1997年
■一日「アニドウ」体験記
■茫漠たる時間(とき)のなかで
■こんなはずじゃ…
■一卒寮生の死
■一難去って、また一難
■一世一代の大決断
■寮という名の市民社会
■これが目下の問題意識

 一日「アニドウ」体験記

 予期せぬ幸運は、まさに突然やってきたのでした。時は先週金曜日。たまたま研究室に居合わせたIさんから、都合が悪いということで映画上映会のチケットをいただいたのですが、それがなんと、知る人ぞ知る歴史的な長編アニメの傑作「やぶにらみの暴君」だったのでした。そりゃあもう、フランスが生んだ世界初の大人の長編アニメという意味では、かなりの希少価値を有する作品で、もちろん僕は初めてお目にかかれたわけです。さらに、おまけとして上映したいくつかの短篇も、非常に貴重なフィルムばかりでした。そのうえ、これを主催している「アニドウ」というのは、どうやらプロのアニメ関係者たちによって結成された歴史ある組織らしいのですが、そんな存在を知ったのも初めて。
 そしてきわめつけは、なんと、客席に同席していた高畑勲氏と大塚康夫氏を「生で」間近に見ることができたのです。高畑勲や大塚康生といえば、それこそ多少なりともこの世界にはまったことのある人ならば、必ず一度は耳にするはずの巨匠中の巨匠。「ルパン」とか「コナン」とか「火垂るの墓」をやった人です。根っからの田舎もんである僕は、どうもこの「有名人」というやつに弱いのです。田舎もんの本能でしょうか。しかしよく注意してみると、周りの席にいる人たちもみんな、アニメーターさん、もしくはそれ系の職業に従事している人々(演出家とか美術屋)らしいのです。必死に隣の会話に聞き耳をたててみると、「ジブリ(の次回作)は99年で、押井さんとこは2000年らしい」とか「今度○○○(どっかの制作会社)が999(スリーナイン)やるんだって…」とか、「うわー、めっちゃ業界の内輪話じゃん」という話が次々と炸裂するのです。肩身の狭い僕は、表面では極力平静を装いつつも、内心「すげぇ、すげぇ…」と、終始感激するばかりでした。
 上映会の後、新宿から帰る途中。最後まで興奮さめやらぬまま家に着いたことは言うまでもありません。Iさん、本当にありがとうございました(いい経験をしました)。また是非、いろんな話を聞かせてください。
(1997.11.19「KNOSPEN」より)
 茫漠たる時間(とき)のなかで

 一人暮らしを始めてはや3ヵ月。「見知らぬ天井」に新鮮さを覚えていたのも、はるか昔のような心地がする。以前、始めたばかりの一人暮らしについて「楽しすぎる」とか「至福の喜び」とか、「ひとりが大好き」とか叫んでいたことがあった。いや、確かに「ひとりが好き」には違いない。しかし、言わずもがな、どんな生活でもそうそうあまいもんではない。
 一人暮らしをするまで、ひとりの生活は「何でもできる」ことが最大の魅力だと確信していた。観たいときに観たいTVが観れる。聴きたいときに聴きたい音楽が聴ける。読みたいときに読みたい本が読める。勉強したいときに勉強できる。とにかくしたいときにしたいことが何でもできちゃう。ひとりでいることが好きなのに、これまで環境に束縛されることが多かった俺にとっては、そんな「自由」な生活はまさに理想であり、夢であった。
 しかし、同時にその魅力が、最大の課題(難関)であることに最近やっと気づき始めた。「何でもできる」ということは、イコール「何をやるにも自分次第」「自分のやる気次第」ということである。んなことは、始めから一人暮らしをしている下宿生にとっては当然のことだろうし、俺も頭では理解していたつもりだったのだが、実際に体験してみると、それは驚くべき新発見であった(ん〜、まだまだアオいなぁ)。たとえるなら、これまで狭いかごに閉じこめられていた鳥が、いきなり「自由」というだだっ広い大空に放り出されても飛ぶことができないというような、そんな感じだろうか。でも、このことこそが本当の自立、本当の自律的生活ということなのだろう。「自由」であるがゆえの困難。「何でもできる」だけに「何もやる気が起きない」。どんなに堕落した生活をしても、誰も口出しはしないし注意もしない。忠告もしない。これほど楽な環境はないだろうが、これほどキツい環境もないのではないだろうか。そしてただただ時間ばかりが過ぎていき、高まるのは焦燥感ばかり。もちろんそうは言っても、今から寮の生活に戻れと言われたらそれはできない。もはやあの環境に耐えられるほどの免疫は、俺の体内に残されていない。ただ、よく言われるような「寂しさ」を感じることはあまりない。せいぜい、バラエティ番組を見てて思わず爆笑してしまった直後の一瞬ぐらいのものである。「自由の刑に処せられる」という名言がある。こんな場面でも、ふと、「自由」の意味について考えさせられてしまうのであった。
 その一方、塾では相変わらず、「生ゴミのかたまり」が大化の改新だとか、元の皇帝「エビフライ」とか、法隆寺の「隆」は、河村隆一の「隆」だぁ、とかわめいている子どもたち相手に、奮闘努力する日々。んん〜やっぱり教師も大変だ。就職活動しちゃおっかなぁ…(勉強せぇ、勉強!)。
(1997.10.29「KNOSPEN」より)
 こんなはずじゃ…

 最近、僕には「絶対暇になれない呪い」がかけられているんではないかと、つくづく思わされます。やっとこさ寮を脱出して、いざ、夢のひとり暮しを満喫! と思いきや、夏休みのしょっぱなから「夏期講習」という名の強制労働。連日午後1時から6時までぶっ続けの授業(でも僕なんかまだ楽な方で、ひどい人は朝10時から夜9時までのおよそ10時間労働)。こんなことが許されていいんでしょうか。部屋の片づけ終わってないし、インテリアにもこだわりたいし、凝った料理も作りたい、録ったビデオもたまってる、本も読みたい、映画も観たい、たまには旅行もしてみたい、夏だしやっぱり日焼けもしたい、そして何よりゆっくり寝たい。あ〜「呪い」じゃー、「たたり」じゃー! 誰か呪縛を解いてくれー! 暇になりたーい! 金などいらん! 休みをくれー! (…我ながら見苦しい)
 ん〜、でも来年は教採だし、卒論あるし、これが大学生活最後の夏かと思うと悲しくなりますねぇ。思えば、大学入ったら「あれやるぞぉ〜」「これやるぞぉ〜」って張り切ってた一年の頃はとうの昔になってしまい、気がつけばもう3年。大学卒まであと一年。歳はもうすぐ二十歳。2000年まであと3年。こんなはずじゃなかった…。この間なにかやったかなぁ。グチが多いのも歳のせいかも(んなこと言ったら先輩の方々に怒られるかな)。
(1997.8.19「KNOSPEN」より)
 一卒寮生の死

 バイク事故で卒寮生が死んだ。7月6日深夜のことだった。寮内ではかなり名の知れた先輩だった。実家ははるか遠くの地だったが、即日行なわれた告別式に参加した寮生の数はおよそ50。寮生が「家族」同然と言われるゆえんである。
 しかし、人はかくも簡単に死ねるものだろうか。人の一生など決してわからないものだが、人間の存在自体、そんな不安定なものであるとするならば、いったいひとりの人間に何ができるというのだろう。人がひとり死んだからといって、世の中は何一つ変わりはしない。無情にも時を刻み続けるだけである。そしてひと月もしないうちに人は忘れられていく。人の命はあまりにもはかない。「誰か思い出すだろうか ここに生きてた私を」。中島みゆきの「永久欠番」が頭をよぎる。そして誰もが考えるはずである。「俺が死んだ時は、いったいどれだけの人が悲しんでくれるだろうか」。くだらないことだとは知りつつも、自分の価値をはかる目安になりそうで、無性に気になる。「いかに生きるか」という問いは、同時に「いかに死ぬか」という問いでもある。「死」を知らずして「生」はわかり得ない。今、自分たちが「生きている」ことの持つ意味は、決して軽いものではないだろう。
(1997.7.16「KNOSPEN」より)
 一難去って、また一難

 全ての始まりは学内で起きた。あの時、原チャリでコケてしまったのがいけなかった。幸いただの自損事故だったのだが、はじめ突き指かと思っていた指が、やっぱり折れていた。不思議なもので、それまではほとんど痛くなかった指も、骨折だと言われてから急に痛み出した。僕自身も、自分の指が痛いかどうかということよりも、「初めての骨折」という事実にショックを受けた。診断によると全治3週間とのこと。実際やってみるとわかると思うが、両手が使えないと不便だという場面が、意外に多い。右利きの僕でも、左手薬指、小指が不自由なだけで結構苦労するものだ。やっぱり健康第一。
 そして委員長最後の大仕事、寮生大会の最中に次の一難がやってきた。実家からの一本の電話。母方の祖父の死を知らせる訃報だった。すぐに家に帰れとのこと。翌日、一路新幹線で実家に向かう。家がキリスト教なので、仏式の葬式ではなく、クソ面倒くさい儀式などはほとんど無かったのだが、それにしても最低限必要だという「前夜式」から「出棺式」、「告別式」に「火葬」、「埋葬」と、かなりいろいろやらなければならなかった。来客の接待から葬儀屋との交渉など、遺族はそれこそ静かに感傷にひたる暇もない。さらに、葬儀屋に払うという破格の値段に超ビックリ。棺桶を置くのに、部屋を借りたら二十万。食事がついたらあと十万。写真を花で飾って五十万。棺桶運ぶのにまた数万。火葬だけでも、んん十万。ボロ儲けの商売とはこのことを言う。なんか死人のためにこんなにするのって、やっぱり本末転倒じゃないか?
 そして、第三の難は時を同じくしてやってきた。なんと平年より8度も低いという寒さ。色々重なったせいもあって、見事に風邪をひいた。しかもかなり「重め」のヤツ。あのさぁ、別に風邪なんてイヤだとはいわないけど、せめて時期をずらしてほしかったな、時期を…。ただでさえ指折ったり、委員会の引継ぎがあったり、引っ越ししなくちゃとか、レジュメ書かなくちゃとか、色々忙しいこの時期にさぁ、何もそこまで重なんなくてもいいんじゃない? そりゃまぁいっぺんに来てもらった方が、手っ取りばやい気もするけどね…。などとワケのわからんグチをこぼしつつ、半ばヤケになっている僕であった。
(1997.6.11「KNOSPEN」より)
 一世一代の大決断

 「来月をもって退寮させていただきます」
 かつては寮内一の寮食マニアと呼ばれたこの俺にとって、この決断は、まさに一世一代の「大」決断である。他の何よりも寮のことを最優先とし、そしてついに「長」にまでのぼりつめたこの俺が、よもや二年で寮を退こうとは、他の誰が予想し得ただろうか。いや、当の本人さえも予期していなかったことである。そもそもきっかけは、実家で経済事情について話している時、親が「一年ぐらいは寮を出てもいいんじゃない?」と言ってくれたことにあるのだが、直接の理由は、やはり「学生のうちに一人暮らしも経験しておきたい」という願望である。なにせ俺は、生まれてこのかた「一人部屋」というものを持ったことがない。唯一「一人部屋」を経験したのは、入院した時ぐらいのことである(あの時はマジで嬉しかった)。就職してからの一人暮らしと、学生時代の一人暮らしでは大いに違うと思う。ちょうど大学生活の半分を寮という世界で過ごし、後の半分を、また新たな環境に身を置いて過ごしてみるのも自分のためになるのではないかと思った。
 寮を出ようと思った理由にはもう一つある。それは、「寮でやるべきことはほとんどやり尽くした」ということである。寮のあらゆる方面に関わり、寮の楽しさは十分過ぎるほど満喫したつもりである。また、このことは委員会の「仕事」の重圧とも関係してくるかもしれない。一時期、寮に帰っただけで、やらなければならない「仕事」が頭の中を駆け巡り、それがストレスの元になっていた時があった。あの時は、本気で「やばい。寮を出なきゃ」と思った。さらに、委員会の引退を間近に控え、引継ぎができていないことを指摘された時、「もしかして、まだ俺が残らなきゃなんないのかも」と思ってしまった自分に、ある種の恐怖を覚えた。「やばい。死ぬ」こうして人は、会社のため、人のために過労死していくのである。だが、正直言って「てめえらみてぇな愚か者のために、コツコツ働くのはもうウンザリなんだよ!」という気持ちも無いわけではない(…最近はちょっと考えが変わったけどね)。ひと昔前のヒーローは、みんなこの難題にぶちあたったものである(かのデビルマンは、最後に、自分が守ろうとしていた人間の本性に絶望してしまう)。ここで問われているのは、まさに「シンジは何故、エヴァに乗るのか」なのである。振り返ってみると、今までの俺は何かと「自己」を「犠牲」にし過ぎてきたのかもしれない。ここで、多少強制的にでも「自己」を解放させないと、自分の身が危ない。簡単に言えば、「寮生やめますか、人間やめますか」ということになるのだろう。
 そして、R間さんの「自分がやらなきゃって思っていても、結構(自分がいなくても)動いていくもんだよ」の言葉が決定打となった。そうなのだ。「自分は大したことがない」。この自覚がかなり重要なのである。これは以前書いた「問題意識」の結論的な部分にも当たるのだが、正直言って俺は、「凡」であることが恐かった。認めたくなかった。心の奥底では、常に「非凡」でありたいと思っていた。傲慢にも、自分には何かできる、何か秀でていると信じ込んでいた。俺は「いいひと」でなければならない。欠点があってはならない。俺は他人とは違うんだ。俺のアイデンティティはそこにあるんだ。頭では虚しいことだと分かっていながら、心の中ではそう思っていた。
 しかし、いろいろ考えを巡らせる中で、「俺ってただの人間じゃん」という至極当たり前の結論に行き着いた。自然に、「俺だって普通の人間なんだ」「大したことないんじゃん?」と思えた。本当の意味での「謙虚」とはこういうことなのだろうか。
 話が多方面に飛んでしまったようだが、とにかく俺は、そのうち「謙虚」に、寮から去ろうと思う。 
(1997.6.11「KNOSPEN」より)
 寮という名の市民社会

 我が大学には、二つの学生寮がある。学生寮とは、経済的に生活が困難な学生が、比較的安い経費で暮らせるように建てられた福利厚生施設である。中でも我が寮は、「自治寮」という種類に分類されるもので、その運営は、入寮選考にはじまって、掃除や電話番から、荷物の受け取りや薬の管理に至るまで、ほとんど寮生自身の手で行なわれている。しかし、こういった「寮生としての義務」がある一方で、寮での生活は極めて自由で、寮生同士の結びつきも強く、年間を通して寮祭などの様々な行事もある。生まれ育った土地も家も、学年も学部も、興味も関心もまったく異なるあかの他人同士が、ただ同じ大学生というだけの共通点で、ひとつ屋根の下で、同じ釜の飯を食い、同じ部屋で寝起きする。長い人生の中、こんな非日常的な空間に身を置ける経験はそうそうないだろう。
 さて、この寮という場。たかが一大学の一施設に過ぎないのだが、在寮生数300ともなると、それはすでに一つの「社会」ともいえる。この「自治寮」という「社会」において、その中心となって寮を動かしているのが寮委員会である。僕自身、この委員会という役職を二年にわたって務めてきたわけだが、そのなかで学んだもの、得られたものは数多い。特に運営する側に立ってみると、実に様々なものが見えてくるものである。
 その中の一つに、国内情勢の縮図としての寮内情勢がある。委員会と寮生はまさに政府と国民の関係であり、寮の運営は国の政治を動かすのとよく似ている。国民の無関心はそのまま寮生の無関心とつながり、投票率が低いのも、行政と民衆の間に深い溝があるのも、ほとんど皮肉なぐらい共通する。国民に見捨てられた政治は、ただただなすすべもなく、ネガティブに衰退の一途をたどり、権利と義務を放棄した国民は無意識のうちに悪政を容認し、自らの首を締め、不平不満だけを並べ立てる。ただ、一つだけ国政と違うのは、寮の基盤である「自治」という形態である。寮の仕事は自分たちの生活に密着しているだけに、「自分たちのことを自分たちで」という性格が強い。寮の行政を任される委員会も、国民の税金をがっぽりもらって政治だけを仕事とする国会議員とはワケが違う。委員は寮生の中から選ばれるのだが、はじめは「いろいろ経験できる」、「寮内の知り合いが増える」などの理由で立候補し、あとは各人の義務感、責任感を頼りに続けてもらうしかない。仕事としては、はっきり言って面倒なものも多い。会議やら何やらで時間的な拘束もある。「なんで俺がこんなことを…」と思うこともしばしばである。が、誰かはやらなければならない仕事である。こんな仕事は誰がやっても変わるもんではない。しかし、「そんなもんは好きな奴が勝手にやればいい。俺には関係ねぇ」というあさはかな愚民どもがいかに多いことか。仕事の負担の割にたいしたメリットもない委員会を、ただの伊達や粋狂で好き好んでやるバカなどどこにもいない。何のための「自治」か。自分たち寮生自身のためである。「人の役に立つ」とはこういうことではないのか。委員会は寮生のコマ使いではない。ましてや統率者でもなければ権力者でもない。ただ、寮生の代表者として一般寮生のしない「仕事」をする、寮生の要求や意見をまとめ、それに基づいて動く、一機関に過ぎないのである。
 ではここで、なぜ「自治」はなくてはならないのか考えてみる。当然のことのようで、意外に難問である。私たちがなぜ、この寮に住んでいるのか。なぜこんなに自由な生活をすることができるのか。なぜこんなに安いお金で暮らすことができているのか。それは、この寮が「自治寮」だからである。「自治」のない寮というのは、ただの寮である。ただの寮というのは、すべて大学の責任によて管理、運営される。そんな寮がどれだけ住みづらいか分かるだろうか。もちろん、委員会とか電話番とか、討論会とかゆーものに縛られる必要はなくなる。が、それ以上に自由はかなり制限される。何か起こると大学の責任になるので、たいした行事もできない。たいてい門限も存在する。建て替えや改修、寮費の値上げなどは学校が勝手に進める。寮生は、何か不満があっても一人一人では何も言うことができない。もちろん組織なんぞをつくることは許されない。入寮も退寮もすべて学校の判断による。ここまで厳しいかどうかは知らないが、こーゆークソ面白くもないただの寮が現に存在することは事実である。まぁ、そーゆー寮を面白くないと思うか気楽でいいと思うかは個人の自由だが…(むしろ後者の方が、時代に合っていて現実的なのかな?)。
 さて、そこでもう一つ問題となるのが、「自治意識の低下」というやつである。これは様々な場所で耳にすることだが、寮もその例外ではなく、頻繁にこの問題が語られる。自分で自分の問題を処理することが「自治」であるならば、果たしてこの寮において「自治」は存在するのだろうか。寮内の問題には、寮の老朽化や、電話回線が二本しかないこと、建て替えが実現されないこと、風呂にいつでも入れないこと、寮費の問題などがある。寮生がこれらの問題に対し、自分で処理するための方法として、討論会への参加がある。しかし、それもどんどん参加率が減っている。すでに寮生の中には、「自治意識」と呼べるものはほとんど存在しないといっていい。委員会をやろうとする寮生が減っているのも、これと同じ傾向といえる。要するに、不便なのはイヤだが、面倒なのもまたイヤなのである。当然といえば当然の心理であろう。     先にも触れたが、国民的規模での「無関心」という、世代的な流れも少なからず影響しているのだろう。まずもって今の世代は、本質を見ようとしない。原因が何か、何が悪いかは考えず、現象だけを見て、この現状でいかに乗り切るかだけを考える。当然、目に見える利益、見返り、メリットだけを欲するようになる。そして、自分の生活が苦しいのは自分の努力が足りないからだと思い込み、自分が学歴で序列化されても、自分のせいだと信じ込む。原因を自分に帰属させることで、盲目的に努力する。その現状に満足しないのはただのわがまま、怠慢として批判の対象となり、そこにイデオロギー的操作があろうなどとはかけらも思わない。社会の構造など、アウト・オブ・眼中である。校則がいくら厳しくても、いくらひどい体罰をする教師がいても、それに反抗し、立ち向かうことはせず、そこからいかに逃れるか、いかに教師の目を盗むかだけを考える。学校社会では、「中学生のくせにオシャレがしたいなんてエゴですよ」などという無神経な暴言が、平気で通用するのである。
 しかし、「なるようになる」や「長いものに巻かれろ」で、自分の生活は維持できないということに、いつか気づくはずである。ましてや「無関係」の態度を貫きつつ、「でもいい暮らしはしたい」など、無責任も甚だしい。自分がその場で暮らしている限り、その場における自分の役目は何なのか、最低限自分ができることは何なのか、よく考え、見極めるべきである。「みんな」とのなれ合いで、決して社会の発展は望めない。「民主主義」とは「衆愚政治」ではないのだ。これらのことに少しでも気づけただけで、寮で生活した甲斐があったと思える今日この頃…。
(1997.5.21「KNOSPEN」より)
 これが目下の問題意識

 「生きる意味って何?」ちょうどひと月前。この問いは、自分の中ではかなりのマイブームであった。なんだか子どもじみた疑問だが、これが結構奥が深い(当たり前か…)。いつも忙しくしている人間にはよくあるようだが、ふと暇になってしまった時、こういった究極的、根源的な問いがドド〜〜ンと押し寄せてくるものである。その頃はちょうど新歓期で、やはり例のごとく殺人的な多忙さの渦中にあった。事の起こりは、「俺ってこんなに忙しいけど、いったい何のために頑張ってんの?」「今自分がやってることって何?」と考えてしまったことにある。寮のためとか人のためだとは言うけれど、もしかしてこれってただの「自己満」なんじゃないだろうか。結局、「人のために人がしてやれること」なんてせいぜい限界があって、ちんけな「人間ふぜい」には大したことはできないと考えていた方が、ある意味健全なのかもしれない。
 でもそうだとすると、かなりクサいけど「子どもに夢を与えられる職業に就きたい」などという夢を、長い間見つづけてきた俺みたいな人間は、やはり考え方を変えるべきなのだろうか。「お前、そんなの理想とか妄想の話だよ」と言われればそれまでだが、じゃあ、「他人の幸せが自分の幸せ」なんて考えること自体が偽善だったりするのかな?    とすると、やっぱり人間、最終的には一人なんだよね。いくら親しい人でも(親友にしても家族にしても)絶対入り込めない自分だけの空間っていうか、世界みたいなものがあるわけだしさ。そうすると、最後に頼れるのは、やっぱり自分自身しかいないんだ。誰だって死ぬときゃ一人だし…(でもその一人の時に、頼れる何かがあるのとないのとでは、大いに違うと思うんだけどね)。
 そこでだ。そこで、「じゃあ人間は何のために生きるの?」っていう「疑問の最終形態」にぶちあたるわけだ。みんな自分の幸せのために生きてるのかな? 俺なんかは人は生まれるべくして生まれてくると思うし、生まれてきたからにはそれなりの理由があると考えるわけで、「生きる意味」とゆーか「生きている意義」みたいなものもそこにあるんじゃないかと…そう思うんだけど、でも「普通の考え」からすれば、そんなことはないわけで。
 ある番組で、かの名ボーカリスト、トータス松本が「人生とは勘違いである」と言っていた。名言である。その通りかもしれない。人生全て勘違いなのだ。でも、本当にそんなもんなのかぁ〜??? 自分の人生それでいいのかぁ? というわけで今年度の僕のテーマは「いかに生きるか」である(ちなみに昨年度のテーマは「愛なんだ」であった。ウソ)。
 ってゆーか、んなこと考える前に、教育に対する問題意識はどーなんだ?ということの方が問われているような気がして…、んん〜。
(1997.5.7「KNOSPEN」より)

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