湯浅八郎との出会い

阿久戸 そうした中で戦争が始まるわけですが、帰国を決断したのはどんな思いからでしたか。
武田 アメリカにいた身としては、「この大きなアメリカに勝てるはずがない。やがて日本は灰になるだろう」と思っていました。その時、母国の人々と共に日本にいなければ申し訳ないというか、アイデンティティが失われるような気がしたんです。
 同志社総長の座を追われ、渡米していた湯浅八郎先生は、戦後の平和のために働きたいと、アメリカに残る決意をされました。
 湯浅先生がカリフォルニアで強制収容されている日本人を訪問された時、「こんな国は嫌だ。日本に帰る」と言う人々に対し、「あなた方はこの国を選んでこの国の市民になっているのだ。アメリカは間違いを犯したと悔い改める時が来るに違いないから、忍耐してこの国を正しい国にするために働くべきだ」と言ったことで、袋叩きにあいそうになったこともあります。ミッショナリーと一緒に、戦後の平和をどうするかを考える勉強会にも出席していました。
 長老派の牧師の息子で国際法を学んでいたジョン・フォスター・ダレスは、第一次世界大戦終結後、平和会議に米代表として出席したウッドロウ・ウィルソン大統領の随行員の一人として行くわけですが、敗戦国のドイツからできるだけ物を取り上げるという勝者を利する条約が締結された時、「これは次の戦争を用意するものだ」と感じた。「次に終戦を迎えた時、アメリカは疲弊した日本やドイツを助けなければならない」と主張したそうです。
 それで、第二次大戦後の敗戦国に対する処置は、第一次大戦の場合と非常に異なりました。そこには国務長官だったダレスが大きな力を発揮したといわれています。
 それに感銘を受けた湯浅先生は、日本でどんなに非難されても、ダレスは正しいことを言っていたと主張しておられました。
阿久戸 それは重要なご証言ですね。

ある警官との出会い

阿久戸 帰国後、光静枝先生に請われて日本YWCAで働くわけですが、さまざまな苦難があったようですね。
武田 当時、学生部幹事として中国人学生の援助もしていたのですが、これが問題となって警視庁から呼び出されました。捕まるものだと覚悟し、身の回りのものを小さいスーツケースに用意して、差し入れを友人に頼み、取調室に行きました。「これはYWCAとは無関係で、すべてわたし個人の責任でしたことです。敵国にいる学生として辛いと思いましたので、できる限りのことをしたいと思ったまでです」と正直に話しました。
阿久戸 本当に頭が下がります。もしかしたらそれが、取調官の心を動かしたのかもしれませんね。
武田 「あなたが純粋な気持ちでされたことはよく分かりました」と言われて、本当にびっくりしました。
阿久戸 そういう方々が戦中もおられたんですね。
武田 その方がどうしてすんなり分かってくれたのかと、本当に不思議でした。YWCAでも皆驚いていました。
阿久戸 使徒言行録のようなエピソードですね。

長幸男との出会い

阿久戸 戦没学生の手記を出版していた東大の学生グループが、アメリカのCOについて原稿を頼みに来たのが、幸男先生との出会いだったそうですね。キリスト教にも尊敬を抱いておられたとご推察しますが。
武田 そうなんです。戦争で家が焼ける時も、聖書は毛布にくるんで逃げたというほどです。
阿久戸 社会問題に関心を持つと同時に、人間の主体性、実存の問題にも深い造詣がおありだったと書かれていますね。
武田 当時は、人間の主体性の問題に関心を持つ学生はキリスト教に、社会問題に関心を持つ学生は社会主義、マルクス主義に、と言われた時代でした。しかし、わたしは両方とも大事だということを思っておりましたし、彼もそうだったようです。ともかく、数回訪ねてきた後、「結婚してください」と言われたんです。
阿久戸 率直でいいですね(笑)。
武田 わたしは驚き、「とんでもない」と言ったんです。7年ほど思案してようやく結婚しました。彼はいいパートナーになりました。本当に対等でしたし、互いに学び合い、議論し、助け合っていくような関係でした。わたしは忙しい身で留守にしがちでしたが、彼は「行きなさい。あなたの仕事だからやりなさい」と励ましてくれ、文句を言ったことはありませんでした。

「神学者は大きな罪人」

阿久戸 世界教会協議会(WCC)第2回会議のための準備会で、バルトとニーバーが言い争ったと書かれていますが、論点の違いは何だったのでしょうか。
武田 次の会議の主題「イエス・キリストは世界の望み」が、「終末論」の問題として論議されました。”The Great Hope(キリストの再臨)”と”small hopes(歴史の現実での各瞬間の審判と救い)”をめぐって、神学的論議は平穏でした。しかし、それを具体的問題に適用すると議論が沸騰しました。特に、ドイツを再軍備するかしないかという問題では激しく対立しました。
阿久戸 そこで先生が仲介されたというのはすごいですね。
武田 当時、ヴィッサー・トゥーフト総幹事は、WCCが分裂しないかと憂いていました。とにかくあまり論理的でない議論も交わされ、感情的な言い合いにさえなっていきました。そこで総幹事に、「偉大な神学者は大きな罪人です」と言ったのです。それを総幹事から聞いたバルトが、「何と美しい言葉だ。本当に我々神学者は大きな罪人だ」と言ったというんです。
阿久戸 バルトの器の大きさを感じますね。
武田 本当にそう思いました。彼が大きく歌う賛美歌の声も好きでした。
阿久戸 バルトが「超越の光に照らせばすべてが相対化される」と主張したのに対し、ニーバーは「超越の光に照らされつつ、それでも歴史形成には責任を持たなければならない」という点で対立し、神学的装いの論争になった時、先生が冷水をかけてくださったという感じがしますね。
武田 アメリカの立場からすると、”small hopes”としても、西ドイツを再軍備しておかなければ危ない。バルトは、もう少しおプティミスティックだったと思うんです。温度差がありました。ソ連と対峙する最前線で、どう対処するかということは神学の問題であると同時に、現実の政治問題でもあるわけですから、そういう問題として話し合ってほしいと思ったんです。思わず言った言葉ですが、その後、互いに親愛感を持って話し合うようになってくださったんです。
阿久戸 お二人にはおそらく、お若いころの清子先生を傷付けてはいけないという「騎士道精神」が芽生えたのではないでしょうか。いい話ですね。
武田 それより、大先生たちが神の前に反省する謙虚さに打たれました。

「天皇かさぶた論」

阿久戸 キリスト者が長年苦しんできた問題でもある「天皇制」について、展望を語っていただけますか。
武田 わたしの尊敬する日高第四郎先生が、「天皇制はかさぶたのようなもの。いつか取れるけれども、無理に取ると血が出る」と例えたことがあります。
阿久戸 名言ですね。
武田 天皇はいつまで存続するか分かりませんが、そうした象徴が必要なのかどうかは国民の民度が決めていくことだと思いますので、それを政治的な道具に使うというのは危険だと思います。
 存在していく以上は、イギリスの王室のように、人民に仕える天皇でなければならない。そういう特殊な人が存在しなければならないかということは、日本の課題として残ると思います。ただ、歴史からは自由になれません。時間がかかるかもしれませんが、できるだけ皇族たちも選挙権まで持てるように、一般民衆化していくことが必要ではないでしょうか。
 ラディカルに批判して今すぐ潰すというのは「かさぶた」をとるようなもので、血が出てさらに悪化することがありますから、歴史の変化には慎重な動きが必要だと思います。
阿久戸 キリスト者にも、そうした民主化のために草の根で働く使命があるということですね。

日本的霊性とのかかわり

阿久戸 日本のキリスト者は、伝統文化とどのようにかかわるべきでしょうか。
武田 キリスト教の真理や人間観に反するような思想とは対決しなければならないと思いますが、親鸞の「歎異抄」のように、キリスト教を生かしめるものの根になるような思想、日本独自の霊性の萌芽が、日本の一般の人々の中に隠されているのではないかと思います。
 「これは許さない。しかしこれはまだ可能性があるのではないか」というように、キリスト教が根を下ろしていく上でふさわしいものは慎重に選び出し、それに対してはオープンでありたいと思います。日本の土着的文化を全部否定してしまうと、キリスト教はますます狭まってしまう気がするんです。
 ユングが、氷山の一角である「主観―客観」といった哲学的要素の下に、広大な無意識の領域があるということを指摘しています。無意識の奥深くに、自己絶対化や破壊性だけでなく創造的なエネルギーやメッセージがあるかもしれない。そういうものを文化の深みから読み取っていく作業が、日本だけでなく世界全体に必要なのではないでしょうか。
 そういうことを共通に、個々の文化の底から普遍的要素の可能性をすくい上げていくならば、それは人類的な明日に向かっての意味を持つのではないかと思うんです。
 そういう意味で、日本のキリスト教が偏狭な西洋の神学だけを守っていくのではなく、誰にでも分かる、しかし真に信仰的なものとして日本文化に根を下ろしていけるような宗教になっていくことが大事だと思います。
 日本のキリスト者は少ないと言われますが、キリスト教に触れることによって、人間の魂の底にあるものから無意識のうちに触発されている人たちが案外多くいるように思います。そういうことの大切さをもっと評価していくならば、日本の中でキリスト者は決してマイノリティではないと思います。

連載をふり返って

阿久戸 短い時間でしたが、先生と一緒に時間旅行をしたような思いを抱いています。日本の小さな群れであるキリスト教に、「おそれることはない」というヨハネ福音書のメッセージと同じようなものを感じました。ふり返られてひと言お願いいたします。
武田 やはり考えてみますと、有名な人も無名の人々も含めて、素晴らしい方々に出会わせられてきました。わたしの人生は出会いの恵みであったと思うんです。
 阿久戸先生とお会いできたことも不思議な出会いでしたが、本当に予期せずして、人に出会うということ、その方から恵みを与えられるということが、どんなに素晴らしいかということを実感しています。
 出会いというのは不思議なものです。神さまはいろんな人に出会わせ、わたしを鍛錬し、時には苦しめました。苦労は多かったのですが、すべて恵みでした。それらの出会いが、罪深いわたしをすくい上げて歩ませてくださったと思います。
阿久戸 今日は本当にありがとうございました。

 

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