松ちゃん’sれびゅう




■ マンガ『20世紀少年』



 8月末に封切りされた映画「20世紀少年」は、1999年からビッグコミックスピリッツ(小学館)に連載された浦沢直樹(代表作『YAWARA』『MONSTER!』)原作の同名コミックを堤幸彦監督(代表作『トリック劇場版』『包帯クラブ』)が映画化した3部作の第1弾。原作は、手塚治虫文化賞大賞を2度受賞し「漫画界のスーパースター」と称された奇才・浦沢の8年間にわたる渾身の作だが、現代世相を反映した本作が提起するテーマ、とりわけ「宗教性」については特筆すべきものがある。

 「世紀末」を間近に控えた1997年の日本。主人公はかつてロックスターを目指しながら、今は実家を継いで平凡に暮らすコンビニ店長のケンヂ。
 ある日、お得意先一家の失踪や幼なじみの不審な死をきっかけに、各地で起こる異変が、小学生の頃に同級生らと空想した物語よげんの書≠ニ酷似していることに気付く。事件の謎を追ううちにたどり着いたのは、ともだち≠名乗る教祖と、それを取り巻くカルト教団。地球滅亡をもくろむ彼らの計画を阻止すべく、かつての幼なじみを結集してケンヂ一派≠ェ立ち上がる。

 連載開始当初の時代背景をふり返れば、「地下鉄サリン事件」などで注目を浴びたオウム真理教がモチーフの一つとなっていることは間違いないが、ともだち≠フ組織する教団が友民党≠ニいう政党を作り、各界にもその支配の手を広げようとする様など、風刺の効いたパロディが随所に散りばめられている。
 キリスト教的要素も見逃せない。「ミッション・バラバ」を彷彿させる刺青入りの神父は、物語の鍵を握る重要人物であり、彼のいる「新宿歌舞伎町教会」も、ケンヂの仲間が蜂起する上で欠かせない舞台として度々登場する。また、ともだち≠ェそのカリスマ性を高めるエピソードとして、「ローマ法王」の暗殺計画まで描かれている。

 今年8月、国際宗教研究所が発行した『現代宗教2008』(国際宗教研究所編・判・2200円)では、ジョリオン・バラカ・トーマス氏(プリンストン大学博士課程)が「マンガと宗教の現在――『20世紀少年』と二一世紀の宗教意識」と題する論文を掲載している。同氏は、本作について「宗教によって正当化された暴力とそうでない暴力を背景に、『20世紀少年』における正義とテロの相対化は我々に恐るべき現実と期待すべき未来像を提供してくれる」と評価し、「世俗社会の常識とカルトの『狂気』を相対化することによって、正義と狂気は表裏一体であると主張しているのではないか」と分析する。

 もはや過去になりつつある「世紀末」とは何だったのか、そして21世紀を迎えた今もなお世界が直面し続ける諸課題、対テロ戦争の欺瞞、権力の暴走、歴史の改ざん、メディア統制の怖さなどについても、多くの示唆を与えられる。
 無論、「本格科学冒険漫画」として純粋に楽しめる娯楽性も有することは言うまでもない。駄菓子屋でくじを引き、草原の秘密基地でたわむれ、万博に心躍らされた世代にとっては、格別の思い入れで見ることができるだろう。

2008.10.11 キリスト新聞記事



■ 靖国 YASUKUNI



 靖国神社をテーマにした新たなドキュメンタリー映画が、この春誕生する。監督は、日本在住19年の李纓(リ・イン)。10年にわたる取材の中で、靖国神社の「ご神体」である日本刀と、その鋳造を再現する現役最後の刀匠に焦点を当てながら、偏狭な国家主義に縛られることなく、あくまで冷静かつ客観的に「靖国」の本質を見極めようとする。
 合祀差し止めを求める裁判の原告で、「憲法二十条が危ない!緊急連絡会」の発起人でもある菅原龍憲さん(浄土真宗本願寺派住職)も出演。戦死した父(先代住職)が合祀されている菅原さんは、「僧侶も戦争に駆り出されたということを忘れてはならない」と、軍服姿の遺影を掲げ続ける。「靖国神社は、戦前から何一つ変わっていません」というひと言が重く響く。
 終盤、60余年前の史実を淡々と描く記録映像の連続に、これは過去の光景ではないかもしれないという錯覚に陥る。首相の参拝に異議を唱える青年に「中国に帰れ」と連呼する男性。戦後60周年の集会であいさつした都知事に送られる盛大な拍手。「南京大虐殺を否定する署名を」と熱心に呼びかける女性。果たして、「何一つ変わっていない」のは靖国神社だけだろうか。
 終始、言葉少ない刀匠が、神社に対する思いは小泉元首相と同じだとしながら、「戦争は嫌ですね」とつぶやく。まばゆい夜景の中、靖国神社だけが茫々と浮かび上がる。
 日本・中国・韓国の3カ国による合作映画として製作された本作は、ある一国の立場に立つことも、ある一つの主張を声高に叫ぶこともなく、それでいて強烈なメッセージを放つ。
 4月12日より、銀座シネパトス、渋谷Q‐AXシネマほかにてロードショー。



■ 夕凪の街 桜の国


▲出演者による舞台挨拶

 原爆投下から13年後の広島。母と2人で静かに暮らす皆実(麻生久美子)は、会社の同僚・打越(吉沢悠)から愛を告白される。しかし、未だ癒えない被爆の「傷」と、生き残った罪悪感に苦しむ皆実は、素直に幸せを受け入れられない。やがて、原爆症の症状が皆実の体を蝕んでいく。
 そして現代。戦時中に疎開し、そのままおば夫婦の養子となっていた皆実の弟・旭(堺正章)は、同居する娘・七波(田中麗奈)に内緒で広島へ向かう。心配する七波は、父の後を追ううちに、家族や自分のルーツと向き合うことに……。
 時代を超えた2人の女性を通し、被爆者たちの背負ってきた歴史と、今日に至るまで連綿と続く悲劇の連鎖を見つめる。
 原作は、これまでの「原爆漫画」とは一線を画し、鮮烈な印象を与えたこうの史代の同名コミック(手塚治虫文化賞新生賞、文化庁メディア芸術祭漫画部門大賞を受賞)。その柔らかなタッチを忠実に映像化。重いテーマを描きながら、原作同様、画面には透き通った爽やかさが溢れる。
 被爆直後の生々しい惨状も、「戦争」「平和」といった言葉もほとんど出てこない。しかしかえって、のどかで淡々とした描写に、一発の爆弾が残したあまりにも大きい傷痕の深さに気付かされる。
 原作にはなかった皆美の台詞「(原爆は)落ちたんじゃない。落とされたんよ」に、構想以来3年がかりで作り上げたという佐々部清監督の底知れぬ情熱を見る思いがする。



■ パッチギ!LOVE&PEACE

 
▲完成披露試写でキョンジャ役の中村ゆりさんに花束を渡す今井悠貴くん(右)

 映画の舞台は、前作から6年後1974年の東京。難病を患う息子チャンス(今井悠貴)の治療のため、アンソン(井坂俊哉)一家は京都から移り住む。愛する者の命を救おうと奔走する家族。妹のキョンジャ(中村ゆり)は芸能プロダクションからスカウトを受け、芸能界入りを決意。一方、宿敵近藤(桐谷健太)らとの乱闘で知り合った国鉄職員の佐藤(藤井隆)とアンソンは、チャンスの莫大な治療費のために無謀な計画を立てる。
 キャストを一新。続編ながら、新たな「パッチギ」ストーリーとして前作を凌ぐ迫力と感動を作り上げた。アンソンの父が戦火をかいくぐりながら逃げ惑う場面は、決して美しくもなく潔くもない戦争の本質をえぐり出す。特に、たたみかけるように迫ってくるラストの舞台あいさつシーンは、涙なしには観られない。
 奈良で青春時代を過ごし、幼い頃から偏見や差別を目の当たりにしてきたという井筒和幸監督が、説教ぶることなく、今なお厳然として存在する問題をストレートに突きつける。人種、民族、歴史、戦争……。重いテーマを引きずりながら、監督独特のユーモアとアクションも忘れない。
 重病を抱える難役に挑んだ今井君のいじらしい演技が、家族の悲哀をより一層際立たせる。試写会では、「みんなでご飯を食べるシーンが大好き。ご飯も家族みんなで食べると美味しいということを実感しました」と、大人顔負けのコメント。本作の核心を見事に突いた。
 「イムジン河」が印象的だった前作に続き、今回も70年代を象徴するバンドを率いた加藤和彦が音楽を担当。副題の通り「愛」と「平和」と、監督をはじめとする製作者の情熱「パッチギ(頭突き、突き破る)」に満ち溢れた作品となった。



■ 日本の青空  監督インタビューはこちら

 敗戦直後、新しい憲法がどのように受け入れられ人々の間に浸透していったのか。改憲論議が吹き荒れる中、その歴史的事実が置き去りにされようとしている。
 憲法施行60周年を迎えた今年、その誕生をめぐるドラマを描いた映画「日本の青空」が完成した。市民の手による自主上映運動が全国に広がっている。
 「月刊アトラス」編集部の沙也可(田丸麻紀)は、部数復活をかけた特集企画「日本国憲法の原点を問う!」で、在野の憲法学者・鈴木安蔵(高橋和也)を取材する中、安蔵の娘2人の証言から、戦時下での憲法学者としての苦労や、安蔵を支えた妻・俊子(藤谷美紀)の存在、そして日本国憲法誕生の舞台裏に迫っていく。
 戦後、大日本帝国憲法にかわる真に民主的な新憲法は民間人から生まれてしかるべきだという気運が高まる中、安蔵は高野岩三郎(加藤剛)、森戸辰男(鹿島信哉)らと共に民間の「憲法研究会」を結成。メンバー唯一の憲法学者である安蔵を中心に論議を重ね、完成させた憲法草案を政府とGHQに提出する。
 待ちに待った「日本国憲法草案」発表の朝。第一報を載せた朝刊を手に安蔵が走る。国民が目にした新しい憲法の内容とは……。
 憲法をテーマとした数々の作品と一線を画すのは、本作はドキュメンタリー映画ではないということ。あえて学術的な論法や手法をとらず、憲法をめぐるさまざまな人間模様で物語が構成される。プロデューサーの小室皓充氏も、「より多くの人に観てもらうため、劇映画にした」と期待を寄せる。
 鈴木安蔵を演じた高橋和也さんは、「この台本に出会うまで、安蔵のことを知りませんでした。わが家にいる4人の息子が大きくなった時、戦争に取られるような日本には絶対してはいけないと、この映画を通じて改めて思いました」と熱く語った。
 安蔵の両親はクリスチャン。広報担当の佐藤契さん(日基教団むさし小山教会員)によると、彼は生まれ育った小高町で、16歳まで小高町日本基督教会(現・日基教団小高伝道所)に毎週通っていたという。安蔵の思想的背景には、キリスト教的ヒューマニズムが脈々と流れている。
 国民投票法案をめぐる国会での論議や「押し付け」憲法論、今後予想される改憲への流れに、一石を投じる作品である。
 上映予定はホームページ参照。また、不足している製作費のカンパも引き続き募集している。問合せは、「日本の青空」製作委員会(03・3524・1565)まで。

2007.5.5 キリスト新聞記事



■ 約束の旅路

 
▲来日したラデュ・ミヘイレアニュ監督(左)

 「モーセ作戦」と名付けられた、エチオピア系ユダヤ人のイスラエル移送計画。1984年の史実を元に、出自を偽り、自らのアイデンティティを模索しながら生きる少年の姿を描いた作品。
 原題は、「行け、生きろ、生まれ変われ――」。エチオピア人でキリスト教徒の母が、9歳の息子を難民キャンプの窮地から救うべく、ユダヤ人と偽りイスラエルに脱出させようと送り出す。シュロモと名付けられた少年は、祖国を離れ、献身的な養父母やユダヤ人宗教指導者に支えられながら、青年へと成長していく。
 聖書解釈の討論会でシュロモは、「アダムの肌の色は何色だったか?」との問いに、「アダムの肌は白でも黒でもない。粘土の色、赤だ」と解釈し、相手を打ち負かす。肌の色、宗教、人種……。さまざまな矛盾をその身に背負い、シュロモは叫ぶ。「僕の祖国はどこ?」
 憂いを秘めた主人公を演じるのは、みな映画初出演の3人。少年期、青年期の眼差しを通し、今日世界に遍在する難民、移民、寄留者の共通する課題を浮き彫りにする。
 1月に来日したラデュ・ミヘイレアニュ監督は、「母の存在がなければ自分の才能を発揮することも、存在さえもなかった」と語った。生きるか死ぬかの瀬戸際で、我が身を賭して子どもを守り抜くそれぞれの「母親」像も描かれている。
 本作の上映に伴い「映画が世界を変える」と銘打って、日本初の「ブログ募金」という試みが行われている。ブログに映画の書き込みをすると、国連難民高等弁務官事務所(UNCHR)を通して、駐日事務所のアフリカキャンペーンへ募金ができるという仕組み。60人のブログで毛布10枚、600人のブログで、教科書100人分が寄付できるという。詳しくはホームページにて。

2007.3.24 キリスト新聞記事



■ 不都合な真実   

 世界教会協議会(WCC)の声明によると、温室効果ガスの影響により、「ケニア人の貴重な水源であるケニア山やキリマンジャロ山の雪や氷が消えてなくなり、干ばつと深刻な嵐が交互に起きている」という(本紙06年12月2日付にて既報)。
 温暖化といえば、近未来の惨劇を映像化した「デイ・アフター・トゥモロー」が記憶に新しいが、鑑賞者へのインパクトという面では本作の方がはるかに大きい。
 主人公は、アメリカの元副大統領アル・ゴア。地球が瀕する数々の危機的状況に心痛めた彼は、「これは政治問題ではなく、人類としてのモラルの問題だ」として、世界中でスライド講演を開いてきた。彼にとって環境問題は、大統領選での落選、息子の交通事故を通して示された召命とも言うべきライフワークとなっている。日本の一部政治家が口にする「マニフェスト」とは重みが違う。
 スライドには、近年立て続けに起きる異常気象と、「聖書の黙示録を思わせる」その惨状が映し出される。さらに、グラフやアニメを駆使したプレゼンは、講演会場の聴衆と一緒に聞き入ってしまう説得力がある。
 映画化を進めたのは、ゴアの講演に感銘を受けた「グッド・ウィル・ハンティング」のローレンス・ベンダーと、「グッドナイト&グッドラック」のジェフ・スコル。監督は「トレーニング・デイ」の製作総指揮デイビス・グッゲンハイム。
 この作品が、世界で最大の温暖化要因を排出ながら、自国の経済的理由で京都議定書から離脱したアメリカで作られ、社会的反響を呼んでいることに大きな意義を感じる。
 最後に列挙される「わたしにできること」の一つ。「人々が変わる勇気を持てるように祈りましょう」。

2007.1.13 キリスト新聞記事



■ 蟻の兵隊

 第二次世界大戦後も中国から帰国できず、山西省での内戦に巻き込まれた日本兵たちがいた。その数約2600人。その後4年間の戦闘で、約550人が戦死、700人以上が捕虜となった。戦後日本政府は、兵士たちが志願して勝手に戦争を続けたと見なし、その事実を黙殺し続けている。
 60年後の今、残留の真相を明らかにし、戦争の悲劇を後世に伝えるために、かつての日本兵たちが立ち上がった。真実を明らかにすべく中国へ渡った残留兵の一人、奥村和一さん(80歳)の目を通して、歴史の闇に葬られようとしている「日本軍山西残留問題」に焦点を当てたドキュメンタリー作品。
 1944年(昭和19年)、初年兵として山西省に送られた奥村さんは、置き去りにされた中国での戦闘で重傷を負い、捕虜となって重労働を強いられた。日本に引き揚げることができた時には、敗戦からすでに9年の月日が流れていた。しかし、母国で待っていたのは、何の補償も恩給も受けられない「逃亡兵」扱い。
 国を相手に裁判を続ける奥村さんは、初年兵教育の名の下に残虐行為を命じられた村々を訪ね、自分が「鬼」と化した現場に立つ。深く刻まれたしわが、背負ってきた重荷の大きさ、たどってきた道の過酷さを物語っている。「お金(恩給)がほしいわけじゃない。ただ真実が知りたいだけ」。
 なぜ戦友は、戦後数年経ってなお、「天皇陛下、万歳」と言って、死ななければならなかったのか。自らを殺人者にしたあの戦争とは何だったのか。加害・被害の立場を越え真実を求めようと問い続ける眼差しは、少し腰を曲げて歩く姿勢とは裏腹に、強く凛と輝いている。
 これは「過去の」「政治的な」問題などではない。かつて天皇を神と同列に拝し、神社参拝を強要してきたキリスト教の、そして日本全体の問題でもある。

2006.7.15 キリスト新聞記事



■ 戦場のアリア

 1914年。第一次大戦下のフランス北部の村デンソー。フランス・スコットランド連合軍と、ドイツ軍が連日砲弾を鳴り響かせている。クリスマスだけは家族のもとへ帰りたいと兵士の誰もが願っていたが、戦況はますます熾烈さを極めていた。
 やがて訪れたクリスマスの夜。ドイツ軍には10万本のクリスマス・ツリーが届けられ、スコットランド軍の塹壕からはバグパイプの音色が聞こえてくる。そして…。
 大戦下のクリスマス・イブに、互いに敵対する者たちが、クリスマス・キャロルの歌声をきっかけに戦闘の最前線で歩み寄り、挨拶をし、フランスのシャンパンで乾杯したという実話に基づく奇跡の物語。
 フランス出身の監督は、「クリスマス休戦」として敵国と友好を結んだ勇気ある兵士の哀しい運命に心を打たれ、彼らへのオマージュとしてこの史実を映画化したという。
 心温まるエピソードだが、敵同士が手を取り合って歌ったという美談では終わらない。兵士たちの束の間の交流は、たちまち軍や教会の上層部に知れわたり、さらに過酷な運命へと彼らを引きずり戻すことになる。昨日まで言葉を交わし、杯を酌み合った同じ人間が銃を突きつけ合う。戦争のなんとむごく、虚しく、愚かしいことか。
 「それは、本当に神の道なのでしょうか?」。戦場で祈りをささげる神父の叫びは、今なお大義と美名の下に剣を振り上げる国々にも向けられている。
 昨年フランス観客動員数第1位を記録。豪華な俳優陣の深みのある演技も見もの。兵士たちを癒すソプラノ歌手アナの声を、オペラ界の頂点で活躍するナタリー・デッセーが担当。天使のような澄んだ歌声が観る者を魅了する。

2006.5.20 キリスト新聞記事


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