2008年7〜12月



■2008.12.12
 朱基徹牧師の伝記 英訳本が日本へ
 人間的苦悩に真の殉教者の姿

 
▲英訳された伝記(左)と贈呈式



 日本統治下の韓国で神社参拝を拒否し、1944年に殉教した朱基徹牧師の伝記がこのほど英訳され、大韓イエス教長老会平壌老会の「記念事業委員会」を通して日本の教会へ贈られた。12月12日、日本基督教会館(東京都新宿区)で行われた贈呈式では、徐正敏氏(延世大学教授、明治学院大学招聘教授)が「日本統治期における韓国キリスト教の民族運動」と題して記念講演した後、日本側を代表して内藤留幸氏(日基教団総幹事)が完成した英語版の伝記を受け取った。
 講演に先立ち、同委員長の柳禹烈(リュウ・ウヨル)氏が「朱基徹牧師の事件は本質的、信仰の根幹にかかわる問題。その伝記を日本のみなさんにもお配りできることを幸いに思う」とあいさつした。
 徐氏は講演で、日本統治下の初期キリスト教を、「イデオロギー的民族運動期」(1900年代初期〜19年)、三・一独立運動後の「啓蒙的民族運動期」(20年代初期〜30年代中期)、神社参拝強要後の「信仰的民族運動期」(30年代中期〜45年)の三つの時代に区分。
 朱基徹牧師による「参拝拒否」は末期の代表的信仰運動として位置づけられるとしながら、「積極的に神社参拝に反対したのは3%。当時の韓国教会を被害者と捉えるのは歴史的に誤り。韓国教会も、朱基徹牧師に対しては加害者であった」と指摘。「朝鮮民族を代表して反対するのではなく、一人のキリスト者の良心に基づいて拒否するのだ、との主張は一貫していた」と述べた。
 他方、仮釈放され教会で説教した際には、刑務所での辛い境遇について打ち明け、家族を心配する言葉を漏らしていたことを紹介。亡くなる直前、夫人と面会した時の最後の言葉は、「温野菜が食べたい」だったという。「彼もわたしたちと同じ人間だった」と徐氏。
 この逸話を知った当初は幻滅したが、後にこれこそが真の殉教者の姿だと思うようになったと述懐し、その歴史的意義について、「殉教したから素晴らしいのではない。彼の信仰が韓国キリスト教のモデルとなり、現在の課題を見直す出発点にもなる」と語った。
 今回英訳された伝記には、「神社参拝は宗教ではない」とした富田満(日本基督教団統理)とのやり取りを記した貴重な記録も収録されている。

2008.1.17 キリスト新聞記事



■2008.12.11
 聖公会神学院 アングリカニズムの世界的神学者ら集う
 日本の教会の役割を示唆


▲(左から)ジボー、エイビス、ライト、クロケットの各氏



 聖公会神学院(広谷和文校長)は12月10〜11日、同学院で短期集中講座・アングリカニズム特別シンポジウム「聖公会のアイデンティティとアングリカン・コミュニオンの未来」を開催した。世界聖公会エキュメニカル関係常置委員会(IASCER)が京都で開かれるのにあわせ、聖公会神学(アングリカニズム)の神学者ら4人を招いたもの。世界聖公会の会議が日本で開催されるのは今回が初めて。
 講師と演題は次のとおり。ポール・エイビス(英国教会キリスト教一致評議会総主事)「アングリカニズムの召命」、ウィリアム・クロケット(カナダ・バンクーバー神学校名誉教授)「聖公会の教会論」、ロバート・ライト(ニューヨーク・ジェネラル神学校教授)「聖公会契約に対する米国からのアプローチ」、ジョン・ジボー(世界教会協議会=WCC=信仰職制委員会ディレクター)「WCC教会論における聖公会的起源と、WCCからのアングリカニズムに対する挑戦」。
 2日目には4氏を交えたパネルディスカッションが行われ、「オープンコミュニオン」や「堅信」「執事職」の位置づけなどをめぐり、参加者から寄せられた質問にそれぞれが答える形で進められた。
 コーディネーターを務めた西原廉太氏(立教大学教授)による「日本聖公会が世界聖公会に貢献し得ることは」との問いには、「福音の土着化について伝え、聖公会の擁する多様性への証しをすること」(クロケット)、「日本特有の親切さ、もてなしの精神を分かち合いたい」(ライト)、「戦後日本での和解と平和の経験を福音に照らして宣べ伝えること」(エイビス)、「中国や韓国の大教会に惹かれる誘惑に負けず、少数派の教会として神に忠実であることが求められている」(ジボー)との答えがそれぞれ返された。

2008.12.25 キリスト新聞記事



■2008.12.3
 「存在は善」の視点を
 日宗連 「宗教と生命倫理」シンポで関正勝氏が発題


▲キリスト者の立場から発言する関氏(中央)



 財団法人日本宗教連盟(矢田部正巳理事長)は12月3日、日本青年館(東京都新宿区)で第3回宗教と生命倫理シンポジウム「いま、いのちを考える――脳死・臓器移植問題をめぐって」を開催した。島薗進氏(東京大学大学院教授)による進行のもと、聖公会司祭である関正勝氏(立教大学名誉教授)のほか、立岩真也(立命館大学大学院教授)、光石忠敬(弁護士)、藤井正雄(大正大学名誉教授)、香川知晶(山梨大学大学院教授)の4氏が登壇した。

 このシンポジウムは、脳死・臓器移植、尊厳死などが、個々の人生観・死生観に関わる問題でありながら、十分に社会的議論が重ねられていない現状や、現代社会に投げかけられた諸課題について考えるというもの。
 社会学者、法律の専門家らがそれぞれの立場で発言するなか、関氏は「脳に人格を偏在化させることは一種の能力主義」とし、「弱さを生きる人間にとって、未だ死≠既に死≠ニする『見なし死』の持つ怖さは大きい」と指摘。さらに、第三者が個人の死に口を出すことの危険性について「直感的に戦争が想起される」と述べ、「存在≠ニ価値≠分離してはならない。存在は善だという視点が必要」「健康とは、『五体満足』という状態≠ナはなく、失われていく現実とどれだけ付き合っていけるかという態度としての強靭さ≠指す」と主張した。
 1992年、「臨時脳死及び臓器移植調査会」の答申が出されて以来、「脳死」の概念について再検討を迫られる事例や研究が公表され、2005年には、尊厳死の法制化を考える国会議員連盟が「尊厳死の法制化に関する要綱骨子案」を公表、法制化への準備を進めるなど、生命をめぐってさまざまな問題が提起されている。
 こうした状況をふまえ同連盟は、現代社会が直面する生命倫理問題について、その解決方法を見出すには医学、生命科学、法律、宗教、倫理などの専門家による総合的な検討が必要であるとし、専門機関の設置を求めるなど、常に慎重な対応を訴えてきた。

2008.12.25 キリスト新聞記事



■2008.12.1
 青山学院・マイクロソフトが産学協同
 
メールなど在学生ら15万人規模で提供


▲マイクロソフトの樋口社長(左)と青山学院の松澤理事長



 学校法人青山学院(松澤建理事長)とマイクロソフト株式会社(樋口泰行社長)は12月1日、学校経営力の強化、国際競争力のある人材の育成を目指し産学で協同していくと発表した。
 今回、同学院が導入するのはホットメールやメッセンジャー、ブログ、モバイルアクセスなどの機能を備えたコミュニケーションツールで、来年夏までに幼稚園、初等部、中等部、高等部、女子短期大学、大学院の在学生、保護者、卒業生など、国内最大規模となる約15万人に提供。さらに同社のアプリケーション仮想化技術を、計3千台からなるシステムに導入し、多言語・複数バージョンのアプリケーションをスムーズに利用できるようにすることで、留学生のパソコン利用や、海外の学生との交流を活性化する。
 また、同社の企業向け顧客管理システムを、在学生や卒業生の情報管理に活用し、初等部から大学・大学院までの在学生のアカウント管理を一元化することで、在学生の利便性向上と、IT管理者の負担軽減を実現させる。同学院特命事項担当局長の濱中正邦氏によれば、運用管理コストは従来の3割にまで抑えることができそうだという。
 同学院は21世紀のあるべき姿を明確にするため、2006年11月に「アカデミック・グランドデザイン」を策定。その具体化に向けた全学的取り組みの一環として「国際的教育研究ネットワークの構築」を掲げ、07年6月には「次期ICT戦略策定委員会」を設置した。今回、新たなICT戦略の策定に伴い、これらのシステムの活用・検証と、人材交流や大学CIOフォーラムでの提言書の策定などの取り組みを連携させることで、日本の教育機関における情報化の進展にも貢献したいとしている。
 これまでも同学院の各学校とマイクロソフトは協業関係にあり、個別に契約を結んでいたが、09年4月には学校法人の契約としてこれらを一本化する。
 今回の協業について松澤氏は、「マイクロソフトの先駆的なテクノロジーと品質向上の取り組み、日本の教育環境の情報化にこれまで取り組んできた実績と経験を高く評価している」「建学の精神に則った『地の塩、世の光』としての人材育成にも、大きな効果を発揮するはず」「日本の他の教育機関にも勇気を与えられるような先進的な事例になれば」と期待を寄せる。
 同じキリスト教関係学校では、立教大学が11月に、電子メール、インスタントメッセージ、カレンダー機能、文書作成などの機能を備えたグーグル社の無料サービスを導入し、ITインフラの整備・刷新を図っている。

2008.12.13 キリスト新聞記事



■2008.11.24
 
188殉教者を偲ぶ 各地から約3万人
 国内初の列福式開催 
教皇代理 マルティンス枢機卿が「宣言」

 
▲列福宣言に聞き入る参列者(左)、3万人で埋められた会場



 早朝から冷たい雨が降りしきる中、長崎は11月24日を迎えた。キリスト教禁令下の時代にペトロ岐部、中浦ジュリアンを含む188人のカトリック信者らが信仰を守りぬき、殉教してから約400年。その姿に倣おうと、約500人のカトリック司祭団、3千人を超えるボランティアを含め国内外から約3万人が長崎ビッグNスタジアム(長崎市松山町)に集い、国内初の列福式が厳かに行われた。

 この日のために約1200人で結成された聖歌隊の歌声が、終始場内に響き渡り、時折厚い雲の間から差す光と共に荘厳な空気をかもし出す中、粛々と式が執り行われた。
 殉教者の紹介の後、岡田武夫大司教(東京教教区)の要請に応え、教皇ベネディクト16世代理のジョゼ・サライバ・マルティンス枢機卿(前教皇庁列聖省長官)が教皇の書簡を代読し、「使徒的権威によって福者の列に加えます」と列福を宣言。長崎市の聖画家、三牧樺ず子(みまき・かずこ)さんが描いた殉教者達の肖像画が除幕されると、188羽のハトが空に放たれた。

 司式した白柳誠一枢機卿は説教の中で、老若男女、さまざまな立場の人々が殉教したこと、特に一家そろっての殉教者が多かったことに触れ「死よりも強い愛で結ばれた家庭は現代のわたしたちの鏡」と指摘。殉教者たちは「毎年3万人の自殺者を生む日本の社会に、生と死、苦しみの意味など、人生の根本問題について深く考えるように呼びかけ、神の似姿に創られた人間の尊厳、固有の精神的能力で考え、判断し表現する自由の重要性と、それに反するあらゆることを避けるようにと叫んで」おり、「すべての人が大切にされ、尊敬され、人間らしく生きられる世界となるよう祈り、活動することを求めています」とし、神の恵みに信頼し、恐れずに進みましょう」と呼びかけた。
 マルティンス枢機卿はメッセージの中で、「今日福者の列に加えられた人々が、いつの日か聖人に列せられることを望む」と述べた。

 列福式に先立ち、11月22日には、「京都の大殉教」(1619年)で殉教した52人の列福を記念するミサが、カトリック河原町教会(京都市中京区)で行われ、約400人の信徒が祈りをささげた。
 キリスト教、仏教、神道、天理教やPL教団などの宗教者でつくる長崎県宗教者懇話会は列福式前日の23日、長崎市の長崎ブリックホールで「列福式メモリアル平和コンサート」を開催。収益金は、核兵器廃絶を目指して活動する「高校生1万人署名活動実行委員会」「高校生平和大使」に贈られた。
 また、同日夜には長崎市内の4教会で前夜祭にあたる「祈りの集い」が開かれ、全国から長崎入りした参列者らと共に、列福式に備えた。
 殉教者の一人、トマス次兵衛(金鍔次兵衛)神父が潜伏していたとされる「次兵衛岩洞窟」がある長崎市扇山では列福式翌日の25日、扇山公民館前広場を会場に、次兵衛岩を発見した山崎政行さんらが主催する感謝のミサが行われ、地元住民ら約300人が同神父の列福を祝った。

 平戸市の平戸観光協会は列福式に合わせ、生月島の殉教者西玄可の二男で「聖人」のトマス西六左衛門の記念碑がある山田教会とロマネスク様式建築で知られる紐差教会の平戸焼ミニチュアを制作。観光協会売店ロビーに展示し、全国へのアピールを目的に公共施設などへの貸し出しを呼びかけている。

2008.12.13 キリスト新聞記事



■2008.11.7
 
世界改革教会連盟(WARC)議長・総幹事インタビュー
 今日の世界∞教会の使命

 
▲クリフトン・カークパトリック議長(左)、セトリ・ニオミ総幹事



 世界107カ国214の改革派教会が加盟する世界改革教会連盟(WARC)から、クリフトン・カークパトリック議長とセトリ・ニオミ総幹事が、東北アジアの加盟教会訪問の一環として来日した。これにあわせ、日本の加盟教会である在日大韓基督教会、日本キリスト教会、カンバーランド長老キリスト教会が初めて一堂に会する「世界の教会を覚える集い」が11月7日、日本キリスト教会柏木教会(東京都新宿区)で行われた。ニオミ総幹事が礼拝で説教したほか、パトリック議長が「今日の世界における教会の使命――改革教会の視点から」と題して講演した。WARCは2004年の総会で採択したいわゆる「アクラ信仰告白」によって、「経済上、地球上の不正義」に対し積極的に証していくという指針を打ち出している。「共同体」を目指すWARACが直面する課題と、将来への展望について話を聞いた。

ライフスタイル見直す時

――現在のWARCが抱える課題について教えてください。
 ニオミ 一つ目の大きな課題は、加盟教会の教会員にWARCの働きをどう認識してもらうかです。教派の事務所や渉外委員会のレベルを超えて、一人ひとりの信徒に認知してもらえるような広報活動が必要です。
 二つ目は、総会などで議決したことをどう実行に移すかという問題です。特に2004年のアクラ総会で、「経済上、地球上の不正義に対して行動する」という「信仰告白」を採択しましたが、WARCの本部が個々の教会とコミュニケーションをとりながら、それぞれの教会ができることをどう実行していくかは大きな課題です。
 さらに、「経済上、地球上の正義」を考えるならば、わたしも含めた諸個人がライフスタイルを見直すという大きな挑戦を受けているわけで、非常に難しい課題です。幸い多くの教会の指導者たちがそうした問題に反応し、前向きな動きが出始めていることは感謝すべきことです。
 三つ目は、2010年に向けた改革派エキュメニカル協議会(REC)との合同をどう実行するかです。単に二つの上部組織が合同するのではなく、それぞれの組織自体が加盟教会に寄り添っていかなければなりません。同時に、「アライアンス(連盟)」ではなく「コミュニオン」という形の共同体を作ろうと考えていますので、加盟教会の相互理解がさらに必要になってくると思います。

――一つ目に挙げられた「連盟と教会との距離」は、どのように埋めたらよいでしょうか。
 ニオミ
 例えば、わたしたちの働きを分かりやすく教会員に伝えていただくメディアの役割も重要だと思います。また、今日ではホームページを使うことも有効です。
 WARCは何人かの指導者によって運営されているわけではなく、加盟する世界107カ国7500万人の会員が「所有している」という意識を持ってほしいと思っています。さまざまな意見に耳を傾けるということがわたしたちの信条ですから、手紙やメールなどを通して具体的に批判してくださることも歓迎します。
 その意味では今回のような各個教会への訪問も、直接意見を聞いて多くのことが学べる貴重な機会です。

分裂の歴史から「一致」へ


――RECとの合同の他に、ディサイプル・エキュメニカル協議会(DECC)との関係も強化していると報じられていますが、今後の展望について教えてください。
 ニオミ 
これら一連の動きは、カルヴァンが教会の一致を目指していた改革派教会の伝統と深く関わっています。ディサイプル派も広い意味で改革派の流れに立っているわけで、そうした教派と対話を深めていくということも重要です。
 パトリック RECとの合同も決してゴールではなく、より広い他の団体との協力を模索していきたいと思います。特に改革派教会は伝統的に分裂をくり返してきたわけですが、そうした教会が今日一つになって働くことができるのは大きな神の恵みであると考えています。

――日本の教会について、どのような印象をお持ちですか。
 パトリック
 日本の教会は数としては決して多くありませんが、非常に信仰に篤く忠実な教会形成をしていることを神に感謝したいと思います。昨日と今日で、実際に二つの神学校を訪ねることができましたが、そこで学んでいる学生たちが、教会の将来に希望をもって神の召しに応えていこうとしている姿に心打たれました。神さまのお考えは、数では測れません。
 ニオミ マイノリティである日本の加盟教会は、より大きな家族であるWARCの一部だということを覚えておいてほしいと思います。どのような状況にあっても、決してそれらの教会が孤立することはありません。

――対照的に、政治的にも大きな影響力を持つ韓国やアメリカの大教会をどのように捉えればよいでしょうか。
 ニオミ
 マイノリティの教会も、マジョリティの教会もそれぞれに利点と欠点を持っています。小さな教会の信仰の強さや、大きな教会の創造力やコミュニティの力など、学べることはたくさんあります。互いの強みを分かち合っていくことが大切です。
 パトリック 韓国においては、肯定的な面も考える必要があると思います。例えば、キリスト者が互いにサポートするコミュニティを作っていたり、宣教に対する強い関心とコミットメントを持っていたり――そういうスピリットから学ぶことができます。

――ニオミ総幹事は先月プリンストン神学大学での講演で、「21世紀の教会には優秀なリーダーが必要」と述べておられましたが、具体的にはどのような人物像を描いていますか。
 ニオミ
 「優秀なリーダー」とは、神の言葉が今日のわたしたちとどのようなかかわりを持っているのか「翻訳」できる力と、時の徴を見分けることができる力を持っている人物です。これらを結びつけることができる人材が、神がこの社会をどのように変えられようとしているのか、地の塩としてどのような働きを求めておられるのかを、わたしたちに理解できるように語ってくれる存在になるはずです。

2008.11.22 キリスト新聞記事



■2008.10.18
 隅谷三喜男没後5年 代田教会が公開講座
 池明観氏 最後まで隣人と共に


▲隅谷氏との思い出を語る池氏



 隅谷三喜男没後5年を記念し、日基教団代田教会主催による公開講座「私たちは今どこにいるか?――キリスト者・隅谷三喜男をめぐって」が10月18日、同教会(東京都世田谷区)で行われ、かつて交流のあった教会員ら約100人が集った。
 パネリストには、平野克己(同教会牧師)、戒能信生(日基教団東駒形教会牧師)、山野繁子(日本聖公会東京諸聖徒教会牧師)の各氏に加え、韓国から池明観氏(翰林大学日本学研究所長、元東京女子大学教授)が招かれた。
 軍事独裁政権下の韓国の状況を「T・K生」の名で発信し続けた池氏は、隅谷氏との出会いや日本の教会に保護されながら民主化運動に携わった経緯を語り、同氏の生涯について「キリスト者として、最後まで隣人と共に歩むことを学問よりも優先された」「証しの姿勢が明確でありながら柔軟で、キリスト教的信仰と生き方が統合された人格として生きられた」と評した。
 また、亡くなる前の同氏と病床で語り合うなか、「『T・K生』であったことを公表すべき」と進言されたことを受け、2003年に実名を公にしたと明かした。
 続いて他のパネリストからの質問に応答する形で、後退の危機感から再び一致しようという機運が高まる韓国教会の現状について、「韓国の教会は常に外圧を受けながら苦難の中にあったが、外圧のない今、初めて教会が主体的に一つになろうとしているという動きは重要」と評価した。さらに、「民主化闘争の時代には偉大な指導者がいたが、現在はアジア的ビジョンを喪失してしまったのではないか。自由と民主化というテーマを乗り越えた静かな時代にこそ、新たな指導者が必要」と述べた。
 また、隅谷氏が生きていれば何を語っただろうかと自問し、「アジア全体の宣教をどうすべきかということを考えたのではないか。わたしは現場を退いたが、これからも先生に倣う生き方をしていきたい」と結んだ。
 同教会では来年以降、3年を目標に同講座の開催を計画している。

2008.11.1 キリスト新聞記事



■2008.10.13
 
聖学院大総合研究所創設20周年でシンポ
 戦後と教会を問う 独・英・日の神学者が講演

  
▲戦後リベラル・デモクラシーについて、各国の状況をふまえ講演する3者



 聖学院大学総合研究所(大木英夫所長)は創立20周年記念行事の一環として10月13日、「戦後リベラル・デモクラシーの伝統の再検討」をテーマとするシンポジウムを東京・池袋のメトロポリタンプラザで開催した。海外から迎えたクリストフ・シュヴェーベル(テュービンゲン大学)、アリスター・マクグラス(ロンドン大学)の両教授に加え、日本からは同研究所特任教授の松谷好明氏が講演。各国の歴史的・神学的背景をふまえ、戦後の社会形成に、プロテスタンティズムがどのような役割を果たしたかについて論じた。

■公共神学で本質的奉仕を
 「ドイツ・プロテスタント教会とデモクラシーの挑戦」と題して講演したシュヴェーベル氏は、1985年、ドイツ福音主義教会(EKD)が発表した「政治的責任はデモクラシーのもとにある全市民の召命である」との覚え書きとそこに至るまでの経緯を踏まえた上で、デモクラティックな国家における教会の役割について「他の諸機関によって遂行される政治的責任に対して手本となるものであるべきであり、他のさまざまな確信をもつ人々に対して霊感を与えるものであるべき」と指摘。
 さらに、ドイツの教会が今日直面している課題として、多元主義とグローバリゼーションの2つを挙げ、信者の共同体としての教会は「本来的に特定の国民国家に限られていないため、これらの問題に取り組むのに格好の立場にある」と強調した。また、「社会の中の他の共同体との話し合いの中で公共神学を行うこと」が教会の特別な課題だとし、それは「責任の究極的法廷――キリストの裁きの座――の問題を提起すること」であり、それにより「デモクラシーの維持にとって本質的な奉仕をする」と述べた。

■都市国家≠ニして証しを
 マクグラス氏は「欧米における世俗的デモクラシーについてのキリスト教的考察」と題し、戦後の欧米におけるリベラル・デモクラシーの展開が提起した神学的問題に焦点を当てた。初めに世界史におけるプロテスタンティズムと政治、教会と国家との関係を概観した上で、世俗的デモクラシーの位置づけについてアメリカと英国における最近の論調を紹介。「教会と社会全体がどのように相互にかかわっているかを理解するために、幾つかモデルを作り上げる必要がある」とし、そのための重要な実用主義的アプローチの一つとして、教会自体を「異なる物の見方を提供する都市国家=iポリス)」と見なすアウグスティヌスの概念を提示した。
 特に、政治的参与には神学的次元が必要だと強調するオリヴァー・オドノヴァンの著作から、「善についての多様なヴィジョンに寛容≠ノなることで真の善≠ノ対する探求を放棄すべきではない」とし、教会の道徳的証しを明確に表現し、共にあずかるように他の人々を招くあり方に着目した。

■天皇制は神学的課題
 松谷氏は、「象徴天皇制と日本の将来の選択――キリスト教的観点から」と題し、天皇制の問題を「単にリベラル・デモクラシーの十全な発展を妨げてきただけでなく、これからも必然的にそうし続けて、日本と世界の益を損なう」課題として取り上げた。まず、大日本帝国憲法下のキリスト教の問題について、「キリスト教と国家神道の教理が根本的に相容れないことを明確に主張しなかった」「あたかも天皇と天皇制とを区別することができるかのように考え続けた」「戦後も、皇国的キリスト教を唱導、黙認したことに何ら責任も痛痒も覚えなかった」の3点を挙げ、新憲法下で「象徴天皇」となった後も、「天皇、皇族から真の人間性と人格を奪い、国民をも誤った宗教的信念のもとに置くだけでなく、彼らの主権と人権を侵すことによって、憲法が樹立しようとするリベラル・デモクラシーを危機に陥れる恐れが常にある」と指摘。戦後もこれらの問題について沈黙し続けた指導的な牧師や神学者の姿勢を批判し、「象徴天皇制のもとにおける教会のあり方は、キリスト教の本質にかかわる重大な神学的課題」と述べた上で、日本が進むべき将来の選択肢の一つとして「共和制の樹立」を説いた。
 同氏は講演後の質問に答え、「キリスト教会の告白すべき罪としては、戦争を支持したことよりも、天皇を神としたこと、その異端的な教説を批判しなかったことの方がはるかに大きい」と述べた。

2008.11.1 キリスト新聞記事



■2008.10.12
 聖餐は「高価な恵み」=@アリスター・E・マクグラス講演
 歴史と実践に学ぶ

 
▲講演するマクグラス氏(左)と聞き入る参加者



 ロンドン大学のアリスター・E・マクグラス教授を招いたキリスト新聞社・聖学院大学総合研究所共催による特別講演会「聖餐――その歴史と実践」が10月12日、青山学院大学ガウチャー記念礼拝堂(東京都渋谷区)で行われ、全国各地の幅広い教派・教団から約350人が来場した。「未受洗者陪餐」の問題をめぐりさまざまな議論が交わされている状況だけに、日本でも多くの訳書が発行されている同教授の言説が注目を集めていた。以下に講演の要旨を掲載する。

■神の歓待
 キリスト教の福音の中心的なテーマの1つは神の愛。神がわれわれを抱擁されたように他者を抱擁するようにという神の命令は、ローマ人へのパウロの命令に要約されている。それは、キリスト者が神の和解の愛を思い起こし宣べ伝える中心的な方法の一つへとわれわれの目を向けさせる。それが聖餐式である。ここに、「神の歓待」というテーマを見出すのであり、われわれは教会の生と思想のためにそれが暗示していることを熟考するように招かれている。

■恵みと赦しの約束
 ルターは、サクラメントを「神が制定された、罪の赦しのしるしと約束」と定義している。パンとぶどう酒は、赦しという神の約束の現実性をわれわれに再保障するが、それはわれわれがその罪の赦しを受け入れ易くし、受け入れた後にそれをしっかりと保持できるようにするのである。
 聖餐式は、恵みと赦しの約束が今や効力を持っているということを劇的に宣言する。キリストの死を宣言することによって、信仰の共同体は、赦しと永遠の命の尊い約束が信仰を持つ者にとって今や有効であるということを確言する。

■神のコミットメント
 第一世代の宗教改革者たちにとって、サクラメントは人間の弱さに対する神の応答であった。神の約束を受け取り応答することがわれわれには困難であることをご存知で、神はご自身の憐れみ深い恩恵を目に見え触れることのできるかたちで表わしたしるしで、御言葉を補完された。それらはわれわれの能力への適応なのである。
 サクラメントの中心的な機能は、信仰者が真にキリストの体のメンバーであり神の国の相続人であると、信仰者を再保障すること。パンとぶどう酒は、神の受容、肯定、変革の象徴(トークン)および誓約なのである。このように聖餐式は、人に対する神のコミットメントの確固たるそして明白な言明なのだ。
 聖餐は、キリスト教会の設立をもたらした歴史的出来事の記念であり、その教会、そのメンバー、そしてその価値観に対する信仰者の忠誠を公的に示す行為なのである。聖餐式は、信仰者の生と教会のためのイエス・キリストの死の大切さを想起し回想するようにとの招きを表わしている。キリスト者を一つにするものはキリストの死。共通の忠誠の何か他の絆をこれに代えて持ってくることは、教会の存在意義を見失うことになる。

■信仰者のコミットメント
 ボンヘッファーは「安価な恵みはわれわれの教会に致命的な敵である」と主張する。神の贈物が人間の応答を要求し求めることを認めるのを拒否することによって、教会が恩恵の教理をおとしめ低く評価していると示唆している。神が受容してくださり愛情に満ちているということを強調するのは容易なことだが、これは話の一部を語っているに過ぎない。神への信頼は、キリストへの従順へと変革されなければならない。
 パンとぶどう酒を受けることは弟子のしるし。パンとぶどう酒は、安価な恵みではなく、高価な恵みの象徴である。それらはわたしたちに何かを提供するが、同時に応答として何かを要求する。聖餐のパンとぶどう酒を受けるということは、信仰者の教会と世界へのコミットメントの公の表明である。
 歓待には制限がある。聖餐の歓待は、垂直的関係の水平的表現である。聖餐の食卓に歓迎されている人々は、既に神によって歓迎され、この歓迎にコミットメントと弟子として生きるということをもって応答した人々なのである。
 たしかに、わたしたちは聖餐式を神の愛と受容を宣言する手段として用いることができるが、わたしたちはまた、聖餐式を、神がわたしたちのためになしてくださったことに対する人間の応答の必要性の宣言としても見なければならない。

■日本へのメッセージ
 これらの主題が日本で論争となっているということを承知している。わたしは、これらの議論に干渉する意図がまったくないが、問う必要のある問いの論点を明確にするという試みが有益であるようにと願う。明らかに、神学的そして教会的境界線を含んだ重要な問題があり、皆さんが満足いくかたちでこの問題を解決できるよう願っている。(翻訳=藤原淳賀)

2008.10.25 キリスト新聞記事



■2008.10.1
 イラク派兵差止訴訟原告ら署名4万筆を提出
 高裁判決に従い即時撤退を

 
▲積み上げられた署名の束(左)と、原告の池住氏



 「自衛隊のイラク派兵は違憲」とする4月17日の名古屋高裁判決を勝ち取った「自衛隊イラク派兵差止訴訟」原告の池住義憲氏と弁護団、および支援者らは10月1日、国会前で航空自衛隊の即時撤退を求めるアピール行動を行い、全国で集めた署名4万6326筆を内閣府に提出した。
 池住氏は、「判決が出て終わりではない。画期的判決を黙殺し続ける政府に、その重大さを受け止めさせることは、裁判に関わったわたしたちの歴史的責務」とあいさつした。
 弁護団長の内河惠一氏は、「三権分立を維持させ、日本の政治をバランスよく運営させるためには、規定的な存在である国民の力が維持されなければならい」と発言。弁護団事務局長の川口創氏は、政府が空自を年内に撤退すると発表したことに触れ、「今回の判決は憲法と市民一人ひとりの勝利。最後まで声を上げ続けることが大事」と述べた。
 社民党、共産党の議員も本会議の合間をぬって駆けつけ、連帯のあいさつをした。続いて各地で差止訴訟に携わる支援者らが発言し、今後の展望などについて語り合った。
 キリスト者平和ネットからは鈴木伶子氏(共同代表)が発言し、「自衛隊の派兵によって、『平和に生きたい』と願う生存権、信仰者としての生き方を否定されている」と述べた。同ネットでは、高裁の判決文を読む勉強会を各地で開催するために、講師派遣の補助もすると呼びかけている。
 参加者らが首相官邸に向かい、「イラク派兵違憲判決に従ってください」「空自の即時撤退を」と声を合わせた後、原告の代表らが、署名提出のため内閣府を訪問。違憲判決についての政府見解や、イラク特措法の2年延長に際し、付帯決議に記された「情報開示に努める」「対テロ戦争支援の総括をする」との件について、その後に行われた議論の内容などについて質問した。
 会見の後、内河氏は担当者とのやり取りを報告し、「形式的な回答に終始した。判決後に政府でどのような議論をしたのかと尋ねたが、担当者が8月に就任したばかりということもあり、後日改めて文書で回答するとの返事を得た」と述べた。

2008.10.18 キリスト新聞記事



■2008.9.15
 
徐正敏氏「民衆神学」の衰退憂う
 日韓の新しい神学に期待



▲韓国教会の現状を解説する徐氏



 現在、明治学院大学の客員教授として来日中の徐正敏氏(延世大学神学部教授)は9月15日、日基教団渋谷教会(東京都渋谷区)で行われた第19回「実践神学の会」で、「現代における韓国の神学的動向」と題して講演し、韓国の教会が抱える今日的課題について歴史神学の立場から分析した。
 1920年代の「朝鮮的基督教運動」は「米宣教師たちの神学に対峙するためのものに過ぎず、韓国特有の神学的思想ではなかった」とし、また30年代に起こった論争や、戦後の高神派(高麗神学派)、基長派(韓国基督教長老会)の分裂についても、「神学的対立ではなく、教会政治的な問題が多分に含まれていた」と指摘した。
 その上で、60年代以後に生まれた「土着化神学」「民衆神学」の意義に言及。その後の政治的変化の中で、多くの民衆神学者たちが政権内の重要ポストに就き、変容していった経緯についても明らかにし、「理想を実現するプロセスが神学的ではなかった。金大中、盧武鉉政権の時代は、韓国の民主化にとって最も良い時代だったが、『民衆神学』にとっては最も困難な時代だった」と述べた。
 「福音派」中心となった80年代以後の神学的課題については、「教会成長主義」「極端な資本主義」「世界宣教における神学の不在」などを列挙。「これまでの教会史観に代わり、一人のキリスト者の信仰告白が、教会、地域、韓国のミッションに影響を与えていくような、逆向きのエネルギーが必要」と訴え、「日韓の『告白・和解の神学』から新しい展望が生まれるのではないか」と、「民衆神学」に代わる新しい神学への期待を語った。

2008.10.4 キリスト新聞記事



■2008.9.11
 
アウシュヴィッツ平和博物館5周年
 
コルベ神父「原画展」 現代の問題映す鏡

 
▲展示会場でコルベ神父について語る館長の小渕さん(左)と我妻さん
 布教のため訪れた日本に思いを馳せるコルベ神父(画/コシチェルニャック)




 第二次大戦後、アウシュヴィッツをテーマに絵を描き続けたポーランド人画家ミェチスワフ・コシチェルニャックさん(1912〜93)の原画が、この夏初めて公開された。昨年見つかったペン画の数々には、妻子ある男性の身代わりとして殉教したコルベ神父の姿が、繊細なタッチでリアルに描かれている。神父の生きた信仰の足跡をたどり、今年5周年を迎えた福島県白河市のアウシュヴィッツ平和博物館を訪ねた。

 福島県南部、新白河駅より車で10分。もとは牧草地だったという小高い丘の上に同館は建つ。趣のある古い民家のたたずまい。軒下にたわむれる猫。敷地内には小さな畑もある。「負の世界遺産」を冠する施設とは思えないのどかさ。そのギャップが、日常と表裏一体にある「戦争」という非日常の恐怖を際立たせる。
 グラフィックデザイナーだった初代館長の故・青木進々(しんしん)さんは、仕事で日本とパリを行き来する中、たまたま立ち寄ったポーランドの古書店で一冊の画集を手にする。そこには、ナチスに連れ去られる家族や街中で行われた公開処刑の様子など、子どもたちが目にした戦争の惨劇が生々しく描かれていた。
 この本との出合いに衝撃を受けた青木さんは、以後、画集の日本語版の出版、「心に刻むアウシュヴィッツ全国巡回展」の開催と精力的に活動を展開。さらに、同展に携わった市民ボランティアの協力も受け、博物館の建設に着手する。

 2000年、栃木県塩谷町にオープンした同館だが、1年目で地権者の会社が破綻、移転を余儀なくされ、さらに、青木さんが末期がんで急逝する。閉館の危機を乗り越え、新たな地で再出発を果たしたのは03年4月。
 現館長の小渕真理さん(日基教団教会員)は、「スタッフにとっても初めての土地で、地元に根付くまで時間がかかりましたが、今では、県主催の行事に招致団体として招かれるなど、人の輪が広がり、認知度も高まってきました」とふり返る。

 今回公開された原画は、青木さんがポーランドで出会ったコシチャルニャックさん本人から購入したもの。青木さんの死後、行方が分からなくなっていたが、同館学芸部の我妻英司さんが倉庫の中から発見した。
 「『自分さえよければ』という現代の風潮に対する強烈なアンチテーゼ」と語る我妻さんは、改めてその足跡を学び、認識を新たにさせられたという。「悲劇性ばかりが強調されますが、それまでの神父の生き方を見れば、収容所での行動には確かな信仰的裏裏付けがあったことが分かります」
 来日した経験もあるコルベ神父は、最新の印刷機を購入し、雑誌を創刊するなど、宣教のためにメディアを駆使した進歩的な人物。宗教の世界にこもらず、社会の問題にも臆せず発言した。彼の熱意に共鳴し、資金的にも支えたのは、むしろ教会外の人々だったという。
 聖公会の信徒でもある我妻さんは、「このままではいけないと叱責されているよう。今日の教会が見習うべき姿勢です。単に身代わりで死んだ勇気ある人という美談ではなく、『現代の問題を映し出す鏡』として捉えてほしい」と原画展への期待を語った。

 同展は今月29日まで。以後全国で巡回展を予定。開館時間は午前10時〜午後5時。毎週火曜日(祝日の場合は開館し翌日休館)休館。問合せは同館(0248・28・2108)まで。

2008.9.20 キリスト新聞記事



■2008.9.1
 崔昌華のメッセージまっすぐに
 
次女の善恵さんが記録写真をパネル50点へ 9・1集会で展示

 
▲パネルを展示した会場(左)と国連世界人権会議に参加した崔昌華氏



 関東大震災から85年。毎年、朝鮮人虐殺の歴史を覚えて開催されている「9・1集会」(同実行委員会主催)が、今年も在日本韓国YMCA(東京都千代田区)で行われた。今年は、犬養光博氏(日基教団福吉伝道所牧師)が「崔昌華(チォエチャンホア)先生の『戦争』――誰との戦い、勝利は」とのテーマで講演したほか、「崔昌華人権獲得運動の軌跡」と題する記録写真パネル展も同会場で催された。崔昌華氏の死後、残された膨大な記録を整理し、パネルの製作に尽力してきた次女の善恵(ソンヘ)さんに話を聞いた。

 最初のパネルは、まだあどけない表情の残る昌華少年(当時小学6年生)の写真。胸には創氏改名によって付けられた「高山昌華」という日本名の名札が見られる。
 崔昌華氏は、韓国生まれ。1954年に来日し、60年に北九州市小倉の在日大韓基督教会小倉教会牧師に就任した。68年の金嬉老(キムヒロ)事件を契機に、在日韓国・朝鮮人の人権獲得運動に取り組む。75年に参政権付与を求めて公開質問状を提出。以後、名前を日本語読みで報道したNHKを訴える「人格権訴訟」、指紋押捺拒否などを通じて、外登法の不当性や在日韓国・朝鮮人の人権擁護を訴えた。
 同氏は、関東大震災の朝鮮人虐殺が日本の在日問題の原点であるとし、1975年に「9・1集会」を発足。以来、同集会は今年で34回目を数える。

 今回展示されたのは、崔氏の記録写真や、裁判の内容を伝える当時の新聞記事など、パネル50点。善恵さんが保管していた150本に上るネガの中から、資料的価値のある写真を選別し、加工したもの。昨年完成した西南KCC(コリアンクリスチャンセンター)会館(北九州市小倉)の竣工式で展示したのを皮切りに、今回で3度目、東京では初めてのお披露目となる。
 製作の過程で最も苦労したのは、事実関係を確認しながら写真のキャプションを入れるという作業。「記録魔だった」父が残した多くの手がかりに、何度も助けられたという。
 写真には、闘う運動家としての顔だけでなく、病を抱えながら生涯をささげた一牧師の軌跡も写し出されている。「一般に知られているアボジ(父)のイメージは、民族服を着て横断幕を持つ法廷での姿ですが、わたしたち家族が見てきたのは、毎週の説教を欠かさず、熱心に病床でお見舞いする姿です」と善恵さんは語る。

 歩んだ道のりは平坦ではなかった。参政権を求める運動では、教会の中からも「なぜ愛を説く牧師が争うのか」「正義よりも愛を説け」と批判され、在日の同胞からも「同化につながる」と反発の声が上がった。
 14歳だった善恵さんが「日本人の友達が押していないなら、わたしも押したくない」と訴えたことを発端に、指紋押捺の拒否に関わってからは、脅迫と誹謗中傷の猛威に家族もさらされた。
 しかし、困難な中にあっても決して落胆せず、対立する相手とも関わりを続け、苦悩しながら自らも変わろうと努力する父の姿に、キリスト者としての「強さ」を見た。
 押捺制度は99年に廃止され、民族語読みも一般化した。しかし、この国の人権をめぐる状況は、今も決して良くなったとは言い難い。声高に「復古主義」「民族主義」を唱える勢力も衰えてはいない。故人の遺志が込められた写真の数々は、現代に何を語りかけるのか。
 「アボジは、初めからこうあるべきだという信念を持っていた人。時代を見て物を語ったことは一度もなかった。在日がどうあるべきか、人と人がどうつながるべきか。その答えは、今も100年後も変わらないはずです」。今回、九州で共に闘った牧師として講演した犬養氏が、彼を「預言者」と評する所以である。

 残された資料をいつでも見られる状態に整えておくのが自分の役目と語る善恵さん。パネルが完成して間もなく、しまい込んだ150本のネガを新たに見つけたという。整理の作業は続く。
 生前、自らが4代目のキリスト者であると度々語っていた父を思い出す。「途切れてはいけない。立派な鎖ではなくても、次の人がつないでいけるような硬い鎖を残さなければ――。そのために、アボジの遺したメッセージをまっすぐに伝えたい」

2008.9.13 キリスト新聞記事



■2008.8.15
 平和願い 続く模索
 
63回目の敗戦記念日 各地で祈りの集い

 
▲靖国神社の鳥居を背に行進する集会参加者(左)、
 名古屋高裁前での「歴史的瞬間」を再現する池住氏




 戦後63年目の8月15日。今年も、北京五輪の開幕と同時にグルジアでの紛争が勃発するなど、多くの難題を抱える中、各地で平和への道を模索する集会が催された。この日、福田康夫首相は靖国神社への参拝を見送ったものの、閣僚3人が参拝したほか、小泉純一郎元首相、安倍晋三前首相、石原慎太郎都知事も相次いで参拝した。

■追悼のあり方

 15日の早朝、千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)で行われた平和祈祷会(同実行委員会主催)では、木邨健三氏(日本カトリック正義と平和協議会専門委員)が「隔ての壁を越えて」と題して説教。約200人の参加者が、朝の日差しを浴びながら祈りを合わせた。
 日本キリスト教協議会(NCC)靖国神社問題委員会(須賀誠二委員長)はこのほど、新たに小冊子「国家による追悼は、なぜ問題なのか――千鳥ケ淵問題Q&A」を発行。1960年以来続けられてきた同祈祷会の経緯や、千鳥ケ淵に関する歴史、天皇・靖国との関係などを整理し、戦没者追悼のあり方について改めて問題提起した。

■「予防する責任」

 平和遺族会全国連絡会(西川重則代表)は日本教育会館(東京都千代田区)で集会を行った。国連職員・国際NGOスタッフとして紛争地域での武装解除に携わった伊勢崎賢治氏(東京外国語大学教授)による提言に、約270人の参加者が耳を傾けた。
 同氏は「武力が平和を作ることはあり得ない」とした上で、「保護する責任」として「大量殺戮を防ぐために必要な武力介入はある」と明言。ただし、紛争を「予防する責任」がその上位概念にならなければ、戦争を正当化する論理として悪用されると指摘。「紛争が起こる前に国連は介入できない。経済大国でありながら戦争を放棄している日本は、『予防』のための潜在能力を持っている。自衛隊を送らないための対案としてのみではなく、『責任』として捉えてほしい」と訴えた。

■判決を活かす

 ルーテル市ヶ谷センター(東京都新宿区)では「第35回靖国神社国営化阻止8・15東京集会」が開かれ、約130人が参加。今年4月に名古屋高裁で「自衛隊のイラク派兵は違憲」との判決を勝ち取った「イラク派兵差止訴訟」原告の池住義憲氏(日本聖公会名古谷聖ステパノ教会員)が講演した。
 同氏は、この「画期的」判決を今後の運動に活かすために、注目すべきポイントを解説。実質勝訴の大きな要因として「提訴したこと」を挙げ、「これは、教会や地域をベースに運動を起こしていく時の重要な鍵。声を上げなければ結果は出ない」と強調した。池住氏は裁判を通じ、難民救済に取り組むベトナムで「加害者」とさせられた体験から、29年間封印してきたという自責の念を告白。提訴の背景には、「また加害行為をくり返してしまう」という思いがあったという。

2008.9.6 キリスト新聞記事



■2008.7.22
 教団の公同性*竄、
 秋の総会控え 牧師・研究者らがシンポ

 
▲(左から)藤掛、神代、岡本の各パネリスト、司会の菅原氏、呼びかけ人の小堀氏



 全17教区で教区総会を終えた日本基督教団では、秋の教団総会が迫るにつれ、「未受洗者陪餐」とそれを公言する北村慈郎氏(紅葉坂教会牧師)への「教師退任勧告」をめぐり、全国の教会を巻き込んでの議論が活発化している。7月22日には、同聖徒教会(東京都渋谷区)で「教団は教会たり得るか――合同教団の公同性を問う」と題するシンポジウム(同実行委員会主催)が行われた。総会へ向けての新たな動きを取材した。

 呼びかけ人代表として名を連ねたのは、原田謙(更生教会牧師)、森里信生(関西学院教会牧師)、小堀康彦(富山鹿島町教会牧師)、大住雄一(東京神学大学教授)の各氏。小堀氏は主催者を代表し、シンポジウムの趣旨について「単なる手続き論としてではなく、教会の本質に関わる問題として、神学的・教会的に事柄を整理し議論をしていかなければと考えた」と説明。
 全教団的議論として発展させるために、出身神学校や旧教派的背景の違いを超え、教団で責任を担ってきた面々がシンポジストとして発題、その内容を冊子にまとめ、教団の全教会に配布する予定だという。今回は発信するための前段として、あえて参加者も限定した。当日の出席者は、教団の牧師や東京神学大学の教授ら約40人。
 シンポジストの顔ぶれは、前教団信仰職制委員長の岡本知之氏(西宮教会牧師)、現教団宣教研究所委員の神代真砂実氏(東京神学大学教授)、現教団信仰職制委員長の藤掛順一氏(横浜指路教会牧師)の3人。

 菅原力氏(弓町本郷教会牧師)の司会のもと、初めに発題した岡本氏は、教団における昨今の「憂慮すべき現象」を列挙し、「教団は、成立時にさまざまな教派が合同したとはいえ、今は教団信仰告白を持ち、その身体表現としての教憲教規の秩序の下にある公同教会である。その秩序が守られていないことは、合同教会の公同性の破壊である」と指摘。また、その背景にある「教会解体の論理」を導いたものとして「神の宣教(ミッシオ・デイ)」論と第二バチカン公会議の二つを挙げ、これ以降「解放の神学」の浸透によってカトリック教会の聖性が破壊され、その影響がプロテスタント教会、そして教団にも及んだと論じ、「いま教会に求められていることは、聖書的霊性≠フ回復だ」と結論付けた。
 神代氏は、「未受洗者陪餐」肯定の論理のために「リマ文書」が引用されていることについて触れ、「明らかに洗礼から聖餐へという順序が示されており、(『リマ文書』による肯定論は)誤解・誤読に基づいている」と主張。また、その成立の背景にある「神の宣教」論について、J・G・デーヴィスの理論をもとに問題点を指摘し、「教会に誤った『行ないによる義』を求めさせ、キリスト教信仰にとっての中心的な贖罪信仰の意義を失わせ、教会自体を世俗化によって解体し、それゆえにまた聖餐そのものを無意味化するもの」と述べた。
 藤掛氏は、プロテスタント教会における聖礼典の理解という観点から、「未受洗者陪餐」の問題性について、「聖礼典の『恵みの手段』としての意味も、『人間の信仰の表明』という意味も失わせる」「洗礼と聖餐の不可分の関係を破壊し、洗礼をも無意味なものとする」「神の恵みによる選びを無にし、救いの確かさを人間のその場限りの意識の問題にする」「聖餐を、それ自体で何か意味や力を持つものであるかのように魔術化する」などの諸点を挙げた。

 発題に続いて、参加者が意見を交換した。ある牧師からは自省の意味を込め、「『神の宣教』論は、目に見える形で宣教を進めやすいという点で魅力的だった。とりわけ真面目に労苦する牧師たちが陥りやすい落とし穴だったのではないか」「これまでの聖餐式において、キリストの現臨の『豊かさ』をしっかり受け止めていなかったのではないか」との発言があった。
 また、「神学議論になると牧師間の問題にならざるを得ないが、今や信徒がどのような信仰の決断をするかという問題になっている」という認識のもと、いかに信徒に届く言葉で語るかという提起についても議論がなされた。
 一方、神学史の捉え方をめぐっては、「第二バチカン公会議以降の教会の立て方は、聖餐の本質を根本的に明確にできたという意味で評価的に見なければならない」との意見も出され、今後の方向性としては「過去の歩みの中での犯人探しに終始せず、教団が日本の福音主義教会全体の本流を形成する筋道を積極的に打ち出すべき」と指摘する声も上がった。

 すでに問題は、単なる1教会、1教派の域を超えつつある。教団の「教会性」とは、合同教団の「公同性」とは、真の「教会形成」とは――。この秋、教団の、そして日本のプロテスタント教会の行く末が大きく問われる。

2008.8.16 キリスト新聞記事



■2008.7.21
 コルベ神父描いたペン画初公開=福島
 最後の姿≠今に 
アウシュヴィッツ平和博物館


▲身代わりを申し出るコルベ神父(中央)



 第2次大戦中、アウシュヴィッツ強制収容所(現ポーランド)で妻子ある男性の身代わりとして処刑されたコルベ神父の最後の姿を描いたペン画が、アウシュヴィッツ平和博物館(福島県白河市)で公開されている。
 今回初めて披露されたペン画は、収容所でコルベ神父と同室だったポーランド人画家のミェチスワフ・コシチェルニャックさん(1912〜93)が、1989年に描いたもの。同館初代館長の青木進々さんが90年頃、ポーランドでコシチェルニャックさん本人から購入したが、その後2002年に青木さんが急逝したため、所在が分からなくなっていた。同館学芸員の我妻英司さんが昨年、倉庫の中から発見し、このたび「コルベ神父原画展」として日の目を見ることとなった。
 展示されたペン画は、コルベ神父が身代わりを申し出る場面や、囚人服姿で労働を強いられている場面、かつて宣教で訪れた日本に思いを馳せる場面などを描いた計11枚。
 我妻さんは、「コシチェルニャックさん自身、捕らわれていた経験を持つだけに、描写がとてもリアル。芸術的な価値もさることながら、歴史的資料としての価値も高い」と話している。
 原画展は9月29日まで開催。11月には、「188殉教者」の列福式にあわせて長崎でも開催し、その後全国を巡回する予定。同館では現在、原画展の開催受け入れ先として会場を提供できる教会・団体を募っている。問合せは同館(рO248・28・2108)まで。

2008.8.9 キリスト新聞記事



■2008.7.20
 「AERA」が今年2度目の特集
 キリスト教会の「カルト化」 共通の課題を浮き彫りに



▲「カルト化」する教会の実態を告発した「AERA」



 今年4月に「キリスト教会の『性犯罪』――わいせつ行為を『救済』と説明」とする特集を掲載した週刊誌「AERA」(朝日新聞出版)が、前回に引き続き、7月28日号で「キリスト教会の『カルト化』――悪霊払い、SEX、虐待をうむ異常なコミュニティー」とする記事を4ページにわたって掲載した。
 記事では、信者への暴力や虐待を「訓練」「悪霊払い」として正当化する牧師の蛮行や、被害者による損害賠償訴訟の経緯など、「カルト化する教会」の実態を紹介。「信者は、牧師に批判的な考えをもつことは不信仰だと考え、理不尽なことが身に降りかかっても、非は自分にあると思う。信仰が足りないという牧師の言葉を素直に受け入れ、牧師への忠誠を一層強めていく」と、その構造について分析している。
 また、これらの教会の共通点として、問題を指摘すると「(牧師に批判的な者による)謀略を持ち出す」こと、「『正統』なキリスト教会であることを掲げている」こと、「信者が増えたり、教会が立派になったりして、勢いを感じさせること」などを挙げている。
 今回取り上げられているのは、ハレルヤコミュニティーチャーチ(HCC)浜松教会(静岡県浜松市・榊山清志牧師)、沖縄キリスト福音センター美浜教会(沖縄県北谷町・仲原正夫牧師)、北愛キリスト教会(北海道北見市・竹内一雄牧師=本紙調べ・「AERA」では匿名)の3つで、いずれも単立の教会。特に浜松教会をめぐっては今年5月、静岡地裁浜松支部により、牧師の暴力行為を認定する判決が下されたばかり(損害賠償の請求は「時効」を理由に棄却)。その後、大和カルバリーチャペルの大川従道牧師が同教会と「絶縁宣言」を行うなど、さまざまな波紋を呼んでいた。
 こうした問題の対応策として、前回の「AERA」報道以来さまざまな観点から発言を続けてきた水谷潔氏(小さないのちを守る会代表)は、リバイバル新聞(リバイバル新聞社)7月27日付の論説で、「外部に対して客観的に自浄作用があることを証明できる規則を持つこと」に加え、単立教会にとっては「教会間の交わりが必須」と提言。3つ以上の教会が「戒めあえる交わり」を持つことで、「多くの関係者が該当教会の問題を認識し、適切な対処をしやすくなる」と水谷氏。「問われているのは教会の健全性です」と指摘している。

2008.8.2 キリスト新聞記事



■2008.7.7
 
全国キリスト教障害者団体協議会
 「これを見て、良しとされた」 石川栄一氏が講演


 
▲写真を交えながら講演する石川氏(右)



 全国キリスト教障害者団体協議会(渋沢久会長)は7月7〜8日、日基教団埼玉和光教会(埼玉県和光市)をメイン会場に2008年度総会・研修会を開催した。今回は、加盟12団体の中から「アーモンドの会(日基教団関東教区埼玉地区障がいを負う人々と共に生きる教会を目指す懇談会)」が運営を担当。同協議会の総会は今年で第10回の節目を迎え、全国から集まった約150人の関係者らは、障がい者と共に歩む教会のあり方を改めて確認し合った。

 開会にあたり、関東教区宣教委員長の平山正道氏(日基教団四條町教会牧師)があいさつし、「この会はサミット以上の意義がある。障がい者は『自立支援法』などにより、ますます暮らしにくくなった。老老介護で苦しむ親子が心中するような事態も起きている。主イエスがなさったように、弱い者に手を差し伸べ、共に歩んでいきたい」と述べた。
 続いて、日本聖書神学校で旧約学・ヘブル語の教鞭をとる石川栄一氏(日基教団北本教会牧師)が「旧約における障がいの理解」と題して講演。同氏は「神はこれを見て、良しとされた」という創世記の言葉を引用し、「神さまはあらゆる被造物に対し全肯定されている。これが、障がい者を持つ家族にとって救いの第一歩」と述べた。
 その上で、「自閉症の家庭が最も悩むのは周囲の無理解」と指摘。自身も自閉症の長女を持つ親として苦悩していた時、ある牧師から「あなたの家は呪われている」と言われた言葉が忘れられないという。「自分自身を責め、自死することすら考えてしまう時、身近な人からかけられる慰めの言葉がどんなに大きいか」と、言葉かけの大事さを強調した。
 また、旧約聖書の面白さと豊かさについて言及。ヤコブやナアマンの物語などから、障がいが聖書においてどのように捉えられているかを解説し、「わたしたちは神へ感謝すると同時に、現実の社会に対し何をするかが問われている」と説いた。
 さらに、ヨブ記の本題は3章以下にあるとして、「神よ、どうしてですかと問いかけるうちに、問う者から問われる者へと変えられる」という過程に焦点を当てた。H・クシュナーの著書『なぜ私だけが苦しむのか』(岩波書店)を取り上げ、「答えという言葉には『説明』ということと同時に、『応答』という意味もある」との一節を紹介。「答えは簡単に見つからない。理不尽な現実を前に、初めは混乱、怒り、あきらめなどがあり、感謝へと行き着くまでには必ず段階がある。答えではなく、プロセスを大事にしたい」と語った。
 最後に、自身の体験から、家族を通して聖書のみ言葉、神の救いの確かさを知らされたこと、長女を通して新しいつながりが持てたことなどを明かした。
 講演後には、柳功治さん(日基教団埼玉和光教会員)、安川美恵子さん(同毛呂教会員)が障がいと共に歩んだ自らの体験を語った。統合失調症を患った柳さんは、「心病む者が捕らえられ、主にある新しい生き方を示された」と告白。安川さんは48歳で右耳の聴力を失い、原因不明のまま全聾になった体験から、「辛い葛藤が続いたが、『難航不落』だった夫が教会への送迎を通して受洗に導かれた」と証した。
 「アーモンドの会」の役員でもある三浦修氏(埼玉和光教会牧師)は、「これまでアーモンドの会を中心に関東教区へ向けて発信を続けてきたが、今回、教区内の全地区から参加があったのはとても喜ばしいこと。準備は大変だったが、会場を提供した教会自身が恵まれた」と2日間の成果をふり返った。
 来年は、兵庫キリスト教障害者共励会が総会の運営を担う。

2008.7.19 キリスト新聞記事


  

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