生きる  谷川俊太郎

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっとあるメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球がまわっているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
 はだしのゲンはピカドンを忘れない  中沢啓治

 先日、テレビを見ていたらある評論家が、「核戦争に備えて、日本人はシェルターをつくれ」といっていました。冗談ではない。核兵器がもし使われてしまったら、いったいシェルターににげこむ時間がありますか。たとえにげこめたとしても、空気や水や作物が放射能で汚染されて、どうやって生きのびるのですか。何十年間も生き残れるシェルターに、何人入れるのですか。もし、生き残った人がいたとしても、それは政府高官の一部です。一般市民は、シェルターをつくっても生き残れないのです。絶滅です。評論家がまことしやかに、テレビなどで核兵器がどうのこうのといっていますが、それをうなずいてなるほどと聞いている人をみると、何という認識の低さだと、私は思うのです。
 日本はゆいいつの被爆国だといいますが、果たしてほんとうに原爆の実態を日本人はどこまで知っているのでしょうか。実態をよく知ってから言えと、私はさけびたいのです。よく知るということは、だれかがやってくれる問題ではありません。それはひとりひとりがやらなくてはならないことではないでしょうか。自分の上に、いつ何時降りかかるかわからない問題です。ことに核問題は、核戦争だけではなく、事故によってもいつ起きるかわからない問題です。最近の新聞や放送でも、いくつも報道されています。ベンチレーターがこわれて爆発しかかったり、わずか数十円ぐらいのちいさな部品が故障して、大陸間弾道弾が飛び立とうとしたり、B52が巡回中、水爆を積んだまま、事故でメキシコ湾に落ちたりしているのです。安全装置が五つあって、そのうちの四つまではずれていた、という事故もありました。核爆発は、いつ起きるかわからないのです。
 こうしたことを考えてみれば、だれでも他人ごとではないと思うのです。そして、やっぱりこれはひとりひとりが、真剣にたたかうより道がないと、私は思うのです。そして私は、漫画しか描けませんので、漫画の中でこの問題に一生こだわり続けてやろうと思っているのです。
 夫婦別姓を生きる  白石玲子

 (夫婦別姓に対する反対意見の)最大の理由は、家族の中で別の姓の人がいると、家族の一体感が失われる、家族のほうかいにつながる、というものです。家族は「○○家」の人間として、みんな「○○」という同じ姓をなのるのが当然、という感覚が強くあるようです。しかし、それは一八九八(明治三一)年以後のことです。
 さて、本当に別の姓の人がいると、家族、という結びつきがうすれてしまうのでしょうか。マンガの『サザエさん』を思い出して下さい。サザエさんの家族は、サザエさんの父の波平さん、母の船さん、弟のカツオ君、妹のワカメちゃん、この人たちは「磯野家」の磯野さんたちです。一方サザエさんの最愛の夫マスオさんは「フグ田」姓です。ということは、サザエさんも、二人の子どもタラちゃんも「フグ田」姓でしょう。この、時にはけんかもするけれど仲の良い家族の代表、といってもよい七人家族は、二つの姓にわかれているのです。だからといって、サザエさんの家族が一体感を失っている、結びつきのうすい家族だとだれが思うでしょうか。(中略)
 家族が強く結びつき、一体感を持っているかどうかは、結局のところ家族の愛情という本質的な問題でしょう。おたがいに愛情がうすければいくら同じ姓をなのっていても、一体感はとぼしいはずです。(中略)
 夫婦別姓だったり、兄弟姉妹のなかで氏がちがっていたりしたら、「あの家族は何か変、おかしい」というので子どもがいじめられないか、と心配する声もあります。でも、家族のあり方が多様化し、いろいろな生き方を選たくする人たちが出てきている今日、これまでの「家族というのはみんな同じ姓をなのるのが当たり前」という古い感覚で、マイノリティ(少数派)の人たちを異端視するのは、もう時代おくれの誤った考え方ではないでしょうか。

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