2008年1〜6月



■2008.6.23
 誰と共に生きるのか=@国立ハンセン病療養所の今後
 多磨全生園元自治会長 森元美代治さんに聞く


▲今年5月の市民学会で資料館を案内する森元さん(右)



 今年4月、日本カトリック部落問題委員会(平賀徹夫委員長)から「誰と共に生きるのか――ハンセン病とキリスト教」と題する冊子が発行された。「ハンセン病問題を考える有志の会」が2006年から07年にかけて、横浜、東京、さいたまの3教区で行った講演と現地学習の内容をまとめたものである。
 多磨全生園の自治会長、国賠訴訟の原告としてハンセン病患者の人権回復に尽力し、この学習会でも案内役を務めた森元美代治さんに、「基本法」成立までの苦労と今後の課題について話を聞いた。

 療養所の将来像について、厚労省の基本的な考えは統廃合だった。その流れを食い止めたことが、「基本法」成立の大きな意義。森元さんは、「療養所が新しい時代を迎えた。まずは第一歩」と安堵の表情を見せた。
 しかし――「新しい器にどういう新しいお酒を注ぐかということは、まだまったく検討されていません。今後は、入所者自身が自治体と一緒に、それぞれの特異性、地域性を活かした存続の仕方を考えていかなければなりません。問題はむしろこれからです」
 中学3年で発病、強制隔離された地でアメリカ人の神父から洗礼を受ける。以来、カトリックの信徒として歩んできたが、裁判を闘う中では、むしろ同じキリスト者からの風当たりが強かった。「なぜ国を訴えるようなことをするのか」「感謝が足りない」と諭す牧師もいた。
 そして何より辛かったのは、家族の強い抵抗。裁判が佳境を迎えた2001年、兄からの電話で、「いい加減にしろ。親戚が『青酸カリを飲んで死んでくれ』と言っている」と叱責された。その兄は、3年後に急逝。それまで絶縁状態にあった姉は、電話口で泣いた。そのことがきっかけで、次第に関係が修復され、今では互いに理解し合えるまでになった。この6月には、甥、姪を含め、初めて兄弟の家族と旅行に行くことができたという。
 苦難の中でも信念を貫いた背後には、祈りがあった。「イエス・キリストならこの場でどうしただろう」と、いつも思い起こした。「キリスト者は、『誰と共に生きるか』という大きな問いを受けている」と森元さん。ハンセン病の問題は、まさに自分の生き方、信仰を問う問題でもあったとふり返る。
 今でも、自らの体験を語るため全国各地を駆け回る毎日。「今が一番充実している。人と会うことが楽しい」。多磨全生園の将来構想については、「障がい者や高齢者のための総合的なリハビリテーション施設として存続できないかと考えています」と期待を膨らませた。

2008.7.5 キリスト新聞記事



■2008.6.17
 「共に歩める道」模索
 早大YMCA 帰国の学生が現地報告

 
▲壁の修復作業を行った村の人々と(左)。手作業での瓦礫の撤去



 大型サイクロン「ナルギス」の直撃から約1カ月半。5月末から6月半ばにかけ、ミャンマーで緊急支援活動に携わった早稲田大学YMCAの学生7人がこのほど帰国し、6月17日、同大早稲田キャンパス(東京都新宿区)で報告会を行った。会には日本の大学に通うミャンマーの留学生も参加し、現地の状況や支援の見通しなどについて語り合った。

 同YMCAはこれまで、長岡、柏崎、輪島などの被災地に学生ボランティアを派遣し、支援物資の仕分けや運搬など、特性を活かした救援活動を行ってきた。2006年のインドネシア・ジャワ島地震でも、米国のキリスト教救援組織「チャーチ・ワールド・サービス(CWS=教会世界奉仕)」と連携して現地の支援に参加。ボランティアへの参加は、リーダーシップ・トレーニングの一環としても位置付けている。
 今回は、第1陣の3人が5月29日〜6月2日、第2陣の4人が6月10〜16日の日程で現地入りした。災害から1カ月経てもなお、首都ヤンゴンの道端には瓦礫や倒木の残骸が散乱し、労働力として徴用された村人たちが手作業で撤去作業にあたっていたという。
 第1陣のメンバーはヤンゴンYMCAを拠点に、市内の被害を調査し、物資の運搬、ルンタヤ村小学校の壁の修繕、瓦礫撤去作業などを手伝った。また、日曜日にはヤンゴン市のバプテスト教会で礼拝にも参加。小幡昌彦さん(2年生)は、「キリスト教は世界共通だと感じた」と感想を述べた。
 第2陣は、ヤンゴンから川ひとつ隔てたタンリンにある孤児院の修復作業に協力。園高志さん(3年生)は、言葉の通じない子どもたちとジェスチャーを交えて遊んだ体験をふり返り、「子どもたちの笑顔を見ることができて良かった」と語った。その後、深刻な被害を受けたマウビンへ物資を届けようとしたところ、検問でバスを降ろされ、ヤンゴン市内に戻されるという事態にも遭遇した。
 報告会では、学生に続いてミャンマーの留学生が祖国の現状を解説。いくつかの質問に答え、「軍事政権による弾圧の歴史があり、多くの市民が自由に意見を述べることを恐れている。若者が国外に流れ、将来への夢が持てない」「公には、政府を通さなければ援助ができない現実がある。お金よりも、物による援助の方が確実」と語った。
 第1陣にも加わった同大YMCAスタッフの石戸充さん(同大研究員)は報告文の中で、「絶望的な不効率。貧しさ故のことなら、まだあきらめもつく。しかし、政治的理由により人命に関わる不効率が生じるのは、やるせなく悲しい」と述懐している。「日本にいながら、彼らと共に歩める道があるということを、より多くの人に知ってほしい」と石戸さん。今後は、夏をめどに第3陣の可能性を探りつつ、新たに学生の参加を呼びかる予定だという。

2008.6.28 キリスト新聞記事



■2008.4.29
 キリスト教性教育研究会 「人格と性」多角的に議論
 医師・研究者ら 初の公開大会

 
▲発題する(左から)大矢、森本、稲垣、星野の各氏と、基調報告のテモテ氏



 キリスト教の立場から新しい性教育を模索するキリスト教性教育研究会(富永國比古会長)が4月29日、国際基督教大学(東京都三鷹市)で「人格と性」をテーマとする第1回公開研究大会を開催した。同会は昨年、キリスト者による性教育の研究と、教会教育・学校教育への支援、貢献を目的として発足。約1年の準備期間を経て、このたび初の公開研究大会にこぎつけた。会場には、医師をはじめ、研究者、学校関係者ら約40人が集まり議論を交わした。

 初めにテモテ・コール氏(ファミリー・フォーラム・ジャパン代表)が「性と性教育の現在――日米の比較を通して」と題して基調報告。性的な倫理、生命倫理の危機は世界が直面する最大の問題だとし、性教育運動の源流から80〜90年代の性教育論争に至るまでの歴史を概観。「アメリカ性情報・教育評議会」(SIECUS)が進めてきた「包括的性教育」の特徴として、「性行為の現実性の主張」「性的権利と決定権の主張」「伝統的価値観、結婚、家庭からの解放」などを挙げた。さらに、米カトリックと福音派の教会を中心に始まった「アブステナンス教育」の主張を解説。「すべての性行為を結婚まで待つことが唯一安全な方法」とし、結婚外の行為のリスクを正確に教える同教育の有効性を説き、実際に成果の上がった事例を紹介した。その上で、同氏は「ハウツー教育ではなく、聖書の価値観に基づいた人格教育を、教会、学校、行政、メディアなどの各方面で推進する必要がある」と訴えた。

 続いてシンポジウムでは、稲垣久和(東京基督教大学共立研究所所長)、森本あんり(国際基督教大学教授)、大矢正則(栄光学園中学校・高等学校教諭)、星野仁彦(福島学院大学教授)の4氏が発題。
 稲垣氏は公共哲学の立場から、性教育においても公私二元論を脱し「公共」レベルでの市民道徳として「欲望をコントロールする」モラルが醸成されるべきだとし、「『善い社会』は友愛と連帯によってボトムアップに形成されるものであり、国家はその補完の役割をなす装置としてのみ機能すべき」と主張した。
 森本氏は、「肉体の尊厳」の根拠は「自分が自分のものでなく神のものである」ということにこそあると指摘。完全な「禁欲」や「独身」を優位としてきた中世までの伝統を、ピューリタニズムが逆転させたことに触れ、聖書において肉体と性は是認され、祝福されていると述べた。
 大矢氏は、全国のカトリック系中学・高等学校を対象に行った「性教育に関する調査」(回答数78校・回収率65%)の結果をもとに、現状と課題を報告した。それによると、性教育に関する校務分掌があると回答したのは全体の約20%で、男子校ではゼロ。内容については担当者任せの場合が多く、中でも「アブステナンス教育」に取り組んでいる学校は4校にとどまった。また、カテキズムに関する質問では、夫婦間以外の性交渉や中絶の禁止について過半数の学校が賛同したのに対し、人工的な避妊手段の使用禁止については「性感染症予防のためには避妊具の使用を推進すべき」との回答が目立った。
 心療内科医として多くの患者を診てきた星野氏は、社会・学校・家族の病理現象が、子どもの性非行に大きな影を落としていると分析し、夫婦間の連携を密にし、世代間境界を確立することの重要性を訴えた。

 4人の発題を受けて、参加者を交えての多角的な討議がなされた。
 森本氏が発題の中で、現代倫理や聖書的視点からも「婚前交渉」「できちゃった婚」「同性愛」への理解も必要と述べたことを受け、「現状をただ嘆くのではなく、過ちを犯し教会から排除された女性たちを、どう救うかにも焦点を当てるべきではないか」という提言がなされた。
 また、稲垣氏が「価値に関わる教育が公立学校で欠落している。これは日本の教育の根本的問題であり、性教育だけを取り上げても解決はできない」と宗教教育の必要性について加えると、それぞれの信仰に沿った宗教教育を選択できるというドイツの公教育事情が紹介された。
 「親が正しい教育を受けていない」との意見も出され、「教会教育においてなされるべき」「両親学級に積極的に働きかけるべき」など、結婚前に夫婦や家庭のあり方を学ぶ機会の必要性についても議論が及んだ。
 同会の運営委員として研究会の準備にあたってきた町田健一氏(国際基督教大学教授)は、「まずはキリスト教学校の教員養成課程において、予防的・治療的・開発的立場からの性教育が必要」と改めて呼びかけた。

 日本性教育協会の調査によると、大学卒業までの性体験率は1974年から2005年の間に、男子が23%から73%、女子で11%から76%にまで増大している。
 性に限らず、あらゆる面でキリスト教界のモラルが問われている今日。キリスト教学校や教会は、どんなメッセージを発信できるのか。この研究会が、危険にさらされた若い世代を守るための大きな一歩となることを期待したい。

2008.5.10 キリスト新聞記事



■2008.4.19
 無防備条例で平和を 川崎
 井上ひさし氏・松浦司教らが訴え キリスト者も賛同


 
▲講演する松浦(左)、井上の両氏



 自治体が戦争に協力しないことを宣言する「平和無防備都市条例」制定を目指す市民団体「平和無防備条例を実現する川崎の会」(須見正昭共同代表)が4月19日、明治大学生田キャンパス(同市多摩区)で「成功させる集い」を開催し、鎌倉在住の井上ひさし氏(作家)、松浦悟郎氏(日本カトリック正義と平和協議会会長)の講演に400人を超える市民らが耳を傾けた。

 条例案は「無防備地域にいかなる攻撃もしてはならない」とするジュネーブ条約に基づき、市内にある軍備施設の撤去、戦争への非協力などを規定している。
 初めに、「大阪市無防備地域宣言条例」の請求代表人ともなった松浦氏が講演。ジュネーブ条約が制定された経緯を紹介しながら、「持っている権利は行使しなければ活かせない。この運動は、憲法9条の精神を具体的に実現する方法」と述べ、その特色として「自覚的に自立した市民が主体となること」「具体的な代替案を提示できること」「違いを超えてつながれること」などを挙げた。また、「武力を張り巡らせることが安全につながるという誤解がある」とし、「初めに銃を置く人がいなければ軍拡の悪循環は止まらない」と語った。
 続いて講演した井上氏は、同じカトリック信徒として賛同の意を表した上で、オランダ・ハーグでの第2回平和会議(1907年)の内容を紹介。「この時すでに、中立国の存在が国際的に認められている。日本の地方自治体は100年遅れている」と指摘。第一次大戦からベトナム戦争に至る過程で、戦死者に占める非戦闘員と軍人の割合が逆転したことに触れ、「たとえ立場が違っても、いざ戦争になれば多くの市民が犠牲になる」とし、「無防備地域が増えれば、永世中立に近づく」と運動の意義を訴えた。
 地方自治法によると、有権者の50分の1以上の署名(同市は約2万2千人分)があれば条例制定の直接請求ができる。市民有志による同会は4月26日から5月25日の一カ月間、市に提出するため5万人を目標に署名を集める。同様の条例制定を求める動きはこれまで、全国22の自治体で行われたが、いずれも否決されている。
 同市の運動には、キリスト教界から請求代表者として、滝澤貢氏(日基教団川崎教会牧師)が名乗りを上げたほか、石川兼子氏(宿河原教会牧師)、中原眞澄氏(まぶね教会牧師)も賛同者として名を連ねている。またこの日は、小田原市で請求運動に携わった教会員らも応援に駆けつけた。
 問合せは「川崎の会」事務所(рO44・567・6530)まで。

2008.5.3 キリスト新聞記事



■2008.4.7
 週刊誌「AERA」が特集 キリスト教会の「性犯罪」
 ホーリネス教団 再発防止へ決意表明



▲キリスト教会の「性犯罪」を大きく取り上げた「AERA」



 4月7日に発売された週刊誌「AERA」4月14日号(朝日新聞社)が、「キリスト教会の『性犯罪』――わいせつ行為を『救済』と説明」とする特集を4頁にわたり掲載した。記事は、日本聖公会高田基督教会、日本ホーリネス教団平塚教会、日基教団熊本白川教会に属していた(または今も属している)教職者が犯した「性犯罪」の内容について詳述し、加害者が今も事実を認めず謝罪を拒否し続けていることにも触れている(うち2件については2007年4月7日付本紙で既報)。同誌によると発売後、教会内で同様の被害を受けたという読者からの訴えも寄せられているという。
 記事中で「カオリさん(仮名)」と記された被害者の母親は本紙に対し、「何事にも内側と外側からの視点が必須」「より多くのキリスト教界関係者に読んでいただければ」と心境を語った。
 日本ホーリネス教団(内藤達朗委員長)は翌8日、「当教団牧師による性的加害問題の経緯と再発防止への決意――セクシュアル・ハラスメント防止・相談室開設にあたり」とする文書を発表し、事の経緯を説明。99年4月に被害者の母親から事実を知らされ、同年11月に加害牧師を除名処分、05年に「人権対策準備室」(現・人権対策室)を立ち上げ、07年の教団総会で「セクシュアル・ハラスメント防止・相談室」設置を決議、08年1月1日に同防止・相談窓口を開設したこと、啓発パンフレットと電話相談窓口の案内を、同教団の全教会、関連諸団体などに配布したことなどが列記されている。
 また、同教団委員会・人権対策室により同時に発表された文書では、「(同誌に掲載された記事内容は)私どもが望むようなものではありませんが、教団の対応についての事実誤認等はない」とした上で、「教団の中から生じた罪によって、神の御名が汚されているこの事実を重く受け止め、私たちの歩みが聖くされ、神のみ旨に適うものとなることを目指して、一層の努力を重ねていく決意を新たにしています」と表明している。

2008.4.19 キリスト新聞記事



■2008.3.31
 “歴史を担う”志望者集う 教職員養成プログラムが本格始動
 キリスト教学校教育同盟後継者養成プロジェクト


 
▲ガイダンスの後、教師への志を交流する新入生ら



 キリスト教学校教育同盟(久世了理事長)教職員後継者養成プログラム委員会(磯貝暁成委員長)が主催する新入生ガイダンスが3月31日、お茶の水クリスチャンセンター(東京都千代田区)で開催され、この4月に大学へ入学し、キリスト教学校での教職員を目指す新入生ら約30人が参加した。さまざまな面で危機に瀕するキリスト教学校を、加盟校の連携により、養成・採用・研修の過程で土台から支えていくためのプログラムが本格的に始動した。

 キリスト教学校教育同盟が加盟各校の現状を共有しようと行ったアンケート(2007年12月〜08年1月実施、回収数184)によると、専任教員に占めるキリスト者の割合が30%未満の学校は中・高校で5割、大学・短大では6割に上る。教会への出席については、「義務付けている」「強く勧めている」を合わせても、大学・短大では3割に満たない。この結果を報じた機関紙「キリスト教学校教育」3月号は、「専任教員のキリスト者率の平均を見ると5年前と変化は見られない」「教会出席の勧めは、年齢・地域によりさまざまだが、地域の教会との交流は盛んに行われている」と解説している。

 同盟は06年、「後継者の育成が急務」という危機意識のもと同委員会を立ち上げ、これまで小冊子「教師を目ざす君たちへ」の作成やパイロット校を中心とした養成講座の開講などに取り組んできた。今年度からはいよいよ関東地区内が先陣を切り、年間を通しての系統的プログラムを始める。
 今回行われた新入生ガイダンスは、その導入にあたるもの。参加したのは、青山、上智、玉川、立教、フェリスなどのキリスト教主義大学のほか、慶応義塾、法政、東海、千葉などの大学に進学、または在学中の学生。いずれも、教職を目指す「後継者」候補。出身校も都内に限らず、遺愛女子(北海道)、新島学園(群馬県)、北陸学院(石川県)など多岐にわたった。
 磯貝氏(関西学院初等部校長)は冒頭のあいさつで、「建学の精神を担う歴史に参与するのが私立学校教員の務め。自分の夢だけでなく、より大きな願いを実現してほしい」と期待を込めた。
 続いて講演した湊晶子氏(東京女子大学学長)は、「自分を治めること」「知識を叡知に変えること」「複眼的な視野を養うこと」「専門性を身につけた教養人になること」など、教師になる上で必要な事柄について助言した。
 その後グループに分かれた参加者は、教師を志望した動機や大学生活についての疑問などを交流し合った。入学前に同じ志を持つ者同士が、思いを共有したことで、「参加してよかった」との声が多く聞かれた。今後は、同様のガイダンスや各キリスト教学校の日常を体験する見学会、連続講座などが予定されている。

 同盟ではさらに、教会などを通じて国立大学や他の私立大学に通う教職志望者にもアプローチしていきたいとしている。また、関東に続いて他の地区でも支援プログラムが実現できるよう準備を進めている。
 今回参加した希望に満ちる学生が、キリスト教学校の教員として「歴史を担う」日が来ることを待ち望みたい。

2008.4.12 キリスト新聞記事



■2008.3.31
 「日の丸・君が代」不起立で新たに20人処分
 東京都 根津さんは停職6カ月で免職回避


 
▲喜びを語る根津さん(左)と会見の様子



 東京都教育委員会は3月31日、2007年度の卒業式で「日の丸・君が代」の強制に対し不起立・退席などで抵抗した教職員20人を懲戒処分とした。これで06年の「10・23」通達に基づく処分者数は、延べ408人に上った。
 20人の内訳は、停職6カ月が2人、減給が9人、戒告が9人。今回初めての処分者が約半数の9人を占めた。中には4年前の処分を理由に非常勤教員の採用を拒否されたケースも含まれている。
 同日、全水道会館(東京都文京区)で行われた被処分者の会など4団体主催による集会には、都立学校の教職員ら約270人が参加。再雇用選考の合格を取り消された都立豊島高校定時制の片山むぎほさんは、教員だった母親の着物に身を包み、「戦後の民主教育に期待しながら、育児のために退職せざるを得なかった母の思いも踏みにじられた」と怒りを露にした。
 不起立による懲戒が重なり、免職も危ぶまれていた根津公子さん(都立南大沢学園養護学校教諭)は、昨年同様、停職6カ月の処分にとどまった。支援者らに拍手で迎えられた根津さんは、「死刑台への階段を1段ずつ上る思いだったが、大勢の人たちが力を貸してくださったことで、都教委はクビにできなかった。どんなに座ってもクビにならないということが実証できた。通達を撤回するため、一緒に動きましょう」と訴えた。
 根津さんによると、公開質問状や12万筆を超える署名が提出先の教育委員、教育長に届いていないこと、人事部職員が「(都庁を訪れた要請者を)からかってくる」と発言したことについても追及していく考えだという。
 集会で発表された抗議声明は、「都教委は、十分な『調査』も行わず、処分発令を急いでいる。まさに、『見せしめ・恫喝』以外のなにものでもない」と糾弾し、「何よりもこの国を『戦争をする国』にさせず、『教え子を再び戦場に送らない』ために」闘いぬく決意を表明している。

2008.4.12 キリスト新聞記事



■2008.3.8
 「行き場のない子こそ」
 北星学園余市高が相談会


 
▲相談会で講演する千葉敏之さん(左)、『しょげてんな!!』(教育史料出版会)



 全国に先駆けて高校中退者を積極的に受け入れてきた北星学園余市高校(幅口和夫校長)の入学相談会が、3月8、9日にかけて各地で開催された。同校は全校生約300人のうち、不登校経験者が6割、高校中退経験者が4割を占め、そのほとんどが寮生活をしている。
 近年、高校中退者の減少、受け入れ校の増加、通信教育の普及、少子化などの影響もあり、入学者が減少している。
 同校教諭の千葉敏之さん(日本キリスト教会小樽シオン教会員)は相談会で、「誰も特別扱いしない」「1人の問題を全員で考える」などを同校の特色として挙げ、「それらが、生徒たちの持つ本来の力を引き出す」と紹介した。
 昨年10月には、同校の生徒、卒業生自身による『しょげてんな!!』(教育史料出版会)を刊行。前生徒会長の申し出をきっかけに、辛い過去と真摯に向き合った15人のメッセージが心に響く。
 千葉さんは、「全国には中退や不登校で行き場のない子たちがたくさんいる。そういう子たちにこそ、余市の教育を知ってほしい」と訴えている。問合せは入試担当・玉村(рO135・23・2165)まで。

2008.4.12 キリスト新聞記事



■2008.3.1
 “イエスの姿が見えてくる” 『島崎光正全詩集』
 60年に及ぶ詩業の集大成 
日本キリスト教団出版局

  
▲(左から)加藤常昭(監修)、森田進(解説)、橋本洽二(書誌)の各氏

 
▲島崎さんの遺影と刊行された『全詩集』、謝辞を述べるキヌコさん



 二分脊椎という神経系の病を負いながら、優れた抒情詩を数多く残したキリスト者詩人の島崎光正さん(身体障害者キリスト教伝道協会会長)が81歳の生涯を閉じてから7年。その60年に及ぶ詩業の中から、すべての詩作を収録した『島崎光正全詩集』(A5判・420頁・8190円)が、日本キリスト教団出版局より昨年11月に出版された。3月1日、東京都新宿区の戸山サンライズで行われた記念会には、同書の編集に携わった関係者や、刊行を熱望してきた友人ら約40人のほか、妻の島崎キヌコさんも出席した。それぞれの思い出を語った参加者は、キリスト教界に大きな遺産を残した故人を偲びつつ、その遺志を継いでいくことを誓い合った。

 新たに出版された『全詩集』には、既刊詩集に収められた305篇と、「共助」(基督教共助会)や「信徒の友」(教団出版局)などに寄せた未刊詩篇247篇が集録され、巻末には詳細な書誌と年譜、初出一覧なども付されている。
 記念会では、初めに同書の監修にあたった加藤常昭氏(「説教塾」主宰・神学者)があいさつ。「その人」という詩の一節「『愛』の言葉は/沈黙の黒子となって/後ろによりそっていた」を紹介し、「人生の豊かさは出会いの豊かさによって決まる。『愛』の言葉≠ニは主イエスそのもの。島崎さんはすべての出会いにおいて、それを感じていたのではないか」と述べた。
 また「説教で大事なことは、信仰を具体的に言い表すイメージのある言葉を見つけること。島崎さんの詩は、その上で大きな助けとなる」と語り、今もその恩恵に与っていると打ち明けた。島崎さんからもらった詩を、毎日書斎に入る度に読んだという同氏。「説教者の使命は、今も生きておられるイエスを紹介すること。これらの詩を読んでいると、『黒子』である主イエスの姿が見えてくる」と語った。
 島崎さんには、洗礼を受けてから詩を書けなくなった時期がある。後に当時をふり返り、「それは、詩の言葉に死んで神の言葉の中に召し上げられた出来事であったように思われる」と述懐している。「言葉について」と題する詩にあるように、まさに「言葉」は詩人である島崎さんの存在そのものだった。
 解説を担当した森田進氏(詩人・恵泉女学園大学名誉教授)は、現代詩における島崎さんの功績を「瑞々しい抒情が、砂漠のような現代詩の世界に深くしみ込んでいった」と評する。水と関係のある詩が多いことにも触れ、「日本の抒情詩が描いてきた背景や素材を重ねながら、そこにキリスト教の深い意味を与えて象徴化している。そこに深いメタファー(隠喩)が生きてくる」と、その威光を称えた。

 貴重な資料として高く評価された詳細な書誌と年譜を手がけたのは、橋本洽二さん(基督教共助会会員)。掲載された新聞・雑誌のスクラップなど、妻キヌコさんが蓄積してきた膨大な記録を手がかりに作ったという苦労話を披露し、「愛情はもとより、キヌコさんがいかに光正さんを尊敬していたかがうかがえる」と語った。キヌコさんによると、こうした収集作業は光正さんには内緒だったという。
 これらの資料は、2002年に開設された福岡女学院大学の島崎光正記念館に、矢内原忠雄や齊藤茂吉からの葉書、自筆の詩や著作の原稿などと共に展示されている。
 参加者からは、島崎さんとの出会いや数々の逸話が紹介された。「週報をガリ版印刷するなど、教会の仕事を誠実に果たしていた」、「イスラエル・ギリシャ・イタリア旅行に同行して初めて詩を作ることができた」、「西武球場の特別席で何度も野球観戦した」、「島崎さんに言われたひと言から、手紙と日記は手書きで書くことにしている」、「障がいを持った人たちと共に生きることをいつも後押しし、教会形成の原点を示してくれた」――。この日81歳の誕生日を迎えたというキヌコさんは二重の喜びをかみしめ、参加者らに感謝の意を表した。
 巻末の解説で森田氏は、この『全詩集』を「詩人と親しかった多くの方々の善意の結晶」と記している。森岡巌氏(元新教出版社社長)は同書を「歴史に残る一冊」とした上で、一同に呼びかけた。「これで終わりではない。島崎さんの残したものを受け継いでいかなければならない。さらに新しい志を持って、残された務めを担っていきたい」

2008.3.15 キリスト新聞記事



■2008.2.27
 あたらしい性教育のはなし
 キリスト教学校の挑戦


 性教育の必要が叫ばれて久しい。日本では1972年、財団法人日本性教育協会が文部省(当時)の正式な認可を受けて発足、89年の指導要領改訂では小学校にも性教育が導入された。しかし、多様化・個人主義化のあおりも受け、性に関するモラルは崩壊の一途をたどり、性体験の低年齢化傾向は留まるところを知らない。そればかりか、教職者によるセクハラや不倫までが世間を騒がせる。それは、倫理的基盤を持っているはずのキリスト教学校においても決して例外ではない。神の愛を語り、隣人愛を説くキリスト教こそが、真の意味で「性教育」を成し得るのではないか。この難題に正面から挑む、数少ない学校の取り組みを取材した。




▲聖カピタニオ女子高校教諭 大窪順子さん

■多角的な視点・多様な手法
 愛知県瀬戸市の聖カピタニオ女子高校(ギュンタ・ケルクマン校長)で行われてきた性教育には、20年以上の歴史がある。1982年、学習指導要領の改定に際し「女性学」が新設され、99年には、文部科学省による総合学習の導入にあわせて教科名を「ウマニタス(ラテン語)」に改称。カトリック学校として「人間の尊厳」を大前提に、週1時間の授業で、マナー、性教育、社会問題などの内容を系統立てて学ぶ。中でも性教育の授業では、月経、妊娠の仕組み、性感染症、男子の「性」、男女交際についてなど、かなり具体的な内容にも踏み込んでいる。
 実際に授業をするのは担当教諭2人だが、養護教諭、家庭科、社会科、国語科の教諭らがスタッフとして加わり、さまざまな角度から内容を吟味、検討しながら授業を展開する。内容によっては、他の教科と連動して授業をすることも。また、婦人科の医師を招いた講演会も行っている。
 授業方法は講義形式だけにならないよう、グループによる話し合い、調べ学習、ディベートなど、工夫をこらす。ある授業では、生徒自身が役割を演じる「ロール・プレイ」を取り入れ、「結婚における男女の人間関係」や「10代の妊娠」など、実際に起こり得る場面を想定し、身をもって考えさせる。自分が生まれた時のことを親にインタビューする宿題などは、親子で話し合うきっかけにもなっているという。

■生徒たちが危ない
 現在3年生の授業を担当するのは、社会化教諭の免許を持つシスターの大窪順子さん。「宗教は神と自分との関係を考える。ウマニタスで考えるのは、人と人との関係です。自分が尊い存在であるなら、相手も尊い。その尊い相手といかに付き合っていくかを考えるのが最大の目的です」
 大窪さんが担当してきたのは、主に女性史。「からゆきさん」や従軍慰安婦などの歴史をはじめ、明治から昭和にかけて活躍した女性たち、日本国憲法の「男女平等」条項を起草したベアテ・シロタ・ゴードンなどの人物に焦点を当て、時代背景をおさえながら、女性の置かれてきた境遇を事実として教える。教科書に取り上げられることの少ない女性たちの存在を知り、彼女らの生き方を学ぶというのがねらいだ。
 また、社会に巣立つ前の学年ということもあり、出会い系サイト、デートDV、同性愛など、今日的な課題にも力を入れる。その根底には、生徒たちを取り巻く現状への危機感と、「幸せになってもらいたい」という教師としての願いがある。
 「女性は、歴史的に見ても性の奴隷になりやすい。結局、最後に責任を取るのは女性です。生徒達にはしっかりした『自己決定』の力を持ち、本当の愛とは何かを分かってほしい。やはり女性が賢くならなければ」と大窪さん。
 特に高校に入学したばかりの1年生を担当する小平木ノ実さん(宗教科教諭)には、その思いが強い。小中学校での話を聞くと、ほとんどが共学校出身者だが、しっかり性教育を受けたという生徒は40人中1人か2人。とりわけ「月経指導だけ女子にして、男子は別メニュー」というケースが圧倒的に多い。

■「性=生」教育
 では、生徒の反応は――。小平さんによると、やはり授業を始めた4月当初は「自分の体のことさえ知りたくないのに、なぜ男の子の体のことまで」という抵抗もあるという。しかし、3年間かけて学ぶ中で、生徒たちの姿勢は大きく変わる。
 この3月に卒業する3年生の感想にも、数多くの確かな手ごたえが見てとれる。「正直初めのうちは『超めんどくさい、嫌だなぁ』と好きになれなかった……今までは気づけなかった本当の自分の気持ちを冷静に見つめ直し、『人間』についても考え方、見方がだんだん変わってきて、様々な角度から見て深く考えることが増えました」「いろんな問題の起こっているこの世界で自分は何をすればいいのか、どういう生き方が正しいのか、たくさん学んで悩んだ」「もしウマニタスがなかったら、今の自分には会えてなかった……この3年間をふり返ったら、知識が増え、少し自分が好きになることができました」……。
 「女性学」の開講当初からスタッフとして関わってきた養護教諭の宮本信代さんは、むしろ自分自身の成長にもつながったとふり返る。「『今の自分をありのまま受けとめて』『一人ひとりが大事』というメッセージを送りたいと思ってきましたが、生徒から教わることの方が多いような気がします」
 大窪さんは、「性教育は、『生き方教育』です」ときっぱり。生徒と共に悩みながら授業を作り上げ、実践と研究を積み重ねてきた教師の実感だ。

■本音で語る「性」
 生徒たちが置かれている現状を考え、妊娠や中絶の問題も避けられない大事な事柄として模索しながら取り組み、命について考えている。
 大窪さんがもう一つ気をつけているのは、ややもすると「男性が悪い」「男性が怖い」という結論になってしまうこと。命を生み出す女性だけでなく、男性にとっても、自分の性とどう向き合っていくかは大きな課題である。中絶がどんな手術かを知らずに、簡単に「堕ろせ」という男の子や、「やめてやめても好きのうち」などという誤った情報を真に受ける男の子を見るにつけ、「同じ授業を受けさせたい」との思いも募る。
 修道服を着たシスターが、包み隠さず、本音で訴えかける姿は印象的だ。「ダメなものはダメ」――。飾らない気さくな雰囲気が、生徒たちを惹きつけるのかもしれない。恋愛相談を持ちかけられることも少なくない。卒業生の中には、「時々シスターの顔が浮かぶ」と話す子もいるという。
 「自分の女性性≠ニ生涯向き合い続けるシスターだからこそやるべき」と語る大窪さんだが、「わたしも初めは抵抗がありました」と照れ笑い。「自分の人間性が試されるときでもあり、辛い思いをする年もある」。それでも、「『性』はわたしたちを豊かな人生に導くキーワード」とのメッセージを送り続けている。


▲国際基督教大学教授 町田健一さん

■脱「避妊教育」「脅し教育」
 国際基督教大学で町田健一さん(教養学部教授)が担当する「教職原論:中等教育研究入門」は、中学・高校の教師を目指す学生向けに開講されている年間18時間の授業。そのうち、最後の5時間分を性教育に費やす。そこには、キリスト教主義大学における教員養成課程でこそ、「より良い性」のための正しい知識を学ぶ機会が必要との思いが込められている。
 授業は、教師になった時のためでもあり、学生自身のためでもある。その内容は、「教師として性教育を扱う際の留意点」から、「性に対する考え方の歴史的変遷」「性教育をめぐる主張の相違点」「男女の欲求の違い」に至るまで多岐に渡る。性教育というと避妊や中絶の問題と考えがちだが――。「避妊法は完全でないとか、エイズや性感染症が怖いというのは一つの警告になるが、もっと大事に扱うべき根本的問題がある」というのが町田さんのスタンス。
 「付き合うなら肉体関係を持つのは仕方がない」「一生で1人だけなんて考えられない」「事前に練習しておかなければ……」など、学生たちの認識には毎年愕然とする。「今日、恋愛が非常に薄っぺらなものになっています。お付き合いをしても別れる率が高く、期間も短い。その中で、多くの若者が性体験をしている。大人も、なぜダメなのか、説明できるものを持っていない」
 そうした現状をふまえ町田さんは、「まず小学校から、しっかり『恋愛論』を教えるべき」と強調する。「好き」という感情だけでなく、理性で相手を思うこと、「人を愛する」とはどういうことかというアプローチ。まさに、「恋愛論」で始めて「人生論」の中で語る性教育だ。
 学生によるディスカッションも行うが、「町田の主張」と題する講義の時間では、マスコミの情報や「周りがやっているから」という「仲間道徳」にも真っ向から対峙してみせる。理論武装と同時に、「より良い」モデルを提示することも必要だという。「特に高校から大学1年までの最も危険な時期に、どう価値観形成をするか、周りに対してどう自分を主張できるようになるかが課題」

■10年遅れのアメリカ追随
 教育改革では、およそ10年遅れでアメリカの動きを追うことが多い日本。性教育も同様で、日本性教育協会の見解をはじめ、日本の性教育は、アメリカの非営利団体SIECUS(Sexuality Information and Education Council of the United States)による「包括的性教育」を参考にしてきた。それは、「セックスは愛し合っている者たちにとっての自然な関係・権利、たとえ10代でも」とうたい、性の生理的な仕組みと共に避妊の知識と技術を教えながら、他方、若者の「自己決定権」を尊重し、「納得していれば」と「責任ある選択」を促す。
 しかし、「性の自由化」が進行した1970年代以来、アメリカがたどったのは、10代の妊娠、中絶の増加、家庭崩壊、性感染症の蔓延など、悲惨な末路。そうした反省に立ち、90年以降は、国をあげて「自己抑制の性教育」への転換がなされ始めている。
 もともと欧米のキリスト教社会には、あらゆる「不品行」を戒める聖書の教えに基づき、体と心の純潔性を説く伝統があった。そうした基盤のない日本が、同じ過ちを犯そうとしていることに大きな危惧を抱いている。「土台となる価値観がなければ、『自己決定』などできない」

■バルトの結婚観
 授業では、キリスト教の倫理観として、カール・バルトの主張も対比的に取り上げている。バルトによれば、結婚とは「主に従う全人的決断において一つになった男女の関係」であり、「性的関係は、結婚による夫婦の永続的・排他的関係、魂と体の全的な関係の中においてなされるべきである」とされている。
 しかし、カトリックのように、具体的問題まで規定したカテキズムを持たないプロテスタント教会では、教派によって教理的な縛りが異なり、多様な捉え方がされてきた。今日では、離婚も婚外の性交渉も許容する「ラディカルな」牧師も少なくない。聖書の原則と現実とは分けて教えているという学校もある。「『神に対する誠実さ』とか、『導かれた2人』という側面がもっとアピールされていい。キリスト教学校は、自信を持って自身の原則を高く掲げるべき」と町田さん。
 このような内容は、むしろ信徒でない学生には新鮮に聞こえているようだ。「わたしはクリスチャンでないが、バルトのいうように神を中心に据えた2人は本当に幸せだろうと思った」という感想もある。他方、信徒の家庭で育ったという学生からはこんな声も。「罪悪感を感じながら何度か(体を)許してきた。この授業でこれからは改めることを決心した。同じような問題で苦しむ生徒に活かしたい」

■成果と課題
 講義を続けて16年。授業を終える度に、「やってよかった」との思いを強くしている。これまで、かなりの割合で受講した学生の中に態度変容、行動変容が起こってきた。「自分の生きる姿勢を問いただされた」「ノートを見せながら2人でこれからのことを話し合った」「自責の念にかられ、検査を受け、自分の過去を恋人に話し、謝った」「もう少し早くこの授業を受けていれば、あの嫌な体験はしなくてすんでいたのにと悔しい」などなど。自分の過去をふり返り、講義を聞きながら涙する学生もいる。
 いま直面している最大の課題は、現役の教師自身が受けてきた性教育と、育った社会環境の壁だという。20〜40代の教師は、婚前交渉が当たり前になってきた時代の影響を多大に受けている。教師向けに行った講演での反応は、性教育を扱うことへの恥ずかしさに加え、自分の過去の体験から「生徒に教える資格はない」というものまでさまざま。倫理的問題を含む価値観の指導に困難を覚えるという学校教育の風潮もある。
 現在、東京神学大学でも同様の講義を担当する町田さんは、キリスト教学校の教員研修、教員養成において、『性教育のあり方』を議論することの必要性を訴えている。「科学的に正しい知識を避けずにいかにきちんと伝え、……断罪するのでなく、また世の中的な価値観に譲歩するのでもなく、どのように美しい『性』を理解し、体験させられるか」「キリスト教主義学校こそが語るべき、そしてキリスト教主義学校だけしか語れない性教育がある」

2008.3.22 キリスト新聞記事



■2008.2.23
 “本来のリベラル・アーツを”
 キリスト教学校教育懇談会 西原廉太氏が提言


 
▲壇上で発題するシンポジスト(左)、講演する西原氏



 キリスト教学校教育懇談会は2月23日、立教池袋中学校・高等学校(東京都豊島区)で、「現代に活きるキリスト教教育」と題する第5回公開講演会を開催した。会場には約160人の学校関係者らがつめかけた。
 講師に招かれた西原廉太氏(立教大学文学部教授・学長補佐)は、今日のキリスト教主義学校のあり方をめぐり、ヨーロッパの最初期の大学において、法・医・文学などあらゆる学問の基礎として神学があったことを挙げ、「大学とは本来、神学を基礎としており、世の中の最も痛みを持つ人々に近付き、共に担いながら生きる人間を養成するためのもの」と述べた。
 また日本がキリスト教国でなかったため「より実利的な教育が先行したまま現代に至っている」と指摘。「そもそもリベラル・アーツは、『自由7科(言語にかかわる文法・修辞法・論理学の3科と、数学にかかわる算術・幾何・天文学・音楽の4科)』と呼ばれる極めて具体的なカリキュラムだった」として、「真の総合的知≠フ回復」のためにカリキュラムを再構築する必要があると強調し、「単なる教養科目ではない本来のリベラル・アーツを」「教養教育と専門教育の分業ではない学士課程教育を」と提言した。
 最後に、「イエスは真のストーリー・テラーであると同時に、真のストーリー・リスナーであった。教師の役割は物語を紹介しながら対話を引き起こし、授業を共に作ること」と述べ、キリスト教主義学校の使命は「あなたの存在が大切だ。だからあなたの隣人を大切にしなさい」と発信していくことであると結んだ。
 講演後に行われたシンポジウムでは、片山はるひ(上智大学文学部教授)、野々村昇(活水学院院長)、鎮目稔(聖心女子学院教諭)、高田智子(香蘭女学校教頭)の4氏が発題。
 野々村氏は、「現代に生きるキリスト教教育――当面する課題への対応を考える」と題し、キリスト教主義学校でありながら実学的な教育がニーズとして求められる現状を紹介し、「『教養ある職業人』という目標を立ててカリキュラムを充実させる必要がある」とした。
 同懇談会は、キリスト教学校教育同盟(久世了理事長)と日本カトリック学校連合会(河合恒男理事長)が共同し、「教育現場でのエキュメニカルな協力」を実践的に進めるため、2003年4月に発足。これまで倉松功氏(東北学院学院長)、高祖敏明氏(上智学院理事長)らによる講演会を開催してきた。

2008.3.8 キリスト新聞記事



■2008.2.22
 洋の東西を越え紡ぎ出すハーモニー
 「大阪コレギウム・ムジクム」 東京定期公演


 
▲大阪コレギウム主宰の当間修一さん(左)と教会での練習の様子



 オルガン音楽を含む器楽と合唱の統合された演奏、バロック音楽の演奏と研究・普及を目的とする大阪コレギウム・ムジクム(当間修一代表)が3月16日午後3時(開場2時半)から、東京第一生命ホール(東京都中央区)を会場に第14回東京定期公演「声と弦 その魅力の饗宴――バロックから現代へ」を行う。「ヘンデル」から「宮沢賢治」まで――。時代を超え、洋の東西を越えて紡がれるハーモニーの源流をたどった。

 「コレギウム・ムジクム」とは、17〜18世紀のドイツで活躍し、公開演奏会の先駆けともなった音楽団体のこと。その名を冠した「大阪コレギウム・ムジクム」は、日基教団浪花教会のオルガニストを務めていた当間修一氏によって、1975年11月に創設された。同氏はその常任指揮者として、国内外における演奏会で高い評価を得ている。そのレパートリーは、ルネサンス音楽から現代音楽までと幅広い。
 日本福音ルーテル教会大阪教会(大阪市中央区)の礼拝堂が普段の練習場。同教会の後援による「マンスリー・コンサート」は1978年以来、毎月欠かさずに行われており、今月で310回目を数える(3月26日、H・シュッツ「十字架上の七つの言葉」など)。そのほか、室内オーケストラによる定期演奏会や、「現代音楽シリーズ」「邦人合唱曲シリーズ」といった特別演奏会など、多彩な活動を展開中だ。
 今回の定期公演は、合唱と弦楽合奏によるコラボレート。バロック時代からブクステフーデの「マニフィカト」、ヘンデルの「ニシドミヌス」を演奏。『惑星』で有名なホルストの作った珍しい合唱曲も聞きどころの一つ。さらに、昨年9月の京都公演で好評を博した千原英喜氏による「雨ニモマケズ」(詩/宮沢賢治)が、新たに弦楽合奏版として披露される。
 メンバーにキリスト教信徒は少ないが、音楽の背景を知るため聖書を読んだり歴史を学んだりするうちに、その魅力の虜になる人も少なくないという。プランニングマネージャーの小野容子さんもその1人。
 「わたしにとって教会音楽は特別な芸術作品だったのですが、実際に礼拝で歌われているのを聞いた時、人々の実生活に根付いたものだったと知り、まさに『目からウロコ』でした」と語る。
 大阪コレギウム・ムジクムは、今後、古典から現代音楽までを含めた総合的舞台芸術を作っていきたいとしている。
 チケットは、S席5500円、A席4500円、B席3500円、学生2500円、高校生以下1500円。未就学児同伴の場合、「親子室」の使用も可能(要予約)。問合せは同事務所(06・6929・0792)まで。

2008.3.15 キリスト新聞記事



■2008.2.18
 「綱紀粛正より軍隊撤去を」
 沖縄・北谷町 米兵による少女暴行事件に怒り




 またも、「綱紀粛正」「再発防止」が虚しく響いた。2月10日、在沖米海兵隊キャンプ・コートニー所属の2等軍曹タイロン・ハドナット容疑者(38)が沖縄県北谷町内で女子中学生を暴行。翌11日、強姦の容疑で沖縄署に逮捕された。同容疑者は10日夜、沖縄市内で女子中学生に声をかけ、北中城村の自宅へ連行。逃げる少女を乗用車に乗せ、中部一帯を連れまわした後、乗用車内で少女に暴行した疑い。同容疑者は体に触ったことは認めているが、強姦容疑については否認している。

 この事件を受けて、市民団体主催による緊急抗議集会が12日、北中城村のキャンプ瑞慶覧ゲート在沖米軍司令部前で行われ、集まった市民ら約300人(主催者発表)が、「子どもたちの平和を返せ」「安全な暮らしを返せ」と怒りの声を上げた。
 辺野古で新基地建設の阻止行動を行う平良夏芽氏(日基教団うふざと伝道所牧師・平和市民連絡会共同代表)は、事件後あたかも被害少女が悪かったかのような言論が飛び交っていることに心を痛めているとし、「どんな理由があろうと、この少女を襲っていいという理由にはならない」と怒りを露にした。また、これまで同様「綱紀粛正」がくり返されていることについて、「人殺しの訓練をしている米軍が『綱紀粛正』して、人権や命を守れるはずがない。軍隊に対して『綱紀粛正』を求めること自体間違っている」と語気を強めた。
 さらに、1995年の少女暴行事件以後、わたしたちは何をしてきたのかと問い、「結局、県民は経済などの理由を挙げ、米軍と一緒に生きることを選んできてしまった。この少女が襲われた責任は、わたしたち自身にもあるということを自覚し、反省すべき」と述べ、「軍隊がある限り、何度も何度も犠牲はくり返される。『綱紀粛正』ではなく軍隊の撤去を、本気でわたしたちの目標にしよう」と訴えた。

 日本YWCAは2月12日、抗議声明を発表。声明は「今回の女子中学生、またこれまで被害にあった数知れない少女や女性たちの計り知れない心身の傷の深みと痛みを思い悲しむとともに、日米安保条約のもとに基地の存在を合法化し、日常的な米軍による暴力を放置し続ける日米両政府に対して抗議」するとし、「沖縄・日本への米軍配備強化の中止と、すべての米軍基地の撤去」「日米地位協定の抜本的改定」などを求めている。

 日基教団は2月18日、第4回常議員会で抗議声明を採択。声明は今回の事件について、「大きな衝撃を受け」「まことに慙愧にたえ」ないとした上で、「再発防止の声も虚しく繰り返される暴行事件に憤りを感じ、強い抗議を米軍はじめ関係者に送ります。被害を受けた中学生の癒しを祈ると共に、根にある基地の撤去のために、沖縄に住む人々と力を合わせていくことをもって痛みの共有と致します」としている。

2008.3.1 キリスト新聞記事



■2008.2.11
 「基地は人殺しの道具」 
戦争と人権を考える市民の集い
 沖縄で活動する金井創氏


 
▲写真を掲示しながら語る金井氏(右)



 「戦争と人権を考える市民の集い」(同実行委員会主催)が2月11日、群馬県女性会館(前橋市)で行われ、金井創氏(日基教団佐敷教会牧師)が「沖縄の海も陸も空も国のものか」と題して講演した。会場は、250人を超える参加者の熱気で包まれた。
 同氏は、昨年9月の県民大会後から気になっていることとして、過去の問題が今の問題と切り離されている点を挙げ「教科書の書き換えには、歴史を歪めるだけでなく、軍隊の残虐性を薄め、将来に向けて国のために命を投げ出す若者を育てるという意図がある。過去をねじ曲げようとすることへの怒りが、現在の基地に対する怒りにどうつながっていくのかが課題」と指摘した。
 また、環境アセス法を無視した事前調査やパラシュート降下訓練が強行されたこと、実弾射撃訓練による山火事が頻発していること、辺野古に建設されようとしている基地は「軍事要塞」とも言える規模であることなど、沖縄の現況について写真を交えながら報告し、「沖縄は、基地があるために加害の側にも立たされている。基地建設の阻止行動には、どんな命も奪われてはならない、殺す側には立ちたくないとの思いで参加している」と述べた。
 非暴力を貫き、調査に携わる漁船の作業員らとも信頼関係を築く中で、「武力で平和はつくれない」ということを日々実感しているという。「日本の政府はやりたい放題。わたしも海を潰されるのは反対だ」と本音を漏らす船長もいる。「マリンズ・ゴー・ホーム」と呼びかけた海兵隊員からは、「アイ・ウォントゥ・ゴー・ホーム」との返事が返ってきた。「彼らは敵ではない」と金井氏。「彼らの命も失われてほしくない。そのためにも、人殺しの最大の道具である基地を作ってはならない」と訴えた。

2008.3.1 キリスト新聞記事



■2008.2.11
 2・11「信教の自由を守る日」 
日基教団埼玉地区社会委
 “靖国の闇”を明らかに 『侵略神社』の辻子実氏語る

 
▲「靖国」を上がりとした明治期の双六を紹介する辻子氏



 日基教団埼玉地区社会委員会は2月11日、同教団大宮教会(埼玉県さいたま市)で、辻子実氏(日本バプテスト連盟恵泉バプテスト教会員・日本キリスト教協議会靖国神社問題委員会委員)を招き、「信教の自由と平和を求める2・11集会」を開催した。会場には100人を超える参加者が集まり、講師の話に耳を傾けた。

 昨年、靖国神社と遊就館について解説する『靖国の闇にようこそ』を著した辻子氏は、「侵略神社・靖国思想の本質」と題して講演。
 1938年2月の「紀元節」にあわせ、東西バプテスト共同編纂「教師の友」に掲載された「基督者としての愛国」を説く教案を紹介し、「率先して犠牲になることが、日本に生まれたキリスト者の姿として刷り込まれていた」と指摘。「皇国臣民」を育てた「教会学校」の責任について述べた。
 「建国記念の日」に抗する理由について同氏は、小学生の素朴な疑問に答えた以下のような手紙を紹介。「天皇一家には、有名で特別だからという理由で名字がありません。特別に偉い人がいるということは、偉くない人がいるということにもなります。聖書では、人間はみんな神さまが創造されたと書かれています。わたしは、みんな一緒なのだから特別に偉い人はいらないと思います」「最初の天皇が、日本の国を2600年以上前の2月11日に作ったというのはお話です。国ができたことを祝うより、国と国が争わないことをみんなが祝う日を、記念日としてお休みにしてくれたらいいと思います」と読み上げ、「『建国記念の日』の問題はこれに尽きる。子どもたちには積極的に、『神話は神話だ』と伝えていく必要がある」と訴えた。
 靖国神社については、日本語で説明があるのに外国語版では説明が省かれている部分があること、軍人ばかりでなく「少年少女や生まれて間もない子供たち」も神として祀られていること、当時、日本国籍だった朝鮮人・台湾人、生存者まで合祀されていることなどを挙げ、靖国思想の本質や戦死者を顕彰する「英霊」思想の問題点について明らかにした。
 自身の靖国に対する立場については、神社の本質を暴き参拝者を激減させ、社殿にクモの巣が張られるような状況をつくり出すことを目指す「クモの巣派」と称し、「(願いが実現するまで)粘り強く訴え続けます。それが、わたしなりの信仰告白です」と締めくくった。

2008.3.1 キリスト新聞記事



■2008.2.5
 青山学院 新ガウチャー・ホール
 レンガ造りの基礎発掘 江戸、明治の情景今に


 
▲発掘された遺構に見入る見学会の参加者ら(左)と3重構造の基礎部分



 東京都渋谷区の青山学院大学(伊藤定良学長)で、1906(明治39)年に建設され、1923(大正12)年9月1日の関東大震災で倒壊した「新ガウチャー・ホール」のレンガ積みの基礎部分が発掘された。場所は、同大青山キャンパスのテニスコート跡地。新校舎建築に先立ち、昨年9月から行われた「試掘」の結果、江戸時代の遺構が残されていることが判明し、本調査を進める中で、レンガの基礎も見つかった。2月5日には現地見学会が行われ、集まった参加者らは、学院のために尽力した宣教師の苦労をしのんだ。

 この建物は、日本聖公会聖アグネス教会(京都市)、遺愛学院本館(函館市)を手がけたアメリカ人のJ・M・ガーディナーの設計によって建てられ、青山キャンパスの土地購入や校舎建設などのために多額の寄付をしたジョン・F・ガウチャー博士の名をとり、「新ガウチャー・ホール」と名付けられた。2階建てレンガ造り(延べ約2200平方b)で、左右対称が特徴の西洋建築技法が用いられている。
 当初、中等科と高等科の校舎として使用されていたが、関東大震災で2階部分が半壊したため、他のレンガ造り校舎と共に取り壊された。跡地はその後、グラウンドとして利用されていたが、1965(昭和40)年頃その一角にテニスコートが作られた。
 今回発見されたのは、戦災や敷地整備でなくなったと考えられていた基礎の西側部分。敷石(割栗)、コンクリート、レンガの3重構造の土台が、当時の状態のままではっきりと残されていた。また、一部のレンガには桜のつぼみの刻印が刻まれており、専門家の分析から、1889(明治22)年に横浜で作られたものであることも判明している。
 今回の発掘調査に携わった清水信行氏(同大教授・考古学)によると、「大震災直後の写真を見ると、外壁の損傷が少ない。この基礎構造が、免震の役割を果たしたのではないかと推察される」という。

 江戸時代、同大学一帯は伊予西条藩松平家の所有地だった。1871(明治4)年の廃藩置県で国の土地となり、農業試験場として使われていたが、1883(明治16)年頃に払い下げられた。その土地を、ガウチャーの寄付などにより同学院が購入。1887(明治20)年には、4階建ての新校舎「ガウチャー・ホール」を建設したが、1894(明治27)年の震災で被害を受けたため、新しい校舎を建てることになった。それが、「新ガウチャー・ホール」である。
 今回の発掘調査では、同ホールの基礎部分のほか、江戸時代の墓と思われる四角い穴から、刀の束と一緒に埋められていた3頭分の犬の頭蓋骨や寛永通宝も見つかった。また、穴を掘って倉庫にしていた「地下室(むろ)」や井戸、柱の跡なども見つかった。
 同大副学長の土山實男氏は、「新ガウチャー・ホールの基礎部分を見るだけでも、青山学院の先達がどのような日本を築こうとしていたのか、その気概を感じます」と話している。
 同学院では、3月中旬までにすべての発掘調査を終え、校舎新設計画を進める予定だが、遺構から出土したレンガの保存も検討中だという。

ジョン・F・ガウチャー
 1868年ディキンソン大学卒業。名誉神学博士・名誉法学博士。69年米国メソジスト監督教会ボルティモア年会で按手礼を受け、自らを「世界市民」として超教派的宣教を志し、世界各地の宗教教育と伝道にその生涯を捧げた。キリスト教教育事業に莫大な私財を献じ、6万jを超す援助は美會神学校をはじめ、青山の土地購入資金、2度にわたる校舎の建築資金、その他教職員の給与の一部にまでおよんだ。

2008.2.23 キリスト新聞記事



■2008.2.1
 国際基督教大学 丁光訓氏に名誉人文博士号
 “日中友好の象徴”


 
▲授与式後の丁光訓(中央)と、鈴木(左)、山本の各氏



 国際基督教大学(ICU・鈴木典比古学長)はこのほど、南京事件70周年にあわせて、丁光訓氏(Bishop K.H.Ting)に名誉人文学博士号を授与した。同大は今後、南京大学をはじめとする中国の教育・研究機関との連携をさらに深めていきたいと期待を寄せる。昨年12月14日、中国・南京の金陵協和神学院で行われた授与式に出席した鈴木学長、山本和氏(同大総務理事)、学位授与を提案した武田清子氏(同大名誉教授)に話を聞いた。

 聖公会の主教である丁氏は、コロンビア大学・ユニオン神学校に学んだ後、1950年スイス・ジュネーブでの世界キリスト教学生連盟(WSCF)に従事。1951年新中国に戻って、呉耀宗が主導した中国基督教三自愛国運動を継承し、近年の中国キリスト教の発展に貢献した。85年には愛徳基金会を設立、初代理事長に就任し、キリスト教精神に基づく社会福祉・開発事業の面でも多くの功績を残した。

 今回の授与は、1951年、WSCFの会議で初めて共に仕事をして以来、50年以上の交友関係にあるという武田氏が提案し、理事会で賛同を得て受理されたという。
 今年1月に出版された『原典現代中国キリスト教資料集』(富坂キリスト教センター編・新教出版社)にも、丁氏の論文や講演が数多く収録されている。武田氏は改めてこれらを読み直し、その評価すべき特色について以下のように指摘する。
 「西洋諸国の宣教師がもたらした教派的キリスト教会や神学を排し、純粋に聖書からキリストのみ言葉を受け取り、中国人としての聖書理解から、新しいキリスト教会と神学の形成を探求している」「中国政府の開放政策を開かれたキリスト教の愛で包み、人道主義への道を追求するかぎり協力者と見、あくまで聖書に従って歩もうとする中国キリスト者の積極的な姿勢を浮き彫りにしている」
 「今回の学位授与は、単に個人を顕彰するということ以上に、過去への悔い、中国の人々との和解、平和的な将来のためのシンボリックな意味を持っている。個々人のつながりから信頼が生まれ、それに基づいてこそ平和が築かれていく」と武田氏。
 授与式では、「日中友好の象徴として差し上げたいので、ぜひ受け取ってほしい」との趣旨が読み上げられた。

 ICUは、06年から中国・江蘇省にある南京大学と交換留学の協定を結び、学生同士の交流を続けている。07年には、両大学の学生が共同で劇を作るというプロジェクト「INP(ICU-Nanjing University Project)」を実施。
 同年3月には南京大学をはじめとする教育機関(南京師範大学、金陵女子大学、愛徳基金会)の代表を招き、研究提携を結んだ。南京事件70周年を記念した訪中は、その際に約束された。
 鈴木氏は、「さまざまな意義を含んだ今回の訪問は、不思議なめぐり合わせで実現しました」と、これまでの経緯をふり返った。中国のキリスト教主義大学をサポートするUBCHEA(The United Board for Christian Higher Education in Asia)の理事も務めた山本氏は、「(丁氏の)キリスト教における発展的役割に加え、民間にもキリスト教の社会的貢献を定着させ、それを行動で示した活動に敬意を表したい」と語った。
 同大では今後、サービスラーニングや語学教育(日本語と英語)など、多方面にわたり中国・南京との共同プログラムを推進していく予定だという。

2008.2.23 キリスト新聞記事



■2008.1.24
 信教の自由が危ない
 「政教分離の原則堅持を」 
2・11「信教の自由を守る日」特集

 
▲インタビューに答える谷氏(左)と二十条の会の行進



 今年も、2月11日「信教の自由を守る日」が迫ってきた。改憲論議が吹き荒れる2005年10月、自民党新憲法草案が発表されてから2年。いま憲法9条の陰で、20条が改悪されようとしていることへの危機感が高まっている。2006年、大阪では「九条の会」ならぬ「二十条の会(憲法二十条が危ない!緊急連絡会)」が立ち上げられた。同会のメンバーでもある谷大二氏(カトリックさいたま教区司教)に、信教の自由をめぐる今日の状況とカトリック内での動きについて話を聞いた。

■司教団メッセージ

 日本のカトリック司教団は昨年2月の臨時司教総会で、「わたしたちは基本的人権である信教の自由を保障する政教分離の原則を堅持していくことを強く訴えます」とするメッセージを発表した。翌3月に発行された社会司教委員会編による『信教の自由と政教分離』では、4人の司教がカトリックの立場から信教の自由と政教分離、教会と国家の関係について論じている。
 谷氏はその執筆者の一人として、政教分離の原則は国家と特定宗教のかかわりを規定するものであること、それが日本の歴史的反省から生まれたものであること、自民党の新憲法草案は、アメリカでの「目的・効果基準」を適用し、「社会的儀礼・習俗的行為」の名のもとで国と神社神道との結びつきを深めるねらいがあることなどを指摘した。「日本は、憲法20条によって初めて信教の自由を享受できるようになった。それはいわば世界への公約でもあります」。
 バチカン大使館のボッターリ大司教は司教団メッセージについて賛同の意を表し、教皇ベネディクト16世も昨年12月、バチカンを訪問した日本司教団に対し、「日本の国民生活における公共的なことがらに関して発言し続け、さまざまな声明の広報と宣伝に努めてくださるよう勧めます」と激励した。

■布教聖省の「指針」

 カトリック教会の歩みを省みる上で大きな分岐点とされるのが、1936年の布教聖省の指針『祖国に対する信者のつとめ』である。31年に起きた「上智大学靖国神社参拝拒否事件」を受け、判断と指導を仰いだ当時の教会指導者に対し、教皇庁布教聖省が回答したこの「指針」は、国家神道の儀礼について「カトリック信者がそれに参加し、他の国民と同じように振る舞うことが許される」と教えた。それに基づき、信徒の神社参拝は天皇に対する忠誠心と愛国心を表す「社会的儀礼」として許容されたのだ。
 しかしその後、第二バチカン公会議の『信教の自由に関する宣言』は、信教の自由の教えの理解と実践において不十分であったことを認めた。当時の「指針」は国家神道の時代における具体的な問題への指導であり、前提が崩れた今日において、そのまま日本の教会に適用することはできないというのが司教団の見解となった。
 岡田武夫氏(東京教区大司教)は、「他宗教による儀礼に参列して死者の安息を祈ることは、何の差し支えもありません」とした上で、靖国神社参拝については「通常の社会的儀礼を超え、教会が戦前・戦中に犯した同じ過ちに陥る危険性を孕んでいる」と指摘している。そして政教分離原則の「緩和」は、「他国を排斥し侮辱する民族主義に結びつく恐れが大であるという懸念を表明せざるをえない」とする(『信教の自由と政教分離』)。
 「神社神道に対して敵意を抱いていると思っている方がおられるようですが、そんなことは考えていません」と谷氏。軍国主義の精神的支柱であった靖国神社に国家として参拝するということは、戦前へ戻ること、と警鐘を鳴らす。

■愛国心と国家

 国が心の問題に踏み込もうとしている動きには、こうした背景があるという。情操教育の必要性を説く声もあるが――。「愛国心や道徳を教えたところで、本当の解決にはならない」ときっぱり。特に海外からの移住者が増大する今日、その子たちに特定の「愛国心」を押し付けられるのか、という懸念もある。
 理想的な国家のあり方について谷氏は、カトリック教会の社会教説に由来する「補完性の原則」を例に、「お互いにできないことを補い合うという関係性が大事。それが今は逆転している。難民の問題でも、国が本来の責任を果たさないために、NGOがさまざまなボランティアで援助しなければならないというのが現状」と嘆く。「心の問題も同じ。そもそも内面は個人の問題であり国家が介入すべきではありません。政教分離は、日本にとって単なる手段≠ナはなく信教の自由と不可分なものなのです」。

■宗教を超えて

 「憲法二十条が危ない!緊急連絡会(二十条の会)」は、自民党の新憲法草案が発表された翌年の2006年6月、菅原龍憲氏(浄土真宗本願寺派住職)らの呼びかけで発足した。キリスト教界からも千葉宣義氏(日基教団無任所牧師)、古かく荘八氏(同高石教会牧師)が発起人として加わり、これまでに宗教者ら約500人が賛同人として名を連ねている。千葉氏は、「戦争できる国づくりに必要とされていることの一つが、戦死者の追悼です」と述べ、憲法9条と同様に20条も危機にさらされていることを広く訴えたいと、会の目的を語った。
 関東でも、カトリックを中心に同様の会を立ち上げるための準備が進んでいるという。谷氏は、「信教の自由を守ることは、諸宗教間の協力的関係を保つ上でも重要」と強調する。
 松浦悟郎氏(社会司教委員会委員)は『信教の自由と政教分離』のあとがきで、「これは、教会としての問題でもありますが、何よりもこの国に生きる私たち一人ひとりの問題です」と記す。
 憲法20条は、自らの信仰を守り、他宗教を尊重し、非宗教者の「思想・良心の自由」を守るためにも、教会がまさに「補完」すべき領域ではないだろうか。

2008.2.9 キリスト新聞記事



■2008.1.17
 貴重な民俗的資料
 『宣教師ニコライの全日記』 
教文館に梓会出版文化賞特別賞

 
▲表彰を受ける教文館の渡部満社長



 昨年7月『宣教師ニコライの全日記』全9巻を刊行した教文館(渡部満社長)が、第23回梓会出版文化賞特別賞に選ばれ、1月17日、日本出版クラブ会館(東京都新宿区)で贈呈式が行われた。同賞は、個性的で良質な活動を続ける出版社の業績を顕彰するためのもの。
 受賞の理由となった同書は、ロシア正教会宣教師として幕末から明治にかけて日本に滞在した ニコライ・カサートキン(1836〜1912)の約40年間にわたる日記を、1979年に中村健之介氏(大妻女子大学教授)が発見し、ロシア語版の刊行(2004年)を経て、18人の共訳者と共に訳したという大作。07年度日本翻訳出版文化賞(日本翻訳家協会)にも選ばれている。
 式では、選考委員を代表して植田康夫氏(上智大学教授・日本出版学会会長)があいさつ。同書の意義について、「日本におけるキリスト教受容史であると共に、貴重な民族的記録となっている」点を挙げた。日記には、宣教のために全国を巡回するなかで出会った人々の生活様式や意識などが詳細に記録されている。
 渡部満氏は教文館を代表して、「今回の受賞を励みに、キリスト教と社会、文化を切り結ぶような役に立つ仕事を続けていきたい」と述べ、感謝と喜びの意を表した。
 『宣教師ニコライの全日記』はB5判2段組全9巻(各約380頁)。販売はセット販売のみで9万9750円。同書の監修者である中村氏によると、今後より多くの人に読んでもらうため、手軽に入手できる抜粋版の刊行を予定しているという。

 梓会出版文化賞=専門書誌出版社により運営されている社団法人出版梓会が、出版文化の向上と発展に寄与することを目的として1984年に創設。対象となるのは、原則として年間5点以上の出版活動を10年以上にわたり継続している中小出版社。選考委員は植田氏のほか、上野千鶴子、小原秀雄、木田元、斎藤美奈子の各氏。

2008.2.2 キリスト新聞記事



■2008.1.15
 “非暴力を貫いて” 平和をつくり出す宗教者ネット
 祈りの要請 毎月 続け50回

 
▲官邸前で祈りをささげる参加者(左)と平良氏



 海上自衛隊によるインド洋での給油活動を再開する新テロ対策特別措置法が1月11日、衆院本会議で再決議されたことを受け、昨年11月に中断した給油活動が、来月半ばにも再開する見通しとなった。
 これらの動きに対し、イラクへ自衛隊が派遣された2003年12月から、毎月欠かさず行われてきた取り組みがある。「平和をつくり出す宗教者ネット」(事務局・日本山妙法寺内)主催による首相官邸前での「祈りの要請行動」だ。再決議の翌週1月15日には、ちょうど50回目を数えた。この行動に参加し、祈り続けてきた宗教者らの思いとは。

 要請行動に先立ち行われた院内集会では、参集した国会議員らがあいさつ。昨年の参院選で社民党から当選した山内徳信氏(元読谷村長・「基地の県内移設に反対する県民会議」共同代表)は、沖縄で平和を求める活動の先頭にキリスト者が立っていることを紹介し、「ここにも平和を語る仲間がいると、心休まる思い」「憲法を改悪して、自衛隊を『国際貢献』という名のもとに外に出したがる議員が多すぎる」と述べ、国会の状況について報告した。
 続いて、参加した宗教者らが発言。渡辺峯氏(元YWCA理事長)は、これまでの活動をふり返り「仏教者の方々と交わる中で、多くを教えられ励まされたことを感謝しています」と述べ、「今まさに、わたしたちが戦争責任を問われている」と強調した。鈴木伶子氏(平和を実現するキリスト者ネット事務局代表)は、「50回を前に給油活動の再開が決まったことは、神さまによるテストだと思う」と、来月の51回に向けて決意を新たにした。
 集会後、場所を首相官邸前に移し、各宗派から祈りがささげられた。平良愛香氏(日基教団三・一教会牧師)は、「宗教者が理想を語らなかったら、誰が理想を語るのか。確信して希望を語ることが宗教者の使命」と述べ、「絶望することなく、しっかりと歩めるように」と祈った。カトリックからは、大倉一美氏(カトリック東京教区正義と平和委員会担当司祭)が祈祷。
 仏教者による祈りの後、集まった約50人の参加者は、「武力で平和はつくれません」「戦争に大義などありません」「非暴力を貫いてください」と、平和を実現するための祈りを合わせた。

 この行動が始まったのは4年前。カトリックのシスターが中心となり、自衛隊のイラク派遣に反対する署名を官邸へ届けたいと提案したことが発端だった。それまで、時々の時局にあわせて単発的に宗教者が集い訴えをしたことはあったが、皮肉にも自衛隊が派遣されたことで、定期的・継続的な取り組みが初めて実現した。当初から集めている「自衛隊の即時撤退を求める署名」は、先月末までに5万9965筆に上り、今でも毎月1千筆ほどが全国から寄せられているという。
 回を重ねるごとに、思わぬところで成果も生まれてきた。共に行動する中で、宗教者同士の理解も深められてきたのだ。「宗教者にとって、周りの形勢が有利かどうかということは問題ではないと教えられた」と語る鈴木氏も、始めた当初は他宗教のことについてほとんど知らなかったという。

 自衛隊の撤退を求めるこの行動は、決して長く続けることが本意ではない。しかし、度重なる「延長」に伴い、地道な要請を続けられた背景には何があるのか。
 山本俊正氏(日本キリスト教協議会総幹事)はその原動力について、「『武力で平和は作れない』という確信と、真実を伝えようという思い」だとし、「4年間で情勢も大きく変わってきた。一緒に祈ってきたことが、このような変化をもたらした」と改めて評価した。
 主催する同ネット事務局の武田隆雄氏(日本山妙法寺)は、長く続けられた要因は「祈り」にこそあると強調する。「わたしたちも報道に流されそうになることがあるが、毎月1回のこの行動は、宗教者が『何のために信じ、何のために生きるか』という原点に立ち返る機会になった」という。さらに、「聖書には、『絶えず祈りなさい』という言葉がありますよね」とひと言。今年は、さらに広くイスラム教徒にも呼びかけていきたいと意気込みを語った。

 宗教に名を借りた紛争が絶えず、「テロとの戦い」を声高に叫ぶ国が軍を。宗教者にとって、キリスト者にとって「殺してはならない」の意味とは――。再度考え直す時に来ている。

2008.1.26 キリスト新聞記事



■2008.1.9
 タイの子どもたちを撮る 小林里花さん
 “自分にできること”何かしたい――レンズ通しタイ見つめる



▲小林さん



 「素晴らしい仲間と子どもたちの笑顔に支えられています」。現在、写真の専門学校に通う小林里花さんは、関東学院大学在学中にタイを訪れたことがきっかけで、その後何度も現地に足を運ぶようになった。そして、いつしか芽生えた「自分にできることを何かしたい」との思いから、子どもたちの写真を撮り続けている。
 訪れたのはタイのチェンマイ。山岳地帯に住む子どもたちが学校に通うために、親元から離れ、教会の寮に暮らしている。ここでは、5歳から20歳ぐらいまでの160人ほどの子どもが共同生活をする。家族と会えるのは年に数回。初めは、いたって元気な子どもたちだが、ふとした時に寂しそうな表情を見せることもあるという。
 2004年、比較文化学科の体験学習として行われた2週間ほどの旅から帰り、「このまま終わらせていいのか」という思いの学生が集まってサークルを作った。「継続的にかかわれる、何か≠しよう」。小林さんが選んだのは、自身が大学で始めた写真を活かすこと。「もっと形になる支援をできたらいいのにと思い悩んだこともありますが、ずっとレンズを通して見ている人がいるということは伝えたい」。
 現地では、毎日礼拝が行われている。子どもたちは、「自分たちはあなたに何もしてあげられないが、わたしはいつもあなたたちが元気でいることをお祈りしている」と、会うたびに話してくれるという。「途中でやめたら、子どもたちに悲しい思いをさせてしまう」との思いで、今も写真を撮り続けている。
 今月末からは、これまで撮り溜めたものを展示する初の写真展が、KGU関内メディアセンター(神奈川県横浜市)で開かれる。タイトルは「タイの山で見つけたもの」。「言葉にはできませんでしたが、確かに何かを見つけた≠です。でも、それが何なのかはまだはっきり分かっていません」。この春には、同じ写真をタイに持って行き、教会などで展示する予定だという。小林さんに撮られた写真を子どもたちが目にするのは初めて。写真を前に、嬉々とする笑顔が目に浮かぶ。

 写真展「タイの山で見つけたもの」1月31日〜2月14日まで。KGU関内メディアセンター(横浜メディア・ビジネスセンタービル8階)で。平日・午前10時〜午後8時(最終日は午後4時)、土曜・〜午後4時。日曜・祝日休館。入場無料。問合せは同センター(рO45・650・1131)まで。

2008.1.26 キリスト新聞記事



■2008.1.4
 ブラジル・佐々木治夫神父が報告
 「第二の植民地主義」を危惧 
ラテンアメリカ・キリスト教ネット


▲一時帰国した佐々木氏



 ラテンアメリカ・キリスト教ネット(大倉一郎代表)は1月4日、日基教団なか伝道所(神奈川県横浜市)で、ブラジルから帰国中の佐々木治夫神父(ブラジル・フマニタス慈善協会理事長)を招き、「ブラジルの政治状況とキリスト教」と題する報告会を開催した。参加者らは、ブラジルの現状とキリスト教の今日的課題について耳を傾けた。

 1958年にブラジルに渡り、50年間日系人の宣教に携わってきた同氏。初めにブラジルの現状について、最大の課題は「政治家と司法の腐敗」と「根強い人種差別」だと紹介した。ブラジルにいる400人の司教の中で黒人は20人。国土の47%は、人口の5%が所有しているという。
 また、世界を席巻する新自由主義(ネオリベラリズム)に基づいた資本主義・市場原理主義の問題に言及。一部のエリートだけがあらゆる特権を得られるという第二の「植民地主義」、お金や財産を崇める「偶像礼拝」が氾濫していると指摘した。ブラジルでは、軽油の代替燃料であるバイオディーゼルの原料供給国として注目を浴び、世界中の資本家が土地を買収。大量のさとうきびや遺伝子組み換えのユーカリの栽培による土地の荒廃が問題となっている。
 国民に期待された労働党のルーラ大統領就任後も現状は打開されず、農地改革も一昨年から滞ったままだという。
 さらにローマの神学と中南米の神学の違いについて触れ、「果たして教会自身が福音に忠実か」と問題提起した。国内では、「ローマに従って地獄に行くよりも、福音に従って天国に行きましょう」など、バチカンを非難する声も聞かれるという。
 最後に、「ネオリベラリズムというローマ帝国以上の『帝国』に対峙し、キリスト者としてできることは、決して落胆せずイエスに従うことではないか」と呼びかけた。

 ラテンアメリカ・キリスト教ネット=日本とラテンアメリカのキリスト者の相互交流と連帯をめざして、2006年に発足。ブラジルの聖書学習運動で使用されているテキストの翻訳や研修会の企画、機関紙の発行などを主な活動としている。
 同ネットは、昨年末から新たに出版事業にも着手し、初の刊行物として同氏が訳した『母なる地球――今、創世記に聞く』(カルロス・メステルス、フランシスコ・オウロフィーノ著・A5判・150頁・1050円)を出版した。問合せは同事務局(рO465・73・0531)まで。

2008.1.19 キリスト新聞記事


  

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