通読し、非常に内容の濃い、また日本の教会に大きな希望を与えてくださる文章に感銘を受けました。
 まず、先生が育ったご家庭の環境についてうかがいます。信仰者として歩まれる上で、福音の準備的なエートスが、武田家の中にあったのではないかと推察するのですが。
武田 武田家は古い地主の家でしたが、そうした家風にプロテストしている母の影響は大きかったと思います。母は、賀川豊彦の『死線を越えて』や有島武郎の『宣言一つ』などを読む一方、近所のお坊さんが開いていた親鸞の思想を学ぶ勉強会にも参加し、「善人なおもて往生を遂ぐ いわんや悪人をや」の意味をわたしに教えてくれました。
阿久戸 実はお母様の姿が、その後の先生の歩みにオーバーラップしてくるのを感じたんです。多くの場合、人間の実存を問う内面性と、社会的責任の意識とは分離しがちなのですが、それが先生の歩みでは見事に統合されている。お母様にその原形があるように思えました。
武田 母は、幼いわたしに「武田家は罪深い家だと思わなければならない。働きもせずに大きな家で大勢の人を雇っている。こんなことが続くと思ってはいけません」とくり返し話していました。
 農繁期になると、農家の方々が自ら作ったお米を武田家の蔵に納めに来るんです。そして、空の台八車を引いて帰っていく姿を見ていましたから、「富める家庭の罪深さ」という意識は昔からありました。
 塀の外側では、身売りされる女の子の泣き声が聞こえてくるんです。同じような年齢の女の子がおそらく娼婦に売られていく。売らなければ生きられないという現実を、幼いながらに痛感していました。
 わたしが自分の靴をお手伝いさんに磨いてもらった時、母に「お手伝いさんはこの家のお手伝いさんであって、あなたのお手伝いさんではない。靴ぐらい自分で磨きなさい」と叱られたことがありました。
阿久戸 素晴らしいお母様ですね。

デフォレストとの出会い

阿久戸 受洗に至った心境について教えていただけますか。
武田 「敬神愛隣」をモットーに掲げる神戸女学院では、毎日礼拝があり、人間を育てるということに重点が置かれていました。そこでの学びを通して、今まであまり接しなかったタイプの人たちに触れていくわけです。人間であることの意味が、日常生活の中でしみ込んでくる。先生方は学生の自主性を重んじていたので、信頼されるという体験から、信頼をもって応えなければならないと思うようになりました。
 そうした学風やキリスト者との出会いが、信仰に入る上での準備だったのではないかと思います。
阿久戸 当時院長であったデフォレスト先生の影響も絶大だったのではないかと思うのですが。
武田 先生はピューリタン的な信仰に基づき、朝起きると何よりもまず聖書を読むというような厳しい家庭に育ちました。その一方で、日本の国家主義が強調される時代に、他のミッショナリーから批判されながらも、院長としての職務を達成するため、あえて「旗行列」にも参加しました。教育勅語や御真影を受け取る場合にしても、賢明な判断を下されました。
 人間そのものや、日本の伝統に内在する悪にも備えながら、その落とし穴に陥らず、自分の真理を守っていく。今考えても非常にリアリスティックな英知を持っていた方だと思います。そうした信仰者のたくましさ、賢明さには深く打たれました。
阿久戸 そうした豊かな感受性はニーバーにも通ずるものがありますね。
武田 ありますね。在学中、そういう善意だけでなく罪の社会化した悪の問題などを理論ではなく実際の体験として学んでいたと思います。

ニーバーとの出会い

阿久戸 その後、日米交換留学生としてオリヴェット大学を卒業され、ユニオン神学校でニーバー先生と出会うわけですが。
武田 ニーバーは西洋思想史の講義で、中世のトマス・アクィナスから分裂したヘブライズムとヘレニズムとがどう関わり合っていくかによって、ヨーロッパの思想がさまざまな展開をすることを教えてくれました。
 当時、アメリカの神学界では個人主義的で楽観的なリベラリズムが盛んでしたが、彼は社会倫理、人間の悪、社会化した悪の問題を問う観点からそれを批判しました。周囲には彼を危険視するキリスト者も多くいましたが、わたしは吸い込まれるように学びました。
阿久戸 ニーバーには自己相対化の視点がありますよね。これはやはり、罪意識から来るものなのでしょうか。
武田 そうだと思います。アメリカは自分たちこそがデモクラシーの典型だと考えているが、デモクラシー自身がどのような悪を犯すかを見抜くことは、社会倫理の基本的な問題でした。ニーバーは、悪の問題と、そこから救われる人間の可能性といった内容を、ヨーロッパの各思想家を取り上げながら非常にヴィヴィッドに講義していました。
阿久戸 壮大なパノラマですね。ニーバーは格別に先生を評価されていたとお見受けしますが。
武田 ニーバーとティリッヒの弟子だったオリヴェット大学のハーツホーン先生のご推薦もあったからだと思います。
阿久戸 もう一つ、ニーバーも、また今日のわたしたちも悩まされる問題だと思いますが、一切の戦争を拒否するCO(良心的反戦論者)について、補足していただけますか。
武田 当時のアメリカでは、キリスト教現実主義と絶対平和主義の間で激しい論争がありました。
 COを銃殺した第一次大戦時の反省を踏まえ、反戦論を唱えるクェーカーやメノナイト、メソジストなどの人々が政府と交渉し、COの立場を保障してほしいと訴え、相当な資金も出して制度を作らせたんです。第二次世界大戦でCOが盛んに活動できたのは、そういう背景があったからです。
 市民としての責任を果たさない以上、ただ反対するのではなく、自らの信仰を守るために、国家の論理の中でそれを可能性にさせる制度を作るという動きは興味深いですね。日本では、そういうことが曖昧に考えられがちです。
 戦後、平和問題談話会が全面講和を主張したのですが、その中には、アメリカのクェーカーがCOへの批判に答えつつ、冷戦的対立を超えて共存を追求する内容が盛り込まれました。
阿久戸 アメリカがCOを位置づけることで、結果的に国家も得をしているわけですよね。その土台にはやはり、教会と国家の分離、国家を超えるものについて、国家も謙虚に受け止めるという考え方があったように思います。
武田 ニーバーはCOに対し、「彼らの主張は正しい。全面的に賛同するが、ナチスとは戦わなければならない」と主張しました。
阿久戸 ニーバーの立場を、リアリズムだけで解釈されている方も多いのですが、やはりCOの正しさを原則として認めた上で、例外的な緊急避難として正当防衛を主張したということですね。
武田 そのとおりです。非常に苦しい思いを表現していますね。
阿久戸 ニーチェが「怪物と戦うときには怪物に似てくる。深遠を覗き込む時、深遠があなたの心の深遠まで覗き込んでいる」という言葉がありますが、「善をもって悪に勝つ」というCOの正しさを知った上で、限界状況への対応を示したわけで、一般化してはいけないのですね。
武田 そうです。初めからあるべき姿を捨てたリアリズムではなく、自らそれによって批判されつつ、なおせざるを得ないという決断だと思うのです。
阿久戸 大変共感します。

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2009.4.11 キリスト新聞記事



■2009.3.11
 
日本クリスチャン・アカデミー関東活動センター主催
 神学生 40年ぶりに交流再開 7校14人が自主運営



▲「出会ってみて初めて多くの共通点≠ニ
違い≠ェ浮き彫りになった」と語る神学生ら




 日本クリスチャン・アカデミー関東活動センター(薛恩峰所長)は3月9〜11日、ナザレ修女会エピファニー館(東京都三鷹市)で第1回神学生交流プログラムを開催した。今回、各神学校に呼びかけたところ、同志社大学神学部、関西学院大学神学部、日本聖書神学校、ルーテル神学校、西南学院大学神学部、聖公会神学院、カトリック神学院の計7校から推薦を受け、14人の学生が参加した。年齢も20代から60代まで、さまざまな立場の神学生が貴重な「出会い」を経験した。

 同プログラムは今から40年以上前、神学生同士が教派を超えて交流するインターセミナリー・カンファレンス(通称インセミ)として、学生自身が企画、運営していたもの。しかし1969年、学生運動のあおりを受け解体。以後、今日に至るまで実現できずに来た。

  今回のプログラムでは、クリスチャン・アカデミーが日時、会場などの大枠を設定し、懇親会や全体協議の司会など、運営自体は参加した学生に委ねられた。
 プログラム全体を統括する校長として名を連ねた関田寛雄氏(青山学院大学名誉教授)は、参加者を歓迎するあいさつの中で、「間もなく近い将来において牧会の現場に派遣されようとしている諸兄姉にとって、この『神学生交流プログラム』は、『召命』の再確認としてのまたとない良い機会。この場でみ言葉と祈りと出会いを重ねることで、牧会の務めがこの上もなく光栄で自由であり、かつ恵みと謙遜の業であることを確認したい」と、その意義について記している。

 参加者らは、荒井献氏(恵泉女学園大学名誉教授)による2回の講演「信仰と新約学――私の歩みから」「福音宣教の功罪――ローマ植民都市フィリピにおけるパウロの宣教活動を手がかりとして」を受け、講師を交えて意見交換。
 2日目には、2つのグループに分かれ、東京カトリック神学院、日本ルーテル神学校をそれぞれ訪問した。
 最終日には、全体協議が行われ、プログラムを通しての感想を分かち合った。「神学校で教わってきた知識にとらわれ、それぞれの教派に対して先入観があったが、実際に会ってみなければ分からないことが多いことを実感した」「違いに対する衝撃より、むしろ共通点が多いことが意外だった。特にカトリックとルーテルの神学生が同席していたことが新鮮だった」など、率直な意見が交わされ、さらに「カトリック司祭の独身制」をめぐって、当事者を交えてのより踏み込んだ議論も展開された。

 運営委員として参加した戒能信生氏(日基教団東駒形教会牧師)は、「教会の停滞が神学生にも反映し、さまざまな困難を抱えているという印象があったが、不安は解消された。予想以上に、自らの属する教派を客観視することができている。こうした神学生が育っていることに希望を見出した思い」と、今回の成果を喜んだ。
 事務局を担ったクリスチャン・アカデミーの薛所長も、呼びかけをした神学校の反応から、他教派との交流に対する高いニーズがあるとの手応えを感じたという。
 このプログラムは、来年以降も関西と関東で交互に行われる予定。主催者側は、さらに多くの神学校から参加者を募りたいと期待している。

2009.3.28 キリスト新聞記事



■2009.3.3
 
日本聖公会 元牧師の性的虐待事件
 不服申立の主張 全面的に認める 教区に差し戻し



▲管区審判廷で審判を言い渡す5人の審判員



 小雨のちらつく京都。普段は賛美の歌声とオルガンの荘厳な響きがあふれている聖アグネス教会(京都市上京区)の礼拝堂内を、重苦しい空気が包む。日本聖公会で歴史上、初めて開かれる管区審判廷を傍聴しようと、申立人を含む教会関係者、マスコミ関係者ら約30人が一堂に会した。正面に並ぶのは、いずれも主教会によって指名された5人の審判員。
 京都教区に属していた牧師が複数の女児に性的虐待を行った事件で、加害者への懲戒請求を教区審判廷が却下したことに対する不服申立を受けて開かれたもの。管区審判廷については、日本聖公会法憲法規に規定されているが、実際に開催された例はない。

被害者の父も初めて口開く

 この事件は、一度非を認め辞職を決めた加害牧師が一転して性的虐待の事実を否認、それを教区側が擁護したため裁判に発展した。裁判は最高裁で牧師の敗訴が確定。その後、牧師は依願退職したが、被害者への謝罪がないことや退職を撤回させた責任をめぐって、教区側と被害者側との間で対立が続いていた。
 昨年7月、司祭2人を含む9人の申立人によって提出された申立書では、元牧師の行為が日本聖公会法憲法規第198条「その他著しく不道徳または不正であること」に該当するとし、同第201条に基づき「終身停職」とすることを求めたほか、裁判で加害者を擁護した弁護人や当時の常置委員についても、法廷で被害者を誹謗中傷したとして懲戒を求めていた。
 しかし、申し立てを受けた京都教区審判廷は「いつ」「どこで」「だれが」「だれに」「何をしたか」が明記されておらず、「懲戒を受けるべき行為の特定ができない」などとして、記載不備を理由に4件の申し立てについてことごとく却下した。

 審判廷が開かれた3月3日。中村豊審判長(神戸教区主教)は4件の不服申し立てについて、同様の文面を読み上げた。
 「京都教区が2008年9月24日に出した懲戒請求を却下するとの審判を取り消す。本件懲戒請求を京都教区審判廷に差し戻す」
 さらに、「懲戒を受けるべき行為の特定自体は民事裁判において明白」「審判廷においても最終的な司法判断を尊重すべき」とした上で、申し立てを却下した教区審判廷の姿勢についても「審理不尽のまま手続き的に審判を終結させた」と、踏み込んだ判断を下した。いずれも、審判員全員一致による意見だった。

残る課題――内部で裁く限界

 申立人の主張が全面的に認められた結果ではあったが、事態が著しく好転したわけではない。今回の審判の法的拘束力について、疑問視する発言も相次いだ。審判廷規則第53条には、「不服について審判を行なう審判廷の判断は、差戻を受けた審判廷を拘束する」とあるものの、「拘束」について具体的な取り決めはない。
 被害者側代理人である鎌田雄輝氏(南三原聖ルカ教会司祭)は、内部で裁くことの限界について指摘する。「和解交渉の相手と、審判する側が共通しているわけですから……」。規則では、教区審判廷の審判長は教区主教が担うことになっている。
 閉廷後、被害者女性の父親が初めて公の場で発言した。「自分の立場だけを守ろうとする教区のやり方を根本から変えてほしい。これが被害者の願いです」。最高裁での判決確定から3年半。虐待の発覚から、実に8年の歳月を費やしてようやくつかんだのは、わずかな前進でしかなかった。
 しかし、発覚当初からあった「根拠のない流言」という見方はなくなってきた。「加害者個人の問題ではないということも、比較的理解されてきた」と鎌田氏。「聖公会が何もしていないと思われるのは非常に悲しいので、今回の結果も広く伝えていきたい」と語る。自らも聖公会の司祭という立場上、その心境は複雑のようだ。
 「逃げ出したいという誘惑は誰しもあります。でも、キリストの十字架に自分を委ねて哀れみを求めていく中で、裁きと和解と赦しを求めていくというのでなければ、キリスト教会ではなくなってしまう」。他方、現実は――「そもそも裁くこと自体に抵抗を感じる人、神学的に駄目という人もいる。根は深いですね」と、ため息をもらした。和解への道は、なお遠い。

2009.3.14 キリスト新聞記事



■2009.2.28
 
キリスト教学校教育懇談会 卒業生・保護者も初めて発題
 キリスト教教育の「成果」検証



▲壇上で発題するキリスト教学校の卒業生・保護者・教員ら



 キリスト教学校教育同盟(久世了理事長)と日本カトリック学校連合会(河合恒男理事長)が共同運営するキリスト教学校教育懇談会は2月28日、聖心女子大学(東京都渋谷区)で第6回公開シンポジウムを開催した。今回は、これまで講演中心だったプログラムを、発題と質疑応答をメインにするシンポジウム形式とし、発題者には卒業生や保護者も初めて加わった。約130人の学校関係者が参加し、それぞれの立場から、キリスト教学校が実践するキリスト教教育の意義や成果について多角的に検証することが試みられた。

  行政書士として働く長谷川祥子さん(立教女学院中高校卒業生)は、現在の仕事を選んだ理由として、在学当時の「土曜集会」や所属していたボランティアグループでの活動などを挙げ、「仕事上、困難な状況を抱える外国人からの相談が多いが、相手を尊敬して一緒にできるだけのことをしようと努めている。自然にそう思えるのは、折に触れ『共生』の大切さなどを教えてくれたキリスト教教育が、今でも自分の中に生きており、指針や支えになっているからではないか」と、自らの受けた教育の意義について語った。

 磯部恭子さん(フェリス女学院中高校卒業生、保護者)は、自身が卒業した母校に子どもを通わせた保護者の立場から、「公立で教えられる道徳観は時代と共に変わってしまうが、キリスト教学校は聖書に基づいて『ぶれない』教育を続けている。一見無駄のように思える毎朝の礼拝などを通して、他人の意見を聞き、自分の役割を考えられるようになる」と、その利点を強調した。

 公立小学校で養護教諭として働く高橋京子さん(聖ドミニコ学院高校卒業生、保護者)は、30年の教員生活を通して出会ったさまざまな境遇の子どもたちについて、特に自己肯定感の低い子が多いと紹介。「教職員を含め、大人たちが多くのストレスを抱えている。結果として、弱い存在の子どもたちにそのしわ寄せが集まっている。自分が在学中に受けた『あなたは大切な存在』というメッセージを、子どもたちに伝えていきたい」と話した。

 辰巳貞一さん(六甲中高校卒業生)は、母校のユニークな教育実践として、裸足に上半身裸で行った便所掃除について紹介。「日々の仕事の中で、キリスト者として生きるということを考えさせられた。自分が必要とされていることに気付き、『嫌な方を選ぶ』心の訓練を受けた気がする」とふり返った。

 内村公春さん(九州学院院長・中高校長)は、キリスト教学校にとって、「建学の精神」を絶えず見直していくこと、「悔い改め」を通して教育の原点に返ることが重要と指摘。日本福音ルーテル教会の試みとして、「伝道は教会、教育は学校、奉仕は社会福祉法人に分割されてしまった」との反省から、「るうてる法人会連合」を立ち上げたこと、熊本バンドの意義を継承するため、毎年1月30日に早天礼拝を行っていることの二つを紹介した。

 5人の発題を受け、会場からは多くの質問が寄せられた。
 キリスト教教育の成果について長谷川さんは、「最終的にキリスト者を増やすことだけが目的なのでなければ、十分に種は蒔かれ、育っているのではないか」と応答。「教育とは本来時間がかかる予測不可能なもの」と発題した内村さんは、「地方の現実は進学実績優先だが、進学率がものを言う時代ではなくなってきている。焦り過ぎず、長い目で見るべき」と展望した。
 また、キリスト教学校と公立学校との違いをどう捉えるかについては、会場から「どんな教育観を持つかが重要。公教育は特定の宗教を教えることができないという限界がある。それは『優劣』ではなく『違い』。どんな社会を作っていくのかという指針が大事なのではないか」との発言があった。

2009.3.21 キリスト新聞記事



■2009.2.14
 
国際福音キリスト教会 卞在昌氏「セクハラ」問題
 信徒激減 側近牧師らなお否定




 小牧者訓練会(国際福音キリスト教会)の代表役員を務めてきた韓国人宣教師の卞在昌氏による「性的被害」の問題(弊紙1月31日付、2月7日付で既報)で、超教派の牧師らが「組織の清算」と「謝罪と償い」などを求めて発表した「緊急声明」を受けて、国際福音キリスト教会の代表牧師会は2月5日、教会側の見解を発表した。その中で、かつて卞氏の側近であった教職者らは「明確な事実として判明されたことは一つもない」と主張し続けている。
 同教会では昨年4月以来、卞氏本人を含め23人の教職者が辞任。今も残された20人弱の教職者のほか、献身者、神学生らが教会の務めを担い続けている。教会員の話によれば、教会の礼拝出席者数は、つくばチャペルで最盛期の5分の1、中央チャペルでは6分の1にまで激減しているという。
 被害者の「救出と癒しを目的とする会」(FOE)は2月18日、一般誌の取材に応じる形で、これまでサイト上でも公開されていなかった被害者2人の証言を紹介した。

▼元神学生Aさんの証言

 「十二使徒共同体セミナリー」で生活した間に、卞氏から何度もハグやキスをされた。娘のようにかわいがってくれているのだと思い、疑わなかった。「神に従うようにわたしに従いなさい」と言われ、恋人のような関係で仕えることを求められた。
 鍵をかけた卞氏の自室で、何度もマッサージを頼まれるうちに、その行為がエスカレートしていった。嫌悪感を抱き抵抗したが、「わたしを信頼していないのか」と諭され、次第に「受け入れなければいけない」と思うようになっていた。
 ある日、マッサージの後、横になって裸になるよう言われ、「一つになる覚悟はあるか」と聞かれた。「奥様に申し訳ない」と拒んだが、「これは、一般の道徳や倫理を超えた神の奥義だ」と言われた。その後、嫌々ながら言われるままに性的関係をもった。惨めな気持ちになり、涙が止まらなかった。
 その後、別の機会に、加害の事実について「一切ありません」という誓約書を書かされた。今思うと、完璧に騙されていた。

▼元教職者Bさんの証言

 卞氏との間で数年前に起きたことは、死ぬまで誰にも言わないつもりだった。教会を離れた後も、同じ群れに属していた家族にさえ、本当のことが言えなかった。「謝罪会」にも出席せず、他の被害者が勇気を奮って訴えたことを聞き、本来ならばわたしが言わなければならなかった、と自分を責めた。
 すべてを聞いた家族は、大きなショックから教会にも行けず、未だに引きこもっているが、一信徒からやり直そうと励まし合った。言わない方がよかったと思うことも度々あったが、今は恐れや不安から開放され、平安をいただいている。
 卞氏には、これ以上偽りの話を作らないでほしい。宣教の志を持って日本に来た、初めの愛に帰っていただけるように祈っている。今回の件は、卞氏だけでなく、真実に向き合わなかったわたしたち皆の責任である。

2009.228 キリスト新聞記事



■2009.2.11
 死に場所求めてさまよった
 
エホバの証人・元長老 「魂の叫び」を吐露



▲講演する草刈氏



 真理のみことば伝道協会(ウィリアム・ウッド代表)は2月11日、日本ホーリネス教団上馬キリスト教会(東京都世田谷区)で第18回カルト救出全国セミナーを開催し、エホバの証人信者の救出に携わってきた草刈定雄氏(神戸キリスト宣教会)が「ものみの塔の終焉か」と題して講演したほか、エホバの証人の元長老が組織の実態と被害者救済を訴える証言を行った。元長老のEさんは「精神的病で対人恐怖に似た症状があるため、聴衆と視線を合わせないで語る失礼をお許しください」と前置きした上で、自らの体験と現在の心境について静かに語り始めた。

Eさんの証言より抜粋

 当時のわたしは集会の準備はもちろん、新しい雑誌は隅々まで必ず研究し、その要点をまとめ参照資料付聖書に書き込んでいた。神から与えられた霊的書物を疎かにすることがいかに不遜であるか身をもって示すために、司会者(研究生を導いて家庭聖書研究をする証人)との約束をほぼ90%、倒れる日まで守り通した。
 食事の時間がもったいないので、カプセル一つで栄養が取れたらいいのに、とよく思った。「パンのみみと水、割り箸を何度も洗って使うぐらいの気持ちがなければ開拓奉仕はできない」と言われていた。やがてわたしも開拓者となった。人々の命を救わなければならない。そのために、自分にできるどんなこともやりぬこう。この決意は不動のものであった。
 すべての証人、とりわけ新しい人を励ますことに率先しなければならない。何事も「〜しなければならない」という義務感が先に立ち、心の底から喜びに満ちた奉仕ができなくなっていた。演壇に立つことが次第に辛くなり、聖書の中に「笑顔を忘れるな」と書いた付箋を何枚も貼り付けたことを覚えている。
 王国会館を後にしてから17年余。よくぞ今日まで生きてきたと思う。重い精神病を患うなかで組織の偽りに気付いたとき、病気との相乗効果で昼夜を問わず、死に場所を求めてさまよった。わたしにとってすべてだったものが、すべて崩壊していくことを受け入れるまで、実に多くの時間を要した。
 医者を行くための保険料もままならず、病気が原因で大事故を起こしたことも何度かある。電話代、電気代、水道代も払えなかった。失業と転職を20回近くくり返してきた。わたしは人生設計すらできないところまで来てしまった。
 人間関係のわずらわしさから解放されるため、トラック運転手となった。真夜中の高速道路を猛スピードで走るとき、目の前が涙で何度もあふれた。組織のためにすべてを犠牲にしてきた者が今、どんなに惨めな状況にあるか。その魂の叫び、うめきは分かるはずもない。
 自分がこれまで経験してきたことは、かけがえのない財産だと思う。辛い経験ではあったし、これからも死ぬまで続くだろう。わたしが最も辛いと感じた時、人目につかず懸命に咲き誇っている花に、どれだけ慰めを得ただろうか。
 最後に、見捨てられてしまったと感じているかもしれない元証人たちに、聖句を紹介したい。「主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ40・31)
 わたしは自殺の名所である絶壁に立って、すべてを終わらせたいと思ったことがある。人生には確かに、絶望の淵に立たされることがあるかもしれない。しかし、その絶望の淵に立って、下ではなく大空を見上げ、翼をいっぱいに広げて再び力強く舞い上がっていく原動力となるものを必要とする時が必ずある。
 神の目があまねく全地を行き巡っており、生きとし生ける者すべての願いを満たしてくださる方であればこそ、イザヤをしてこのように力強く言わしめたのではないか。
 そして神は救いのみ手を存分に発揮される方。どうか見捨てられてしまったと感じている元証人たち、声にならない慟哭を、神は決して見捨てられるはずがないという確信をどこまでも持ち続けていただきたい。

2009.2.28 キリスト新聞記事



■2009.2.6
 
朝日社会福祉賞 アジア学院が受賞 40周年に向け弾み
 卒業生の働き評価された



▲贈呈式で表彰を受ける丹羽理事長(中央)と野崎校長(右)



 1973年の発足以来、民間をベースとした農村指導者の養成学校として世界51カ国・地域に1130人の卒業生を送り出してきた学校法人アジア学院(=アジア農村指導者養成専門学校、丹羽章理事長)が、2008年度の朝日社会福祉賞に選ばれ、2月6日、朝日新聞東京本社(東京都中央区)で贈呈式と祝賀会が行われた。同学院は昨年、日本エキュメニカル協会によるエキュメニカル功労賞も受賞しており、2012年の創立40周年に向けて、さらに弾みをつける形となった。

 これまでも数々の公的機関や民間NGO団体が、発展途上国への援助を行ってきたが、その多くは一時的な食糧援助や人材派遣など。しかし、自然災害が頻発し、政治体制も不安定なアジア・アフリカ諸国で、恒常的な貧困や飢えを克服するためには、現地の人々が持続的な食糧生産技術を獲得することが欠かせない。こうした理念のもと、アジア学院では創立以来、農村指導者の養成に力を注いできた。
 毎年13カ国前後の国々から、キリスト教徒、仏教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒、さらには宗教だけでなく、習慣、言語、文化などまったく異なる背景を持つ約30人の学生が、全寮制の施設で24時間寝食を共にしている。9カ月間にわたる研修の中で、共同生活から生じるさまざまな葛藤を通し、「共に生きる」難しさと問題解決の術を学ぶ。
 約6fの敷地では、米や50種類以上に上る野菜を栽培し、有畜複合農業によって乳牛、鶏、豚、魚を飼育している。同学院の食糧自給率は80〜90%。収穫、調理、食事、後片付けに至るまでの全過程が、生きた学びの場となる。
 昨年はインド、リベリア、キリバス、ミャンマー(ビルマ)など、世界15カ国から30人の学生が卒業した。丹羽理事長は贈呈式で、「卒業生の働きが認められたことが、今回の受賞につながった」と喜びを語った。

 野崎威三男校長は、「成果が出るまでに時間はかかるが、長い目で見れば現地の人々が自立、自給の道を歩まなければならない。特に今日の食糧問題を考えると、アジア学院が開校以来求めてきたものは間違っていなかったという思いが強い」と話す。
 湾岸戦争の開戦時に日本YMCA同盟からヨルダンに派遣された野崎校長は、15年ほど海外で働くなか、卒業生の働きも直に見ることができた。それだけに、「人材育成が確かな援助の方法」という実感がある。

 祝賀会で同学院の推薦人として登壇した古屋安雄氏(国際基督教大学名誉教授)は、「現地からこれほど感謝されている日本の事業は稀。同学院でボランティアの経験をした学生の中から、少なからぬ奉仕者が出ていることも高く評価したい」と祝辞を述べた。
 同学院は地元の栃木県那須塩原でも、国際交流や開発教育という面で大きな役割を果たしてきた。ワークキャンプなどのボランティアとして年間1500人を超える外部からの訪問者があり、学生との交流を通して生きた国際感覚を身に付けている。「アジア学院が日本にあるということが、日本の青年に対してもインパクトになっている」と野崎校長。

 公的補助金を一切受けず、年間約1億円に上る活動資金は、すべて国内外の個人、団体、キリスト教関係組織からの寄付金で賄っているというのも大きな特徴の一つ。学生の渡航費、教育研修費、滞在中の生活費までを援助し、途上国からの入学者には学費を徴収していない。
 丹羽理事長は、「今日まで寄付金によってのみ支えられてきたことは、ある意味奇跡だと思っています」とふり返る。「今後は自給のためだけでなく、本校の財政に寄与すると同時に、日本の社会に対して食の安全≠フ重要性を発信するためにも、健康食品を供給できるようにしていきたい」と夢を膨らませる。
 40周年を間近に控えたアジア学院。国内外からの評価を追い風に、新たな一歩を踏み出そうとしている。
 寄付に関する問合せは同学院(рO287・36・3111)まで。

2009.2.21 キリスト新聞記事



■2009.2.3
 
信徒・牧師らが緊急声明
 教会の回復°≠゚て 卞在昌氏は「セクハラ」認めず



▲声明を発表して会見する牧師や信徒ら



 小牧者訓練会、国際福音キリスト教会の創始者として中心的役割を担い、昨年からセクシャルハラスメントとマインドコントロールの被害について訴えられている韓国人宣教師の卞在昌氏(本紙1月31日付で既報)に対して、国際福音キリスト教会の信徒と被害者を支援する超教派の牧師らが2月3日、「緊急声明」を発表し、都内で会見を行った。声明は、同氏と交わりがありながら性的被害を察知できなかった当事者として「心からのお詫び」を表明し、被害者への支援を約束。「組織の清算」と同氏や教職陣による「謝罪と償い」及び「交わりの回復」などを求めている。

 会見では、「卞在昌宣教師の性的不祥事を憂う超教派の牧師会」の小笠原孝氏(基督聖協団練馬グレースチャペル牧師)が、これまでの経緯を説明した。
 被害者からの訴えを受けた牧師らが、卞氏や側近の教職者に対し「福音的解決」のため、事実認定と悔い改めを再三迫ったが拒否され続け、「もはやこれは……自浄能力も戒規機能も持ち合わせない、ただ隠蔽するだけの国際福音グループの教職陣の、構造上の『悪』の問題である」と認識。
 1月26日に行われた被害者らとの「対面集会」においても、卞氏が最後まで加害の事実を否定し続けたことなどから、「何らかの自浄的な改革」を願ったが「その望みは断たれた」と判断し、「公同の教会」として「社会的責任」を果たすべく、声明の発表を決断した。
 声明では、月刊誌「幸いな人」で卞氏の原稿掲載を取りやめた小牧者出版についても、性的不祥事の事実や被害者の痛み、自らの責任には触れようとしない姿勢などを指摘し、関係の断絶を宣告している。同誌発行人の吉田求氏は最近まで、「わたしは卞氏を信じる」と関係者に語っていたという。

 信徒リーダーを養成する「弟子訓練」普及のために卞氏が創設し、セミナーなどを開催してきた小牧者訓練会には、これまで約60教派2千教会が何らかの形でかかわってきた。
 今回、「超教派の牧師会」で中心的役割を担う疋田国麿呂氏(日基教団大宮教会牧師)も、韓国のサラン教会で弟子訓練を受けた牧師の1人。その後、日基教団の現状を打破するためディボーション(静思の時)の必要性を説き、教団の教会、信徒にも勧めてきた。
 同氏は教団に属する牧師2人と共に、開催を目前に控えた「小牧者コンベンション」の役職を辞任、全国の教職者へ「お詫び」を送付した。

 小牧者訓練会が卞氏夫人の愛欄氏を後任の責任者としていることについて、声明は「何らの悔い改めもしないままに、組織の保全を図ろうとすることは許されるものではない」と非難。今回、同時に声明を発表した信徒ら有志が同会の謄本を確認したところ、2月2日の時点でも代表は卞氏のままだったという。
 さらに、「真相解明委員会」の実体は体制を守ろうとする事件の当事者であり、「教職代表たちが、心の底から教会を再生したいと願う信徒の働きを妨害し、その働きに賛同する者は戒規にかけると逆に脅している」との実態も明らかにされた。現に、卞氏に対して悔い改めを進言したアガペー八王子チャペルの鄭斗永(チョントウルヨン)氏は、昨年12月30日付けで牧師を解任された。

 国際福音キリスト教会の元伝道師で、被害者の「救出と癒しを目的とする会」(FOE)代表の毛利陽子氏は、「個人の告発や教会の破壊ではなく、ただ事実を伝えたいというのが目的。被害者が癒しと回復に専念できるよう立ち上げた」と会の趣旨について説明した。
 会見の最後に小笠原氏は、「日本の教会が神の前に責任を持ってこの問題を受け止め、全教会で解決にあたってくれることを願っています」と訴えた。

2009.2.14 キリスト新聞記事



■2009.1.30
 
ルーテル学院大 徳善義和氏退任で「感謝の集い」
 教会通し与えられた召し



▲あいさつをする徳善氏



 ルーテル学院大学(市川一宏学長)及び日本ルーテル神学校(江藤直純校長)は1月30日、同学で51年間にわたり講義を続けてきた徳善義和氏(同名誉教授)がこの3月で教壇を退くにあたり、東京・三鷹のキャンパス内で「感謝の集い」を開催した。同氏は7年前に定年を迎えたが、非常勤講師としての働きは続けていた。集いには、同氏から指導を受けた学生、聴講生、大学関係者、教会関係者らが駆けつけた。
 礼拝で説教した鈴木浩氏(同大教授)は、「イエス・キリストの福音を鮮やかに生き生きと力強く指し示すところに、パウロ、アウグスティヌス、ルター、徳善と受け継がれてきたルター派の伝統がある」と述べ、それを引き継いでいく決意を新たにした。
 引き続き会場を移して軽食会が催された。神学校で徳善氏に学んだ卒業生からの祝辞では、「先生の話のなかで、『ルターは......』という言葉は『わたしは......』と同義として聞いていた」との逸話が紹介されると、登世子夫人からも「最近ますます同化≠ェ進んでいる」との証言があった。
 徳善氏はあいさつのなかで、「まだ続けるつもりでいたが、医師の勧めもあり授業が難しくなった。教会を通して与えられた神さまの召しという認識で続けてきた」と述べ、なお衰えない研究意欲と今後の著訳書の出版についての情熱をうかがわせた。
 記念品贈呈の後、1985年に開設されたルター研究所での公開講座にほとんど欠かさず出席してきた聴講生に対し、徳善氏からも感謝の花束が贈られた。

2009.2.21 キリスト新聞記事



■2009.1.27
 
教育基本法違憲訴訟・東京 牧師ら陳述
 信仰に立って証し 控訴審も実質審理せず




 2006年12月に教育基本法が「改正」されてから2年。学習指導要領の改定が進められ、「道徳」の教科化が画策されるなど、その波紋は着実に教育現場へ広がっている。「信教の自由を守る日」を前に、教会関係者もかかわる一つの裁判を通して、日本のキリスト者が向き合わされている現実に迫った。

主権実現の手段として

 200人以上の都民らでつくる原告団「ポケットに教育基本法の会」が、改定教育基本法は違憲だとして国と与党国会議員を相手に無効確認などを求めて訴えを起こしたのは一昨年の9月。
 「国を愛する態度」や家庭教育を規定した改定教育基本法は、憲法第13条(個人の尊重)、第26条(教育を受ける権利)、第19条(思想・良心の自由)、第20条(信教の自由)に違反しており、「やらせタウンミーティング」で関係者らが処分されていることから、その成立過程においても違法性があると主張。教育の権利・目的を定めた子どもの権利条約や憲法第99条(擁護義務)にも違反するとしている。
 原告によると、具体的損害がなければ争うのは難しいという司法の現状をふまえ、抽象的憲法判断と同時に学校現場で生じている具体的損害についても立証する構えだ。
 また、提訴にあたっては弁護士を立てない本人訴訟という形をとった。原告団代表の渡辺容子氏は提訴後の会見で、「相談する弁護士や、引き受けてもよいという弁護士はたくさんいます。しかし、わたしたちは市民が自分たちの手で裁判をするということに意義を感じてやっています。裁判は主権実現の手段です」と述べた。

信仰者の被る損害

 地裁では1回の口頭弁論で結審。即座に原告から「忌避(裁判長への不信任)」の申し立てが成されたが、地裁、高裁、最高裁でことごとく退けられ、昨年6月にようやく出された判決は「不適法却下」「損害賠償請求、棄却」という憲法判断を回避した「門前払い」だった。
 これに対し原告は控訴。10月、東京高裁での第1回口頭弁論では、控訴理由書で詳述した判決の不当性(審理不尽、事実誤認、判決の脱漏など)について訴え、被告側の不手際などもあり、第2回へとつなぐことができた。
 今回の口頭弁論では、原告側の当事者4人に対し、1人10分で計40分の陳述が許された。事務局代表も務める城倉啓氏(日本バプテスト連盟志村バプテスト教会牧師)は、自身の体験から具体的損害について発言した。
 子どもが通う公立小学校でPTAの役員を務める同氏は、創立50周年の式典で「日の丸」掲揚と「君が代」斉唱が行われた際、自らの信仰に基づいて着席。周囲からは白い目で見られ、後日同じ役員を務める保護者から「城倉さんはあれ≠セからね」と言われたという。「思想・信条・信仰を持つ者が地域で生活するのに支障をきたすような損害を被っている」
 原告の一人である女性は同じく保護者の立場から、「公共の精神」「家族愛」の名のもとで、「生命尊重」よりも「自己犠牲」を推進するような道徳の授業が行われている実態を報告した。

地道な戦い続ける決意

 陳述が終わると、裁判長の口から「次回結審」との言葉が告げられた。傍聴席の支援者らもしばし呆然として立ち上がることができない。40分の陳述は何だったのか。直後の報告会で渡辺氏は、「残念。空しい」と悔しさを募らせた。教会を通して初めて傍聴に参加したという大学生は、「何をもって伝統≠ニ言っているのか、よく注意した方がいいと感じた」と感想を述べた。
 「わたしたちが生きている間に変化が見られるかどうか分かりませんが、100年後、200年後のために、憲法を用いて地道に戦い続けることに価値はある」と城倉氏。原告団は即日、裁判長への忌避を決めた。
 一人の主権者として、一人の信仰者としての意思をどのように表明していくのか。奪われていく「自由」を取り戻す道のりは、長く険しい。

2009.2.7 キリスト新聞記事



■2009.1.16
 
柏木哲夫氏がスピリチュアルケアで講演
 理解的態度と受容が鍵



▲講演する柏木氏



 聖学院大学総合研究所カウンセリング研究センター(平山正実所長)は1月16日、柏木哲夫氏(金城学院大学学長、淀川キリスト教大学病院名誉ホスピス)を招き、「病む人の魂に届く医療を求めて」と題する講演会をさいたま市で開いた。会場は、実際に現場で働く医療・福祉関係者らで埋めつくされ、関心の高さをうかがわせた。同センターによると定員の100人を大幅に上回る申し込みがあったという。
 柏木氏は初めに、言葉にこだわることの効用について説き、「いのち」と「生命」の違いや英語に訳せない「感性」という言葉の意味にまつわる逸話を紹介。
 次いで今日まで約2500人を看取ってきた自身の経験から、スピリチュアルケアの本質について解説した。末期患者の抱える生きる意味への問い、苦難に対する問い、孤独感、罪責感、死後への不安などの「スピリチュアルペイン」を「薬が効かない魂の痛み」と定義し、それらは人格的な交わりなしでは癒されず、それをケアするためには「自分との和解」「周りとの和解」「超越者との和解」という三つの和解が必要だと指摘。
 これまでかかわった患者と実際に交わしたやり取りなどを例に、「安易な励ましがコミュニケーションを遮断する。理解的態度によって会話が持続し、患者が会話の主導権を握ることができ、弱音を吐き切ることができる」と語った。
 また、スピリチュアルケアのキーワードとして「理解的態度と受け身の踏み込み」を挙げ、「受容することが唯一の洞察の手段」「受け身でなければ踏み込めないが、受け身だけではケアができない」とアドバイスした。

2009.1.31 キリスト新聞記事



■2009.1.12
 
日本基督教団東京教区西南支区 初の信徒大会
 500人参加で盛況 次回へ期待も


 
▲陣内大蔵と牧師聖歌隊、ゴスペルクワイアメンバーらとのコラボ



 44教会が属する日基教団東京教区西南支区(支区長・岸俊彦=経堂北教会牧師)は1月12日、青山学院ガウチャー記念礼拝堂(東京都渋谷区)で、「教会フェスティバル」を開催した。同支区でこのような信徒大会にあたる企画が催されたのは初めて。会場は3時間にわたるプログラムを通じ、約500人の教職、信徒らの拍手や賛美であふれた。
 第1部の礼拝では、岸氏が「結ばれている私たち」と題して説教したほか、「神田ナザレ」名で講談師として活躍する北川正弥氏(駒沢教会牧師)が、スライドショーに合わせ軽快なテンポで支区内の全教会を紹介。今回のために結成された牧師聖歌隊による賛美や、吉崎恵子氏(日本FEBC代表)による伝道アピールも行われた。
 続く第2部では、支区内の信徒らによるゴスペルクワイアが歌声を披露した後、シンガーソングライターの陣内大蔵さん(東美教会伝道師)によるライブが行われた。陣内さんは、教会で育った自らの生い立ちや、コンサートで全国を訪れた際の体験談などを交えながら、歌とトークで会場を沸かせた。
 参加者からは、「これまでさまざまな支区、教区、教団主催の会に出てきたが、こんなに楽しい会はなかった」「舞台も客席も、参加者の楽しい笑顔でいっぱいだった」「名前しか知らなかった教会の場所を知ることができ、近くに行った時は是非うかがってみたい」などの声が聞かれた。
 今大会の実行委員長である平野克己氏(代田教会牧師)は、「このように目に見える喜びをもって働きを終えることができたことを嬉しく思います。問い直すべきを問い直しながら、さらに今後も信徒大会が引き継がれていくことを願っています」と、今後の継続に期待を寄せた。

2009.1.24 キリスト新聞記事


  

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