歴代通信

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 発行物

本の本

推薦図書文集


 先生は本がきらいだった

 何をかくそう、先生がまだ小学生のころの話。図書館に行ってもさし絵が気に入った本ばかりを選び、本文をまともに読み切ったこともないほど、本を読むのがにが手な少年だった。なにしろ感想文を書くのがきらいだった。「課題図書」という名の、何やら「ありがたそうな」本の数々。今、先生という立場で言うのもなんだが、だいたい先生とか親にすすめられた本は、おもしろいと思ったことがない。「本がおもしろい」と初めて思ったのは中学に入ってから。すべて本には、書いた人が伝えたいメッセージがこめられていると知ってからのことである。今思えば、もっと早く気づいていればよかった。
 それでも、「ホッツェンプロッツ」で笑い、「十五少年ひょうりゅうき漂流記」でワクワクし、いろいろな伝記で自分のしょう来を思いえがいてきたことはたしかである。子どもたちの文章を読むと、世代をこえて同じ物語が読みつがれていることが分かってうれしい。ぼくらのバイブル(?)だった「ドラゴンボール」ブームの再来と同じよろこびがある。
 この図書案内は、世界に一つしかない、4Aの目線で書かれた、4Aのためのガイドブックである。だれにどんな言葉ですすめられるより、「友達が読んだ」という事実の力は大きい。先生まで読んでみたくなるような本がたくさんある。ぜひ、友達の読んだ本をさがして、友達と同じ感動を味わってみよう。

2003年5月21日
映画の本

推薦映画文集

 「映画の本」から見えてくること

 映画が大好きな先生は、「本の本」の映画バージョンを作りたいと思った。初めは、「はたして4年生がどれだけ映画を見ているだろうか」、「選ぶ映画がかたよってしまうのでは?」という不安があった。自分が4年生のころは、(福島の片いなかだったこともあり)映画などほとんど見たことがなかったからである。しかし、現代っ子は思いのほかたくさん映画を見ているようだ。しかもかなり見る目が肥(こ)えている。「小学生には難しい」とか「まだ早い」とか「悪い影響が…」とか、大人が勝手に子どもに「ふさわしい」「健全な」映画を「選んで」しまっている面もあることを、少しは反省しなければならない。
 「本の本」でも書いた通り、先生は「感想文」を書くのが苦手だった。子どもながら、「気持ちなんて文章には書けない」、「わき上がる感動だって、文章にしてしまったとたんつまらないものになってしまう」とさえ思っていた。しかし、自分の好きなものに関しては、おもしろいほどにすらすらと書けてしまう。
 そこで、今一度考えてみてほしい。自分がなぜ「それ」を好きなのか。どこにおもしろみを感じたのか。そして友達はなぜ、自分とはちがう「あれ」が好きなのか。そのことが、自分とはちがうものの見方をする友達がいること、同じような好みをもった友達がいること、ひいては友達自身を知ることにもつながっていく。先生も、みんなのことを知る意味で、ここにすすめられた映画の数々を少しでも多く見たいと思っている。

2003年10月29日
伝記の本

推薦伝記文集

 本は時空(とき)を超えて

 5年生は、1学期の国語で「レイチェル=カーソン」の勉強を通し、「伝記」というジャンルの読み物にふれる機会を得た。この本は、休み中にみんなが読んだ伝記のすいせん文を一冊にまとめたガイドブックである。
 ぼくが子どものころ、初めて読んだのはだれの伝記だっただろうか。「ベーブ・ルース」か「ファーブル」か、「ヘレン・ケラー」か「野口英世」か…。いずれにしろ、読むたびに自分の将来と重ね合わせて、何だかわくわくしたのを覚えている(そう言えば、「手塚治虫」はまだ伝記にもなっていなかった)。
 伝記は、小説などの作られた物語とちがい、ある人物にまつわる本当の話である。やはり事実が持つ力は大きい。もちろん伝記には、人から伝え聞いた話や、多少大げさにしている部分など、事実とちがう部分も多少あるかもしれない。しかし、読みとるべきものは、そこに書かれたぼくたちと同じ一人の人間の人生であり、生き方である。人には寿命(じゅみょう)がある。どうがんばっても永遠には生きられない。しかし、彼らは伝記という本の力で、今もそしてこれからも、ずっと読者の前にすがたを現すことができる。そう、本はまさに時空を超える道具なのだ。
 ぼくたちは将来、伝記になるような有名人にはなれないかもしれない。しかし、そこには必ずかけがえのない一人一人の伝記がつむがれているにちがいない。そして、その伝記をより豊かにするために、ここで友達がすすめてくれた伝記をぜひ手にとって読んでみてほしい。

2005年1月12日

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