教育実習見聞録
教育実習見聞録(小学校) 続!教育実習見聞録(中学校)
■第壱週  ■第弐週
■第参週  ■最終週
■これが噂の「学級崩壊」
■其ノ一
■其ノ二

 教育実習見聞録

 第壱週

 待ちに待った教育実習。先代、先々代と実習報告だけは飽きるほど聞かされていたので、3年まで教師を目指していた僕にとって、実習はまさに教育学部最大の醍醐味であった。実習校はO市内の小学校に決定。
 学校の雰囲気はいたって自由。というのもひとえに、管理職である校長、教頭、教務主任の人柄によるのかもしれない。なんせ事前訪問の第一印象がよかった。気のいいおじさん、おばさんが出てきて「校長」「教頭」を名乗ったもんだから、一気に不安は解消。あとは担当クラスが決まるのを待つのみとなる。
 担当は高学年を希望した(もともと中学校希望なので)ため、6年生。担任がこれまた親と同年代のおばさん先生。先生曰く「うちの息子も今度実習だからねぇ」。今でも「息子のように」大切にされている。   当のクラスはというと(これは後から知ったのだが)、結構学年でも名の知れたワル達が集まった問題クラスらしい。複雑な家庭環境をもっていたり、過去に苦い体験をしていたり、肉体的・精神的な病を背負っていたりと、そういう意味ではホントに多種多様な「個性」が集まっている。そうした背景が、すぐにキレたり、先生の悪口を言ったり、反抗したりといったいわゆる「問題」を起こす遠因にもなっているらしい。それは実習に行った初日、クラスの男子が、校内の壁に落書きした担任の悪口が見つかって説教されていたという事実が象徴的に示していた(2日目には、早速クラスの子同士がケンカをして仲裁の役を務めたりもした)。大変そうだが、かえってやりがいのあるクラスだと実感する。  さて、前置きが長くなった。まだ1週目を終えたばかりだが、気づいたことをいくつか報告したい。
 小学校の高学年といえばどんなイメージがあるだろうか。僕も「6年生」に様々な先入観を持ったまま実習を始めたが、想像どおりの部分や意外な部分など様々である。まずはやっぱり、低学年と違って「先生、先生」と言って抱きついてくる子はあまりいない(中にはいる)。女子は特に「オマセさん」が多いから、最初は興味ありげに距離をはかって様子を見ている。だが一度誰かが口火を切ると、待ってましたとばかりに接近してくる。ここらへんは女子の場合、すでに派閥があるから、相互の動きにも注意を払っている。ある積極的な女の子は、他の女の子(こういう子に限って優等生だったりする)から「あんまり先生となれなれしくしないでよ」と言われたらしい。実習生という立場上、クラス全員と仲良くなるつもりでいるが、いろいろと気を配る必要がありそうだ。顔と名前は3日で全員完璧に覚えたものの、「平等に」「公平に」接するというのは、想像以上に難しい。男子は男子で、常に徒党を組む「問題児」グループもいる。何かと目立つ彼らを「不良」と呼んでいる子もいるが、しょせん小学生なのでたかが知れている。いつも怒られている担任を嫌っているらしく、何かと反発したがる。ただそれだけのことだ。しかしそのズバ抜けた批判力・観察力は大したもので、「確かに正当だ」と思う意見が含まれていることもあり感心する。まぁ、いずれにしても小学6年生は「カワイイ」ことに変わりない。
 クラスがこんな状況だけに、担任より20以上年の若い教生なんかが来ようものなら、誰でも当然のように歓迎される。だから子どもと仲良くなるのはさして難しくはなかった。ただ、どうにかわずかな4週間のうちに、クラス安泰のための何らかの布石を残していけたらと思っている。 実習を始めてまず驚いたのは、学校内の時間の流れの早さである。8時から始まる一日一日が、あっという間に終わってしまう。授業の区切りが45分ということもあり、間に10分の休憩が入るものの、朝の会や帰りの会、給食や掃除まで含めると、本当に時間をぶつ切りにしたような過密スケジュールである。それこそ昼頃にやっと起きだし、90分の授業をボーッと聞き流し、夜遅くまで酒をかっくらうような大学の生活とはまさに月とすっぽんである。当の僕も、数か月ぶりの早起きと数週間ぶりの朝食がたたって、2日目にして体調が最悪だった(実習に行く人は、今から生活習慣を改善しておこう)。加えて言うと、やっぱり給食は量が少ない。さすがにおかわりを争う子どもから大事な食糧を奪おうとは思えないし、寮食以上の「珍味」が結構多い(たまに、宇宙食とみまごうばかりの物体が出てくる日もあったりする)。
 帰りはいつも5時すぎが当たり前で、次の日も朝早いから遅くても11時には寝床に就かなければならない。1週目はとにかく日曜が待ち遠しかった。期間限定の実習生だからまだいいが、家庭を持っている女の先生などは本当に大変だろう。帰っておちおち家事なんかをしていたら、教材研究などする暇もないはずだ。教師「多忙化」の実態は、予想をはるかに超えていた。
 たった1週間だが、他にも気づいたこと、発見したことを書き出すときりがない。一度絵を描いてみせたら、延々と「○○描いて」「××描いて」とせがまれ続けたとか、教室内はカラオケボックスにも勝る騒音の渦だとか、席替えなんぞをしようものなら、もう教室は実戦さながらの戦場と化すだとか、そんななか「静かにしろよ」と注意する子が何人かいて驚いたとか、放課後コックリさんに夢中になってる女の子を見て懐かしかったとか、ケンカをしてキレかかった子が翌日は何事もなかったかのようにケロッとしていて、その単純さにビックリしたとか…。
 ともかく、残されたわずかな時間で、教師や子ども、学校の内実、裏側にさらに迫っていきたいと思う。
(1998.5.20「KNOSPEN」より)
 第弐週

 楽しい。はっきり言って実習は楽しい。これは疑いのない事実である。どんな学校であっても、どんな子どもであっても、そこから学べるものは限りなくある。
 前回でも書いたが、なんたって実習生は若い。それだけで価値がある。当然のことのようだが、これが意外に大きな意味をもっている。ほとんどが40〜50代の団塊の世代で占められた教師集団のなかで、より近い世代感覚をもち、体育や休み時間には一緒に走り回ることができ、気軽なおしゃべりも難なくこなせる「若さ」をもった教師の存在がどんなに貴重なものか(授業に限らず、掃除にしろ給食の準備にしろ、子どもと「一緒に」活動することのもつ意義はかなり大きい)。しかも相手は小学生である。幼い子どもの時だからこそ、やる気と体力に満ちたパワフルな先生と出会わせてやりたいとつくづく思う。「若いうちは社会に出て、教師はその後でも…」と思っていた僕の職業観も、少しずつ変わってきた。教師とは、若いうちにこそなるべき職業かもしれない。
 一方、実際の教師は本当に忙しい。職員会議に学年会、それぞれの担当ごとの指導部会、くわえて教科主任や学年主任、職員旅行の企画委員なんぞまで務めなければならない人もいる。そんなあいまに一日5時間の授業の準備をして、学級経営もして、生活指導までやんなきゃ…などといったら、それこそ真面目に全部をこなそうとする先生は、いつ過労死しても不思議ではない状況である。小学校の先生というヤツは、授業だけできても決してつとまらない。あらゆる能力が問われ、オールマイティであることが望まれる。わがクラスの担任も、何かと忙しく慌ただしい人で、気がつくといつでも小走りしている。だから、たわいもない子どもの声に耳を傾ける余裕もない。「後にしてください」とか「先生の話を聞きなさい」といったセリフが自然と多くなる。結果、昨日言ったことを忘れていたり、約束を守れなかったりといったことがよくある。子どもたちはこれを最も嫌う。こうした蓄積がやがて子どもとの間に大きなズレを生み、お互いの信頼関係を崩していく。そして一度失った信頼は回復するのが難しい。個人的には、このざっくばらんさに結構助けられているのだが…(肩に力が入らないとか、指導案が簡単でいいとか)。
 さて、実習で驚いたことの一つに、学校内の暗黙のルール=「禁止事項」があった。まず、ノートへの落書きはダメ。硬筆の練習ができないという理由で、シャーペンは中学になってから。黒ボールペンもなぜかダメ。今はやりのトレーディング・カード(略称カード)も禁止。カードが高額であることや、盗難、恐喝などの原因になるというのがその理由。男の子のカードがダメだからという理由で、女の子の交換ノート(交換日記)も禁止になったらしい。無論、ヨーヨーやデジモンなどは、僕の予想に反してその影すら見ることはなかった。実習を始めたばかりの頃、子どもの遊ぶ姿がなかなか見えてこないのがとても奇妙に感じられた。学校外ではどんな遊びをしているのかまったく分からない。まさに「学校内文化・学校外文化」の激しいギャップである。そのなかでも、比較的自由に遊んでいいという独自のクラス経営をしている学級が、職員会議では非難の的となる。学校運営上は分からないでもないが、なにか理不尽さを感じた。
 2週目の実習期間は、相も変らず子どもたちの「○○描いて」というリクエストに追い回されながら、あっという間に過ぎてしまった。子どもたちは6年になっても絵(マンガ)が大好きである。クラブ活動でマンガクラブに参加したのだが、ピカチュウひとつ描いた途端「師匠と呼ばせてください」と連呼され、しばし呆然。あぁ、こんなんで喜んでくれるんなら…と思ってはみたものの、最近では、隣のクラスからもリクエストの紙をしこたまもらって持ち帰る日々。この前なんか、深夜まで頼まれた絵を描いていて、あやうく遅刻しそうになった。ふと「俺、何しに来たんだろ」と、てんで「絵描きのお兄さん」になってしまっている自分を省みることもしばしば。さらに、研究授業が「図工」になったために、数年ぶりにホビーショップ(プラモ屋など)に行って、資料集めなんかをしている。おかげでこの短い間に、流行のキャラクター商品にはかなり詳しくなった。ポケモンのピカチュウを筆頭に、キティちゃん、マイメロディ、ケロッピのサンリオ系から、スライムを代表とするドラクエモンスター、古くはドラえもん、うちのタマ、老舗のデズニー、スヌーピー、新しいのではエヴァンゲリオンまで…。いやぁ、消費文化の波はスゴイ!
 ともあれ、3週目からはいよいよ授業のスタート。これまでとは違う、「授業を通して」のふれあいをどこまでつくれるかが課題である。
(1998.5.27「KNOSPEN」より)
 第参週

 3週目。授業をした。さすがに実習も楽しいことばかりじゃないことを痛感。一クラス40人前後の子どもを45分間、授業に集中させるということは、予想外に難しい。特に2年間も同じ担任となると、先生のやり方もほとんど見切られてしまい、そろそろ飽きが出始めてくる。その点、実習生なんて気楽なもんだ。4週間という期間限定で、わずかな間にちょっと力を入れておもしろい授業をするだけで、子どもには受ける(実際それも簡単じゃないんだけどね)。まさに、おいしいとこだけ持っていくという役回り。
 一方子どもたちはといえば、(我がクラスを見ているかぎりにおいては)はっきり言って学校の授業にはそもそも期待していない。6年生でも3分の1ぐらいが塾に通っているから、授業など聞かずに、教科書の先の先まで進んでいる子がいる。学校の先生よりも塾の先生の方が、細かく丁寧にいろんなことを教えてくれるという意識も大きい。そんなだから、なおさら授業に集中できない。ちなみに余談だが、道徳の授業で、「小学生に塾は必要か」というテーマのディベートを試みた時は、意見が真っ二つに分かれ、「必要派」と「不必要派」が五分五分のままに論争が終わった。
 そしていよいよ問題の、研究授業。中学の免許は国語なのだが、図工が面白そうだったので図工の授業を希望した。テーマは、「不思議な鳥の不思議な巣」。しかし、自分の体験上での図工をイメージしていただけに「新しい」図工とのあまりの違いの大きさに度胆を抜かされる結果となる。いや、前から「新学力観」では図工が一番変わったという話は聞いていたし、実習生の体験談でもそれに似たような話は聞いていた。が、実際に授業の準備を重ねていくにつれ、「こんなん図工じゃねぇぇぇっ!」という心の叫びがどんどん膨れ上がってくるのだった。
 それぞれの「個性」によって作られた作品は、「すべて」いい。材料も何を使ってもいい。形だって何でもいい。どんな発想が出てきても、「すべて」いい。まさに何でもあり。いや、むしろ既成の概念にとらわれたものは「よくない」とされてしまう。僕の授業でも、当初はいろんな「巣箱」を作る予定だったのだが、箱にこだわらないようにと「巣」になり、今度は巣にこだわらないようにと、「住まい」とか「空間」に…。しまいには「感性を立体に」とか、「作業過程でのイメージの変化が重要」とか…。知るか、んなもん! 僕が小学生だったら、それこそプラモを作ったり、好きなマンガの模写をしたりする方がはるかに楽しいし、後々役に立つだろうし、技術や能力も身につくはずだ。ある程度自分の思い描いた通りに作品が仕上がって、その満足感とか、達成感が楽しいんじゃないか! さらに、「指導」するのはよくないので、「こうしたらいいんじゃないのぉ?」とか 「こうしたらいいかもよぉ」といった、さりげない「支援」が重要になるってんだから、余計に難しい。実際の授業(本時)は4週目なので、やってみなくちゃわからないのだが、はてさてどうなることやら…。
 さて、実習生の実状について少々ふれておこう。実際の実習内容は、自分の担当の先生によって天と地の差がある。うちの先生は以前にも書いたように、よく言えばざっくばらん、悪く言えばいい加減な先生なので、授業なんか指導案もなしで塾のバイトさながら自由にやらせてくれる(でも真面目にやってるよ)し、かえっていろんなことに自ら挑戦できて楽である。かたや毎日夕方遅くまで、今日の授業の反省と、明日の授業の指導案について、さらには研究授業の指導案について指導を受け、先生の思い通りの指導案ができるまで書き直しをさせられる実習生や、ここ2日で2時間も寝てないとつぶやきながら、真っ赤な目をこすりこすり持ち前の「要領の悪さ」で一生懸命に努力を続ける実習生もいる。そんなかたわらで子どもに頼まれた「絵」なんぞをのうのうと描いているわけにもいかず(こっそり描くようにしてる)、互いに同情しながら助言をして、励まし合っている。実習生同士が仲良くなるのは、かなり重要なポイントかもしれない。
 そんななかで一番楽しいのが、5・6年生が大会に向けて(朝と放課後)練習をする「陸上課外」。跳んだりはねたり、なまった体を思いっきり動かして、子どもと一緒にストレスを発散している(昔、保健体育で「昇華」って習ったけど、あれホントの話だね)。なんたって相手が小学生だから、運動不足のボンクラ学生でも、「運動神経抜群」のお兄さんでなんとか通用するんだ、これが…(中学ではそうはいかないだろーね)。
 さて次回は、涙、涙の(?)4週目。これまでの総決算ができるような、充実した一週間になることを願いつつ…。感動の最終回なるか?
(1998.6.10 「KNOSPEN」より)
 最終週

 4週にわたって連載した「見聞録」の最終回。実習中も欠かさず投稿しようという当初の目標がやっと達成された。先週のコンパでもあらかた報告しつくしてしまったが、今回は一ヵ月を通した実習の総括も兼ねて、4週目の報告をしたいと思う。
 実習を終えてみて第一の感想は、やっぱり協力校で良かったということ。附属小に行った実習生は皆、「附属は附属なりによかった」と口々に言っていたし、話を聞くかぎりではそれも確かなようだが、附属と一番違う点は、やはり実習生の数が少ないことである。多くても各学年に一人ずつぐらいの割合だから、実習生一人一人が大切にされる。また、クラスを越えて他の学級や他の学年とのつきあいもおのずと多くなるので、学校全体が見えるようになる。ぜひとも普通とは違った教育現場で貴重な経験をしてみたいという人以外には、協力校に行くことをおすすめしたい(協力校の中にもいろいろあるんだろーけど…)。
 僕の行った学校は、とかく環境に恵まれていた。環境教育の指定校ということもあり自然が豊富で、森のような中庭、アスレチックつきの校庭、小高い山、芋を育てる畑、もちろんウサギ小屋、にわとり小屋もある。子どもたちが外で遊ぶには何の不自由もないだろう。また校内には、TV収録用のスタジオつき放送室、簡単に映画も見れる大スクリーンつきの視聴覚室、数十台のパソコンで自由にゲームやドリルができるコンピュータ室といった視聴覚教育の環境も充実している。ただこれらについては、多忙なカリキュラムのなかではほとんど使いこなすことができずほこりをかぶっているものもあり、やや「宝の持ち腐れ」の感がある。そしてもう一つ印象的だったのは、障害児教育の先進性である。複式学級(特殊学級)のクラスが3つもあり、20人前後の子どもに対して4人に一人ぐらいの割合で先生がいる。僕のいた学校ではとても考えられない光景だった。先生も生き生きした若い人が多く、自由な教育活動が実践されていて、学校のなかでも際立つ新鮮さを放っていた。通常学級との交流も盛んで、他の子どもとも自然につきあえる雰囲気が確立されていたように思う。先生方の日々の努力の賜物だろう。
 学校の自由な雰囲気もあり、教師集団も実に個性派ぞろいで面白かった。「江戸っ子」を自称する世話好きな我が担任を筆頭に、関西弁バリバリの自由奔放なオッサンや、職員室と教室とではまるで別人格に豹変する演技派教師など。さすがにピンクいメッシュと金のサンダルにはビビった(はたから見たら絶対、近所のハデめなオバサンとしか思えない。しゃべり方もオバサン丸だしだった…)。
 子どもはというと、いつの時代も基本的に「子どもは子ども」である。ただ、僕の育った頃と違う点をあげるとすれば、家庭の事情が実に多様化しているので、それだけ子どもの育ち方も千差万別であるということ(これは田舎と都会の違いかもしれない)。自分の思い通りにならないとキレてしまう子、虐待を受け続けたために極度の大人不信に陥った子、両親の離婚のために愛情が不足し、家庭でのストレスを学校で晴らす子など、特別な配慮を必要とする子が少なからずいる。特にかなり年の離れた兄、姉をもつ子が多く、末っ子の弟、妹に対してはどうしても過保護になりがちな家庭が多いらしい。家庭環境が子どもに与える影響は絶大である。
 そして、何といっても驚いたのは、放課後の校舎や校庭に子どもたちがほとんど残らないことだった。小学校の頃などは、誰もいなくなった学校で、先生に見つからない場所にいつまでも友達と残り、くだらないことをウダウダしゃべったり、遊んだりすることが最大の楽しみだったはずだ。それが、帰りの会が終わった途端、くもの子を散らすようにサーッといなくなってしまう。いったいそんなに急いでどこへ行くといのだろう。最近は事故や事件が多発しているため、学校側でも残らず早く帰るように指導しているという。学校もずいぶん生きづらい場所になってしまったものだ。
 子どもについて気づいたことのもう一つは、6年生という学年は、精神的・肉体的発達段階や「学力」のギャップが極めて大きいということ。毎年少しずつ蓄積された格差が、高学年になって現われてくるのだろう。あらゆる場面で友達や先生に気配りが「できてしまう」学級委員タイプの子もいれば、かたやいつも先生にじゃれついてくるような2年生と同等の幼い子なんかもいて、とても同年代とは思えない子どもたちが一つのクラスに同席している。ここらへんが、高学年における学級経営や授業の進め方についての大きな課題かもしれない。
 さて、最も不安だった研究授業(「不思議な鳥の巣」を屋外に設置してみようという図工の授業。「第参週」参照)だが、前日まで降り続いた雨が、まるでウソのような晴天に恵まれ(日頃の行ないがいいらしい)、子どもたちも環境が変わったせいかこれまで以上に熱心に取り組んでくれた。ただ、問題の担任が、受験生をもつ親のごとく過剰に心配し、手とり足とり指導いただいたため、逆に調子が狂ってしまった。しかし当の子どもたちはそんな裏事情はおかまいなしで、試行錯誤しながら夢中に「遊んでいた」。でも、決して今回の授業のよしあしは僕の働きによるものではない。僕がやったことといえば、子ども一人一人に声をかけ、進み具合を見て助言をした程度だ。すべては新鮮な環境(場所、雰囲気、材料)のなすところである(案の定、担任は過大評価してくれたが…)。
 そんなざっくばらんな「自由放任」的オバサン担任のおかげで、独自に自主的な活動の成果をいくつか残してくることができた。
 一つ目は教室の大掃除。なんせ教室が汚かった。担任が教室を私物化し、子どもの荷物を押し退けて自分の私物をたんまりと持ち込んでいる。資料の山、紙くずの山、子どもたちの「本読みカード」の類が散乱し、かたづけ忘れた給食の食器まである。無論、教室の掲示物なんかもひどい有様。子どもにも、この点がかなり評判が悪い。他のクラスはみんな整然としていて気持ちがいい。そういうところも、クラス全体の落ちつきのなさの遠因になっているように思われた。学習環境のあたえる影響は想像以上に大きい。4週目、さすがに見るに見かねて思いっきり掃除をしてあげた。
 二つ目は、「オススメ」の紹介。3週目から、毎日の朝の会で「オススメコーナー」と称し、オススメの本や映画、マンガなどを紹介したいと担任に申し入れたところ、「是非やってくれ」ということになった。自分が小学生の頃に出会えたらよかったなと思うものを、2週間にわたっていろいろ紹介できた。なかなか6年生には難しいかと思うようなものもあったのだが、なかには「ハマッちゃった」と喜んでくれる子も何人かいて嬉しかった。さすがに「中島みゆき」の紹介だけは誰にもわかってもらえなかった(君たちもねぇ、大人になったら分かるんだよ。この良さが…)。
 そして三つ目は、最後のお別れ会の日にプレゼントした児童全員の似顔絵。これはおおかた考えてはいたことだったのだが、子どもたちへのプレゼントは何がいいかと実習生で相談したところ、やっぱり一人一人へのメッセージは忘れられないということになり、メッセージ入りの似顔絵を39枚の色紙に書くことにした。子どもたちの顔を思い出しながら3日で描き上げた。最後の挨拶では、「一人一人違うメッセージを書きました。一人一人が大切にされるクラスづくりをしてください」と話してみんなに手渡した。子どもたちは今までにないほど大騒ぎした。
 この一ヵ月を通して、確かに言えることは、小学校においては「担任次第でクラスが決まる」ということ。そして、講話でもある先生が言っていたが、「学校の常識は世間の非常識」であるということである。時代がどんどん移り変わっていくなかで、学校という空間と世間とのギャップがますます開いているというのが現状である。いや、学校とは常にそういう存在でなければならないという面もあるのだが、これからの学校は、どこまでその流れと対抗しながら共同していけるのかが課題になるだろう。
 最後のお別れ会では、せっかく何人かの女の子が企画してくれたにもかかわらず、はしゃぎ出す男の子や、仲の悪いグループのせいで、予想どおりクラス全体がまとまらず、泣ける場面はなかった。でも、個別に「りっぱな先生になってください」とか「早く先生になって、○○中に来てください」といったメッセージ入りのプレゼントをたんまりもらうことができた(これがまた泣けるんだわ…)。んなこと言われちゃ就職活動してるわけにゃいかんでしょう。
 ってなことで、とりあえず残りわずかな日々を、来月の教採に注ぎ込むことをかたく決意したのであった。やっぱり教師しかないでしょう。…というのが、何だか妙に期待通りで、誰かにだまされているような気分を抱えながらも、「ランナー」片手にひた「走る」今日この頃である。
 現在、小学校で教鞭をとるS井氏は、「実習で見えるのは、教育現場のほんのわずかな部分にしかすぎない」と言っていた。確かにその通りである。それでも、得たものは書ききれないほどあった。この先、実際教師になるかどうかはまだ分からない。が、この4週間の経験のなかで、役に立たないものはかけらもなかったと思っている。
(1998.6.17「KNOSPEN」より)
 これが噂の「学級崩壊」

 ずいぶん古い話になるが、先日、衝撃を受けたテレビ番組があった。
 一つは、皆さんもご存じの通り、2回にわたって学校の「荒れ」をテーマにしたNHKスペシャル(かなり古いな…この話題)。今、小学校が荒れている。昔は「荒れ」といえば高校、「不良」といえば中学と相場が決まっていた。しかし、家庭環境が多様化し非行の低年齢化が問題となる今日、精神的に不安定で最も「キレ」やすいのは小学生らしい。番組のなかで紹介されていたのは、授業中にもかかわらずクラスメートの机の上を跳びはねる子、次々にトイレに駆けだす子、注意されて給食をぶちまける子、友達の髪の毛をつかんで叩きまくる子。そして、それらの子どもたちを前に必死に奮闘しながら苦悩をつづける教師の姿だった。突発的、感情的な暴力でしか自分を表現できない子ども。それらの子どもたちには、先生の言葉がなかなか届かない。
 そしてもう一つは、教育テレビで2時間にわたり放送された、「少年プロジェクト特集 ききたい」。副題には「10代の言い分」とあり、現役中高生が10数人集まって議論するという番組だった。たまたまその回は「友達」がテーマということで、自分の考える「友達」像や、なぜ「いじめ」が起こるのかといったやや立ち入った話もなされていて興味深かった。中でも、「いじめは楽しーからやるんじゃん」「いじめられてる奴はやり返せばいい。そーすれば、『いじめ』じゃなくて『ケンカ』になる」「いじめられる奴は、そーゆーキャラなんだよ。そーゆー奴はどこ行ったっていじめられる」といった子どもの「素直な」意見が出たことは、ある意味衝撃だった。確かに、本気でそう思っている子が少なからずいることは事実なのだ。だからいじめはなくならない。そんな彼らを前に、あなたならどう答えるだろうか?
 こうした問題を考えるとき、思い出すことがある。教育実習校で担当した6年生のクラスである。今思えば、あの状況もまさに「学級崩壊」だった。あらゆるものに反発しようとする一部の男子には、すでに先生の言葉が届いていなかった。そしてそんなごく一部の「荒れ」が、クラス全体の不和、不安定に見事に反映していた。実習生が見ていようがいまいが、関係なく暴言を発する子どもの姿が、その時はとても理解できなかった。実習後に子どもたちからもらう手紙にも、その様子がまざまざと書かれている。なんたって愚痴が多い。「2時間に1回、必ず先生と男子がけんかしてます(私はなれちゃったよ)」「うるさくてうるさくて。…席がえも大変だった。(フゥ〜)あと半年このクラスもつかな」
 当時は単に先生の指導上の問題としか考えていなかったが、実はとても根の深い今日的な問題だったのだ。そしてそれは、今やどの学校でも、どのクラスでも、どの担任のもとでも起こり得ることなのかもしれない。
(1998.8.18「KNOSPEN」より)

 続!教育実習見聞録

 其ノ一

 管理職も人がよかった。教育委員会あがりだという教頭も、懐かしいなまりの入った地方出身者だった。担任の先生もよかった。前回同様、配慮の行き届いたご指導をしてくださる「おばさん先生」だった。クラスも、始めはおとなし過ぎて苦労したが、ふたを開けてみると普通の子どもらしい子どもたちだった。
 ただ、学校が変だった。もっと言えば、雰囲気が変だった。初めて学校訪問に行った当初から、何気ない「うさんくささ」には気づいていたのだが、見事に予感は的中した。
 「挨拶」がこの学校の最も良い伝統らしい。先生は、校内で生徒とすれ違うたびに「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」(時間帯によって変わるらしい)の挨拶攻撃にさらされる。生徒達にとってはもはや条件反射である。先生を見ると反射的に出てくるらしい。へたに休み時間、廊下をふらついていると「こんにちは、こんにちは、こんにちは…」と連呼しなければならず、挨拶疲れしてしまう。さっき会ったばかりの子や、クラスの子にあっても、必ず挨拶は「こんにちは」なのである。異様な光景だ。「挨拶に力を入れている学校」にはありがちだが、当然のように朝の挨拶運動がある。生活委員と名乗る生徒達が6、7人、日替わり交代で先生が3、4人校門に立って、挨拶しまくる。もちろん、挨拶はおまけのようなもんで、メインは生徒の服装管理である。名札が付いているか、バッグに落書きされていないか、置き勉(教科書などを置いていくことをそう呼ぶらしい。今回、初めて耳にした)せずに、教科書を持ってきているかを監視するのが主な目的のようだ。実習生も始めはコミュニケーション手段として立っていたが、そのうちアホらしくてやめた。無意味なのだ。
 さらに、集会などがあると一学年8クラスもある生徒達が整然と整列している。案の定、校長はそれを自慢げに誇っていた。「縦横」まっすぐ並んで、座る時には「体育座り」で、話している先生の方に「体を向けて」話を聞くことが、そんなに大事なことだろうか。そして必ず、会の最初と最後には「姿勢を正して!」「礼!」の号令を、教師のこまづかいである生徒会役員らしき「優等生」がかけることになっている。学年集会だけに限らず、授業や朝と帰りの学活にいたるまでも、「お願いします」で始まり、「ありがとうございました」で終わる。戦中の予科練なみのしつけぶりである。「別に、君らにお願いされて授業やるわけじゃないから…」と言ってやった。 
 部活も熱心で、K市内ではかなり強いらしい。もちろん全員参加の原則。複数の部活が狭い校庭で、ごちゃごちゃと練習をしている様子がとても惨めに見えた。俺もそうだったが、部活なんかやりたくないという子もいる。そういう子は、ほとんど活動していない文化部に避難することになる。だが、生徒にとって部活は唯一のアイデンティティとなる。生徒の自己紹介を聞いたときも、全員が所属する部活を言ってくれた。 そんな学校の様子が見えてきた頃、自習監督や、都合で担当の先生なしで授業をやらなければならない時など、滅多にない絶好のチャンスを利用して特別授業をした。個人的に興味があることとして、この中学校のいい所、イヤな所、いい先生、イヤな先生について生徒の率直な意見を聞いてみた。予想以上の結果だった。学校のいい所はほとんど挙がらなかった。逆にイヤな所は限りなく挙げられた。「校則」「野球部が坊主」「暴力教師がいる」「説教が長い」「先生が恐い」「授業がつまんない」「校舎が古い」「カワイイ子がいない」などなど…。体罰も陰で横行しているらしい。鬱積された子どもの不満が一気に爆発したという感じだった。
(1998.10.7「KNOSPEN」より)
 其ノ二

 前回は、学校の様子を中心に報告したので、今回は細かい実習の中身について書こうと思う。
 小学校と中学校の違いは、何といっても教師と生徒との距離感にある。特にこの中学の場合、徹底された「挨拶」が逆に、教師・生徒間の溝を埋めるのを阻んでいるようにも思えた。制服の存在理由の一つとして、教師・生徒との関係と友達関係とのけじめをつけるという目的があるのと似ている。また、長い学校生活のなかで教師に対する警戒心がすでに身についている。それこそ、自分の親と同年代の教師にしか習った覚えのない子どもにとっては当然のことであろう。さらに小学生と違い、部活を始める中学生は、「敬語」というものを覚えてしまう。先輩でもない先生でもない。そんな中途半端なスタンスをもった実習生という奇妙な存在と、どんな言葉で接すればいいのか、どうつきあえばいいのか戸惑っているという感じだった。だから、相手が実習生とはいえ小学校のようにしょっぱなから近寄ってくる生徒は少ない。たまたま担当クラスに「照れ屋さん」が多かったこともあり、なんとか打ち解けるのに1週間は要した。担任も1学期当初はだいぶ苦心したそうだ。
 やはり中学生の特徴として大きいのは、自分の気持ちを表現することに恥じらいや抵抗が出てくることである。授業中の挙手もめっきり少なくなるし、感想なんかへたに発表もできない。幸いこの学校には、明日の準備などを書く連絡帳のようなものがあり、一日の感想を書く「ひとこと日記」という欄がある。ひと前で発表するのは苦手という子に限って、こういうところに書くのは実に達者なのだ(なんだか自分の姿を見ているよう…)。なかなか生徒の本音が見えない実習生にとって、子どもの気持ちが文字として表れる場があったことは、非常に恵まれた幸運だった。
 小・中と共通して言えるのは、何よりスキンシップが重要だということ。実際にじゃれ合ったり、腕ずもうなんかをして遊ぶと予想以上に喜ぶ。愛情に飢えた子どもにとっては、たまらない安堵感なのだろう(ただ中学生ともなると、女子の場合は一歩間違えるとセクハラになってしまうので要注意!)。中1とはいっても基本的に6年生と1歳しか違わないので、中身はいたって子どもである。ただ、それらを隠すために、表面をつくろう術を習得し始めている点だけが微妙に違う。
 担任の先生にも恵まれた。前述の通り、国語科の「おばさん先生」だったが、学級経営に関しても熱心な先生で、学ぶべき点が数多くあった。国語のプリントにしても学級通信にしても実に緻密で、よくまとめられた生徒の感想文や日常の生徒の声など、一つ一つが丁寧に反映されているのである。そんな地道な作業が最も重要なんだということをあらためて教えられた。実習生に対する配慮も行き届いていた。授業を担当する全クラスの最初の授業で、自己紹介の時間をくれ、さらに生徒全員の自己紹介を聞く時間までつくってくれた。「国語を担当するクラスは全員名前を覚えよう」と意気込んでいた僕にとっては、後々授業をするうえでも非常に役に立った(結局、他の3クラスも3分の2ぐらいは覚えられたかな?)。ちなみに、生徒の名前を覚えてあげることは想像以上に大切である。覚えられた生徒はもちろん嬉しいし、何より授業の中で指名するとき、名前を知っているのと知らないのとでは雲泥の差がある。そんな敬愛すべき担任について難を言えば、提出物に厳しく、忘れ物を減点の対象にしている点、漢字テストで間違った字を繰り返し書かせる点など、教科の教育方針の面で、やや賛同できかねる点があったことぐらいだろうか。
 実習生にとってはメインである(はずの)授業について。担当した国語の単元名は、奇しくも「ともに生きる」。卒論テーマとかぶってんじゃん、とか思いながら、『あのころはフリードリヒがいた』から『ベンチ』という教材を受け持ち、研究授業では発展学習として、無謀にも「ユダヤ人問題」を扱った。『アンネの日記』とか『シンドラーのリスト』、『アドルフに告ぐ』なんかを紹介しながら、「なんでユダヤ人は差別されてたのかな?」とか「今も差別はあるのかな?」「日本では人種差別ってないのかな?」とか、かなりきわどい部分にまで言及してしまった。
 授業の方法としては、担任にならい毎時間プリントを使った。特技のイラストという小技も使いながら(芸は身を助く!)、擬態語の勉強や場面・会話の整理などでは、マンガなんかも取り入れて授業をした。そういった意味では、国語は応用範囲の広い教科である。案の定、大ウケだった。いわゆる「現代っ子」はマンガ的な思考回路がすでに形成されているらしく、同じ教材にしても、そうした方向からの方が入りやすいらしい。子ども文化への迎合ではなく、授業の主体である子どもの「関心・意欲」を模索するための絶え間ない努力が不可欠であることを再確認できた。
 そして何より、子どもの参加が授業を良くする。授業の中で、必ず生徒のアクティビティを取り入れるよう心がけた。また、多少面倒ではあったが、毎時間感想を書いてもらうようにした。授業が理解できたか、発言できたか、分かりやすかったかなどの質問をしてみると、自分では決して気づかないような反省点が非常にはっきりと見えてきて、客観的に評価することができる。なかには「楽しかった」「がんばって」なんて感想もあるので、こっちのヤル気にもつながる。ちなみにきっちりした「指導案」なんぞは(今回も)書かなかった。頭ん中に授業の流れが入っていて、その時々の生徒の反応に合わせて授業を進められる余裕さえあれば、んなものは必要ない。今、ゼミでやってるレジュメの発表なんかと一緒で、ちゃんとしたセリフなんかなくたって学習は進められるのだ。
 余談だが、運よく担任の道徳の授業を見せてもらう機会があった。教科書を使って、どうやら「感謝する気持ち」を自覚させるという授業だったようなのだが、やはりむしずが走るほどの「虚偽の塊」にしか思えなかった。自分もこんな道徳の授業を受けて育ったのかなぁ、と思うと何だか寒気がした。
 その他、気づいたことといえば…、学校の規模が大きく、また土地柄にもよるのだろうが、特別な配慮を必要とする子がクラスに一人は必ずいること。両親の離婚で何に対しても投げやりになっている子、情緒障害のある子、ほとんど字の書けない子、読めない子、心に深い傷を負っている子、異常にプライドの高い子などなど。家庭も子どもも多様な事情を抱える現代において、非常に象徴的な課題をまのあたりにすることができた。 教師集団についても触れておこう。教師自身のことから言えば、何よりもまず忙しい。それも授業で忙しいというのではなく、むしろ会議や部活、学級経営といったそれ以外の部分の方がはるかに大きい。特に運動部の顧問をやらざるをえない「比較的」若手の男の先生は悲劇である。休日返上で部活の指導をする。自分の時間はほとんどない。「出会いがないうえデートの時間もないから、当分結婚はできない」と嘆いているそうだ。生徒にしても、どちらかというと担任よりも顧問の先生とのつながりの方が強い。だから担任も、顧問の先生や、学年の先生と連携する必要がある。前述したように配慮を必要とする子に関する情報などは、常に会議で報告し、全員の共通理解としておかなければならない。そこら辺のチームワークは結構できているようだった。 ただ、生徒の側からすれば、やはり平均年齢40前後の教師たちというのは悲劇である。いくら熱心に子どものことを理解しようと思う先生でも、限界はある。世代感覚はかけ離れているし、一緒に遊んだり同じ話題でおしゃべりしたりするのはまず無理。前回、生徒達が見えない抑圧のなかで様々な不満、ストレスをため込んでいるという話を書いたが、意外にも先生はそれらに気づいていないようだった。いや、気づいても気づかないふりをしているだけかもしれない。もう気づこうとすることさえ諦めてしまっている先生もいる。無理もない。歳が離れすぎているのだ。だから、教師側からは問題クラスと言われたクラスの方が、生き生きしていてクラスとしてのまとまりを感じたり、問題児と言われた生徒の方が、実際に話してみると元気で、自分の考えをしっかりもっていると感じる、といったズレの現象が起きるのである。
  子どもの興味を引き出すための雑談ネタとして使えたのは、「GTO」「エヴァ」「 I's」「ジャニーズ・ジュニア」などなど。一番最初の全校集会で「グレイトな2週間にしたい」と挨拶したら、2週間「GTO」と呼ばれ続けてさすがに困った…。驚くべきことにあの懐かしき「ガンプラ」もひそかなブームらしい。歌手では、やはり「グレイ」「ラルク」「マリス」のビジュアル系が強い。趣味としては、予想通り釣り好きが多い。当然、プリクラ人気はいまだ健在。最後の日には、仲良くなった生徒と初めて「全身プリクラ」なるものを撮り、束の間の「お友達」気分を楽しんだりもした。
 そんなこんなの2週間。やはり終わってみると、あと1週間ほしかったと悔やまれる。無論、実習生という立場は、期間限定であること、先生も生徒も協力的であるのが大前提となっていることを忘れてはならない。実際、同じ授業の質を一年間維持しようとしたら大変な労力が必要となるだろう。だが、最後に子どもたちが書いてくれた感想文のなかに、「国語が嫌いだった私を好きにさせてくれました」「一日の国語の授業が楽しみでした」「GTOを越える先生になってください」「・の特別授業が楽しかった。あんな話してくれる先生は他にいないです」などという「お涙ちょうだい」のメッセージがあるのを読んでしまうと、ますます「教師になりたい」という思いを強くせざるを得ないのであった。
(1998.10.21「KNOSPEN」より)

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