課外授業
「父ちゃんの凧」の課外授業
戦争体験の聞き取り(5年国語)

 『父ちゃんの凧』の課外授業

2004年度3学期 国語  授業者:松ちゃん  2004年3月17日 5・6校時

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Ⅰ はじめに

 本学年は5年の1学期から完全専科制となる初めての学年であり、国語・算数・社会の各教科とも、各担任によって、より専門的で内容も深められるという利点を持っていた。今回はそれを最大限生かし、学年を通じて教科書の内容から発展させた独自の授業を展開することができた。

Ⅱ 単元の概要

(1)単元名 『父ちゃんの凧』(学校図書5年下)

(2)作者 長崎源之助
 1924年生まれ。20歳で召集。中国北部で敗戦まで訓練を受ける。戦争体験を自分の文学の出発点にしているため、戦争を舞台にしたり背景にしたりしているものが多く、無益な戦争が庶民に与えた限りない不幸を、生涯、憎み続けていく作家である。「あの戦争は、ぼくの人間形成に何をもたらしたろうか。ぼくをどう変革したろうか。あの戦争の中で生きたか。どう生きようとしたか。また、どう生きねばならなかったか。それを考え、追求し、それを物語の形をかりて、子どもたちに語りかけたい。」(「日本児童文学」1970.3)本作品も、氏のこのような考えから生まれた作品である。

(3)主題
 戦争は、どちらの国の人々の生活も家族愛も壊してしまうものであり、平和の中でこそ、夢や願いが実現するということが主題。児童には、父の娘を思う愛、それに共感して応援する戦友の人間愛や母の苦労を語りながらも、少年兵の心を理解していく「わたし」の思いを通して、父の夢の主題に迫らせたい。

Ⅲ 指導の目標と意義

(1)目標
 中国で戦死した凧好きの「父」を思い出しながら、世界中の人々が仲良く凧揚げできるようにしたいと「わたし」が願うという文学教材を通し、中国との戦争について、当時の体験者から話を聞くことにより、さらに学びを深める。

(2) 意義
 戦後60年を翌年に控えた年、戦争そのものは身近なニュースとして知りながら、実体験としての平和学習に乏しい児童を対象に、少しでも実感として戦争の悲惨さと愚かさを知ってほしいと考え、そのための機会として課外授業を設けた。

Ⅳ 指導の流れ

(1)「読み」の学習
 父が戦地へ行く前と、戦地へ行ってからの登場人物を列挙し、相関図を書きながらそれぞれの心情をとらえ、物語全体の主題を考える。初めて通読した授業では、以下のような感想が見られた。

【初発の感想】
戦争の間に凧を作るなんてのんきだと思った。
戦地へ行っても戦友や隊長までが凧作りを手伝ってくれたので、父ちゃんは幸せだったし、感げきもしたと思う。
隊長さん自ら凧ができるのを楽しみにしていたんだ。
父ちゃんは最後に死んでしまうが、父ちゃんの願いは、むすめの「わたし」に受けつがれているのだな~と思った。
顔を覚えていない父でも、やっぱりお父さんなので、父の考えも分かるような気がするのだと思う。
お父さんがあのままうたれていなかったら、凧を家族にあげられたと思う。
お父さんが凧を作るのを許してあげられるお母さんがえらいと思う。
お父さんをうつなんて悪い人。凧はきれいなのに…。
世界の人たちが仲良く凧をあげられたらいいとぼくも思う。
父さんが殺されたのに、その殺した相手を許せるなんてすごい。 
このお父さんのような人を出さないようにするためにも戦争はやめてほしい。

(2) ビデオ視聴による事前学習
遺棄毒ガス兵器による事故を報じた最近のニュース番組から、過去の戦争で使われた兵器によって、今なお中国で新たな被害が及ぼされていることについて学習した。

(3) 戦争体験から学ぶ
 本時にあたる課外授業では、日中友好協会東京都北支部長であり、元・中国帰還者連絡会本部常任委員を務める小山一郎さんをお呼びし、戦争体験(特に中国での加害体験)のお話をうかがった。授業の初めにプリント(資料)を配り、日中戦争から太平洋戦争までの大まかな歴史的背景を学習し、その後、小山さんからお話しいただいた。話の後、児童から活発に質問が出され、時間内に答えられない分に関しては感想文に書くよう指示した。集めた感想文は、小山さんの自宅へお送りした。

【小山さんへの感想文】

◆中国にせめていって日本がほしかった鉄鉱石などを犠牲を出してまで取るなら、貿易などをすればよかったと思います。相手国が貿易を拒否したならば、ぼくは日本が悪いと思います。なぜかと言うと、日本が信頼されていなかったりするからだと思います。だからぼくは、ちゃんと貿易ができ、他の国々と仲良くしていくためにも、日本が戦争で土地に残した物を取りのぞいて、不安を取りのぞいて、世界が平和になってもらいたいです。

◆日本の人は国のために色々していると思っているけど、本当は人が戦争のために人が死んでいっているから、ためになっていないと思う。戦いではなくて話し合いで解決した方がいい。

◆60年前の戦争のひ害をいまだに受けている人がいるなんて、びっくりしました。ぼくは平和な時代に生まれてきたことに感謝をして、これからもずっと平和が続くように、大人になったら努力したいなと思いました。

◆ぼくはこんな悲さんな戦争はもうくり返してはいけないと思う。日本も早く、中国に謝罪して仲良くなればいいのに。アメリカもいつまでもイラクでドンパチやってないで、手を引けばいいのに。今日はとてもためになるお話だった。だから、武力で統一するというのを続けていれば、永遠に平和が来ないと思う。なので、話し合いで解決していくのが本当の平和だと思った。小山さんの話を忘れずに、これからも平和のために役立てたいと思う。

◆戦争なんてルールのない最低な戦いだ! 敵も見方もないので、教科書の凧のように、世界の人々が仲良く暮らしていきたいな。軍人になったら、そうとうな覚悟が必要ですごいな。政治家は日本のために戦争をしているけど、日本の人々はいやがっているので、政治家は何なんだ! ったく!

◆罪のない人を殺したり、捕虜にしたりするのはひどいと思います。日本も戦争をしたのだから、日本も悪い。たまに他の国が悪いとテレビで言っていたけれど、日本だって十分悪いと思います。戦争をやめてくれて本当に良かったです。戦争は、世界中でやめてほしい。日本が最初に他国の人を拉致したから、逆に拉致されているのだろうか?

◆小山さん、あのビデオではあんなにかんたんにうつっていますけど、あなたが見たのは、もっとひどいものだったと思います。ぼくのおじいちゃんも戦争を体験していて、どうやら学生の時にとられたらしくて、行ったのは最後から二番目だったそうです。ぼくはもうそんな戦争なんてのを起こしたくないです。そして、あなたみたいな人を、また戦争で死んでいく人をもう増やしたくありません。でも、今でも戦争が続いているのは残念です。もう戦争で死ぬ人はたくさんです。

◆ぼくの祖母は「父ちゃんの凧」の「わたし」の立場だったと話してくれました。祖母の父は陸軍として満州に行き、祖母は祖母の母の故郷の山形にそかいさせられたそうです。祖母は父が戦争に行き、母は銀座でそば屋をやっていたので妹と二人山形にいて、東京から来た子としていじめられたこともあったと言いました。祖母の父は生きて帰ってきたけど、祖母の父も、小山さんと同じような経験をしたんじゃないかなと思います。戦争は、自分は人を殺しちゃいけないとわかっていても、国からの命令で人間を人間と思わなくされてしまったことが小山さんの話でよくわかりました。中国人を物のようにあつかい殺した日本人の子孫として、ひどいことをするなと思いました。どんなことがあっても戦争は絶対にいけない。一番大切なものは命だから。

◆まだ20歳なのに、兵隊として連れていかれ、とてもグロテスクなところを見せられ、悲しい思いをしたことでしょう。ぼくがもし徴兵され、戦争の訓練に行くことになったら、自殺するかもしれません。でも自殺しないで勇気を持ち、兵隊になっても「生き残ろう」という思いを持てる小山さんはとてもえらいと思いました。

◆もし、第三次世界大戦があった場合、ぼくは何をすればいいかわからない。でもぼくは、絶対に世界大戦はないと思っているばかりです。戦争はすごくすごくこわいものだと今わかりました。

◆ぼくもきっと兵隊にとられていたら、「それでも軍人か」などとどなられていたと思います。今、日本は平和ですが、いつ戦争になるともかぎりません。「お国のために」などと言って、無理やりとっこうするなんておそろしいなあ、とも思いました。中国の人たちも虐殺され、虫けらあつかいをするなんてひどい話だなあ、と思いました。

◆中国政府は日本に比べてとってもやさしい。なぜかというと、小山さんのように抑留された人が無罪で許されて帰国させてくれたからだ。だから、日本も賠償して中国との仲を直してほしい。

◆ぼくの大おじさんは、お医者さんになるため学校に行ってましたが、戦争になり21歳の時に志願して特攻隊に入り、戦争が終わる直前に知覧から飛び立ちました。今でも大おじさんの最後の手紙が残っているそうです。家族に「元気にしていてください」の手紙です。戦争の恐ろしさや、憲法がどんなに大切かということを改めて感じました。

(4)凧作り
 ビニールを使った簡単な「ぐにゃぐにゃ凧」を作製し、グラウンドで凧揚げをした。あまり体験したことのない児童も多く、熱中していた。

(5)授業後の交流
 小山さんへ感想文を送付した後、小山さんからお礼のお手紙をいただいた。児童にはプリントにした物を授業で配布し、読み合った。ここではその全文を掲載する。

【小山さんからの手紙】
 先日、立教小学校5年生のみなさんに、戦争のお話をしたときに多くの質問がありましたが、時間の関係でお答えすることができませんでした。後にいただいた感想文の中にも質問がありましたので、大変おそくなりましたがみなさんに伝えてください。
 私自身もあの感想を読んで、子どもたちの純真さと理解力に感動し、激励されました。よろしく伝えてください。

1.陸・海・空のどの軍に入るか選べたのですか?
 陸軍に入ったのは自分の意志ではなく、軍で自動的に決められます。海軍と空軍はそれぞれ志願制で、検査官の適性検査の結果で決められます。

2.人を殺すことをどう思いますか?
 誰でも、生きた人間を殺すことは嫌なことです。しかし戦争は、国と国との戦いで互いに相手の軍隊を(一般人を敵と見なして)うち負かすのが目的です。自分や他人の意志は無視して命令により行動しなければなりません。戦場では良いとか悪いとか、同情は不要とされ、人間から鬼へと変わるのです。相手を殺さなければ自分が殺されるからです。

3.シベリヤ抑留で苦しかったことは?
 とても辛かった。寒い(マイナス20~30度になる)し、食べ物も、まずい黒パンひと切れと具のないスープ一杯で重労働させられ、一年中空腹で道に転がっているレンガもパンに見えた。栄養失調で死んだ人も多い。

4.兵隊になった時の気持ちは?
 1940年ごろ、日本は軍国主義社会で、教育も生活も遊びも全て戦争中心だった。他人の自由はなく、天皇のために命を捧げることが国民の義務だった。男子は20才になれば、当然兵隊になることが名誉だった。
だから、喜び勇んで出て行った人もいるが、だいたいは仕方なく義務だから入隊したのです。しかし、表面的には勇んで入隊したようにふるまわないと、臆病者と思われるし、あとに残した家族の者にも迷惑がかかるので(自治会や町会の人々が多数、日の丸の旗をふり、見送ってくれるので)、男らしく軍人として出て行ったのです。

5.なぜ、捕虜を虐殺したのですか?
 戦場で作戦行動をする時、敵の動きを探るため、住民や村の代表を捕らえ、情報を収集しなければなりません。しかし、誰も日本の侵略軍に本当のことは言いません。そこで、ひどい拷問にかけます。結果、生かしておいたら日本軍の行動が敵に通報されるので、最後は殺してしまうのです。
また、日本軍は国際法を無視していたので、捕らえた人間は正式な捕虜として扱わず、交戦中の敵として、みんな殺してしまったのです(有名な「南京大虐殺」がその一例です)。

6.戦友が死んだ時の気持ちは?
 戦争でうち合った時はみんな必死で、まさに鬼の心です。少しでも低い所を探し、体を地面にぴったりつけ、弾が当たらないようにしますが、それでも雨あられと敵の弾が来ます。つい隣にいた戦友が「やられた!」と叫び、死んでいきます。その時は戦友の仇討ちだとばかり心がたけり、猛反撃します。
しかし、戦争が終わって死んだ戦友を火で焼く時は、涙が出るほど悔しい思いでした。これが報復の心につながるのです。だから殺し合いは、敵味方の区別なく報復戦の連続となります。だから戦争はやってはならないことなのです。

7.毒ガスを使いましたか?
 わたしの隊では使ったことはありませんが、いつでも使えるように、毒ガス訓練と防毒マスクの着用・携帯はしていました。毒ガスは、天候(風向き)や地形(山、谷など)によって使用する場合とだめな場合があるのです。でも、わたしの別の隊では使ったことがありました。数百人の住民が死んだのです。
日本は敗戦の時、大量の毒ガスを中国の山谷に埋めて隠しました。それから戦後60年たった今でも、現地の人々を苦しめています。

8.死にそうになったことがありますか?
 何回もあります。特に敵の待ち伏せ攻撃にあい、50人の日本軍のうち20人ぐらいが殺された時、また、狭い塹壕の中で敵味方入れまじった戦いの時、大部隊の敵に囲まれ、命からがらにげた時など。このような時は、日本軍は多数の戦死者を出しています。

9.中国人拉致について
 1942年、日本政府は国内の炭坑やダム建設のため、労働力不足となり、中国人労働者を日本に移入することを決めました。日本軍は大々的に包囲網を作り、中国人強制連行作戦を実施し、約4万人もの中国人を日本各地に送りました。平和に暮らしていた人々、畑仕事や商用で出かけていた人々を一人残らず捕らえ、無理やり日本や満州に送ったのです。本当に非人道的犯罪行為です。これらの被害者に、日本は今まで謝罪や補償をしていません。悪いことです。

10.戦地での楽しみは何でしたか?
 『父ちゃんの凧』のように、戦地でのんびりと過ごすことはほとんどありませんでした。これはその戦地の派遣場所によっても差があると思います。
わたしたちにとっては、たまにある日曜・休日の外出と「酒保」という隊内にある売店(軍人がやっている)で、甘いお菓子や少量のお酒を買って、戦友たちと日本内地の様子を話し合うのが楽しみでした。
外出は楽しみもあったが、一面いつどこで敵の弾が飛んでくるかという心配もあり、心から安らぐことはできませんでした。夢は、一日も早く日本に帰ることでした。

 どうかみなさんが大人になったとき、戦争をしない日本でありますように、心から祈念して、みなさんの学業が立派にできるよう祈っています。
2005.5.17 小山一郎

Ⅴ おわりに

 戦争体験者が減り続け、戦後世代が大半を占める今日にあって、平和教育の重要性は日増しに大きくなっている。本単元に入る以前の2学期の初めには、話題になっていた絵本『戦争のつくりかた』(りぼん・ぷろじぇくと)をホームページからダウンロードし、一人一冊ずつ製本をした後に読み合うという実践も行った。教室の学級文庫には、日頃から身近に触れることのできる読み物として、以下のような書籍を置いている。特に『はだしのゲン』は夢中になって読み、家族にも勧めて読んだという児童の声も聞く。平和についての学習は、夏だけの期間限定とすることなく、全教科を通して、普段からの蓄積が重要だと思われる。
 ・中沢啓治『はだしのゲン』汐文社 1~10巻
 ・池田香代子 他『世界がもし100人の村だったら』マガジンハウス 1~3
 ・田中章義『地球では1秒間にサッカー場1面分の緑が消えている』マガジンハウス
 ・りぼん・ぷろじぇくと『戦争のつくりかた』マガジンハウス
 ・岩川直樹 他『平和と戦争の絵本』大月書店 1~6巻
 ・フランク・パヴロフ『茶色の朝』大月書店
 ・日本国際飢餓対策機構 編『世界と地球の困った現実』明石書店
 ・三枝義浩『汚れた弾丸 アフガニスタンで起こったこと』講談社
 ・シャーロット・アルデブロン/森住卓『私たちはいま、イラクにいます』講談社
 ・谷川俊太郎『おにいちゃん、死んじゃった』教育画劇

Ⅵ 参考

 絵本「戦争のつくりかた」
 「クラフト村 風の又三郎」オリエント・エコー㈱

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