1999年
■4年目の再出発
■就職活動体験記
■ちんけな自分にできること
■「将来」って意外に近かった

 4年目の再出発

 長いようで短い、短いようで長い、この4年間で何をしてきたかについて…。 
 「大学時代に最も力を入れたのは何か」。この問いは、就職面接で必ずと言っていいほど聞かれる常套句である。と同時に、4年目の最後に際して、誰もが問われなければならない問題である。
 「より広い人間関係とより広い視野を得る」というのが、4年間で一貫した目標だった。また、「人生において役に立たない経験は一つもない」という持論にのっとり、意識して多くの関わりをもつために、入学以来多くの集団に属してきた。それぞれにおいて、他の場では決して得られない経験、人間関係を得ることができた。マジで生きようとしてる奴がこんなにいることとか、信頼し合える関係ってこーゆーことなんだとか、自分を知るってこーゆーことなんだとか。それに、「世の中」ってやつも少しは知ることができた。しかし、人との関係を築くということは、そう単純な作業ではなかった。
 「広く浅く」とか「狭く深く」といった言葉は、人の人間関係や、守備範囲のあり様を表す語として頻繁に使われている。たしかに、多くの関わりを持とうとすると、その分すべてにおいて中途半端になる危険性がある。僕の場合も、決して「広く深く」を実現できたとは思っていない。それは、もともと「井のなかの蛙」だったことの反動からか、「深さ」よりも「広さ」を優先したがためである。また、「狭く深い」生ぬるい環境ではなかなか成長できない、自分の弱さを知っているからでもあった。それが、一部のゼミ生をして「消極的共生」と言わしめた要因かもしれない。
 では、ここで言う「深さ」とは何だろうか。一緒にいる時間の長さか、何でも話し合えて、隠しごとがない仲か、それともお互いを理解し合えることか。
 このことを考える際に、もう一つ自分について気づいたことがある。昔からゴタゴタは好きな方じゃなかった。特に人間関係のしがらみは一番苦手とする分野で、そういうヤバい空気を察知してそこから気づかれないうちに逃げ出すのが上手かった。末っ子らしいと言われるゆえんでもあるが、確かに他人の失敗を見てそういう危険を避けて通るという手法は、いつのまにか身についていたのであった。つまり僕にとって「広く浅く」は、衝突から逃れ、我が身を守るための最短の解決法でもあったのである。
 かつて「KNOSPEN」の通巻250号で特集を組んだことがあった。期せずしてその時のテーマは「やさしさ」だった。そのとき僕は、「やさしさの大安売りみたいなことはしたくない」「他人に寛容であることが精一杯のやさしさだろう」的なことを書いていた。自分も傷つきたくないし、相手も傷つけたくない。だから誰に対しても穏便に「やさしく」振る舞う。それは決して「やさしさ」なんかじゃない。
 宇宙の塵の「衝突」から天体が生成するように、対立を避けた平穏な状態から「深さ」は生まれない。お互いがお互いをより身近にとらえ、傷つき傷つけながら、その傷までをも認めて、切磋琢磨すること。これからの自分の課題は、まさにこの「広さ」と「深さ」である(いつのまにかテーマが「共生」に近づいてしまった…)。その両立は、決して不可能ではない。
(1999.2.28「KNOSPEN」より)
 就職活動体験記

 ちょうど一年前の今頃。教採(教員採用試験)か企業かと悩んだすえ、結局就職活動をすることにした。サークルを通して以前から興味のあったマスコミ職に対象を絞ったのだが、2月末の面接を皮切りに、それから書類審査、面接含めて15社ぐらいを受けた。この程度ならまだまだ少ない方で、多い人(職種を絞らない場合)では50〜100も珍しくはないらしい。さらにそれぞれについて、書類審査から一次面接、筆記試験、二次、三次、重役面接などをクリアしなければならない。はっきり言って苛酷である。
 就職活動において最も注意すべきは、就職活動関連の情報過多である。その攻略法について、様々な噂や迷信が飛びかう。自己分析をすべきだとか、SPIは常識だとか、OB訪問した方が有利だとか、一般教養が決め手だとか…。これらの情報はすべて割り引いて受け取った方が無難である。新卒者の不安を煽り、その心細さにつけこんでくる巧妙な商売は無数にある。
 端的に言ってしまえば、自分の、いま現在の生きざま全てが就職活動の一環である。「いくら表面を繕っても、面接をすれば人の本質はすぐ見抜ける」とある人事部の人が言っていた。付け焼き刃はほとんど通用しないといっていい。だから、情報は最低限で充分である。下手にマニュアル通りの受け答えをする奴など、どんな会社でも欲しくはない。 それからもう一つ。崇高な理想や目標(そこそこネームバリューのある大手企業)を掲げるのもいいが、目指すなら最後まで貫き通すつもりの覚悟でやる。途中で妥協するなら、始めから掲げる必要はない。何事も見極めの早さが肝心(経験者談)。
(1999.2.28「KNOSPEN」より)
 ちんけな自分にできること

 後期最後のゼミは良かった。結果的に一人のゼミ生がこのゼミを離れることとなったが、期せずしてゼミ生の内面を垣間見ることができたことは、大きな収穫でもあった。
 Sさんが言ってたように、「バカな」自分、「愚かで弱い」自分に気づいて初めて、いろんなものが見えてくる。それは、卒論にしてもゼミ活動にしても、すべてにおいて言えることである。人間だれしも、コンプレックスとかトラウマとか、過去の傷痕とか重荷とか、いろんなものを背負って生きている。当然いろんな「弱さ」も抱えている。程度の差や、それを表に出すかどうかの違いはあるだろうが、そのこと自体に例外はない(中には、本当に何も背負っていない人や、背負っていてもそれに気づかない人なんかもいるんだろうけど…)。
 以前のHさんの発言によれば、人間には「存在感はあるんだけどいなくてもいい奴と、存在感はないんだけどいないと困る奴」という2種類の人種がいるらしい。いずれに分類されるにしても、それぞれの抱える克服すべき課題がある。それを見るにつけ、つくづく自分が「ちんけ」な存在であることに気づかされる。しかし、人間「ちんけ」で当たり前。「最低の自分」に気づくことが、「最高の自分」への第一歩である。それでも、幸運にも何かできる能力を持っていればもうけもんである。しかもそれが誰かの役に立てるものだとしたら…、そんな光栄なことがあるだろうか。
 「弱さ」を抱えた人間には、「強い」人間には見えにくい他人の「弱さ」がよく見える。俗っぽい言い方をするならば、勉強がデキてた「エリート」には、勉強のデキない「落ちこぼれ」がなんでデキないのかが理解できないのと同じである。無論、自分の「弱さ」を克服することはとても大事なプロセスだが、それは他人の「弱さ」や「痛み」に鈍くなることとイコールであってはならない。何をするにしても「ちんけな」自分の限界を知ること、それをわきまえておくことが必要になる。それは、「ちんけな」自分にできることはせいぜいこの程度だという、謙虚な前提である。その上で、その「ちんけな」自分にもできる「ちんけな」行為が、ささやかではありながら、なくてはならないものとして求められる場が必ずある。それが、嫌な自分と正面から向き合うことになり、果ては自分をよりよく知ることにもつながってくる。
(1999.2.28「KNOSPEN」より)
 「将来」って意外に近かった

 小学生時代、「未来」とか「21世紀」といった言葉によく惹かれていたのを記憶している。年端もいかぬ子どもにとって、その表す概念の意味などとうてい理解できなかっただろうが、その言葉のもつ魅力的な何かが非常に強く焼きついているのである。TVや漫画などの、いわゆる「未来もの」の影響がなかったとは言えない。「ドラえもん」でときどき登場するノビスケの住む未来の町なみや、「北斗の拳」の冒頭にある「一九九X年」という言葉に心踊らせたのは僕だけではなかったはずだ。それらの未来の描き方は実に様々であったが、どれにも共通して、子ども心を揺さぶるには充分の刺激があった。例にもれず、その虜となったシンジ少年の脳裏には、どこか遠い所に存在するユートピアの光景が描かれていた。非日常を現実化させてくれるSF好きは、ここに端を発している。
 時を経ること10余年。世の中は「世紀末」を迎え、ディザスタームービーが大流行である。「インディペンデンス・デイ」「ボルケーノ」「ディープ・インパクト」「アルマゲドン」しかり。どれも世の「終末」を扱ったパニック映画である。他方、怪奇現象、予言、奇跡、UFOなどをとりあげたセンセーショナルなオカルトものが注目を浴び、その時勢は、平安時代の末法思想を彷彿とさせる。
 過去に誰もが幻想を抱いたであろう「21世紀」はすぐそこにまで迫っている。しかし、実際には華の理想郷も「明るい」未来都市や文明社会も実現しているとは言い難い。かつて漫画において多くの近未来を描いてきた故手塚、藤子(F)、石ノ森の各氏はこの現実となった「未来」を見て何を思うだろうか。「未来」とは、それほど遠いものでも、希望に満ちたものでもなかった。
 そして、僕自身の「将来」も、すでに目前まで迫っている。子どもの頃から10数年「漫画家になりたい」と思い続けてきた僕にとって、それを応援してくれた小学校の恩師に「約束通り、漫画家になりました」と報告することが、ささやかなしかし現実的な夢でもあった。この一年間に及ぶ就職活動は、まさにこれまでの自分の描いてきた「将来」像と真っ向から対峙し、現実となる「将来」を自らの手で選択するという過程であった。この選択には予想以上の時間と労力を要した。そして今、その選択に一つの答えを出した。これでもう、「将来の夢」を聞かれて、答えをあれこれ思い悩むこともなくなる。しかし選択はまだまだ終わっていない。その意味で、僕にとっての「終末」「未来」「将来」は、まだ始まったばかりなのである。
 また一つ、ジャーナリスティックな文章を書いてしまった…(石川五右ェ門調)。
(1999.2.28「KNOSPEN」より)

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