2007年7〜12月



■2007.12.21
 ルワンダに届け、祈り
 
関東学院小が展示会 NGOスタッフ佐々木和之さんを支援


 
▲展示された民芸品や写真(左)、1年生の聖書の時間に話をする妻の恵さん



 1994年、フツ族とツチ族間の抗争による大虐殺で80万人以上の犠牲者を出したアフリカ・ルワンダ。現地のキリスト教NGO「REACH」と協力し、「和解と癒し」のために働いている佐々木和之さん(日本バプテスト連盟国際ミッションボランティア)を支援してきた関東学院小学校(清水元校長)がこのほど、第1回ルワンダ展を開いた。会場となったKGU関内メディアセンター(神奈川県横浜市)には、1カ月で約150人の人々が足を運んだ。遠くアフリカの地と日本をつないだ子どもたちの歩みをふり返る。

 佐々木さんは国際飢餓対策機構のメンバーとしてエチオピアに滞在中、くり返される戦争に希望を見出せなくなっていた。「戦争によって自分たちが積み上げてきたものが無残にも壊されていく時、『戦争反対』という声すら上げることができないという無力な体験をしました」。政治的な発言は、国外退去を覚悟しなければできなかったという。
 しかし、同じ時期に訪問したルワンダで、生々しい紛争の傷跡と同時に和解のために働き始めたルワンダ人と出会う中で、家族と共にルワンダで働くことを決意する。

 関東学院小学校が佐々木さんと出会ったのは2005年6月。当時学院長だった松本昌子さんが小学校に支援を呼びかけたことがきっかけで、佐々木さんが来校した。
 以来、手紙やメールでのやり取りが続いた。校内には展示コーナーを開設、下遠地からの写真や手紙等を掲示。翌年度からは、毎月の最終週を「ルワンダ週間」として、佐々木さんからの「祈りの課題」をもとに、礼拝で祈りを合わせることになった。
 また、06年にはフィルバート・カリサ牧師(REACH代表)が、07年には一時帰国した佐々木さんの家族が来校し、直接交流する機会も与えられた。
 社会科の授業でも、ルワンダについて学習。当時6年生だった児童(現中学2年生)は、次のような感想を残している。
 「虐殺のある国は危ない国だと最初は思っていた。でも佐々木さんの写真を見て、いい人もいて平和を願っている人もいるんだなぁと思った。……最近、寝る前に祈るようになった。世界の人々が平和であってほしい、そう祈るようになった」「わたしは、両親がもし殺されたら、その人たちを許せないと思う。そう考えると、フツ族やツチ族の仲が戻るのも大変だと思う」「勉強するまでは、ああかわいそうだな、飲み水も食料もなく、その上、貧しいなんて、としか思えませんでした。でも、学校の授業で勉強して、ルワンダのことに詳しくなってきた今は、かわいそうとは思っていません。それより、わたしたちのできることを探して生きています」。

 礼拝でのお祈りなどを担当するキリスト教委員会(4〜6年生12人で構成)が中心となり、05年11月から発行し始めたルワンダ通信「アマホロ」(ルワンダの言葉で平和の意味)は、昨年末で15号を数えた。佐々木さんの近況や交流会の感想などを、より広く伝えようという子どもたちの熱意が紙面にあふれている。
 今回の展示会のタイトル「平和を目指す国・ルワンダ――センゲラ(あなたも祈ってください!)」も、子どもたちの発案で佐々木さんと相談しながら決めた。
 同委員会の顧問でもある石塚武志さん(同校教諭)は、「学校では、お祈りすることを大切にしています。子どもたちが実際に現地へ行くことはできませんが、佐々木さんは『祈ってくれる人がいるということに励まされています』といつも感謝してくださいます」と話す。

 初めての試みとなったルワンダ展では、現地の写真や民芸品、「アマホロ」を展示したほか、VTRの上映、関連書籍や映画の紹介などを行った。経済的な支援を呼びかける展示が多い中、募金などのコーナーはない。あくまで祈りによる支援に徹する。
 佐々木さんはこの展示にあわせ、次のようなメッセージを送った。「より多くの人に知って、祈りの輪に加わっていただき、また伝えてほしい」。

 同学院の校訓は「人となれ、奉仕せよ」。小学校では佐々木さんを通したルワンダとの出会いを、新たな「国際理解と奉仕教育」の機会と位置づけている。祈りが子どもたちの日常に根付き、確かな力となって宣教の業を支えていることを実感した。


 REACH(Reconciliation Evangelism And Christian Healing)=「ルワンダの人々の癒しと和解」を目的にする、現地の教派を超えたキリスト者によるNGO。地元の教会やモスクと協力し、平和と和解セミナー、暴力被害者と加害者へのカウンセリング、生活再建支援プロジェクト、平和教育・交流プログラム、AIDS感染者支援・予防教育などを展開している。虐殺に関与した罪を自白・謝罪した受刑者が、被害者のために家を建てる「償いのプロジェクト」もその一つ。



 佐々木和之さん(ささき・かずゆき=洋光台キリスト教会員)1965年、横浜生まれ。鹿児島大学農学部卒業、コーネル大学国際農業・農村開発修士課程終了。88年、日本国際飢餓対策機構からエチオピアに派遣。8年間農村自立支援活動に従事。00年にルワンダを訪問。同年10月からブラッドフォード大学平和学部博士課程に在籍し、ルワンダの紛争問題と平和構築について研究。
 支援に関する問合せは、「佐々木さんを支援する会」事務局・洋光台キリスト教会内(рO45・774・9861)まで。

2007.1.19 キリスト新聞記事



■2007.12.11
 「表現の自由」に制限
 葛飾ビラ控訴審 一審無罪を破棄



▲高裁前で支援者らにあいさつする荒川氏



 東京都葛飾区のマンションで政党のビラを配った僧侶の荒川庸生氏(60)が、住居侵入罪に問われていた裁判で、東京高裁(池田修裁判長)は12月11日、1審の無罪判決を破棄し罰金5万円の有罪判決を言い渡した。「ビラ配布の目的だけであれば、共有部分への立ち入り行為を刑事上の処罰の対象とする社会通念は確立していない」とした06年8月の無罪判決を覆す形となった。弁護側は即日上告した。

 判決は「ビラ配布を含めた部外者の立ち入り禁止は、マンション管理組合の理事会で決定され、住民の総意に沿うもの」とし、玄関ホールの掲示板に投函禁止の張り紙をしていたことなどから「(立ち入り禁止を)来訪者に伝える措置がとられていないとはいえない」と認定。「政党ビラ配布という目的自体に不当な点はない」とする一方で、「表現の自由は絶対無制限に保障されるものではなく、他人の財産権を不当に害することは許されない」と控訴人の訴えを退けた。
 弁護側は、「荒川さんがビラを投函したことで、誰のどういう法益を侵害したというのか。高裁はひと言も説明していない」と指摘。「ポスティング処罰により失われる利益と得られる利益との緻密な利益衡量を行わずに形式的判断に終始したことは、裁判所が『憲法の番人』としての役割を放棄して訴追機関による言論弾圧を追認する機関と化したことを意味する」と断じ、「前提となる『住民の立ち入り禁止の意思』なるものが証明されていない。間違った事実認定に基づき、結論だけを押し付けた不当な判決だ」と非難した。
 判決後、荒川氏は「判決の瞬間まで控訴棄却と信じていた。10万の求刑を5万にしたということ自体、判決の不当性を裁判官自らが感じていることに他ならない」と支援者らにあいさつ。弁護士らとともに、最高裁まで戦い抜く決意を表明した。
 支援を続けてきた日本宗教者平和協議会は同日、声明を発表し、「検察の言い分を鵜呑みにしたとしか言いようのない不当な判決」であり、「言論・表現の自由の侵害」と言わざるを得ないと強く抗議した。

2007.1.12 キリスト新聞記事



■2007.12.8
 宗教界は何を求められているか
 改定教育基本法「一般的な教養」めぐりシンポ


 
▲発言する香山氏(左)



 2006年12月、教育基本法が改定され、宗教教育の項(旧第9条)に「宗教に関する一般的な教養(……は、教育上尊重されなければならない)」との文言が付け加えられたことを受け、公立学校での宗教教育のあり方をめぐり宗教界でもさまざまな議論が展開されている。国際宗教研究所(星野英紀理事長)は12月8日、大正大学(東京都豊島区)で公開シンポジウム「宗教教育を宗教界はどうサポートできるのか」を開催し、各宗教の専門家、実践者が招かれ意見を交わした。今日、教育の現場から宗教界は何を求められているのだろうか。

 前提となっている問題意識は、法改正の是非にかかわらず、今日の「心の荒廃」「人間関係の希薄化」などに象徴される社会状況を前に、宗教界が傍観したままでいいのかという危機感である。司会の井上順孝氏(国学院大学教授)は初めに、「宗教界が公教育においてどのような役割を果たせるのか、具体的なアイディアを出し合いたい」とシンポジウムの趣旨を説明した。

 神社本庁教学研究所の藤本頼生氏は、学校の教員を務める教員関係神職の現状と、祭りや雅楽などの文化を総合学習で扱った事例などを報告。地域との協力による社会教育としての可能性を説いた。
 臨済宗妙心寺派本誓寺住職の赤松宗典氏は、自身の経験をふまえ、授業前に精神を集中させる「静思」「黙想」の試みや、児童、生徒への声かけなど、学校や地域で宗教者が貢献できる具体的な活動を提案した。
 立正佼成会の河村蓉洞氏(教育者教育研究所所長)は、ADHD(注意欠陥・多動性障害)や不登校、学級崩壊などの課題に取り組む同会会員の教師らと連携して解決した例を挙げ、そのために仏教の教えを活用したことを紹介した。

 これらの提起に対し、聖公会司祭の香山洋人氏(立教大学チャプレン)は前提となる問いに疑問を呈した。そもそも、今必要とされているのは宗教教育なのか――。「現代社会の抱える問題の本質は、宗教のみに起因するわけではない。心の問題=宗教の問題という一元化は短絡的ではないか」とした上で、「人の心に平和の砦≠築く宗教が、隔ての中垣≠ノもなり得る。内心の問題だけでなく、社会に対して責任を持つという認識を宗教自体が持つ必要がある」と強調した。
 また、「教育の中には宗教的要素が多分に含んでおり、むしろそれを見出せないことの方が問題」であり、現状では公立学校において宗教教育をするのは難しいとの認識を示した。その上で、教育現場で宗教者が提供すべきことは宗教の教義や歴史ではなく、「いのちを尊ぶ」「人の出会いを喜ぶ」といったような「生きた宗教体験」に触れる機会ではないかと述べた。

 これまで宗教教育は「宗派教育」「宗教知識教育」「宗教的情操教育」の3つに大きく分類されてきたが、90年代以降そのとらえ直しが図られてきた。「宗教教育の地平」と題する特集を組んだ『現代宗教2007』(国際宗教研究所編)では、さまざまな立場から宗教教育への新しいアプローチが試みられている。吉田敦彦氏(大阪府立大学准教授)は、「国家の公」でも「私的領域」でもない「市民の公共」的な領域の教育(NPO法人立のシュタイナー学校など)という類型を加え、さらにその領域に基づいて「情操教育」を4つの位相に細分化している。
 シンポジウムでコメントした平藤喜久子氏(国学院大学講師)は、吉田氏も再定義しているような、「知識教育」に留まらない「宗教文化教育」の必要性を主張した。また、宗教界の責務として、宗教について知りたいという教員や研究者が容易に入手できる画像や動画などの教材を、ネット上などで提供してほしいと要望した。

 会場を交えたディスカッションでは、「信者である教育者に依存する宗教教育は不安定ではないか」「特定の宗教に偏らない『中立的』な『宗教的情操教育』があり得るのか」「宗教者自身が他宗教を尊重し、他者の信仰から学ぶことが大事」「『カルト』対策としての宗教リテラシー教育は必要」「教師や親自らが人格を高めることこそが、宗教教育の実践ではないか」などの意見が活発に出された。

 日本では、過去の歴史的反省から公教育と宗教は一定の距離を保ってきた。しかし、「基礎的な知識は教えるべき」との声も根強い。「宗教に関する一般的な教養」を重視する流れを、「宗派教育」に重きを置いてきたキリスト教学校やキリスト教界も歓迎すべきなのだろうか。そして、公教育との関わりは――。数々の課題と問いを投げかけて、自らのあり方を模索する熱い議論は幕を下した。

英テキスト「宗教の架け橋」
 06年、世界10カ国の初等・中等教育における宗教教科書が大正大学によって翻訳された。イギリスの小学校低学年用教科書「宗教への架け橋」は、さまざまな宗教的バックグラウンドを持つ子どもたちの日常生活を紹介する。読み聞かせやディスカッションなどに活用できる工夫がされている。
 冒頭にはその教育的意義について、次のような記述がある。「子どもたちは見知らぬ生き方を理解できるようになるだけでなく、自分自身の経験に関しても疑問を持つようになります」「こうした作業は……子どもたちの視野を広げ、よく考えるように促すことを意図したもの」「子どもたちは自らの考えや感情、態度に対する理解を深め、自分の経験とストーリー中の人物の経験との類似点や相違点を認識します。このことは彼らの霊的(精神的)、道徳的そして文化的成長に寄与するものです」。まさに、「宗教文化教育」が結果として「宗教的情操教育」につながるという論理である。

2007.1.12 キリスト新聞記事



■2007.12.3
 “国のために”集団自決
 教科書検定撤回求め集会 金城重明氏が証言



▲証言する金城氏



 沖縄戦「集団自決(強制集団死)」への軍の強制を削除した教科書検定意見の撤回を求める全国集会(主催・東京沖縄県人会、大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会)が12月3日、九段会館(東京都千代田区)で開かれた。
 初めに渡嘉敷島の「集団自決」で九死に一生を得た金城重明氏(沖縄キリスト教短期大学名誉教授)が、母と弟妹らに自ら手をかけた体験や、当時の凄惨な状況について証言した。
 同氏は、「集団自決」における軍命の有無について「自発的ならば自分の集落で死を遂げたはず」「日本軍が駐屯した島々でしか起こっていない」「(『自決』以外の目的で)天皇から授かった武器が非戦闘員に配られることはあり得ない」などの根拠を挙げ、「軍によって集団死に追い込まれたことは歴然とした事実。2つの論があるから記述を抹消するというのは屁理屈だ」と強調した。
 また、「沖縄戦のキーワードは、『軍・官・民の共生・共死』。皇民化教育によって、軍と運命を共にするという意識、国家のために死ぬという構えが作られていた」と語った。
 当時16歳だった同氏は、手榴弾の不発で「自決」が失敗した混乱状態の中、大人たちがどのように死ぬのか目を凝らしていたという。区長だった男性が、へし折った木の枝で妻子を殴り殺したのをきっかけに、まず幼い子どもから殺されていった。そして同氏も、涙を流す母に石で一撃を加えて命を絶つ。「末期の心理状態は、生き残ったらどうしようという恐怖だった。捕らえられたら惨殺されるので、愛する者の命を自らの手で絶つことがせめてもの慰めだと思っていた」「愛情の深さが殺害の徹底を表していた」と当時の心境をふり返り、同級生にも手をかけたが失敗に終わったことを打ち明けた。
 「戦争の悲劇は、再びくり返さないために継承されなければならない」との訴えに、集まった約1千人の参加者は耳を傾けていた。集会では、検定意見撤回や訂正申請の承認、沖縄条項の追加などを求めるアピールを採択した。
 この問題で、教科書会社6社は軍の強制を明記した訂正を申請。これに対し文科相の諮問機関・教科用図書検定調査審議会(検定審)は12月6日、「集団自決は多様な背景、要因があり、単純に軍の命令・強制とはいえない」として、断定的記述を避けるよう示唆したことが明らかになった。これを受けて教科書各社は、訂正申請の再検討に入るものと見られている。

2007.12.25 キリスト新聞記事



■2007.11.29
 “9条”堅持で平和に寄与 アジアから世界へ
 
9条アジア宗教者会議 豊かな人間世界の実現へ


 
▲平和巡礼の先頭に立つアジアの宗教者(左)と講演する土井氏



 日本・アジアの宗教者が憲法9条をテーマに平和への思いを語り合う「9条アジア宗教者会議」(同実行委員会主催)が、11月29日から12月1日までの3日間にわたり、YMCAアジア青少年センター(東京都千代田区)で開催され、国内外の宗教者ら約200人が集った。

 初日午前には、韓国の元統一省長官で世宗財団理事長の林東源(イム・ドンウォン)氏と、元衆議院議長で憲法学者の土井たか子氏が基調講演。
 林氏は、南北分断の歴史と現状に触れ、「互いに協力し、平和と共同に向けて歩み寄らなければならない」と述べ、「アジアでは、日本が9条を放棄し、軍事化を進めるのではないかという危惧が広がっている」「日本は9条を守ることで、東北アジアの平和と安定にも寄与できる。平和主義を貫徹し、国際社会に貢献する国になることを期待している」と呼びかけた。
 土井氏は、17歳で敗戦を迎えた自身の経験をふり返りながら、「真っ先に犠牲になるのは市民。どんなことがあっても戦争はしてはならない。それがわたしの原点」と述べた。また、「核兵器と人類は共存できない。これを米国も北朝鮮も知ってほしい」とし、粘り強く対話を続けることの重要性を強調。そのためにも、9条を大いに宣伝していく必要があると訴えた。

 同日午後から2日目午前にかけて「非暴力と平和」、「軍事化する世界と9条」をテーマにパネルディスカッションが行われ、インドやフィリピン、マレーシア、スイス、アメリカなどの宗教者らが発題し議論を交わした。
 また、2日目夜には平和コンサート、最終日午後には会場周辺を行進する「平和巡礼」が行われ、参加者らは9条の大切さをアピールした。

 最終日の記者会見で輿石勇氏(日本キリスト教協議会議長)は、「各国からの貴重な発言を聞き、9条を守ることが豊かな人間の世界を実現していくことにつながるとの確信を得た。単に反戦・非戦というだけでなく、日常的な生活のレベルにまで及んでいる恐怖や絶望に向き合うきっかけができたのでは」と感想を述べた。
 また、カトリックの平和団体「国際パックスクリスティ」のジーン・ストークン氏は、「もはや戦争は必要ないと他の宗教者と共に声を上げていくことが必要。宗教や違いを越えて言えることは、戦争のない世の中は必ず実現できるということ」と語った。

 同会議で採択された声明では、日本政府に対し「米国一辺倒の外交政策の見直し」「沖縄の基地建設の中止」「海外派兵の撤退」「自衛隊の災害援助隊への移行」など、日本の宗教界に対し「平和運動への連帯」「歴史的事実の継承」「各宗教指導者間の霊的な連帯の強化」「新たな平和教育の創出」など、世界の宗教界に対し「9条ネットワークの創設」「非暴力と平和のために行動する平和の日の設定」「世界の人権侵害に関する情報の共有」「民衆による国際平和法廷の設立」「良心的兵役拒否の道の模索」などが呼びかけられた。

2007.12.25 キリスト新聞記事



■2007.11.27
 教科書にのっていないアフリカ
 
ワールド・ビジョン・ジャパンが体験型イベント 子ども救う喜びを



▲体験後に感想を語るジュディ・オングさん(右)と酒井美紀さん


▲子どもたちへのメッセージを手に



 今年20周年を迎えるNGO団体ワールド・ビジョン・ジャパンが、11月28日から12月1日まで、同事務所(東京都新宿区)を会場に新しい体験型イベントを開催した。題して「教科書にのっていないアフリカ」。戦争、貧困、エイズなど、アフリカの子どもたちが置かれている現実を視覚と聴覚で追体験するというものだ。

 入場者はまず入口でヘッドホンを渡され、音声案内に従って、カーテンで仕切られたブースを進んでいく。アフリカの地でさまざまな苦境に立たされる子ども(4人のうちの1人)の数年間の歩みを、彼らの写真や実物の展示を通じて疑似体験できる仕組み。銃の重み、着物の肌触り、食器の冷たさ、現地の「空気」。本やテレビでは得られない、その場にいるような感覚が身に迫る。

 28日からの一般公開に先立ち、ワールド・ビジョン・ジャパンで親善大使を務める歌手のジュディ・オングさんと女優の酒井美紀さんが会場を訪れた。
 ジュディさんが体験したのは、3歳のエマニュエル。母を亡くし、8歳の兄と、叔母を頼って家を出るが追い返された上、持ち物をほとんど取り上げられてしまう。兄弟2人きりの生活は過酷を極めた。体験を終えたジュディさんは時折涙ぐみながら、「命の重みを感じました。医者になるという夢をかなえてほしい」と感想を述べた。
 酒井さんが体験したのは、両親をエイズで亡くした7歳のベアトリス。たった1人の姉も、赤ちゃんを産んで亡くなってしまうが、親類は誰も赤ちゃんを引き取ろうとしない。見かねたベアトリスは、自ら育てることを決意する。「わたしたちは、生きていることを実感しなければならない。彼女の生きる強さからパワーをもらいました」と語る酒井さんは、子どもたちへのメッセージに「笑顔で幸せをいっぱい感じられる日が、いつまでも続きますように」と書いた。

 同日招待されたアーティストらも、「悲惨な悪循環をくり返している現実がよく分かった」(岩渕まことさん)、「微力でも何か役に立てればと率直に感じた」(泉堅さん)、「実際にアフリカに行ったことがあるが、写真と解説ではどうしても伝えられなかった現地のにおい≠感じることができた」(森祐理さん)、「テレビで見るアフリカには希望がないが、この企画では子どもたちの笑顔に希望を見出すことができて嬉しかった」(佐々木梨乃さん)とそれぞれ体験をふり返った。

 ワールド・ビジョン・ジャパン理事長の榊原寛氏は、「自分のこととして経験してもらうことができれば」と期待を込める。「神戸や中越の震災で、共に悲しみ、共に喜ぶ経験をした日本人が、今度は世界に目を向けてそれを共有できるかが課題。わたしの手で一人の子どもを救うことができたという喜びを、日本中に沸き上がらせたい」。
 20年の歩みの中で課題も見えてきた。事務局長の片山信彦氏は言う。「一つの組織で活動するよりも、他のNGOと協力する方が効果的な事業ができると考え、他団体との連携強化に努めてきた」「寄せられた期待に応えられるよう、日本の社会にしっかり根付いて、日本の方々に受け入れてもらえるようなNGOになりたい」。

 この催しはこれまで世界5カ国で開催され、4万人以上を動員してきた。来年春には、東京・お台場(4月25〜30日、アクアシティにて)と神戸(詳細は未定)で開催される。
 「何もかも」はできないが、「何か」はきっとできる――。厳然たる世界の現実を前に、祈りと支援の手がかりとなる「何か」を見出せたような気がした。

 ワールド・ビジョン・ジャパンでは、貧困に苦しむ子どもたちにより多くの支援を届けるため、11月からクリスマスまでの期間、キャンペーンを実施。12月18日には東京で、途上国の子どもたちの生活とワールド・ビジョンの活動を知るためのイベントが開催される。詳しくは、キャンペーン特設サイト(http://www.worldvision.jp/campaign08)で。

2007.12.8 キリスト新聞記事



■2007.11.20
 日基教団部落解放センター25周年
 遠藤富寿氏 「現代の預言者として」



▲講演する遠藤氏



 日本基督教団部落解放センターは開所25周年を迎え、11月20日、信濃町教会(東京都新宿区)で感謝会を開催した。谷本一廣氏(日基教団近江平安教会牧師)による礼拝の後、遠藤富寿氏(同教団隠退教師)が「関東から見た25周年」と題して記念講演を行った。
 同氏は狭山事件との出合いをふり返りながら、「自分の無知がどんなに罪かを思い知らされた。日本人の中に、差別を温存する精神構造がある。社会の罪を認識せずに、どうして伝道と言えるのか」と述べた。
 また、現在の同センターの働きについて、「現地研修を通し、委員が差別の現実を実感できるような機会を設けてほしい」「組織に縛られず、常に自己批判をしながら、教団のために言うべきことが言えるセンターでありたい。現代の預言者的立場に立ち、教区や地区の壁を打ち破っていってほしい」と要望した。

2007.12.8 キリスト新聞記事



■2007.11.17
 「できること、すべきこと」模索

 教育同盟学校代表者協議会 教基法改定でシンポ



▲礼拝で祈りを合わせる学校代表者ら



 キリスト教学校教育同盟(久世了理事長)は11月17日、横須賀学院(神奈川県横須賀市)で第50回学校代表者協議会を開催した。阿部志郎氏(前横須賀学院理事長)による講演「使命に生きる」の後、「教育基本法改定の事態に対しキリスト教学校ができること、すべきこと」を主題としてシンポジウムが行われ、全国から集まった約150人の代表者らは発題者の発言に熱心に聞き入っていた。
 阿部氏は講演の中で、「キリスト教学校は教会の枝として、伝道の苦しみと光栄を共に分かち合うという感覚を失ってはならない」と述べ、公立大学の設立に携わった経験から「ミッションがない学校の限界を痛感した。私立の特権である建学の精神を明確にすることが、生き延びていく上で重要」と強調した。
 シンポジウムでは、まず阿久戸光晴氏(聖学院大学学長)が発題。教基法改定や改憲への動きを「伝統規範の危機意識から来る反撃」と位置づけ、「これらと対立しつつ同時に自己点検、自己克服が必要。まずはキリスト教学校が『心のノート』以上の積極的存在にならなければ、国民の支持は得られない。批判原理もさることながら、地道な形成原理のもとに各学校で真剣に取り組むことが預言的反証になる」と述べた。
 また、キリスト教学校が進学率を誇る「普通の学校」と化し、助成金の獲得に奔走する現状を憂慮し、「普遍的価値に立脚した人格教育をしていくべき。それが、新しい真の規範に基づく教育になる」と訴えた。
 続いて発題した平塚敬一氏(立教女学院中学校・高等学校校長)は、「今日のキリスト教教育は、国の教育政策を補強する役割を担っているのではないか」「戦争という犠牲を払って獲得した教基法の理念を、どう具体化してきたかが厳しく問われるべき」と提起した。
 また、教え子である公立中学の音楽教師が、都の指導主事から「君が代は国歌であるから、きちんと歌えるように教えてほしい。クリスチャンでも職務だから我慢すべき」と言われたという実例を紹介。彼女は、卒業式に「君が代」伴奏を引き受けてしまったことで良心の呵責に苦しみ、退職願を出したという。
 「公立学校で起きていることを我が身の問題としてとらえなければ、存立に関わる事態にもなりかねない」と危機感を示し、「キリスト教学校以外の私学とも、どう協力していけるか考える必要がある」と述べた。

2007.12.8 キリスト新聞記事



■2007.11.12
 エキュメニカル講演会
 谷氏「国家神道の復活」危惧 森本氏「政教分離は“手段”」


 
▲講演する谷氏(左)と森本氏



 日本エキュメニカル協会(徳善義和理事長)は11月12日、岐部ホール(東京都千代田区)で「信教の自由と政教分離――エキュメニカルな視点から」をテーマとした公開研究会を開催した。講師として谷大二氏(さいたま教区司教)と森本あんり氏(国際基督教大学教授)が招かれ、カトリック、プロテスタントの立場からそれぞれ発題した。
 谷氏は、「政教分離の主眼は、国家と神社神道との徹底分離にある」(浦部法穂『憲法学教室』)との言葉を引用し、日本における政教分離の意味について確認した上で、自民党新憲法草案の問題点を指摘し、「政教分離のなし崩し的崩壊につながる。最終的には国家神道の復活が見え隠れしている」との危惧を示した。
 森本氏は、信教の自由と政教分離の関係性について触れ、「政教分離は、国家が特定の宗教と関わることで、信教の自由が奪われるのを避けるための手段」と強調。
 また、米国で政教分離の基準とされる「レモンテスト」の3要件(政府の行為が明確に世俗的目的を持つ、結果的に宗教を援助・圧迫しない、特定宗教との過度のかかわり合いにならない)に触れ、どれか1つでも該当すれば違反になるのに対し、日本での津地鎮祭訴訟で用いられた「目的効果基準」では、これらの基準を元にしていながら、3つ目を採用せず、かつ両方の基準を満たした場合のみ違法としている点が著しく異なると指摘した。

2007.11.24 キリスト新聞記事



■2007.11.9
 殺してはならない 
9条アジア宗教者会議 実行委員に聞く(下)
 弘田しずえさん(日本カトリック正義と平和協議会運営委員)



▲「イエスの言葉を今この場で『生きる』とは」



 弘田さんはこの間、カトリック系平和団体であるパックス・クリスティ(本部・ブリュッセル)との連携に力を注いできた。同団体は、第二次大戦後の1945年、カトリック信徒によってフランスとドイツの和解のために始まった平和運動。世界5大陸51カ国で10万人ほどの市民が加わり、信仰に基づいた非暴力の活動を続けている。
 特に日本では、全米で700余のグループを持つパックス・クリスティUSAと、昨年夏から協力関係を築いている。そのきっかけとなったのが、憲法9条。アメリカでも、憲法が改悪されようとしていることへの危機感が強いという。
 昨年の8月6日、弘田さんはニューメキシコ州のロス・アラモスでの行動に参加した。そこは、広島・長崎に投下された原爆を開発した研究所のある場所。照り付ける日差しの下で30分間、文字通り粗布を着て灰の上に座り黙々と祈る300人の人々。まさに、祈りそのものが行動となっている現場を目の当たりにして大きな衝撃を受けた。
 今年4月、安倍首相(当時)とブッシュ大統領が会談した際には、夕食会の時間に合わせ、パックス・クリスティUSAのメンバーらがホワイトハウス前の公園で、9条改悪反対を訴えた。「アメリカの良心」とつながる必要性も感じた。

 「原爆の数百倍に及ぶ威力の兵器が存在する今日、軍備で平和をつくろうということ自体おかしな話。絶対不可能」と言い切る弘田さん。非暴力には「やられっぱなし」という消極的なイメージがあるが、むしろ行動的、積極的な意味があるという。「9条は理想だと言われるが、かえって非暴力こそ、現実的な世界の平和構築のあり方」と強調。「悲しさを慈しみ、小さな命を大事にするような神の似姿としての人間の生き方が、今切実に求められている。宗教者の集まりとしてそれを大事にしたい」。

 カトリック内には、「シスターはお祈りだけしていればいい」という声も根強い。「祈っているからこそ、聖書や福音、イエスに立ち返りたい。イエスは、『敵を愛せ』という言葉を生き抜いた。それに従うわたしたちは、具体的な行動として動いていくことが大事」と話す。
 同時にその行動は、「日常性に密着していなければならない」と指摘。「何を食べるか、何を買うかから始まり、人とどう関わるかに至るまで、生き方すべてにおいて、イエスの言葉を今この場で『生きる』とはどういうことかが問われている。9条は、当然その中に含まれる」。
 弘田さんは言う。「今イエスに従う道は、非暴力、平和以外にあり得ない」。そして――「非暴力、平和以外に未来もあり得ない」。
 程度の差こそあれ、さまざまな暴力がはびこる現代。「殺してはならない」との言葉を、わたしたちキリスト者がどうとらえるのか。アジアの宗教者たちの声に耳を傾ける中で、その糸口を見出したい。

2007.11.24 キリスト新聞記事



■2007.11.1
 立教女学院「戦いのない時代」へ提言
 中高生の感性で平和つづる


 
▲最優秀賞の芝尾さん(左)と奈良さん



 立教女学院(東京都杉並区)が今年で創立130周年を迎えるにあたり、同中学校高等学校は在校生を対象に、「戦いのない時代にするために」という提言を募集した。同校ではこれまでも、自らの問いを調べて発表する「ARE学習」などを通して「平和教育」に力を入れてきたが、今回は具体的なメッセージを学外にも発信していこうと企画された。時代の荒波の中で、キリスト教主義学校が果たすべき役割とは――。

 「ARE学習」は、「Ask」「Research」「Express」という3つの要素を取り入れた学習法で、同校では2000年度から行われてきた。国際理解や地球環境、社会福祉など幅広いテーマを取り上げ、高校3年時にはその集大成として卒業論文を作成している。
 中でも「平和」については、さまざまな教育プログラムを通じて一貫して取り組み続けてきた。来年度からは、長崎、沖縄への修学旅行に全員が参加する。そこには、単なる「旅行」に終わらせたくないとの思いがある。同校校長の平塚敬一さんは、「単に戦跡を見て回るだけでなく、その中から何かを見出し、自分なりに平和についてどう貢献できるかということを、その後の人生の中で追究し続けてほしい」と語る。

 11月1日の130周年記念礼拝では、審査によって選ばれた受賞者への表彰式が行われ、平塚校長より賞状と記念品が贈られた。今回の募集要項には、「一般論や抽象論ではなく、しなやかで鋭い視点を持った提言が求められています」とある。受賞した作品は、12月半ばにも提言集「戦いのない時代にするために」としてまとめられ、広く学外にも配布していくという。平塚さんは、「一部の関心のある子どもたちだけではなく、できるだけすそ野を広げていきたい」と、今後の展開に期待を寄せる。

 最優秀賞に輝いたのは、中学2年の芝尾蘭さんと、高校3年の奈良沙紀さん。「これまでは漠然としか考えたことがなかった」と話す芝尾さんは、学校で聞いた先生の話や、広島の原爆資料館を訪れた体験などを織り交ぜながら、自分には何ができるかとの思いをつづる。その末尾は、「聖書では、小さなことにこそ偉大な力があるといっています。……大きなことは出来なくても、小さなことなら出来ると思います」と結ばれている。
 奈良さんは、祖父がたったひと言語ったという戦争体験をもとに、加害・被害の連続性から人間の罪の問題にまで迫る。「戦争を続ける大人に対しては?」との質問には、「大人が教えなければいけないことがたくさんあるのに、それが伝えられていない」と鋭い答えが返ってきた。「自分の子どもにはしっかり伝えていきたい」と頼もしい。
 戦地に赴いた弟の安否を気遣い、「君死にたまふことなかれ」と歌った与謝野晶子の娘は、同学院の卒業生。彼女らの中から、「現代の与謝野晶子」が生まれる日もそう遠くないかもしれない。

■奈良さんの提言「平和憲法という地図をその手に」より
 戦争についてひとつでも多くのことを知ろうとするのは素晴らしいことだと思う。しかし多くを語らずとも、伝わることもあるのだ。戦争のことを知ることも大事だが、それだけでは意味がない。伝えるべきものは知識ではなく、平和に対する思いのはずだ。学ぶべきことは教科書の文字列ではなく、胸のうちに揺れる炎のようなもののはずなのだ。平穏な生活の中にあって、私たちはそうしたことを忘れがちである。豊かな生活は私たちが幸福で、平和な場所にいるのだと錯覚させる。私は戦争についてそれなりに知っているつもりだった。しかし祖父のたった一言の嘆きを聞き、視界が開けた気がした。そして私はようやく気付く。私はずっと、ゴルゴダの丘に立っていた。


2007.11.24 キリスト新聞記事



■2007.10.31
 殺してはならない 
9条アジア宗教者会議 実行委員に聞く(中)
 石井摩耶子さん(日本YWCA会長)



▲「神さまに促されているので、あきらめません」



 石井さんは10月末、エジプト、ヨルダン、パレスチナのアラブ3国を訪問してきたばかり。このプログラムは、国連に連なる女性NGO団体が互いに交流を図る目的で毎年行われているもの。
 訪問した国々では、特に平和憲法を世界に広げたいと、英語入りの「9条カード」を配ってあいさつした。「わたしたちには、単なる理想ではなく、これこそが現実にならなければ真の平和は実現できないということを知らせる役目がある」と石井さん。
 エジプト、ヨルダンでは高い関心が寄せられた。特にイラクやパレスチナと隣接し、人口の4割に上る難民を抱えるヨルダンにとって、平和の実現は切実な課題である。「ぜひ日本の平和教育について教えてほしい」「9条の条文を知りたい」との声もあった。
 他方、パレスチナでは厳しい現実にも直面した。いつ侵略されるか分からないという緊迫した状況下、面会した自治政府・女性庁の副長官からは、「わたしたちにとっては完全な独立こそが願い。ぜひ世論に働きかけてしてほしい」と訴えられたという。

 現地では、他宗教同士が協力し合う場面にも触れることができた。YWCAのスタッフはキリスト者、難民キャンプの人たちはイスラム教徒という場合がほとんど。彼らは、「宗教においては兄弟だ」とし、信教の自由を認め、助け合っている。
 「苦難の中にある人たちは、宗教を超えて一つになれるということを、この目で見てきた。平和のためにも一つになれるということを、この会議で実感できるはず」。まだ帰国後の興奮が冷めやらぬ石井さん。今回の会議を成功させたいとの思いも、ますます強くしたという。

 日本YWCAは、かつて国の政策に追従した反省に立ち、1950年代半ばから一貫して平和への取り組みを続けてきた。特に侵略戦争の傷が根深く残るアジアでは、同じ立場で平和のために活動できるかどうかが長年の課題となってきた。戦後60年を過ぎ、くり返し謝罪を続ける中で、ようやく植民地下にあった国々とも手を結べるようになってきた。歴史を学ぶ中で宗教者のあり方を問い続けてきた石井さんは、一人のキリスト者としてだけでなく、こうした先人たちの思いを受け継ぐという責任も感じている。
 「心の平安は、決して座して祈るだけで与えられるものではない。社会関係の中でこそ人は生きている。イエスはその中に、仲立ちとして立っておられる。肉体的、精神的暴力によって傷つけ合うという関係をなくすための努力が、宗教者一人ひとりにも課せられている」。
 時代が日増しに悪くなっていると焦りを感じることもあるが――。「自分が何かをするという前に、神さまによって促されてしているとの思いがある。だから希望を捨てず、決してあきらめない」。
 そう語る石井さんの言葉には、信仰に裏付けられた揺るぎない思いが溢れていた。

2007.11.17 キリスト新聞記事



■2007.10.26
 100年の時を超えて

 東京・雑司が谷旧宣教師館 今日に語りかけるメッセージ


 
▲現在の旧宣教師館(左)と帰国前後のマッケーレブ



 豊島区雑司が谷。閑静な住宅街に、ひっそりと建つ白塗りの洋館がある。アメリカ人宣教師ジョン・ムーディー・マッケーレブ(1861〜1953)の自宅として建てられた、区内最古の近代木造建築である。築100年を迎えた今年、この旧宣教師館では、新たにマッケーレブが愛用したベッドや仲間の女性宣教師が使用したオルガンが公開された。困難な時代、日本での働きに生涯を捧げた無名の宣教師たち。今なお生き続ける彼らの遺志を求めて、雑司が谷を訪ねた。

 同館は、19世紀後半のアメリカ郊外住宅を模した様式を基調とする質素な木造2階建ての住宅で、「上げ下げ窓」や「玄関ポーチの方杖」など、細部のデザインにはゴシック様式が用いられている。
 1982年に建築業者が買い取り、マンションの建設計画が持ち上がると、地域住民や建築学界が保存運動を展開、これを受けて同年に区が取得、保存修理工事を経て89年に一般公開された。現在は地域文化を知るための展示・講座などさまざまな催しを開き、区民の文化交流の場として活用されている。

 マッケーレブはテネシー州ナッシュビル郊外、敬虔なクリスチャンの農家に6人兄弟の末っ子として生まれる。27歳でケンタッキー州レキシントンのカレッジ・オブ・ザ・バイブルに入学。ここで出会った宣教師アズビルの勧めにより日本伝道を決意し、新婚の妻デラと1892年に来日。神田、四谷、小石川などで、伝道活動やスラムに住む人々の生活改善を目的とした慈善事業、託児教育に従事した。
 その後マッケーレブは、日本の将来はキリスト教精神に基づく「青年教育」にかかっていると考え、1907年、築地の家を売却。その資金で雑司が谷に全寮制の「雑司ヶ谷学院」を開校、同時に現在地へ住居を建築し移り住む。開校当初、寮生13人、通学生5人が在籍し、昼間はそれぞれの学校に通い、夜間は同校で英語と聖書を学んでいた。マッケーレブと親交のあった徳富蘆花や画家の東郷青児、初代忠犬ハチ作者の彫刻家、安藤照など、芸術家や財界人の出入りも多かったという。
 しかし、1923年の関東大震災で校舎の一部が損壊すると、資金的困窮や青年教育への失望もあり、学院を閉鎖。校舎を売却した資金で「雑司が谷幼稚園」を創設、幼児教育にも力を注いだ。
 この宣教師館は、明治末期から日米開戦で帰国を余儀なくされるまでの34年間にわたり、マッケーレブの日本における宣教活動の拠点となった。

 平和を愛したマッケーレブは、独立記念日に米大使館へ招かれた際、「わたしの国籍は天国にある。アメリカではない」と断ったという。幼稚園の子どもたちには兵隊ごっこもさせなかったという徹底ぶり。「あなたがたは戦争に行ってはいけない」とも教えていた。南北戦争によって、良心的兵役拒否者だった父を生後6カ月で奪われたマッケーレブにとって、それは譲れない信念だった。
 厳格なピューリタンでもあった彼は、私生活でも自らに厳しく、たとえ来客中でも時間が来れば昼寝をしたとの逸話もある。他方、金品を持ち逃げされたり、借金を肩代わりするはめになったりなど、人の良さにつけ込まれ損害を被ったことも多々あった。さまざまな困難を乗り越え、それでも彼をこの地に留まらせたものとは――。



 このたび公開されたマッケーレブ愛用のベッドは、サンフランシスコで彼と遭遇し親交を深めた石川角次郎(聖学院の初代校長)から贈られたもの。マッケーレブの死後、同じ「キリストの教会」に属する野村基之さん(甲斐小泉キリストの教会伝道者)によって、他の遺愛品とともに日本に引き取られた。今年、渡辺進さん(持田製薬株式会社相談役)の厚意もあり、修復作業を経て当時の姿がよみがえった。100年の時を超え、マッケーレブの抱いた日本永住の願いがこうして実現することとなった。
 学芸員として同館に勤める濱地眞実子さんは、「訪れる人がこれを見ることで、当時の教育者と宣教師が同じ使命感と情熱を持って日本の近代化に尽力したということを感じてほしい」とその歴史的意義を語る。

 戦前に建てられた洋風の宣教師館は、今では数少ない貴重なものとなった。聖学院の本部本館として用いられてきた「旧宣教師館」は05年、女子聖学院の新校舎建築に伴い解体。今年9月には、立教大学構内の「校宅11・12号館」が、学部新設などに伴い解体された。都内に現存するのは同館のほか、明治学院大学のインブリー館を残すのみとなった。
 約50年間、日本のために尽くしたマッケーレブ。彼の遺したものは、移り変わる時代の中で、今なお多くのメッセージを語りかけている。

2007.11.17 キリスト新聞記事



■2007.10.24
 殺してはならない 
9条アジア宗教者会議 実行委員に聞く(上)
 山本俊正さん(日本キリスト教協議会総幹事)



▲「顔の見える関係が平和の基礎」



 日本・アジアの宗教者が集い、「非暴力の現場」から憲法9条をテーマに平和への思いを語り合う「9条アジア宗教者会議」(同実行委員会主催)が、YMCAアジア青少年センターを会場に、11月29日から12月1日までの日程で開催される。
 「戦争をする国」への法制化が着々と進められる中、非暴力による平和の実現を目指し、憲法9条をアジアや世界に発信しようと、日本の宗教者たちが参加を呼びかけている。キリスト教界からも、教派を超えて38人の指導者らが呼びかけ人として名を連ねた。
 実行委員として尽力する3人に、開催に向けての思いを話を聞いた。

 日本キリスト教協議会(NCC)の提起で実行委員会を発足。アジアキリスト教協議会(CCA)などを通じた呼びかけに応え、韓国、台湾、香港、フィリピン、インドネシア、シンガポール、マレーシア、インドから、またアジア以外のアメリカ、スイス(世界教会協議会=WCC)、ドイツからも宗教者が参加する。
 「『殺してはならない』や『不殺生』など、命を大切にするという宗教者としての基本に忠実であろうとすれば、憲法9条が大事だというのは必然的な結論になる。特に、平和をつくり出す者として歩んでいくということが、戦争に協力した過去を持つ日本のキリスト者に与えられた大切な課題」。
 NCC総幹事として海外を訪れる機会の多い山本さんは、改憲の動きを懸念するアジアの視線をひしひしと感じてきた。「アジアの人々にとって9条は、日本が戦争をしないという歯止めになっている。ある意味で、『生命保険の特約』のようなもの。それがなくなるかもしれないという危機感は、日本人以上に持っている」と話す。

 「武力で平和は作れない――」。しかし、教会の中にも「9条は理想に過ぎず、非現実的」「時代に合わない」との声はある。「理想を掲げて、それに向かって現実化していくことが重要。聖書の記述も今の時代に合わないから、書いてあることは無視して現実主義でやっていけばいいということにはならない。理想を曲げたら、キリスト教も憲法も存在する意味はなくなってしまう」と山本さん。また、「政治には口を出すべきではない」との声には、「社会全体として罪を犯す危険性に対し、キリスト者が自分のことだけ考え、それらの問題を放置してはならない」と答える。

 「宗教者九条の和」の設立にも携わり、院内集会や国会前で発言することもしばしば。その原点には、学生時代の体験がある。
 「国際キリスト教青年交換」というプログラムで、インドネシアに約1年滞在。訪問先のセレベス島・マナードという小さな町は、第二次大戦時に日本軍がしばらく統治した場所だった。ホストファミリーの母は当時のことをふり返り、「日本軍がいた頃、女性は隙があるとすぐにレイプされたので、顔に泥を塗ったり汚い格好をしたりして襲われないように身を守った」と話してくれた。温かく迎えてくれた現地の人々の背後に、暗い影を落とす戦争の歴史があること、癒されない傷が残っていることを実感した。再び日本軍がアジアの国々に侵略するようなことがあれば、自分がお世話になった家族や友人が傷つくことになる。それだけは絶対に避けたいという思いが、根底にある。

 今回の会議でも、アジアの人々との交流が、改憲の動きを止める原動力になると期待を寄せる。
 「政府と政府のつながりが太いパイプだとすれば、人と人とのつながりはいつ消えるか分からないような細いパイプかもしれない。でも、教会や市民団体、学校など、さまざまなレベルでお互いの顔の見える関係を築いていくことが、遠回りかもしれないが平和の基礎になっていく」。

2007.11.10 キリスト新聞記事



■2007.10.19
 アフガン韓国人拉致 事件から3カ月
 その時、家族の苦悩は――義兄の妻が人質に



▲パク・スキルさん



 アフガニスタン東部ガズニ州で韓国人がイスラム原理主義勢力タリバンに拉致された事件から3カ月。人質となった23人のうち、牧師を含む男性2人の尊い命が犠牲となり、女性2人が入院、他のメンバーは42日ぶりに解放された。事件はその後も、教会の宣教姿勢をめぐり国内外で大きな波紋を呼んでいる。
 この事件は、韓国の教会にどのような課題と教訓を残したのだろうか。人質の1人だったソ・ミョンファさん(29)は、キリスト品川教会の牧会スタッフであるファン・ユンシックさんの義兄の妻。事件発生から解決までの一部始終を見守った被害者の親族として、ファンさんに当時の心境を聞いた。

■生きて帰ってほしい

 ファンさんは9月下旬、韓国のお盆休みにあたる「チュソク」で実家に帰省したミョンファさんと、解放後初めて電話で話すことができた。体調を気遣う問いかけに返ってきたのは、「今はすべてのことに感謝している」との答え。彼女は医療宣教に関心を持ち、医科大学の看護学科に入ってからは毎年中東やアフリカなどの地を訪れていた。自身の貴重な体験を共有したいと、今回は弟のギョンソクさん(27)も誘ったという。
 親戚からの一報で事件を知ったというファンさん。「初めは信じられなかった。アフガンへ行くという話は聞いていたが、まさか事件に巻き込まれるとは……」とふり返る。その日から、長い長い42日間が始まる。特にミョンファさんの義妹にあたるファンさんの妻イさんにとっては、毎日が緊張の連続だった。ニュースから一時も目を離せない状況が続いた。
 その間、毎週の礼拝や祈祷会を通して教会員が熱心に祈り続け、また励ましの手紙も送ってくれた。後で知ったことだがこの祈りの輪は、同教会に留まらず、他の教会員にも広がっていたという。

■メディアの暴力

 事件発生後、韓国では世論を二分する議論が巻き起こった。渡航自粛要請にもかかわらずメンバーをアフガンに派遣したことに対し、教会を批判する声が上がったのだ。
 しかし、被害者の親族が最も心を痛めたのは、まだ人質が解放されないうちにそうした議論が展開されたことだった。ファンさんは言う。「まずは生きて帰ってほしいというのが家族の思い。身内にとっては、宣教を改めて考えようという公の発言自体が苦痛だった」。
 2004年に起きた日本人の人質事件では「自己責任論」がふりまかれ、猛烈なバッシングが被害者とその家族らを襲った。当時韓国のメディアは、一様にこうした世論を批判的に見る記事を掲載した。しかし、韓国でも現に似た事態が起こった。被害者の家族会には、脅迫の電話もかかってきた。「メディアによる言葉の暴力の怖さを感じた。物事の一面だけを捉え、偏った情報を流すことでもたらされる被害は大きい」と語るファンさんは、事件以後、報道を鵜呑みにすることはやめようと固く誓った。

■得られた教訓

 その上で、今回の経験を牧会の働きに生かしていきたいと話す。「言葉の大切さ、特に相手の生きた物語≠ノ配慮しながら言葉を発することが大事だということを学んだ」。同時に、「韓国の教会は、宣教のあり方について多くの教訓を得た。確かに相手国への配慮は必要。しかし、宣教を止めるとか、危ない地域は除くという選択肢はあり得ないのではないか」とも――。センムル教会では長年、 他の国々にも宣教が行われてきた。アフガニスタンへの派遣も、今回が初めてではない。
 同じく、日本から事件の推移を見守った在日コリアンはこの事件をどう見たのか。在日大韓基督教会総幹事のパク・スキルさんは、「奇しくも教団・教派を超えて共に祈り合い、教会の福音理解が深まるきっかけにもなった」と、人質解放を求めて広がった連帯の動きを評価する。メンバーが属していたセンムル教会(高神派)とは流れを異にする韓国基督教教会協議会(KNCC)も、解放を求める声明を出した。日本国内をはじめ、在米コリアン教会にいる知人からも祈りを求めるメールが送られてきたという。「牧師の死は崇高な死として受け止め、決してその血を無駄にしないよう、その熱い思いをいかに生かしていくかを考えるべき」とパクさん。
 他方、国内で教会が批判されたのにはそれなりの理由があると指摘する。「教会が自らの勢力拡大のみを考えてきたため、外からは社会に対する還元が見えてこなかったのではないか」。そういう面では自己反省が必要だという。さらに「国際関係においては、平和をもたらすような宣教政策が必要」と強調した。

■解放――その後

 KNCCや韓国キリスト教総連合会などのキリスト教団体は、人質解放の条件である「宣教活動の中止」を受け入れた政府の方針に従うことを明らかにした。また、プロテスタント系指導者13人は9月6日、「(海外宣教で) 優越的、征服的、排他的、一方的態度を取ったことがなかったわけではない」とそろって謝罪し、教会の自省を求める声明を発表。センムル教会は、韓国政府より航空運賃や宿泊料金など合計で約6千万ウォン(約760万円)の請求を受け、「教会は返金の約束をしており、内容を確認してから支払う」との姿勢を明らかにした。

■残された課題

 韓国世界宣教協議会によれば、韓国の教会は現在、全世界173カ国に1万6千人以上の宣教師を送り出している(06年末)。この数は米国に続いて世界第2位。しかし、多くの宣教師が進出した結果、一部では韓国人宣教師同士の競争が過熱していると指摘する声もある。かといって、宣教が困難な地域での働きは不要なのか。そして日本の教会は――。本紙調べでは、07年現在、国内55の教派・団体から250人以上の宣教師が海外へ派遣されている。
 今回の事件は、一教会だけの問題に留まらない。キリスト教界全体に対し、多くの問いを投げかける結果となった。

2007.11.3 キリスト新聞記事



■2007.10.12
 妥協の産物的面も 沖縄から見た日本国憲法


 
▲県民大会を報じる地元紙を背に語る饒平名氏(左)



 日基教団東京教区北支区教育部・社会部・沖縄委員会は10月12日、信濃町教会(東京都新宿区)で、饒平名長秀氏(沖縄バプテスト連盟神愛教会牧師)を招いて講演会を開催した。
 「沖縄から見た日本国憲法」と題して講演した同氏は、収奪されてきた琉球の歴史を概観しながら「軍隊は本質的に住民ではなく天皇を守るためのもの。これが、沖縄人が血をもってあがなった認識」と指摘。憲法の制定過程で一番問題になったのは天皇の地位であり、その意味では「現憲法も妥協の産物的な面が免れない」と述べた。また、戦後キリスト教関係者が天皇を免責し、その地位を守るために奔走したことにも言及。さらに「沖縄にとって天皇は、究極的にはどうでもいいこと」と強調した。
 「日本の非軍事化と沖縄の軍事化はセットだった。沖縄の犠牲なくして憲法9条はあり得なかった」と語る饒平名氏。本土の護憲運動には複雑な思いがあるという。「日本が9条を固持すればするほど沖縄は軍事化される。もちろん改悪には反対だが、必ずしも同じ思いではない」として、日本に幻滅していった沖縄の視点について紹介。「今も軍事植民地下にあり被害が続いている沖縄にとって、憲法はフィクションである」と述べた。
 また、「軍隊、国家の本質を理解しなければ、真の意味でそれに対峙する理論や行動は生まれてこないのではないか」と問いかけ、基地問題についても「阻止行動は大事だが、それだけでは国家に対峙できない」と提起。
 最後に、具体的な運動のあり方として「牧師としてはみ言葉を語るのが基軸。具体的な方策は、それぞれがそれぞれの場で模索していくしかない。わたしの守備範囲は、その筋道を明確に語ること」とした。

2007.11.3 キリスト新聞記事



■2007.10.1
 日本の教会に学ぶ ハイデルベルク神学寮生ら来日
 熱心な礼拝・心温まる愛餐


 
▲互いの教会の現状を学び合う日独の神学生ら(左)と西本願寺での研修の様子



 ドイツの教会が危機に瀕している。人々の教会離れ、財政難、価値観の多様化、個人主義による共同体の崩壊、他宗教の流入――。ドイツはもはやキリスト教国ではなくなりつつあると指摘する声もある。
 ドイツ南西部ハイデルベルク。その神学寮に住むハイデルベルク大学神学部の学生ら11人と寮長である牧師1人の計12人が、9月26日から10月10日まで、日本のキリスト教、宗教、伝統文化を学ぶために来日した。

 一行は研修中、日基教団新松戸幸谷教会(吉田好里牧師)と同教団西千葉教会(木下宣世牧師)で、日独双方の形式により主日礼拝を共にした。
 ドイツの学生は、「教会が小さいにもかかわらず、信者が篤い信仰を持って祈り合っていることに感銘を受けた」「日本の教会はオープンだと感じた」とその体験をふり返る。特に教会で礼拝後にもたれた愛餐会は心温まるものだったという。礼拝が終わるとすぐに帰宅するため、お互いのことをよく知らないというドイツの教会にとっては、特異なことのようだ。
 広島では、日基教団広島流川教会(森澤一由牧師)にも訪れ、被爆した十字架の前で被爆者のための祈りをささげたほか、原爆資料館も見学した。

 宗教間対話が研修の目的として明確に位置づけられていることも興味深い。関西では、天理教、浄土真宗(西本願寺)、禅宗(天龍寺)の施設で研修を行った。特に天龍寺での座禅体験は、西洋とは異なる東洋の霊性を知る貴重な機会となった。引率したヴァルター・ボース牧師はその意義についてこう語る。「これからの時代、必ず他宗教について学ぶ必要がある。ドイツの教会が受けている一つの挑戦は、まじないや瞑想などを取り入れた混淆主義(シンクレティズム)の流行である。多宗教社会の中で宣教を続けてきた日本の教会にこそ、学ぶべきものがある」。

 日本聖書神学校(東京都新宿区)では、同校の神学生と意見交換の場が設けられ、お互いの教会の将来について意見が交わされた。
 ドイツ側からは、ドイツ福音主義教会(EKD)が抱える深刻な問題――「教会脱会者の増加」と「高齢化による財政危機」について報告がなされた。東西ドイツの統一以来、2004年までの14年間で約400万人の教会員(EKD所属)が教会を辞めており、洗礼は25%減少。今日、ドイツ全体で約100万人が日曜の礼拝に訪れ、またラジオやテレビを通して礼拝に参加する人もいるが、その率は人口の4%に満たない。教会は、人々の人生の同伴者としての役割を実質的に失っているのだという。
 これらの事態を打開する対処法として、「節約」と「勧誘」の2つを提起した。教会の統合合併、人件費の削減、チャペル・集会所・事務所・牧師館などの売却、牧師の数の再検討、さらには、多様な礼拝形式や信仰講座の提供など、具体的な方法についても提案された。

 「信者が熱心に礼拝に通う日本の教会状況に、わたしたちは憧れます」との言葉には、日本側から驚きの声も。日本の神学生は、「共通の問題が多いことに驚いたと同時に、日本とは異なるベースを感じる」と感想を述べた。
 「少数派の教会がどのような現状にあるか学びたかった」と参加した動機を語るミリアム・ヤコブさんは、「『地の塩』が日本にはある。(少数派の)日本においてキリスト者であるということは、『完全に』キリスト者であるということ。それは、わたしたちドイツに必要なこと」と語った。

 通訳として研修に同行した吉田新さん(ハイデルベルク大学神学部博士課程)は、旅行をふり返り今後の展開に期待を寄せる。「『エキュメニズム』や『宗教間対話』は、机上の空論ではなく人々との『出会い』を通して生まれるということを知った。このような研修旅行が今後、日独両国の多くの教会で行われることを強く望む。宗教指導者、学者間の交流はこれまで十分に行われてきたが、若い人たちの顔の見える交流をさらに盛んにすべきである。そのための財政的な援助を惜しんではならない。それが将来のキリスト教会にもたらす益は計り知れない」。

 教会の危機は決して他人事ではない。日本の教会はともすると少数であることに萎縮し、その特性や「良さ」を見失いがちである。ドイツの教会とはその背景を異にしながら、共有できる課題が少なくない。こうした相互の学び合いを通し、自らの教会の見直しと再評価が求められている。

2007.10.27 キリスト新聞記事



■2007.9.29
 独立伝道会 “9条”は空想的か
 西川重則氏が憲法講演



▲講演する西川氏



 キリスト教独立伝道会は9月29日、プロミティふちのべ(神奈川県相模原市)で講演会を開催し、西川重則氏(平和遺族会全国連絡会代表)が「憲法とどう向き合う」と題して講演した。
 同氏は「9条は空想的平和主義ではないかとの論理を、キリスト者の立場から警告して跳ね返す必要がある」と述べ、「徹底して聖書に学び、イエス・キリストに従って、丁寧に謙遜に確信をもって語るのがキリスト者の立場」とした上で、天皇の戦争責任、憲法の成立過程、日米安保の問題などに触れ、歴史から学ぶことの重要性を強調した。
 また、キリスト者も深く関わっているアメリカの憲法や国連憲章について、「武力による安全保障論を日本は共有できない。国連憲章の前文は非戦を謳っているが、7章以下は同じ論理で書かれている」と指摘した。
 一方で、「アメリカにも国境を越えて連帯できる市民運動がある」とし、「キリスト者は国際連帯的な平和をつくるためにいい意味でのリーダーシップを取ることができる」と語った。
 最後に、「戦争の最初の犠牲は『真実』」「不断の警告は自由の代償」という2つの言葉を紹介し、「絶望する暇はない。言うべき言葉を絶えず言い続けよう」と訴えてしめくくった。

2007.10.20 キリスト新聞記事



■2007.9.29
 「21世紀の伝道担う」青年の集いに148人


 
▲講演する近藤氏(左)



 21世紀の日本伝道を担う青年の集い(同準備委員会主催)が9月29日、東京神学大学(東京都三鷹市)で、行われ、61教会から148人が参加した。
 開会礼拝で説教した近藤勝彦氏(同大教授)は「主ご自身、試練を受けて苦しまれたから」と題し、自身が献身するまでの経緯を証した。同氏が初めて教会の門を叩いたのは、父の死後3年目のこと。当時、最大の関心事だった「死よりも確かな真実は何か」の答えを求めて教会に行ったという。
 洗礼を受けたいと願いながら神学生相手に議論を挑んだこと、家出をして教会の一室から大学に通ったこと、人生の悩みに直面し会堂で毎晩祈ったことなどの体験を紹介し、「悩み多き青年期に、キリストのものとされた自分として祈り考えることが重要。一度は伝道者として召されていないか考えてほしい」と、参加した青年に呼びかけた。
 講演の後には、「神学生の生活と学び」「青年会」「社会生活と教会生活」などの分団に分かれて懇談。中高生によるグループも設けられた。また、小友聡氏(同大教授)による旧約聖書神学の模擬授業も行われた。
 今年で9回目をむかえるこの集いは、都内6教会の牧師らが発起人となり1999年に開催。以来、毎年開催されている。

2007.10.13 キリスト新聞記事



■2007.9.28
 横浜米軍機墜落 30年前の被害を今に
 田園江田教会 会堂内で写真展


 
▲教会の一角で催された写真展(左)と「沖縄の会」のメンバー



 1977年、米軍機が横浜市緑区(現青葉区)に墜落し母子3人が犠牲となった事故から30年を迎え、同市では9月末までに犠牲者を追悼するさまざまな催しが行われた。墜落現場に近い日基教団田園江田教会(宗野鏡子牧師)では、教会員の有志による「沖縄の会」が会堂の一角を利用してこの「事件」を記憶する写真展を開催した。今なお米軍機がわがもの顔で飛び交う日本。その危険と隣り合わせにある横浜の教会を訪ねた。

 9月29日には、青葉区内でメモリアル集会が開かれた。集会では、事故で妻の悦子さんが大やけどを負った椎葉寅生さんや、事故を題材にした絵本『パパママバイバイ』の著者で作家の早乙女勝元さんが講演。
 この集会に併せ、より多くの人に事故を知ってもらおうと、9月2日からの1カ月間、同市緑、青葉、都筑の各区役所などで写真展が開催された。「沖縄の会」は、この写真展の新たな会場として名乗りを上げた。
 今から30年前。事故が起きた瞬間、辺り一帯に爆音が響き渡り、約1`離れた同教会からも黒煙が見えたという。

 会堂の1階廊下に設営された写真展は、9日から日曜ごとに4回開催。写真家・内藤嘉利さんが撮影した事故現場や被害者の生々しい写真に、手書きの説明が添えられた。付属幼稚園に通う子どもの親や日曜学校に通う子どもたちを含めると、200人以上の人がこの写真展を目にした。事故のことは知っていたが、その後の裁判や被害の実態、いまだ真相が明らかになっていないことなどについては初めて知ったという教会員もいた。

 主催した「沖縄の会」は、沖縄の問題を通し平和について学んできた。同会は1998年、神奈川教区主催の講演会をきっかけに、同教会の有志で発足。氣賀健生さん(青山学院大学名誉教授・現江田都筑伝道所会員)らが、沖縄の歴史や芸術、文学をはじめ、靖国問題、教科書問題、教育基本法などについて学びを深めてきた。毎月1回平均10数人の小さな集いながら、すでに87回を重ねている。最近では、若い教会員も関心を持って参加してくれるようになったという。会長役などはなく、あくまで自由参加が原則。

 今回の新しい試みについて、メンバーの一人は「初めは無理だと思っていた。実現できたこと自体、不思議な気がする」とふり返る。長老の中には反対意見もあったが、実現にこぎつけたのは「会自体があくまで信仰的な立場から取り組んできた成果だろう」と氣賀さん。その原点は、ペトロの手紙一・3章8〜12節の聖句。
 「今回の成果から何が生まれてくるか。それはこれから」。主催者一同、確かな手応えを感じている。

 米軍機の墜落事故といえば、2004年8月、沖縄国際大学キャンパス内でのヘリ墜落事故が記憶に新しい。横浜での事故以後も米軍機は住宅地の上空を飛び続け、同様の事故や米兵による犯罪も後を絶たない。今月5日には、米軍の艦載機による代替訓練が厚木基地で予定されていることが明らかになり、県と周辺自治体が中止するよう要請した。この国は、過去の「事件」から何を学んだのだろうか。そして、キリスト者にとっての基地問題、日米問題とは――。

2007.10.20 キリスト新聞記事



■2007.9.24
 「慰安婦」元衛生兵の牧師語る
 戦争の実態まざまざ 「敵性宗教か」に「はい」


 
▲講演する松本氏(左)



 戦時下の従軍「慰安婦」について、軍の関与や強制連行の事実は「証明できない」などとする「歴史修正主義」が台頭する中、日本兵として従軍し、戦争の実態を目の当たりにしてきた松本栄好氏(日本キリスト教会隠退牧師)が9月24日、日本キリスト教会南浦和教会で証言した。同氏は1922年、福岡生まれ。21歳で入隊し、翌年中国・山西省孟県へ赴く。衛生兵として「慰安婦」の性病検査にも携わった。
 この集会は、日本キリスト教会日本軍「慰安婦」問題と取り組む会が主催したもの。松本氏は、「『慰安婦』問題と戦争」と題する講演の中で、自らの信仰歴を交えながら戦時体験について静かに語った。太平洋戦争の最中に求道を始めたという同氏は1942年、日本基督教会柳川教会で洗礼を受け、同年に徴兵された。
 ある時、牧師夫人が「松本さんを戦地に送らないでほしい。彼のような青年を戦争で殺すのは国のためにならない」と中隊長に嘆願した。また、戦地へ赴くことが決まった時、教会での壮行会で「この戦争は必ず負ける。何が何でも生きて帰って来い」と言った牧師の言葉は、終生忘れることができないという。日本の教会が次々と戦争へ加担していった時代のこと。「これは入隊してから受けた牧会だと思っている。青年を育てるとはこういうことだ」と力説した。
 牧師夫人からもらった小さな聖書は、今でも肌身離さず持っていると松本氏。出征後、私物検査でその聖書を見つけられ、「適性宗教の信者か」と怒鳴られたが、こちらも負けずに大声で「はい」と答えると、「誰にも言うな」と黙認されたという。
 1944年に派遣された孟県は、映画「蓋山西(ガイサンシー)とその姉妹たち」(班忠義監督)の舞台ともなった所。村に侵入して誰もいないと、兵隊がまず口にする言葉は、「娘はおらんのか」だった。逃げ遅れた8人の女性を兵舎に閉じ込めたこともある。衛生兵の役目は、性病検査。兵隊の衛生管理のために、コンドームを配るのも仕事だった。1千人ほどの大隊に6、7人の「慰安婦」がいたが、実際には将校や下士官のために集められ、下級の兵隊たちは接触できなかった。ある時は、民家に押し入ろうとした同じ部隊の兵士が、戸を空けた途端に仕掛けられた爆弾で爆死した。
 戦後、国会に提出された靖国法案の第一条は、「英霊の偉業」を永遠に褒め称えるというもの。当時、同氏が先頭に立って反対した背景には、「こんなことが偉業か」との思いがあったという。
 松本氏は言う。「問われているのは日本人のモラル。天皇制が維持されている限り、その再生はあり得ない。……モラルを構築できていくものは聖書しかない。わたしたちはキリストの体なる教会の手足として、この日本の只中に派遣されている。その使命は重い」。
 会場からは、松本氏とほぼ同年齢で、似た境遇を経験したという渡辺信夫氏が発言。「(戦時中の)わたしは、天皇制と妥協した名ばかりのクリスチャンだった。キリスト教は、信仰を貫いて言い表す者を生み出してこなかった。再び同じ過ちを犯したら、今度こそ日本のキリスト教は意味を持たなくなる」と語った。
 年々減り続ける「歴史の証人」から、日本の教会は何を学ぶべきなのか。残された課題はあまりにも大きい。

「慰安婦」「集団自決」をめぐる最近の主な出来事

05年4月 中学校の教科書検定で、「従軍慰安婦」の記述が全教科書の本文から削除。
05年8月 「集団自決」の記述をめぐり、大江健三郎氏と岩波書店が提訴される。
06年6月 上田清司埼玉県知事が、県議会本会議で「『従軍慰安婦』はいない」と発言。
07年1月 「従軍慰安婦」番組訴訟で、東京地裁がNHKに賠償命令。
07年3月 安倍首相(当時)が「(慰安婦の)強制性を裏付ける証拠はない」と発言。
     高校の教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」に軍が関与したとの記述が削除。
07年6月 日本の議員らが米紙に、「慰安婦」動員で強制はなかったとする全面広告を掲載。
07年7月 米下院本会議が、日本政府に元「慰安婦」への公式な謝罪を求める決議を採択。

2007.10.13 キリスト新聞記事



■2007.9.8
 中国宣教200年 「共に学ぶ会」がミニシンポ
 “三自”の歴史を教訓に


 
▲(左から)松谷、金、守部、深澤の各氏



 中国の過去と現在に関心を持つキリスト者有志による「共に学ぶ会・中国のキリスト教200年」は9月8日、日基教団信濃町教会(東京都新宿区)で、ロバート・モリソン中国渡来200周年を記念する講演会とミニシンポジウムを開催した。同会はこれまで、中国のキリスト教についての研究発表や学習交流会などを行っており、今後10月から12月にかけて月1回の連続講座を開講する。
  「中国のプロテスタント200年を概観する――中国近現代史との関連で」と題して講演した深澤秀男氏(岩手大学名誉教授)は、ロバート・モリソンの宣教以来200年の歴史をふり返り、その時々の情勢とキリスト教との関わりを、研究者による論文などを紹介しながら解説した。
 講演に続いて、渡辺祐子氏(明治学院大学准教授)の司会のもと、守部喜雅(クリスチャン新聞編集顧問)、金斗賢(東京神学大学学生)、松谷曄介(日基教団八幡鉄町教会伝道師)の3氏がパネリストとして発題。
 守部氏は、これまでの中国との関わりの中で、「国を愛する教会形成に協力せよ」との命令に反対して投獄された牧師、王明道が「日本の牧師が交流を絶っていた占領下にあって、矢内原忠雄と塚本虎二の2人は慰めに来てくれた」と話していたという逸話も紹介。
 「わたしたちが何かを『与えなければならない』という時代ではない。むしろ中国の教会に学び、仕える働きに徹するべき」と訴えた。
 金氏は、中国のキリスト教の現状について、「家の教会に集まる人々には、初めから家の教会に伝道された人、三自愛の教会が遠くて通えない人など、さまざまな理由がある。三自愛との交わりもある。駐在員や留学生が集まる外国人の教会も増えている」と語った。また、若い人がキリスト教に関心を持つ理由について、「共産主義に代わる新しい価値観、精神性を与えるキリスト教の魅力にひかれているのではないか」と分析した。不足している伝道の働きとして、「指導者用のテキスト」「ラジオ伝道番組」「専門知識・技術を持つ宣教師」「海外に留学・滞在する中国人への伝道」を挙げた。
 松谷氏は、東亜伝道会の教会位置を示す地図や、華北中華基督教団本部の人員表などを示しながら、中国でも日本と同じように合同教会が作られた歴史に言及。「戦争責任についての評価は難しいが、中国のキリスト教会が当初目指していた『三自(自治、自養、自伝)』の概念が、戦時中それを助けようという口実として日本側に利用された。教会が伝道する際に、『自ら養う』という理念が、歴史の中でどのように作用してきたのかが今後の研究課題になるのではないか」と述べた。

キーワード
 ロバート・モリソン(1782〜1834)=イギリス生まれの宣教師で、若くして中国語(華語)の勉強を開始。1807年、スコットランド長老教会で按手を受け、中国に渡った。広州を中心に活動し、聖書翻訳と英華辞典の作成を手がけた。アジアの文明開化と文化教育事業、さらにアジアと英文圏との交流に果たした役割は大きい。

2007.9.22 キリスト新聞記事



■2007.9.1
 憲法9条は福音的
 聖公会の集いで松浦司教が講演


松浦悟郎さんのお名前は、かねがね方々で目にしていたので
講演が聞けて幸いでした。国会周辺ではよく見かけていたのですが…。
お話の中にもあるように、カトリックも決して一枚岩ではなく、
「君が代・日の丸」を受容している学校も多いし、
「国を愛するのは当たり前」と考える信徒の方もまだまだ多いようです。
そういう中でのこの講演。どう受け止められるのでしょうか。


 
▲図解を交えながら話す松浦氏(左)



 日本聖公会正義と平和委員会(谷昌二委員長)・憲法プロジェクト主催の講演会が9月1日、聖アンデレ教会(東京都港区)で行われた。講師にはカトリック教会から松浦悟郎氏(大阪大司教区補佐司教)が招かれ、「福音と平和憲法」と題する講演に、100人を超える参加者が耳を傾けた。講演の様子は同委員会によりビデオ化され、聖公会の各教区に配布される予定。
 毎年8月に広島を訪れるという松浦氏は原爆について、「人類の知恵と科学技術の最高峰であり、非人間化へのプロセスの頂点でもある」と語り、歴史的に多くの非戦闘員を巻き込んできたこと、国のために死ぬことが美化され、良心が麻痺する装置を内包していることなど、戦争の持つ本質について言及した。さらに、「無関心な社会も非人間化のプロセスを歩んでいる」とし、「決して他人事ではない」と強調。
 また、教会で憲法や政治の話が疎まれることについて、「未来への責任や人の命など本当に大事なことについて、意見の対立があるから話さないというのはおかしい」とした上で、その背景には「政教分離」を「宗教者は政治に口を出してはいけない」と解釈する誤解があると述べた。
 「信仰とは、神との関係を携えながら生きるということ」であり、「進学、就職、結婚など、さまざまなことを選び取る時に、信仰的な基準があるかどうかが大事」と松浦氏。日本の将来を決める選挙についても、「絶対正しいという結論はないが、責任を持って一票を投じるために、信仰を持った人たちと分かち合い祈ってほしい。それはキリスト者の重要な務め」と述べた。
 教会が社会に関心を示さないもう一つの理由として、教会観の違いを挙げ、「この世を否定的に見て関係を断ち、自分だけ天国に入ろうとする『砦としての教会』ではなく、互いに愛し合う関係を回復し、神の国に近づいていくために派遣された『旅する教会』としての理解が必要」と訴えた。
 また、今日の改憲への動きに危機感を表し、「戦争のほとんどは自衛のため。集団的自衛権を行使できるようになれば、アメリカのあらゆる軍事行動に付き合うことになる」と述べ、「攻められた時に何もなくていいのか」との問いには、「日本の軍事力は世界5位。武力をこれ以上伸ばすのか、ゼロに向かって減らしていくのかという選択であると認識した上で議論すべき」と答えた。
 最後に、「国籍、宗教を超えて人をつなぐ普遍的な価値観が込められた憲法は福音的。諸宗教の人々が命の尊厳について共感し、これを守ろうと立ち上がっていることを考えると、むしろ宗教的といえる」と締めくくった。

2007.9.15 キリスト新聞記事



■2007.8.15
 8・15 平和のために用いて…
 敗戦覚え各地で祈りの集い

あらためて、教派を問わずあらゆるキリスト教が、教会を挙げて戦争に加担してきた
ことの罪深さについて考えさせられました。そして、さまざまな教派で戦責告白は
出されましたが、その内実をどう活かしていくかということについては、
「戦後民主主義」に通じる課題が残されていることも…。




 早朝からけたたましいせみの鳴き声が響く8月15日。敗戦記念日を覚え、平和のために祈りを合わせる集会が各地で催された。昨年、小泉純一郎首相(当時)が参拝した靖国神社には、石原慎太郎都知事が例年通り参拝。高市早苗少子化担当相を除く閣僚と安倍晋三首相は、この日の参拝を見送った。

 
▲説教をする唐澤健太氏(右)

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑では、与那城初穂氏(日基教団流川教会牧師)の司会により、キリスト者の平和祈祷会が行われ、約230人の参加者が賛美と祈りを合わせた。唐澤健太氏(カンバーランド長老キリスト教会国立のぞみ教会牧師)は「平和を願って追い求めよ」と題する説教の中で、フィリピンの奥地で出会った男性の話を紹介。幼い弟が、禁じられていた現地語を話したことで日本兵に刺し殺されたという。また、元米海兵隊員のアレン・ネルソン氏の言葉を引用し、「正しい戦争などないということを心に留めたい。人と人とが支え合いながら生きることにこそ、神の御心がある」と語った。

 
▲講演する古関氏(左)と戦没者遺族の黒田康子さん

 
▲平和行進する遺族ら(左)と重装備の警察官

 平和遺族会全国連絡会は、日本教育会館(東京都千代田区)で「憲法を活かして平和を創ろう」を主題に集会を開催。初めに西川重則氏(同代表)が基調報告をし、憲法施行60年、盧溝橋事件70年を迎える節目にあたり、「日本は戦前の皇国史観をまだ克服していない」と述べ、引き続き「平和と共生」を求めていく決意を新たにした。
 続いて、古関彰一氏(獨協大学教授)が「私たちの9条観・平和観を問い直す」と題して講演。憲法9条の発案者はマッカーサーであるとの説を採り、「昭和天皇を免責し沖縄を基地化することによって、初めて実現可能になった」とし、その密接な関係について解説した。また、戦争の形態が変わり、「軍事力が戦争の抑止にも平和の構築にも役に立たないことは明らかになった」とした上で、「本国での戦争体験がなく、軍事力信仰の強いアメリカとでは、安全保障観を共有できない」と強調。今日は、「脅威を『排除』する時代ではなく、『抱え込む』時代」だとし、「そのための制度をつくることが求められている」と語った。
 集会後には、約260人の参加者が靖国神社周辺を行進。隊列には、フィリピンで夫を亡くした戦没者遺族の黒田康子さん(92)も加わった。

 
▲講演する中谷康子さん(左)と来日した韓国の高校生ら。プラカードには、
 「日本の友だちにも真実の歴史を」「隠さないで認めてください」の文字。

 午後には、第34回靖国国営化阻止8・15東京集会「平和のつくりかた――剣を鋤に」(同実行委員会主催)が、ルーテル市ヶ谷センター(東京都新宿区)で開催された。講師として招かれた元自衛官合祀訴訟原告の中谷康子さんは講演の中で、「裁判を始めて35年になるが、今でも意志を貫いて良かったと思っている」と今日までの歩みをふり返った。訴訟を起こした当初、身近な人ほど「(合祀は)ありがたいのに何故受け入れないのか」と非難した。さまざまな嫌がらせや脅迫にもあい、途中で止めたいと思ったこともあったが、裁判を続ける中で「選んでくださったのは神さまだし、必要なものも神さまが与えてくださった。こんな人間でも、平和のために用いてくださる」と思えるようになったという。また、合祀拒否の背景には「出征兵士を送ったり、戦死者の墓をお参りする遺族の姿を見たりした経験があった」と、その心境を語った。
 昨年、遺族が靖国神社や国を相手に直接訴訟を起こしたことにも言及し、「当時では考えられなかった。闘ってきた成果として、意識も変わってきたと思う」とし、「続けてきて良かった。平和が来るまで活動を続けていきたい」と静かに決意を述べた。
 同訴訟の最高裁判決が出されてから20年を迎える来年には、山口で政教分離を考える全国集会が予定されている。
 今回の講演と並行して「第8回子どものための8・15集会」が催され、30人以上の子どもたちがゲームや紙芝居を通して「平和」について考えた。これには、「従軍慰安婦」への謝罪を訴えて来日した韓国のNPO法人「外国人労働者の家」(代表・金海性牧師)メンバーら18人のうち、子ども11人も参加した。

2007.9.1 キリスト新聞記事



■2007.8.14
 東京告白教会平和講演で島田善次氏
 「沖縄問題は日本人問題」


日本キリスト教会員として、沖縄宜野湾の島田先生の名前は知っていたのですが、
初めてお会いすることができました。平良夏芽さんと一緒に、新基地建設阻止に
奮闘されている「闘う」牧師です。沖縄や基地の現状を聞くにつけ、アメリカ追従の
日本の姿勢に憤りを覚えます。米軍基地と安保体制こそ、まさに「戦後レジーム」
であり、「押し付け」そのものです!!


  
▲熱弁をふるう渡辺信夫氏(左)と島田善次氏



 日本キリスト教会東京告白教会は8月14日、世田谷区烏山区民センターで平和講演会を開催。
 渡辺信夫氏(同教会牧師)に続き、島田善次氏(日本キリスト教会沖縄宜野湾伝道所牧師)が「沖縄レポート」と題して講演。昼夜を問わず住宅地の上空で爆音を鳴らしながら訓練を続ける米軍機の映像を紹介し、「騒音で祈祷会もままならない。まさにやりたい放題。これが沖縄の実態」と訴えた。
 「『戦後レジームの脱却』というなら、その最たるものである沖縄の基地を撤去すべき」と安倍首相の主張を批判。集団自決に「軍の関与はなかった」とする見解については、「誰が自ら家族を鎌で殺すのか」と怒りをあらわにした。
 さらに、日本の100分の1の人口である沖縄に75%の基地を押し付けていること、理解は示すが基地負担を担おうとはしない自治体の態度などを例に、「主体的に生きていない日本人の姿の表れ。沖縄問題は日本人問題」と指摘した。また、沖縄でも自立していない教会があるとして、「キリスト教ではなくアメリカ教」と非難した。

2007.9.1 キリスト新聞記事



■2007.8.13
 
平和をつくる子ども交流プロジェクト イスラエル・パレスチナ・日本
 “心の壁取り除かれた” 高校生が長崎など各地で「対話」


何より、高校生たちが「自分の頭」で考えて、「自分の肌」で感じたことを
「自分の言葉」で堂々と発言している姿が、爽やかで素敵でした。
もちろん、陰で支えたスタッフやOBたちの協力があってのこととは思いますが。
日本に来るまで、お互いに会ったことも話したこともなかったという話に、
改めて民族間、宗教間の問題の根深さを思いました。でも、希望はあります!!


 
▲発言する竹山さん(左)と肩を組んで歌う高校生ら



 「平和をつくる子ども交流プロジェクト」実行委員会(井上弘子委員長)は7月31〜8月15日、イスラエル、パレスチナから10人の高校生を招き、日本の高校生4人を交えて「出会いと話し合い」のプログラムを開催した。この試みは2005年、東京・広島・長崎で実施したプロジェクトに引き続き2回目となる。今回は、2週間の日程で、那須高原、長崎の原爆資料館、伊王島などを訪問し、8月13日には聖イグナチオ教会(東京・四谷)での講演会と語らいの夕べ「平和への渇き」に参加した。
 2003年、NPO「聖地の子どもを支える会」の招聘で来日したイブラヒム・ファルタス神父(フランシスコ会)が広島を訪れ、この「破壊と再生の町」でこそ「平和の学び」を実現させたいと切望。それが、同プロジェクトを立ち上げる契機となった。
 語らいの夕べでは、参加した高校生が2週間をふり返り、感想と決意をそれぞれ語った。現地では、イスラエル・パレスチナの高校生が互いに交流する機会は皆無に等しい。「今まで敵と聞かされていた人たちに初めて会い、話を理解することができた」と語るイスラエル(以下・イ)のガル・ローゼンブルートさんに対し、パレスチナ(以下・パ)のナルディーヌ・ジルデさんも「相手の痛みを知ることができた」と感想を述べた。
 また、初めて訪れた日本について「どこでも行ける自由、何でも話せる自由があると感じた」とレナート・バンダック(パ)さん。ペレグ・バルオンさん(イ)は長崎での学びについて、「原爆については勉強で知っていたが、実際に被爆者の話を聞いてショックを受けた」と話す。
 プロジェクトでは、一貫して「相手の立場でものを考える」ことが重視されてきた。「ディスカッションでぶつかったこともあったが、同じように考えていることが分かった」と、ノアム・シャニさん(イ)。日本の高校生、竹山修平さんも「初めはただの集団でしかなかったが、相手の立場に立つという姿勢を身に付け、平和を目指すチームとして成長することができた」とふり返る。
 アヴィシャグ・ヨセファンさん(イ)は、「確かに物理的な壁はあるが、まずその壁を壊すためにも心の壁を取り除くことが大事。今回はそれができた」と喜びをかみしめた。「まずは身近な人に、言葉や環境が違っても友達になれるということを伝えていきたい」と話す川原史織さんは、今回の経験を学校でも発表するという。
 このプロジェクトを「平和の種まき」と位置付ける実行委員長の井上さん。前回参加した高校生が見違えるほどに成長し、今回のプロジェクトを陰で支えてくれたという。「やはり継続していくことが大事。今度は、日本から子どもたちを連れて行きたい」と抱負を語った。
 今なお争いの続く故国へと帰っていった高校生たち。このプロジェクトで得た友情と体験が、どのように花開くのか期待が膨らむ。

2007.9.8 キリスト新聞記事



■2007.8.10
 全国キリスト教学校人権教育セミナー・京都
 “戦時下ならどう生きる” 桜井希氏「戦責を自らの問題に」


「一度来てみるといいよ〜」とNCCのOさんに誘われて参加したのですが、
京都まで来たかいがありました(しかも日帰りで…)!
決して大きな集まりではなかったのですが、議論の内容としては非常に
今日的な「いま取り組むべき問題」を現場の先生同士で話し合えて
とても有意義に感じました。願わくは在職時に参加したかったです。
現役教師の型はぜひ一度参加してみてください! 毎年やってます。


 
▲戦中の映像を写しながら話す桜井氏(左)と「平和教育」の分科会



 全国キリスト教学校人権教育研究協議会は8月9〜11日、同志社中学校(京都市上京区)、および大谷婦人会館(京都市下京区)を会場に、全国キリスト教学校人権教育セミナーを開催した。今年で18回目を迎える同セミナーには、全国の教育関係者、教職、学生ら約80人が参加。今回の主題は、「困難な時代です でも私たちはよく生きましょう――なぜなら私たち自身が次代を作り出す者だからです」。 
 2日目の聖書研究では、同協議会会長である関田寛雄氏(日基教団神奈川教区巡回牧師)が、アモス書5章を通して発表。アガペーの本質は「他者を他者としてあらしめるために自らを無にすること」とした上で、「自己絶対化は宗教の破綻」であり、「原理主義・形式主義から脱却しなければならない」と強調。「自らの信仰の一貫性を貫きながら、他の宗教に対しては寛容性を持つ。それでこそ成熟した宗教として協力の場が広がる」と述べた。また、「今日、聖書における宗教と倫理の不可分性が確認されなければならない」とし、モラルの回復を求める本当の「革命」が必要と訴えた。
 全体会では、桜井希氏(同志社中学教諭)が、「今、戦時下に学ぶ――教会・キリスト教学校」と題して発題。スライドを用い、戦時中の同志社が行ったグラウンドでの宮城遥拝や軍事教練、慰問袋や奉安殿の映像を紹介しながら、キャンパス内に点在する戦跡について解説した。「皇后陛下行啓紀念碑」が今日まで残されていることについて、佐伯幸雄氏(日基教団同志社教会牧師)が「撤去するか、少なくとも今なお存置する上で同志社としての見解を示すべきではないか」と提言したところ、「この碑のおかげで女学校は守られた」との発言を受け、そのままになったという逸話も紹介された。
 桜井氏は、「わたしたちは過去の歴史について教え、『戦争を起こさないために何かできることをしていこう』として、その責任を子どもたちに転嫁してしまっているのではないか」と問いかけた上で、「もし戦時下なら自分はどう生きるかとの問いに、まずは答えなければならない」と述べ、戦責を自らの問題として捉えなければならないと提起した。
 また、『心のノート』が私立校にも配られている実態について、同校では不要だと主張してきたが、他の法人校では「配布しないと何をされるか分からない」との理由で配っている現状を例に、「すでに国に強制される前から現場での自粛≠ェ始まってしまっている」と、その危険性を指摘した。
 その後、「平和教育」「性差別」「部落差別」「在日 コリアン」など各分科会に分かれて発題、協議の時をもった。

2007.9.8 キリスト新聞記事



■2007.8.4
 AIDS文化フォーラム 宗教とエイズを考える
 幸田氏 “現実の中で問われるべき”


「宗教とエイズ」というとあまり関連性がないように思えますが、
実はいろんな意味で深く関係しているんだなということが分かりました。
同性愛についても、キリスト教界内でさまざまな議論を呼んでいます。
次回は是非、プロテスタントの牧師にも参加してほしいなと思いました。


▲(左から)古川、幸田、岩室の各氏



 神奈川県内の民間団体が協働で主催する第14回AIDS文化フォーラムin横浜(事務局・横浜YMCA)が8月3〜5日、かながわ県民センター(横浜市神奈川区)で行われ、2日目の「宗教とエイズを考える」分科会では、岩室紳也氏(泌尿器科医師)の司会のもと、幸田和生氏(カトリック東京大司教区補佐司教)と古川潤哉氏(浄土宗本願寺僧侶)が宗教者の立場からエイズや性について語り合った。
 同フォーラムは、1994年、アジアで初めて開かれた「エイズ国際会議」を機に、エイズ問題に取り組むボランティアらが市民版フォーラムとして立ち上げたもの。宗教者による企画は、細井保路氏(甲府カトリック教会司祭)が参加した昨年の「エイズと宗教を語る」に引き続き2回目となる。
 映画「フィラデルフィア」を見てエイズの問題に関心を持ったという幸田氏は、「すべての人は神の子であり、お互いに兄弟姉妹。どんな人もかけがえのない存在というのがキリスト教の根本的確信だが、神の慈しみに応えてどう生きるかということが、歴史の中で常に問われている」と語った。「フィラデルフィア」はギリシャ語で「兄弟愛」を意味する。
 また、「同性愛」「避妊」「中絶」「自殺」をどう考えるかとの質問には、「どれもマルかバツかでは答えられない問題」と述べ、カトリックの教義との関連性については「簡単に教えを変えることはできない」としながら、「倫理的な教えは社会の中でそれなりの意味を持つが、人間の現実は日々変わっていく。その中で問われてしかるべき」との姿勢を示した。
 教会でもさまざまな悩みに耳を傾けてきた同氏。「聖書を読んですべてが分かるわけではなく、苦しむ人々に出会う中で聖書の書かれた内容が分かってくる」と語った。
 佐賀でホスピスのボランティアをしながら、社会福祉における宗教者の存在意義を感じたという古川氏は、ライブなどを通じて若者へ直接エイズの予防を呼びかけている。佐賀では10代の人工妊娠中絶率が高く、感染症が広がる素地があるものの、未だに偏見が根強いという。また、「宗教は科学的」だとして「因・縁・果」の考え方を紹介し、「スピリチュアル」という言葉が本来の意味を失い、誤用されていると指摘した。

2007.9.1 キリスト新聞記事



■2007.8.3
 戦責告白どう生きる 宣教に視点生かせず 
 カトリック含め3教派から発言
 
日本クリスチャンアカデミー「はなしあい」

あらためて、教派を問わずあらゆるキリスト教が、教会を挙げて戦争に加担してきた
ことの罪深さについて考えさせられました。そして、さまざまな教派で戦責告白は
出されましたが、その内実をどう活かしていくかということについては、
「戦後民主主義」に通じる課題が残されていることも…。


 
▲(左から)岩井、木邨、内藤、戒能の各氏



 日本クリスチャンアカデミー関東活動センターは8月3日、日本キリスト教会館(東京都新宿区)で「はなしあい」プログラム「このとき、歴史に向き合う――戦争責任告白をどう生きるか」を開催した。教会の「戦責告白」に携わってきた岩井健作(日基教団明治学院教会牧師)、木邨健三(日本カトリック正義と平和協議会専門委員)、内藤達朗(日本ホーリネス教団委員長)の3氏が発言者として招かれ、戒能信生氏(日基教団東駒形教会牧師)がコーディネーターを務めた。教派を超えて戦争責任を語り合うこの試みは、昨年3月に行われたシンポジウム「戦後60年を振り返り、これからを展望する」に続くもので、今回はカトリック教会が新たに加わり、エキュメニカル色の強い集いとなった。

 戒能氏は開会に先立ち、日基教団議長が1967年の「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(戦責告白)」以降の歩みを「荒野の40年」と表現したことを例に、「戦争責任を表明した各教派が、その視点に立った宣教の使命を必ずしも明白にできなくなっている」と、テーマ設定の意図を説明した。
 同教団の「戦責告白」に建議の段階から同意議員として名を連ねていた岩井氏は、鈴木正久議長(当時)によって公表されるまでの経緯を紹介し、教団が一致して取り組めなかったこと、福音理解については立ち入っていないこと、沖縄に対する視点が欠落していたことなどの限界性を挙げた。また、神奈川教区の定期総会で「戦責告白40年を記念する集会」などを提起した議案が採択されたことを紹介し、「告白後、それを担う主体として歴史にかかわりながらどう生きるかが問題」であり、これらの限界を克服していくため、「教団に属する教会員が、個人として責任を担っていく必要がある」と述べた。
 木邨氏は、「プロテスタントの方々の前でお話できることは大変な喜び」とあいさつし、日本のカトリック教会が日清戦争以来、戦争にどう対峙してきたかをふり返った。満州事変の前後、学生による2度の「神社参拝拒否事件」が起きたものの、バチカンは36年、神社参拝は社会的儀礼だとする指針を発表。中国や韓国の教会に対しても、同様の対応をしてきたという。81年、広島を訪れたパウロ2世による「過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことだ」との「平和アピール」を受け、翌年から平和旬間を毎年実施し始めた。
 その後、第4回アジア司教協議会連盟総会(86年)のミサで、白柳誠一日本司教協議会会長(当時)による戦責告白の説教が行われ、それ以後、日本の司教団による「平和への決意」(95年)、「非暴力による平和への道」(05年)、「信教の自由と政教分離について」(07年)と続いてきたと解説した。
 内藤氏は、「日本ホーリネス教団の戦争責任に関するわたしたちの告白」が教団総会(97年)で決議されるまでの経緯と作成の意図について説明。同教団では、戦時中に弾圧を受けたことから、「信仰を守り通した」とする意識が強く、また「社会派」の教会になるのかとの批判も根強いため、「告白」が受け入れられるまでに時間を要したという。それでも、修正と検討を重ね、総会で決議。「謝罪」の中に「評価」も入れたこと、資料が限られたこと、証人からの情報が少ないことなどの課題を挙げた上で、これを機に他教派との交流が実現したことを紹介。真の謝罪と和解のために、引き続き啓蒙を続けることの重要性を強調した。

2007.8.18 キリスト新聞記事



■2007.7.27
 
キリスト教出版販売協会
 カトリック誌編集長らと交流

教文館、新教出版、教団出版局などが属する出版販売協会の部会に、
カトリック誌3誌の編集長(神父、シスター)が来て話をするという
実に内輪な会合だったのですが、とても興味深く面白かったです。
カトリックの雑誌がこんなにあることも知らなかったし…。
経営面や編集の仕方など、参考になる話がいくつもありました。
今後も横のつながりを大切にしていきたいと思います。


 
▲カトリック誌「あけぼの」編集長の緒方さん(左)



 キリスト教出版販売協会は7月27日、日本キリスト教会館(東京都新宿区)で出版部会主催による交流会を開催した=写真。今回の交流会には、カトリック雑誌「カトリック生活」(ドン・ボスコ社)、「家庭の友」(サンパウロ)、「あけぼの」(聖パウロ女子修道会)の3誌からそれぞれ、関谷義樹、山内堅治、緒方真理子の各編集長が招かれ、「信徒の友」(教団出版局)、「福音と世界」(新教出版社)の編集長も交え、それぞれが創刊からの経緯や編集方針などについて発題するという形で行われた。
 執筆者の選び方や、写真の使い方において、それぞれの特色が示されたが、共通してキリスト教メディアとしての役割を担う各誌が「時のしるし」を読み解く必要性について論じられた。
 参加者からは、発行部数や読者層の想定、頒布のアイディアなどについて率直な質問が出され、日頃あまり交流のない出版関係者同士が、情報交換をする貴重な機会となった。

2007.8.11 キリスト新聞記事



■2007.7.24
 “「創造の秩序」に国家は属さない”
 
教会と国家学会で川端純四郎氏

東北学院大学で教えておられた当時から、名前は方々で聞いていたので
一度お会いしたいと思っていたのですが、運よく東京でお会いすることができ
光栄でした。お話も、自分の問題意識とかぶるところが多く、共感しながら聞きました。
実は、同大卒の彼女も、先生の授業を取っており、キリスト教関係の授業で
一番面白かったと絶賛しています。


 
▲講演する川端純四郎氏(右)



 「教会と国家学会」は7月24日、衆議院第1議員会館(東京都千代田区)で定期総会を開いた。総会に先立ち、川端純四郎氏(元東北大学助教授)が「教会と信仰者と国家」と題して講演した。小学生で敗戦を迎えたという同氏は、戦時中8人の同級生を亡くした経験を持つ。爆弾の直撃で全滅した隣の親友一家のことを、最近しきりに思い出すという。「彼にも本来あと60数年の人生があったはずだが、戦争によって無残に断ち切られた」と前置きし、キリスト者の国家観について語った。
 川端氏は、ブルトマンを学ぶためドイツに渡る途上、思いがけず寄港した東南アジアやインドなどで、長い間植民地下にあった国々の極度の貧困を目の当たりにする。ブルトマンは、ナチスに服従せず学者として最低限の良心は貫いた人物だったが、ドイツの植民地支配については関心がなかったという。
 自身もそれまでは、「政治や社会に無関心な古典的クリスチャンだった」とふり返る同氏。飢えや貧困のない世の中を作るために、できることを何かしなければと思うようになり帰国。以来、平和や人権を求める運動に積極的に参加し続けてきた。その根底には、「国家が自己絶対化し、教会の領域に踏み込んでこない限り無関心でいいのか」との素朴な疑問がある。
 また、聖書学の立場からバルメン宣言の国家観を問い、「聖書の国家理解は多様であり、国家が『神の定め』であるとは言い切れない」とした上で、「男と女に創造された」(創世記1・27)と記述されながら、性同一性障害など、一概に男女に分けられない性が存在する現実を例に、「『創造の秩序』と、聖書記者のもつ時代的制約との関係を考える必要がある。国家は人間が作り出した文化の産物であり、『創造の秩序』には属さない」と述べ、「神の定め」という論理の持つ危険性を説いた。
 さらに、「信仰に忠実に生きたいと願う以上、国家の政策に対して信仰に基づき倫理的判断をする義務がある」と述べ、そのための「正しい知識」の必要性を強調。ただ、「その結果は相対的であり、異なる見解に対しても寛容であり得る」とし、また教会としては、個別の政治課題について発言することは難しいとしながら、「各自真剣に政治に関わろうとする信仰者を養うのが教会の責務」と述べた。
 日基教団の常議員を長年務めてきた同氏は、教団の戦責告白についても言及。朝鮮の教会へ神社参拝を強要し、信仰よりも「皇国の道」を重んじた歴史について、『日本基督教団史』の中で「教団としては最後の一線は譲らず守り続けた」との述懐があることの問題性を指摘した。

2007.8.18 キリスト新聞記事



■2007.7.13
 
日基教団東京教区北支区主催 「学校教育のいま」
 “子どもの状況激変” キリスト者教員ら報告

やはり現場を離れてからも、ずっと気になる教育の問題。
今回はいつもと違って、公立で働くキリスト者教員の話を聞く機会に恵まれました。
現場の混乱ぶりは想像以上のようです。それにしても学力テストの不正で
問題になったA区は、学校評価による予算配分で最大200万円も差が出るんだとか。
もはや、弊害以外の何ものでもないのでは?
ここにも競争主義、成果主義の歪みが…。



▲(左から)パネラーの岡田さん、片桐さん、長谷川さんと司会の飯島さん



 日基教団東京教区北支区教育部、同社会部、信濃町教会社会委員会主催によるパネルディスカッション「学校教育のいま」が7月13日、日基教団信濃町教会(東京都新宿区)で行われた。
 飯島信さん(池袋台湾教会伝道師)の司会のもと、長谷川和男さん(元都公立小教諭・前杉並区教組委員長)、片桐健司さん(都公立小教諭・品川バプテスト教会員)、岡田明さん(都立高教諭・首都福音百合丘キリスト教会員)が学校の現状についてそれぞれ報告した。
 長谷川さんは、「子どもたちの置かれている状況が激変している」とし、成績優秀な子たちが「荒れ」の中心にいることなどから、「競争主義が子どもたちの心を蝕んでいる」と指摘した。
 障害児教育に携わってきた片桐さんは、06年の法改正によって「特別支援教育」と名前が変わったものの、「本当に必要な支援は何もされていない」と文科省の姿勢を厳しく批判。学校選択制、習熟度別学級などによって子どもたちが選別されている状況に対し、「さまざまな子どもたちが一緒に助け合い、考え合う中でお互いに学び合うことが大切」と強調した。
 予防訴訟の原告でもある岡田明さん(都立高校教諭)は、「新自由主義」「国家主義」「上意下達制」の3つを、今日の教育現場に働く力として挙げ、具体的には学校経営の評価に基づいた予算配分、「奉仕」の必修化、教員の階層化による分断などの事例を紹介した。また、教育委員会や管理職による締め付けを「教員の社会での陰湿ないじめ」と断じ、「学校の最後の『授業』であるべき卒業式を都教委が乗っ取っている」ことの問題性について訴えた。
 「これまでの教師生活で、何が一番変わったか」との質問に対しては、「職員室の雰囲気」(長谷川)、「書類の多さ、忙しさ」(片桐)、「志を噛み殺さないと生きていけない状況」(岡田)とそれぞれ回答。また、競争そのものの是非についても議論が展開され、「果たして学力が高いことが良いことで、低いことが悪いことだろうか」との問題提起に対し、「自分が分かる(できる)ようになる喜びは大切。相手を蹴落とす競争とは異質なもの」との意見も出された。

2007.7.28 キリスト新聞記事


  

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